2話 北域圏の冬
オルスタッドでのあの日の出来事は、世間では"大災厄の夜"と呼ばれている。
その夜から1年――。
カイン・ヴァル=レオグリフの一家は"北域圏"と呼ばれる北の地に移住していた。
そして今、この地方特有の長い冬の洗礼を受けている。
問題は寒さではない。
数日間続いた雪がやっと止んだらしく、積もった雪は11歳になった僕の背丈を軽く超え、大人たちよりも高い位置まで積もっているらしい。
"らしい"というのも、積もった雪のせいで窓の外が見えないのだ。仕方がない。
隣に立っている父も外がどうなっているかよく分からないのだろう。
先ほどから玄関に手を掛けたまま、立ちすくんでいた。
――前日。
カインは暖炉で燃える炎を見つめていた――。
新しく放り入れた薪を、火かき棒で燃えやすい位置に調整する。
薪は水分が残っていたのか、シューッと音を立てながら白煙のような蒸気を上げた。
その白煙に、最後に見たオルスタッドの光景を思い出す。
朝焼けの空と、朝日に照らされた街。
背の低い白い建物と、街中から立ち上る黒煙。倒壊する展望台。
そして、アリスと交わした"護る"という約束――。
僕は魔獣の牙でできた首飾りを握りしめる。
噂話ではあるが、オルスタッドを始め西辺圏の多くの人間は様々な地域で生きているそうだ。
魔術の才能がある者は魔術の研究や学びの盛んな"中央圏"へ、そうでない者は他の地域で受け入れられたらしい。
だから、アリスも生き延びて中央圏の魔術学院に通っているはずだ。
きっと――。
「――カイン、お父さんを呼んできて」
母の呼びかけで、僕は我に返った。
気がつけば母がテーブルの上に食事を並べている最中だった。
窓の外は積もった雪で何も見えず、時計の針が午前を指しているのか午後を指しているのかもわからない。
それでも、食卓に並ぶ料理を見ると今は夜だということがわかった。
僕の家では、朝食は大麦、夜はパンというのが定番だ。
部屋には焼けたパンの香ばしい香りが漂っている。
母の焼くパンはオルスタッドでは評判だった。
しかし、この地ではあまりパンを食べる習慣がないらしく、最近は人に振る舞うことがなくなっていることを母は嘆いている。
嘆くくらいなら配ったりすればいいのに……。オルスタッドの時のようにパン屋を営んでもいいと思う。
だが、母は頑なにそれをしようとはしなかった。きっと何か考えがあるのだろうが、僕は未だにその理由を知らないでいる。
「――わかった!」
元気よく返事をしながら立ち上がり、火かき棒を暖炉脇のフックにかけると、父を呼びに部屋に向かった。
部屋を開けると、父は誰かと念話をしていた。
僕に気がつくと手で制し、その誰かと二、三言やりとりを交わした後、念話を終了する。
「魔術かっこいいね!」
僕は未だに魔術が使えない。だから生活に困らない程度の技が使える父をいつもすごいと思っていた。
そろそろできるようになるのではないかと、自身の才能に期待を寄せている。
父は頭を撫でると「ご飯かい?」と僕が来た理由を察し、一緒にリビングへと戻った。
席に着くと、3人で女神様に祈りを捧げる。
"食前の祈り"だ。
父は食事をしながら言った。
「明日ゼロスという魔術師が来るらしい。雪かきを手伝ってくれるそうだ」
この北の地、"北域圏"は標高の高い山が多く、そのため他の地域よりも冬は長く雪も多い。
今回みたいに数日間降雪が続くというのも珍しくないそうだ。
けれど、ここまでの積雪は僕たちにとって初めての経験だった。
と言っても、この地に来てまだ2年目なので、これが異常なことなのかどうかは僕には判断ができない。
「ゼロスって、あのゼロス様?」
母の問いに父はうなずく。
「たまたま"中央圏"に来ているらしくて、今朝、魔術協会に雪の除去をお願いしたらゼロスさんを派遣してくれることになったそうだ」
「"中央圏"からここまで、たった1日で来てくださるなんて、さすがだわぁ」
僕には会話の内容が分からず、ただ2人のやり取りを眺めていた。
すると父が気を利かせたのか、
「ゼロスっていうのは、とても有名な"魔術師"だよ」と教えてくれる。
――魔術師。
アリスの使う魔術を初めて見た日、僕は興奮して「魔法だ!」とはしゃいだが、ロミオから「魔術だよ」と教えられたのを覚えている。
"オータスの英雄譚"に出てくる魔法使いとは違うらしいが、一体何が違うのか僕はいまいち分かっていない。
そのうち分かるようになるのだろうか。
「すごい人なの?」
「そりゃあもう!今大陸中で使われている魔術構文の体系を解明して、各地域で独自の技になっていた魔術形態を共通化した人だよ」
「そうなんだ」
さっぱり分からない。
でも、すごい魔術師が来るのなら是非見てみたい。
なぜなら僕もオータスみたいな優秀な魔術師になるのだから。
"本物の魔術"を見ればそのヒントになるかもしれない。
――そして、今に至る。
父は意を決して玄関の引き戸を開ける。
するとそこには、想像通り真っ白な雪の壁があった。
そうだよね。わかってた。
だって、窓の外も雪の壁だったもん。
隣を見上げると、困り顔の父がそっと玄関を閉じる。
「……念話で外の様子を確認しようか」
父はそう言うと目を瞑り、大きく深呼吸をした。
そして、目を開き、真剣な表情になると詠唱を始めた――。
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