恋愛なんてめんどくさい
休み時間、トイレで用を足した後に鏡の中の自分がふと気になる。
隣と見比べて思わず前髪に手をやった。
僕はくせっ毛ですぐに髪がはねてしまう。特に前髪が変な形になりやすい。
多少気にした時期もあったけれど、すぐに諦めてしまった。努力が煩わしかったし、何より見てほしいと思える相手がいなかった。
なのに僕は数年ぶりに、水で手を濡らして髪を軽く整えた。濡れて光った毛先は先が針のように尖り、さっきまでのもっさりとした形より少しだけ、ほんの少しだけ見られたものになる。思わず鏡の中の自分を褒めてあげたくなる。
思わず苦笑してしまった。ゆとりのなかったころは、髪形なんてどうでもよかったのに。
心にゆとりと気になる人ができると、自然と身だしなみが気になるらしい。
今度整髪料でも買ってみるかと、僕は柄にもなく思った。
さらに気になる人ができると、彼女のちょっとした仕草が気にかかる。
授業中でも休み時間でも気が付くと目で追っている。でも目が合うと恥ずかしくてそら
してしまったり、逆に嬉しくてほんの少しだけ見つめてしまったりする。
でも目で追うだけじゃ、駄目だよね。
今までの人生では見てるだけで十分だった。見ているだけで幸せだった。でもいいな、と思った子は。必ず自分じゃない、別の誰かのものになるのだ。
可愛いとか性格が合うと思っても、ろくに話しかけなくて。そのくせ目で追ってばかり。そして別の男子と話す機会が増えてきたかと思うと、いつの間にかそいつと付き合っているのだ。
もうあんな思いは、したくない。
勇気を振り絞り、何度もシュミレーションして、それでもチャンスを幾度となく逃して。
今日、やっと声が出せた。
「えーと。祇園、さん?」
次の移動教室の前。話したことがないから名前がわからない、という感じの声で話かけた。
どもらずに話せたのは奇跡だろう。
彼女の周りにいる陽キャギャルの波が途切れた一瞬を見計らった。
「なに、西戸崎くん?」
僕の顔を見てすぐに名前が出てくる、そんなことにいちいち感動しながら言葉を続けた。
「次の移動教室、理科準備室か化学室か、どっちだったかな……」
「理科準備室の方だよ」
彼女はそれだけ言って、教科書とノートを小脇に出ていった。
たった二言の会話。盛り上がりも盛り下がりもしなかった。
でもそれでも。気になっている相手と普通に会話ができたことが、跳び上がるくらいに嬉しかった。
それからも似たようなことを繰り返した。
移動教室、プリントの配布、行事の確認など。三回に一回くらいは祇園さんに聞いて、会話の機会を作っていった。
用事が遊びでなく学校行事なのが陰キャの辛いところだ。それでも。
「次は体育館。シューズ忘れてない?」
「今度配るプリント、これ。重いから気をつけて」
一言で終わっていた会話が、徐々に続くようになってくる。
「生徒会選挙の立候補者募集かあ。西戸崎くん、立候補してみたら?」
「僕はそういう柄じゃないし……」
「そう? 誠実そうだし、悪くないかもよ?」
祇園さんが口元に手を当て、軽く笑う。
始めは祇園さんの言うことをいちいち真に受けてしまって、そのたびにテンパって。でも会話を繰り返すうちに、冗談か本気かをつかめてくる。
何気ない会話でも笑ってくれる時、すごくうれしかった。笑顔で会話を終えると、なんだか祇園さんも僕に興味を持ってくれた気がした。
でも逆に。会話がうまく行かなかった時は嫌われたのかな、何がよくなかったんだろう。
そう考えて不安でたまらなくなる。
それに、初めは話せるだけで満足だったのに、もっと欲が出てくる。お近づきになりたい、一緒に遊びに行ってみたい。
でもそこから先に進めなくなった。
接点を作ろうにも互いに帰宅部だし、祇園さんがどこに住んでいるかもわからない。
友達から情報を集めようにも、僕は高一の時に友達を作ろうともしなかった。そんな余裕がなかったというのは、言い訳だ。
連絡先の交換すらできない状態で、デートになんて誘えるわけない。近頃はそればかり考えて、肝心なことに手がつかない時さえある。
嗚呼。
恋愛とは片想いですらこんなにも煩わしく、心をかきみだされるものだったのか。
くそったれ、恋愛なんて面倒くさい。恋愛したら負けだ。
そう思って久しぶりに買ったハーレム系のラノベを、その夜は一気読みした。
その翌日。