あの不躾な平民娘に令嬢達はイライラ
――――――――――王立アカデミーにて。オフェリア・ムーアクロフト侯爵令嬢視点。
「オフェリア様、見てくださいよあの平民」
「そうですよ。はしたないと思わないのですかね」
「非常識ですわ」
わたくしの友人達が非難する『あの平民』とは、リン・ノーサムさん。
短く艶やかな黒髪が特徴的な可愛らしい女生徒です。
特待生としてアカデミーに入学しただけあって、学業成績が優秀なことは認めざるを得ませんが……。
「今日もベッタリではないですか」
「平民がケヴィン殿下にしなだれかかるなんて、身分違いも甚だしいですわ」
「いえ、それ以前に殿下はオフェリア様の婚約者ではないですか。風紀が乱れます」
リンさんがケヴィン殿下と腕を組んで歩いてきます。
ケヴィン殿下はホクシア王国の第一王子。
知勇兼備、眉目秀麗の貴公子です。
……品行方正とも言われていたのですけれども、最近怪しいですね。
一年前にわたくしと婚約し、大貴族であるムーアクロフト侯爵家の勢威を後ろ盾に、王太子から王への道のりを歩んでいると思われていました。
「不潔です」
「何だと思っているのですかね。あの平民は」
リン・ノーサムさんはケヴィン殿下やその側近候補達にまとわりつく女生徒として、アカデミーでは有名人です。
……わたくしは婚約者に近付く胡乱な者としてリンさんを調べさせていました。
ノーサム孤児院出身で、孤児院名を姓として使っているということ以外何も出てきませんでしたね。
昔から聡い子でしたという孤児院長の発言を得られていますから、リンという孤児がいたことは間違いないです。
ただリンさんは何かの意図があって行動している気がするのです。
平民孤児だから常識がないということは、あれほど頭のいい人に通用しないでしょう。
ケヴィン殿下やその取り巻きとの人脈はメリットになるにしても、その他生徒に冷ややかな目で見られるのは、どう考えてもデメリットの方が大きい気がします。
だって平民のリンさんが将来関係しそうなのは、どう考えても王族や高位貴族ではないでしょう?
現在リンさんが絡んでいるケヴィン殿下とその取り巻きは、全員婚約者持ちです。
だからこそリンさんが白い目で見られるわけですが。
まさか婚約解消待ちで後釜を狙っているということはないでしょう。
もしそんなあざとさが知れたら令息側もリンさんもダメージが大きいです。
優れた頭脳を持つリンさんがしそうにないことだ、という違和感があるのですね。
では何を考えての行動なのか?
リンさんは外国のハニートラップ要員なのでは?
孤児院のリンとは別人なのでは?
発想が飛躍し過ぎているとは理解していますが……。
「大体ケヴィン殿下がよろしくないではありませんか。ええ、不敬を承知で申しますけれど」
「そうですとも。オフェリア様という婚約者がいらっしゃるのに」
「オフェリア様。現在かなりの生徒が集まっています。ここはケヴィン殿下に意見するべきではないですか?」
「……そうしましょうか」
リンさんの考えがわからないのは不気味です。
でもケヴィン殿下と側近達の考えは質しておくべきでしょう。
行動しないことがわたくしの非とされても、わたくしが侮られてもなりません。
わたくしはホクシア王国の王妃となる身であるのですから。
一歩進み出てケヴィン殿下に話しかけます。
「ケヴィン殿下、少々よろしいでしょうか?」
「あ? ああ、オフェリアか。御機嫌よう」
「オフェリアさん、こんにちはー」
ケヴィン殿下でさえばつが悪そうにしているのに、リンさんは春風のように爽やかです。
挑戦的でもたくらみがありそうでもなく。
もうこれだけでリンさんが肝の据わった人物ってわかりますよね?
