この世界はホラー系乙女ゲームの世界だった
「お前の様な奴が俺に近づくな!身の程を知れ!」
黒い髪に鋭い青い瞳を私に向け、言い放たれた言葉。思わず私は膝から崩れ落ち、両手で顔を覆い隠しました。
な····なんて、推しが尊いのでしょう。ぐふっ。
人生に一片の悔い無し。
ここはエルピス学園。貴族の子女が16歳から通う学園なのです。学園とは言うものの小さな貴族の社交場と言っていいところで、これから貴族として社会に出るための練習の場なのです。貴族の令嬢は16歳からの1年間のみ通い、この学園を経て結婚をし貴族の社交場に出るのです。貴族の令息は3年間通い、領地を治める者、国の官僚に成る者様々な分野で活躍できるのです。
そう、貴族の令嬢にとってはこの1年間が最も自由で過ごすことのできる1年なのです。
私はアウローラ・ウェスペル。ウェスペル子爵の5女なのです。5女。ええ、5女ともなると結婚相手にも困るのです。
「アウローラ。いいか、学園で結婚相手を捕まえてくるのだぞ」
「そうよ。男は顔じゃないのよ。働き者がいい男なのよ」
両親は念押しのようにして私を学園へ送り出したのです。父はどうにか5女の私をもらってくれる相手を学園で見つけるようにと。母は面食いな私を諭すような言葉を言ったのですが、私は観賞用としか見ていませんでしたよ。
まぁ、高位貴族となると見た目が良いのは勿論なのですが、結婚に必要な持参金というものも高額になってくるため、騎士に成るような三男以下狙いか同じ子爵位以下の者を狙ってくるようにと言われたのです。
私にとって、結婚相手は観賞用とは別と思っていますので、堅実に働いてくれさえいればいいと思っておりました。そう、あの時までは。
エルピス学園は全寮制ですので、前もって荷物を運び入れるために、学園の門をくぐったときのことです。私の頭の中にこれと同じ風景を見たことがあると門の上のドラゴンを象ったアーチを見上げたのです。
『まあ、ここが今日から私が通うところなのね』
というありきたりなセリフが降って湧いたのです。その少女はピンクの髪を風になびかせ、黄金の瞳をドラゴンを象ったアーチに向けていたのです。
その少女のスチルもありきたり。
スチル?スチルって何?
そう思った瞬間大量の情報が流れてきました。その事に立っていられず、大きな荷物を持ったまま座り込んでしまいました。
ここは···ここは『ラビリンスは人の夢を喰らう』というホラー系の乙女ゲームの世界だと、その記憶が教えてくれたのです。
記憶の中の私はスマホという四角い平らな物を操作しながら、『きゃー!ラディウス様。もっと罵ってー!!』という、イタイ感じの私でした。
前世の私は頭がおかしかったのですね。
『ラビリンスは人の夢を喰らう』
というゲームは平民の少女が貴族の養子となり学園に途中入学するところから始まるのです。そして、その少女が学園の7不思議の噂を聞いて、興味本位からその7不思議を調べ始めるのですが、その7不思議に因んで生徒から怪我人・死者が出始め、その解決のために、7人の貴族令息と知恵と力を合わせて解決していくというのが、大まかなあらすじです。
そこで、私ははっと気が付きました。第一の犠牲者は緋色の瞳が美しい子爵令嬢だったという噂から事件が始まったと。
緋色の瞳。緋色はウェスペル子爵家特有の色なのです。その昔は侯爵家であり、国の礎に貢献した英雄の色らしいのですが、今となっては、ただの貧乏子爵家の色にすぎません。
そう、私の瞳は緋色で髪も緋色なのです。容姿はというと····上の中···少し盛りすぎましたわ。中の上ぐらいです。まぁ、どこでもいるモブ顔というものです。
