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向かいから穏やかな笑い声が聞こえてきた。
「ねえ、顔を上げて」
柔らかい声が聞こえてくる。
お、怒ってないのかな…?エバンズ様がどう思っているのかは全くわからないけど、とにかく言われた通り顔を上げる。
顔を上げてエバンズ様を見ると、口元は優しく笑っているように見える。
「どうして、一緒にご飯を食べる時間がなくなると思ったの?」
声も全然怒っているようには聞こえない。だけど…、質問は的確だあ…。さすがエバンズ様…。
「え、えと…」
現実逃避をしている頭は、なかなか上手い答えが導き出せない。
「怒らないから、考えていること言ってみて」
少し悩んでいると、エバンズ様は変わらず優しい声で問いかけてくる。
もう、「一緒にご飯を食べられなくなるのが寂しい」と、1番言いにくいことを言ってしまったんだから、そう思った理由を言ったところで、これ以上のマイナスはないよね…。
まさに今がもうドン底なんだから…ハハハ。
隠そうとして失敗してるし、次も絶対に失敗する気がする…これ以上おかしなことを言う前に、素直に言っちゃう方がいいのかな…、誤魔化すのがうまくいかないのは、よくわかったし…。
変な方向に覚悟決めて、わたしは素直に話すことにした。
「あの…、エバンズ様が婚約されたってうかがって、そうしたら、この一緒にお昼ご飯を食べる時間は無くなってしまうんだろうなと思ったんです……。使用人の立場で失礼なことを考えて申し訳ありません。一緒の場所でご飯をいただいていること自体が、エバンズ様のお気遣いでしたのにそれに甘えるようなことを…、本当に申し訳ありません」
思っていることを素直に言ってもう一度頭を下げた。
謝ったからって許されるわけじゃないけど、とにかく謝るしかない…!
次の働き口、すぐ見つかるかなあ。とりあえず今日はもうパーっと豪華な夜ご飯食べたいなあ。
なんて、今日何度目かわからない現実逃避を始めたところで、
「婚約?僕、婚約なんてしてないけど」
エバンズ様の驚いたような声が聞こえてきた。
「ね、顔を上げて」
この言葉をかけていただくのは本日2回目。
そして2回目もわたしは恐る恐る顔を上げる。
「僕、婚約したなんて言った?」
「い、いえ、エバンズ様からは聞いてないんですが、城内の使用人から聞きまして…」
「へえ。それで、信じたの?」
「え、えっと…ちょっとだけ信じてしまいました…」
「だから、一緒にランチが食べられなくなると思ったんだ?」
「は、はい…」
身の程も弁えずすみません…心の中で再度謝罪をする。
「そして、それを寂しく思った、と?」
「…は、はいぃ…」
どう考えても身の程知らずの失礼人間すぎる…
「本当に、すみま」
「謝らなくていい。僕は怒っていない。」
謝ろうとしたわたしの言葉を遮って、エバンズ様が言う。
「とにかく僕は婚約はしていないし、君とのランチタイムをなくすつもりもない。君が、寂しがってしまうようだからね」
「なっ」
か、からかわれてる!?
「さ、そろそろ時間だね。仕事にもどろう」
口元に柔らかい笑みを浮かべたままエバンズ様が言う。
時間!すっかり頭から抜けていた。時間はもう少しで13時になろうとしている。慌ててテーブルの上を片付ける。
会話はなんとなく切り上げる形になって、午後の仕事が始まった。
なんとか、クビは免れたのかな…?
怒っていないっていう発言を信じてもいいのかなあ。エバンズ様の表情とか喋り方を考えると怒っていないって言うのは本当な気がするけど…。
しかもランチも一緒に食べ続けてくれるらしいし。てことは多分クビはなさそう、かな?
そしてランチを一緒にこれからも食べようと思ってくれてるみたいだったよね?!それは、ちょっと、いや、かなり、嬉しいかもしれない。
そう言えば、婚約者もいないって言ってた気がする…
うーん、なんだかいろんな情報が一度に入ってきすぎて、ちょっと頭の整理がつかないかも…。
情報を整理しようにもうまく整理しきれないまま、なんとか午後の仕事を終わらせた。定時を迎えたけれど、エバンズ様の仕事は相変わらず終わらないらしい。お仕事に集中しているエバンズ様にいつものように仕事を終わる声をかけると、
「気をつけてね。今日のお昼の話、明日またゆっくりしよう」
と、笑顔で言って、そのまま資料に視線を戻した。
「は、はい…失礼します…」
ま、またあの話、するの…?まさか、よく考えたらクビにしたいってなったりもするのかな?
ちょっとからかわれたような気もするし、エバンズ様のお顔は柔らかい笑顔に見えるけど、お考えがはっきりわからないと、見たまま聞いたままを信じてもいいかわからないよう……
はあ…、クビになった時のことを真剣に考えておかなくちゃなあ…