1、惨劇
あれは今から2年前のこと――。
デイジーがまだ俺と付き合っていて、国立薬草研究所にいた頃の話だ。彼女はまだ17歳という若さで研究所の副所長をしていて、おそらくあと数年もしたら最強の魔女としてこの国を支えるだろうと誰もが確信していた。
「デイジー?君はまた俺とのデートをすっぽかして仕事をしていたのか?」
「あ、ごめん、アスター。薬の効能が変わってしまったと聞いてあなたのことはすっかり忘れて没頭しまっていたの。わざとじゃないの。許してちょうだい。」
デイジーはやってしまった、という顔で俺を恐る恐る見上げる。
わざとじゃない方が君にとってどうでもいい存在なんだと突きつけられて、俺の胸は切なく痛むのだと君は知っているのだろうか。
「ふん、構わないよ。別に俺だってずっと君のことを考えているわけじゃないんだからな。」
「ええもちろん、わかってる。私だってそうだもの。明日は暇?あなたを東の薬草園に連れて行きたいと思っていたの。」
「残念ながら、明日からは遠征だ。」
それじゃあまるで、君が俺のことをずっと考える、なんてありえないと言い切っているようではないか。薬草園なんて君が行きたいだけじゃないか。
込み上げる不満をのみ込むのには慣れた。そうじゃないと捨てられてしまうだろうから。
デイジーは本当に俺への愛を感じられない人だった。
…それでも追いかけずにはいられなかった。
それから数週間後、国は隣国と戦争になった。
戦争と言っても、接し合っている領地の間だけで起こった、小さな諍いだ。誰もがすぐに終わると見込んでいた。
ただ、その場所がいけなかった。
そこには〝妖精の森〟があった。
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「おい!あっちの岩場に敵が潜んでいたぞ!」
「わかった。俺たちもすぐ行く。…おい!お前武器から手を離すなよ!死にたいのか?!」
俺は戦地で戦っていた。下っ端の俺らは森の中でただ上司の言われるがままに動くだけだった。
耳元で羽音がしたような気がして振り向いたが、虫は見当たらなかった。
潜んでいた敵を倒した岩場の奥には洞穴があり、中には小さな泉があった。敵たちはここで体を清めていたようだ。
「おい、ここで血を洗おう。身体中がベトベトして気持ちが悪い。」
仲間の一人が言った。ほかの仲間も喜んで泉に駆け寄った。だが、俺にはそれがいけないことのような気がして断って洞穴を出た。
しかし、もっと早く気づくべきだったのだ。
何故か蘇る愛しいデイジーの言葉にー。
『妖精は血を嫌うのよ』
俺が上司命令で他の部隊に加わり、敵と対峙していた頃、あの地震は起きた。揺れに抗えずに地面にしがみつき、地震が終わるまで待った。いつの間にか意識を失い、気がついた頃には揺れは収まっていて、辺りを見渡すと周辺の大地は割れ、木々は全て焼けてしまっていた。木に潰された仲間、地割れに巻き込まれた敵、落石で潰れた仲間か敵かもわからない肉塊ー。
多くの騎士が死に、俺が生き残ったのは奇跡だった。あの辺りでは俺だけが五体満足で生き残ったらしい。
惨劇で両国の戦力が著しく削られ、瞬く間に停戦となった。
デイジーに尋ねると、やはり妖精が血の穢れに怒ったのが原因らしい。
俺のせいだと塞ぎ込んだが、デイジーは治療に参加したため各地の状況を知っているらしく、「それは違う」と慰めてくれた。デイジー曰く、泉で血を洗った人は他にもたくさんいたし、そもそも森で戦争をした事自体に妖精たちは怒っているらしい。
デイジーは俺が落ち込んでいると慰めてくれる。…優しい。優しいけれど、それは俺だけのものではない。俺はデイジーにとって変えが効かない何かになれていない。そう突きつけられるのが辛くて、デイジーに元気なふりをして接した。
すると、デイジーは安心したように笑顔で俺に告げたのだ。渾身のギャグを言わない限り、滅多に笑ってくれないのに。
「…私ね、他に好きな人がいるの。」
…わかっていた。
わかっていた。君のような人が俺なんかとずっと一緒にいてくれるはずがない。
だから、もう告白が成功した時から決めていたのだ。そのときは彼女を応援する言葉で背中を押すと。
「ああ、わかった。俺もそろそろ本気で結婚相手を探そうと思っていたんだ。」
違う。
「お互いちょうどいい。」
違う。間違えた。俺は間違えてしまった。これじゃあお前とは遊びだった、と言ってるじゃないか。
思わずデイジーの顔を見る。泣いていないかと思ったが、そんなことあるはずなかった。
デイジーは変わらず笑顔だった。
その瞬間、俺はわかってしまった。遊びだったのは俺じゃない。
デイジーの方こそ俺とは遊びだったのだ。
それから、デイジーは俺のことはもういらないと言うかのようにすぐ病室を出た。
惨劇から2日後、国王は妖精王からのお告げを公表した。
「妖精王は三年間の妖精の森への立ち入り禁止を求められた。妖精たちは泉や木々が血で汚れ、たいそう怒っているようだ。もしその間に立ち入れば、森の番人によって厳罰が下される。」
そのお告げの後、浅慮な若者たちが好奇心に駆られ〝妖精の森〟に立ち入り、消息不明となった。
それから〝妖精の森〟に近寄るものは居なくなった。