はぁ。と、深くため息が出てしまいました。まさか、私がゲームの序盤に姿も出されることのない、第一の犠牲者でその緋色の目をくり抜かれるモブ令嬢だったなんて····。
「大丈夫ですか?」
私があまりにも動かないからか、どなたかが心配して声を掛けてくださったようです。顔を上げその姿を確認しますと、キラキラした金髪に若葉を思わせる美しい瞳が私を捉えていました。その顔は美人と言っていい容姿ですが、体格から殿方と理解できました。しかし、私はその容姿を知っています。現実世界ではなく、ゲームとしてです。第2王子のアンドリュー殿下。正義感が強く皆を率いるカリスマ性をもった王子です。
「はい、少し立ちくらみがしただけですので」
私は呆然と殿下の顔を眺めて答えます。本当にゲームと同じ容姿なのですね。いいえ、本物の方がゲームの画面越しではわからない色気が醸し出されています。
「ふん!どうせ、アンドリュー殿下の気を引きたかっただけだろう。お前の考えなどお見通しだ。浅ましい奴め」
その言葉に殿下の隣にいる人物に目を見張ります。闇のような黒い髪に夏の空のような美しい青色の瞳。その容姿は目つきが悪くとても冷たい印象を与えています。
「お前など、目障りだ!さっさとアンドリュー殿下の視界から消えろ!」
そう罵声を浴びせられ、思わず口を右手で覆いうつむいてしまいました。
最推しのラディウス様に生で罵られるのって、なんて幸せなのでしょう!!
前世の私は間違っていなかった。
この腰に響くような低い声に悲鳴が漏れそうです。『もっと罵ってください』と、それは流石に貴族の令嬢としてはあるまじき行動なので、口を押さえて必死に我慢をします。
「ラディウス。彼女は僕たちがここを通る前から動けないで居たみたいでしたよ?それに、使用人がいないという事は、下位の貴族の令嬢なのでしょう。ここは王都の中心部からかなり離れていますから、動けなくなることもありますよ」
この王子。綺麗な顔をして人が気にしている事をズバズバと、馬車で送ってもらえなくて悪かったわね!付いてきてくれる使用人が居なくて悪かったわね。所詮、貧乏貴族よ。この学園に通う費用だけでもカツカツなのよ!
私はふるふるしながら、殿下に言い返したい言葉を我慢します。ゲームをしているときから思っていたけど、正義感が強ければいいってものじゃないのよ。何でもかんでも首を突っ込んで一番苦労しているのってラディウス様だったじゃない!
「ほら、ラディウスが怖くて震えているでしょ?」
殿下。私は殿下に腹が立っているのです。ラディウス様に対しては、もっと罵って欲しいとしか思っていません!
「はぁ。わかりました。アンドリュー殿下は先に行って待っていてください」
「くす。ラディウス、先に行って待っているからね」
え?推しと···推しと二人っきり!で、殿下!待って下さい。私は放置でいいので、せめてラディウス様を連れて行ってください。
殿下の気配がなくなり、私は推しであるラディウス様と二人っきりにされてしまいました。私はもう、顔をあげることができません。どうすればいいですか?課金すればいいですか?はっ!課金するお金がありません。何か私が貢げる物を····。
「おい、荷物をかせ」
「はい?」
何故?荷物を?荷物と言っても大きめのボストンバッグしかありませんので、これぐらい持てますわよ?他の荷物は配達してもらっているので、重いものでもありませんのに?
「ちっ!」
舌打ちをいただきました!!
荷物をラディウス様に奪い取られ、私は突然の浮遊感に慌てます。え?もしかして、お姫様抱っこされている???