リンさんのような人を敵に回したくはないですが……。
「ケヴィン殿下。どういうことですの? リンさんと仲良く腕を組んだりなんかして」
「そ、それはリンが……」
「ごめんねオフェリアさん。ちょっと殿下借りちゃった」
「借りちゃったって……」
悪びれもせずこう言われると唖然としますね。
いえ、大変面白いです。
ここはケヴィン殿下ではなく、リンさんとの会話を楽しみましょう。
ケヴィン殿下の権威を落としてもよろしくないですから。
「リンさんは悪いと思っていますの?」
「特には思ってないね。ケヴィン殿下がオフェリアさんの婚約者だということは知っているから、オフェリアさんに優先権があるとは認識しているけど」
「優先権、ですか。婚約者のいる男性に近付くのは、一般に淑女の振舞いではないとされていますよね?」
「あたしはどこをどう見ても淑女じゃないから、淑女の振舞いに縛られないってのはひとまず置いておくとして」
笑いが起きます。
遠巻きに成り行きを見ている生徒達は、ほぼほぼリンさんに対していい印象を持っていないと思います。
なのにちょっと話しただけで空気を持っていきますものねえ。
リンさんはすごいです。
「どこに許される境界線があるかを考えようか。あたしは腕を組むくらいは構わないと思っているんだ。だってダンスの時は組むしな?」
「……一理ありますね」
「もちろんケヴィン殿下がオフェリアさんとベタベタしている時は遠慮するよ。さっきも言ったように、婚約者には優先権があると思っているから」
頷く人が出始めましたよ。
リンさんは怖いですねえ。
「しかしリンさんの行動を愉快に思わない人も多いと思いますが」
「かもしれないね。あたしも他人の心の中まではわからないから、まず、アクションを起こしてみることにするじゃん?」
「そのアクションが腕を組んで歩くことなのですか?」
「まあ。傍から見て愉快か愉快でないかは主観の相違があるかもしれんけど、当事者である殿下も許容してるじゃん? じゃあいいのかなって、当然思うでしょ」
さりげなくケヴィン殿下に責任転嫁しましたよ。
やりますねえ。
「ケヴィン殿下の周囲には、何も言われませんの?」
「最初は言われたな。でもあたしはさっきも言ったように、ケヴィン殿下とオフェリアさんの婚約を尊重しているじゃん? 円滑な人間関係の構築のためにボディタッチを多めにしているけれども、男女の事情に踏み込む気はないわけよ」
「男女の事情に踏み込む気はない……」
「そ、そうなのだ。リンと色っぽい話になったことなどない。これは声を大にして言っておく!」
「殿下とは講義のこと、王国のこと、市井の事情みたいな割と真面目なことを喋ってるね。だから殿下の周りの皆も何も言わなくなったんだと思う」
ボディタッチはあくまで人間関係のため。
話している内容とは別ということのようですね。
筋は通ります。
驚いている人が多いですね。
イチャイチャしやがってと思ってた人は多いでしょうから。
「リンさんの仰いたいことはわかりました。しかし貴族のルールからは逸脱しているのでは?」
「アカデミーの校則に『身分の差はない』ってわざわざ書いてあるのは、堅苦しい貴族のルールを持ち込むなとも取れるでしょ? となると貴族だ何だとゆー理由を振りかざすのは、王家に対して文句があるのかってことになる。だってアカデミーは王立なんだから」
淀みなく答えるリンさんは本当に賢いですねえ。
実に小気味いいです。
……このやり取りの展開は、リンさんが待ち構えていたような気がしますね。
リンさんのスタンスを生徒達に周知させ、ケヴィン殿下への批判を減らすためにでしょう。
しかしリンさんにとって積極的にケヴィン殿下と接触することが、大したメリットになっていないという疑問はそのままです。
『男女の事情に踏み込む気はない』という発言が真ならばなおさらですね。
全方位交友すべきなのに何故?
ひょっとして……。
「ま、あたしはオフェリアさんとケンカしたいわけじゃないんだ。この話はここまでにしようよ。ところでそろそろ昼休憩の時間終わりだぞ?」
「そうですね。ではお開きで」
「皆さん、じゃねー」
リンさんの行動原理を説明する仮説が思い浮かびました。
今度密かにリンさんだけ家に招待して、ゆっくりお話を伺いましょう。
◇
――――――――――数日後、王宮にて。侍女頭ペネロペ・グーチ視点。
ノーサム孤児院では幼児期から教育を施すという試みをしている。
どれほどのものかと思っていたが、リンという非常に優秀な者を輩出すると、その効果を実感せざるを得ない。
リンはホクシア王国最高の教育機関王立アカデミーに特待生として入学した。
王家の任務をこなしながら出色の成績を示し続けている。
「リン、どうですか? ケヴィン殿下の周辺は」
リンの任務はスパイだ。
スパイというのはちょっと違うかもしれない。
将来の王たるケヴィン第一王子殿下について調査し、同年代の側近候補達とともに成長を促すために、王宮から送り込まれた人員。
知り合いすら一人もいなかったリンにとって極めて困難な任務と思われた。
しかしリンは持ち前の機転と度胸と積極性を武器にして、極めて短時間でケヴィン殿下に近付いた。
アカデミーでのケヴィン殿下周辺の生の情報を得られるため、大変重宝している。
私はケヴィン殿下について収集した情報を取りまとめ、陛下に報告している。
リンは最重要の情報源だ。
非常に頼りになる。
「はい、わたしに迫ってくるような令息はおりません。皆さん真面目です」
「あら、つまらないですね」
ウフフオホホと笑い合う。
リンは王宮内ではカツラを使用し、表情も変えているため、ケヴィン殿下とすれ違っても気付かれたことはないという。
アカデミーにいる時は平民のような喋りに終始しているが、王宮ではそのようなこともない。
「総じて皆さん、婚約者を大事に思っていらっしゃいますよ。特に殿下はオフェリア様と仲良くされたいようで」
「あら、ではリンから腕を組んだりするのはやめたらいいのでは?」
「スキンシップが大事だ、あたしで練習しろと言いくるめているのです」
リンったらそんな理屈をつけていたのね?
