カカシの役目とカラスの優しさ
オレは気分よく青空を飛んでいる。
結構な時間飛んでいることだし、一休みしようかと地上を見ると、カカシが孤独に佇んでいる。鳥を追い払うための存在の上で羽を休めてやるのもなかなか愉快だろう。
翼をたたみ、人間の腕を模しているのだろう横に伸びた木の棒に降り立った。
改めてカカシを見ると、十字に組まれた木の棒に、手抜き極まる顔らしき絵の描かれた木の板がくっついただけの粗末な代物だ。随分と年季が入っている。
「ちょっと、君、困るよ」
カカシが非難がましい声を上げた。話すことが出来るカカシとは驚かせてくれるじゃないか。
「君、よりによってカラスじゃないか。僕の名前を知ってのことかい? カラスオドカシ、略してカカシっていうんだよ?」
カカシごときがオレをカラス呼ばわりするどころか、無知扱いするとは。思い知らせてやる必要があるようだ。
木の板に描かれた、過度に簡略化されている目らしき部分をクチバシでつついてやる。年季のせいか既に充分に色の薄くなっていた目は、哀れにも削り取れてしまった。
「なんてことするんだい! 美しい左右対称の顔が台無しじゃないか!」
審美眼は絶望的なようだが、鏡もないのに自分の顔が分かるとはなかなか面白いじゃないか。褒美に反対の目も削り取ってやった。これで左右対称だろう?
カカシはわずかの間だけ黙ったが、すぐに明るい声を上げた。
「これはこれで悪くないかもしれないね。それに、僕には目がなくても見ることが出来るなんて、新しい発見だよ」
前向きなことは悪いことではないだろう。度が過ぎればある種の病気だがな。
「君はカラスの中でも、飛び切り賢いカラスみたいだね」
未だにオレのことをカラスだと思っているようだが、許してやろう。カカシの頭ではそれが限界だろうし、何よりオレは寛大だからな。
「誰かがここに来るなんて、随分と久しぶりなんだ。僕が守るべきものもずっと前になくなってしまったんだよ」
その言葉通り、カカシのくせに、コイツが立っているのは畑と呼べるような場所ではなく、足元には人間どもの言う雑草が生い茂っているだけだ。
「今はもうぼんやりとしか思い出せないけれど、僕も昔はもっと立派な姿で、沢山のカラスたちを追い払っていたんだ。誰とも話すことなんて出来なかったけれど、それでもやっぱり、あの頃の方が幸せだったよ」
その場を動くことも出来ずに仕事をこなすだけなど、オレからしたら何かの罰としか思えないがな。
「だから、このままここで朽ちていくよりは、カカシの本分を全うしたいんだ。守るもののないカカシなんて、滑稽だろう?」
もっともだな。なかなか殊勝なことを言うカカシじゃないか。
「それで、君に頼みがあるんだけれど、僕を必要としている場所に立たせてくれないかな?」
こんな貧相なカカシでは、カラスどころかハチドリを追い払えるかも怪しいが、頼みを聞いてやるとしよう。慈悲深いオレに感謝するがいい。
とは言え、幾ら貧相なカカシでも、オレが運ぶには重すぎる。そもそも、肉体労働などオレの仕事ではないしな。
「難しいようなら、別にいいんだ。久しぶりに誰かと会えて、嬉しかったよ」
カカシは勝手に諦めて、勝手に満足しているらしい。カカシごときがオレを見くびってくれたものだ。
オレはカカシから飛び立つと、大空に舞い上がる。それほど遠くない場所に、一軒の小さな家とその隣に並ぶ小さな畑が見えた。畑では人間の男が一人、作業をしている。
畑まで一気に飛び、男の背後に降り立つが、男はオレには気付いていないらしく作業を続けている。人間らしい鈍感さだ。
目についた野菜をクチバシで引き抜いてそのまま咥え、大きな羽音を立てて飛んでやる。
「カラスめ! 俺の畑から盗むとは!」
男はようやくオレに気付いたようだ。怒りも露わに追いかけてくる。
もたもたと追いかけてくる男から離れすぎないよう、低空をゆっくり飛び、時々地面に降りてやる。全く、ノロマな奴め。
大した距離でもないだろうに、カカシのもとに着いた時には、男は息も絶え絶えだった。
咥えていた野菜を落としてやり、遥か上空に飛ぶ。
「あのカラスめ、おちょくりやがって」
男はしばらくオレを忌々しげに睨んでいたが、ようやく目の前のカカシに気付いたらしい。
「随分みっともないカカシだが、何もないよりはマシか」
男はカカシを担ぎ上げると、来た道を戻っていった。オレがこんな程度の低い真似までしてやったんだ。カカシの行く末を見届けてやるとしよう。
先回りしたオレが畑の上空で待っていると、ようやく男も戻ってきた。
男はカカシを畑の真ん中に立たせると、畑の隣に立つ家に入っていった。
しばらくして、小さな娘を抱きかかえて家を出てきた男がカカシの前に立つ。
「ほら、カカシさんに顔を上げよう」
オレを追いかけてきた時とは別人のような笑顔の男に、娘も笑って頷くとカカシの顔に手を伸ばした。
娘がカカシから手を放して男に抱き着くと、二人は満足げに頷き、上機嫌に歌いながら家に戻っていった。
さて、どんな顔になったやら。カカシの本分を尊重して、このまま空から見てやるとしよう。
木の板には、今のカカシの感情を見事に表しているだろう顔が描かれていた。
人間にしては気が利いているじゃないか。
オレは気分よく青空を飛び続けた。