私、ラディウス様にお姫様抱っこを!!!き···気絶しそう。でも、この時間を堪能したい!推しがお姫様抱っこをしてくれるこの時間を全身全霊で堪能したい!でも···
「あ···あの?」
私は下げていた瞳を上げて、ラディウス様に声をかけます。
「なんだ、さっさと言え」
「はい、私は何処に連れていかれているのでしょうか?学園に来たばかりで、どこに連れて行かれているのか、わからないのです」
本当はゲームで学園内を散々徘徊したので、どこに向かっているかはなんとなくわかります。こちらの方向は、図書館やホールなど、大型施設の建物が立ち並ぶ方なので、寮がある場所とは全く反対方向なのです。
ラディウス様ははたりと立ち止まりました。どうやら、ラディウス様お決まりの方向音痴が発動したようです。
困っているのか青い瞳がオロオロしています。ああ、困っているラディウス様もかわいいです。
では、私が手助けをして差し上げます。
「あの建物はどの様な建物なのですか?」
「と、しょかんだ」
あら、ここが違う場所だと気がついてくださいました?
「あちらの高い塔は何があるのですか?」
「礼拝堂だ」
そう言ってラディウス様は方向転換して歩き始めました。
そう、寮は礼拝堂の近くにあるのです。移動しながら私は建物が何の建物かを聞いて、ラディウス様に現在地を認識させていったのです。そして、無事に女子寮前にたどり着くことができました。
「ここまで、ありがとうございました。私、アウローラ・ウェスペルと申します。下位の私からお尋ねするのも失礼とは存じますが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
普通は貴族位が上位の者から尋ねるべきことですが、そうすると私などは一生ラディウス様のお名前をお呼びする事ができませんので、敢えて聞くことにしました。
「本当に失礼な奴だな。ラディウス・ブルアスールだ」
「ブルアスール公爵令息様この度は「ラディウスだ」え?」
「ラディウスと呼べ」
ええー!!名前で呼んでもよろしいのでしょうか?推しのラディウス様の名前を私のような者が呼んでも!!
う〜。ドキドキします。
「ラディウス様。本日はありがとうございました。今は何も出来ませんが、後日何かお礼をさせていただきます」
本当に呼んで良いのか、ドキドキしながら上目遣いで、様子を見ます。だ、大丈夫なようです。
「礼なんて必要ない」
そう言ってラディウス様は、踵を返して去っていきました。く〜推しが尊い。
私はラディウス様が見えなくなるまで、その背中をガン見してから、寮の中に入っていきました。
事前に指定されていた寮の部屋は一人部屋で、机とベッドを置けばいっぱいになっていました。そこに、私物が入った箱が積み上げられ、更に部屋が狭くなっておりました。しかし、今まで一人部屋なんて持てなかった私からすれば、十分な広さがあります。しかし、爵位が上がると部屋の広さも変わってくるのでしょう。
私は積み上がった箱を押しのけ、今は木の板しかないベッドに横になります。
ラディウス様素敵でした!!
ではなく、私が序盤に殺されるモブキャラだということです。
普通なら物語の主人公が頑張って解決するという話になるのでしょうが、私はゲーム上での犯人を知っている為、ゲームの話自体に関わりたくないのです。
それは何故か。犯人は話が通じない系なのです。完璧にイッちゃった感じの人物で、とてもイタいです。
ということで、鮮やかな緋色の目を変えてしまいましょう。この世界は摩訶不思議な魔法というものがありますからね。貴族のお忍びでよく使われる色変えの魔法を使います。
私の目に手を置いて
『色変え』
緋色だけれども少し暗い感じの濁った様な色にしてみます。私は板だけのベッドから起き上がり部屋に備え付けてある扉で隔たれた水回りがある方に向かいます。そこの洗面台の前に立って見てみますと、2番目の姉と同じ様な色合いになっていました。
ええ、ウェスペル家特有の緋色の目を変えるわけにはいきませんから、この辺りが妥当でしょう。
あとは、事件に興味をもたず、なるべく話し相手を作って、一緒にいること。そして、ラディウス様を観賞すること!!!これが一番大事なことです!!ぐふっ。
しかし、ラディウス様は一つ上の学年になりますので、あまり会うことはないでしょう。