しかし……。
「……殿下も側近候補達も、理屈に弱い傾向がある?」
「ありますね。口の上手い者には注意ですよ。経験と時間が解決することかもしれませんが」
「ならば現在のところ基本的に大きな問題はない、ということでよろしいですか?」
「ケヴィン殿下については、はい」
含みのある言い方だが?
「ケヴィン殿下以外では問題がありますか?」
「オフェリア様にわたしの正体を感付かれてしまいました。今日ムーアクロフト侯爵家邸にわたし一人招待されまして」
「オフェリア様、なかなか鋭いではないですか」
「わたしのケヴィン殿下に接近するという行動が、実はわたし自身に利が少ないという点に思い至ったようです」
「大したものですね」
ケヴィン殿下にはやや甘いところがおありになる。
将来妃となるオフェリア様がカバーしてくださるのは重要だろう。
オフェリア様が優秀なことはアカデミーの成績が証明しているが、どこまで頭が回るかというのは別だと思う。
ケヴィン殿下もオフェリア様やリンに刺激を受けていただければよいのだが。
「オフェリア様にはわたしの任務について全て説明し、ホクシア王国の将来のためであるからと協力を要請しました。快く了解を得ています」
「いいでしょう。今の時点でリンが合格点を出せるのは?」
「完全に合格というのはオフェリア様一人です」
頷く。
それくらい採点は厳しくていい。
大きな問題点がないのだったら成長に期待すればいい。
男の子の伸び代は大きいのだから。
「下がってよろしい。次回の報告は一ヶ月後に」
「はい、失礼いたします」
リンが去った後で思う。
現時点の合格者はオフェリア様とリンの二人だ。
いくらリンだって、気に入らない殿方と腕を組んだりするものか。
甘いところがあるとはいえ、ケヴィン殿下のことは好みなのに違いない。
人間性のいい貴公子ではあるのだから。
陛下には伝えておこう。
ケヴィン殿下の有力な側妃候補がいると。
◇
――――――――――その日の夜、ムーアクロフト侯爵家邸にて。オフェリア視点。
「ふう……」
淑女らしくないですかね?
ちょっと驚くべきことがありました。
リンさんのいつもの平民口調は作っていて素ではないということに。
今日うちでの二人きりでのお茶会に招待したのです。
リンさんの考えを知りたかったものですから。
そうしましたらやはりリンさんは、王家の命で動いているのですって。
でしたらリンさんの行動にも納得がいきます。
『ケヴィン殿下が何を考えどう動いたかの調査ですか。またリンさんの行動によって負荷をかけ、殿下並びに側近候補達の成長を促すと』
『成長を促す対象にはオフェリア様も含まれていたのですよ。バレてしまっては仕方がありませんが』
上品な笑顔。
リンさんったらあんな顔もできるのですね。
『オフェリア様には大変申し訳ないことだと思っております。でもケヴィン殿下と男女的などうこうということは、誓ってありません』
『はい。リンさんが言うなら信じます』
『うふふ。信じていただけるのは嬉しいですね。ではオフェリア様には一つ、サービスしておきましょう』
『サービスですか?』
『はい。ケヴィン殿下はオフェリア様のことを大変愛しておられるのですよ』
『えっ?』
この発言には意表を突かれました。
わたくしとケヴィン殿下は政略の結びつきだと思っていましたから。
殿下とのお茶会だって、当たり障りのない話題でしか出ませんし……。
『本当ですよ? 殿下の側近候補は全員よく知っていることです』
『そ、そうなのですね?』
『はい。ただケヴィン殿下は奥手でございます。またオフェリア様も淑女でいらっしゃるので、イチャイチャなさる機会などないでしょう?』
『イチャイチャ……ないですね』
『そこであたしで慣れとけばいいじゃん、と言い含めているのです』
だから今は側近候補達が注意しないのですね?
そんなカラクリだったとは……。
お幸せにと一言残し、リンさんは帰っていかれました。
本当にかないませんねえ。
心を揺さぶられて、目が冴えてしまいました。
ケヴィン殿下がわたくしのことを好き……。
改めて意識してしまいますね。
すでに婚約しているというのに。
水差しからコップに半分くらい水を注ぎます。
窓から差し込む月明かりが眩しいくらいですね。
月にコップを捧げて一言。
「乾杯」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
どう思われたか↓の★~★★★★★の段階で評価していただけると、励みにも参考にもなります。
よろしくお願いいたします。




