OP.ゴブリン千里を走る
これはあるゴブリンの物語。
どこかの世界、どこかの大陸、どこかの森で生まれたしがないゴブリンは果たしてどんな夢を見るのだろうか。
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「おう、イェニス!また何かやってるのか!」
「……ああ」
イェニスと呼ばれた小柄なゴブリンは素っ気なく頷いた。
豪快に笑うのはガッシリとした体つきの、誰が見ても巨大で強靭な図体の持ち主だ。
対して首肯一つだけを返すのは、比べるまでもなく細く瘦せこけた貧相な体のゴブリンだった。
普通なら骨と皮だけのこの青年は、情け容赦なく群れから切り捨てられるだろう。
しかし運が良い事に、群れのボスとも呼べる逞しいゴブリンはこの鶏ガラ顔負けの青年をいたく気に入っていた。
「今日は何を作ってるんだ?」
「これだ。この輪を固い植物や木の枝に着けると――」
「着けると?」
「小動物が通った時に輪がしまって仕留める事が出来る」
イェニスは植物から作った罠を見せる。
輪の先から伸びる紐状に伸びた部分を引っ張ると、二人の目の前で輪がきゅっ!と小さくなった。
問題なく動く事に満足するイェニスだったが、肝心の相手は理屈を分かっていないらしい。
「よく分からねーがイェニスが作ったものならすごいって事だな!」
「…………ああ、そうだな」
「これを森に置いてくれば良いのか?それなら俺がちゃちゃっとやって――」
「いや、私がやる」
お前に任せても罠の意味を成さない――その言葉を飲み込んで、イェニスは立ち上がった。
だからと言って身長差はほとんど埋まらず、人知れずため息を吐く。
(グラコスのようだったなら、こんなに悩む事もなかったのだろうな)
到底自身と同じ年齢とは思えないグラコスを見上げ、イェニスは完成したばかりの罠を手に取った。
折れ曲がった背中でひょこひょこと歩き、薄暗い森へと向かっていく。
着いて来ようとするグラコスを止めるのもいつもの事とはいえ一苦労だった。
だがイェニスにはどうしても一人で森に入りたい理由があった。
たとえ同じ日に生まれ、血を分けた兄弟のように育ったグラコスであっても、その秘密を共有する事は出来ないだろう。
(――この辺りか)
イェニスにとっては背が高すぎる茂みをガサゴソとかきわけ、お手製の罠を仕掛けながら森の中を進んでいく。
集落の群れが好んで使う狩りのルートとは逆方向のそこに、イェニスが求めるものはあった。
『×××、今日はこの辺で休むか』
『ここいらってゴブリンが出るんじゃないの?』
『×××ゴブリンなんかに××××んのか?お前も冒険者の×××なら、もっと××と構えとけよ』
『うっさいわねぇ!!アンタは油断ばっかしてるから、××××にも××××のよ!!』
騒がしい声が聞こえるそこを、イェニスは草むらから顔だけを出して覗き見る。
彼らは人間と呼ばれる人族の一種だ。
鬼人族に分類されるイェニスとは違い、スラリと長い手足が特徴的だった。
かといって神族と呼ばれるエルフたちとも異なり、その耳は短く背丈もまたエルフ程高くもない。
器用な手先を持つと知られるように、彼らは大小さまざまな装飾を身に着けていた。
そんな頭から足までを奇妙な衣服や道具で飾った人間たちは、慣れた手つきで布を広げていく。
ある者は地面に釘を刺し、ある者は焚火を使って食事の用意を始め、ある者は剣の手入れへと明け暮れた。
彼らが作る一日限りの寝床の名はテントと言う。
何度となく人間たちが話すのを聞いて覚えたものだ。
長距離を移動する際には、ああしてテントを立て、雨風を凌いでいるようだった。
『ちょっと!!×××なよ!!』
『だったらアンタが作れば良いじゃない!?』
火にかけた鍋を前に男と女が大声を出した。
森に暮らす者は、動物にせよ魔物にせよ火を嫌う傾向にあるため、多少騒ぐくらいでは危険はないだろう。
イェニスはじっとその様子を眺め続けた。
森によく馴染む薄汚れた緑色の肌も、草木にまぎれる小さな背もこういう時には便利なものだ。
ただでさえ小さなイェニスの呼吸音は風にかき消え、暖をとる彼らは誰一人として覗き見る存在に気が付かない。
群れの中で抜きんでて弱い事もあって、気配なんてものもないのだろう。
彼らが酒に酔い、寝潰れるまでをイェニスはただ黙って見守り続けた。
(……そろそろ良いか)
油断がどうとか言った傍から油断しているのには笑えないが、イェニスにとっては好都合だ。
パチパチと燃える火の音に混じって寝息といびきが聞こえてくる。
火の番を立てずに揃って寝付いた彼らに忍び足で近づくと、イェニスはその荷物を物色した。
(食べ物はろくな物が残ってないな。あとは……)
食料はすっかり彼らの腹に収まってしまったようだ。
何かないかと替えの服を手に取るが、これもサイズが合わず使えそうにない。
(これと――あれは何だ?)
鞄から飛び出すぐるぐるに巻かれた紙を手に取り、イェニスは光を放つ物体に目を留める。
金に輝く円盤状の塊はそれだけで美しいものがあった。
(ふむ、これも貰っておこう)
いびきの煩い男が腰につけていた金属の塊をするりと抜き取る。
それなりに重いが、これならまだ手土産を増やしても良さそうだ。
眠りこける女の手から指輪を抜き、最後に自分でも持てそうな小型のナイフを両手で持った。
紙は口にくわえ、急いで茂みの中へと身を隠す。
(……少し欲張りすぎたか)
グラゴスなら片手で事足りる量も、イェニスには両手で抱えてもいっぱいいっぱいだ。
早速一休みを挟みつつイェニスは集落を目指す。
どっぷりと日が暮れ、辺り一面が真っ黒に染まっていたが、何十年と歩いた森は庭のようなものだ。
何なら目を瞑ってでも迷う事はないだろう。
イェニスは出来る限り息を殺し、最初の一歩を踏み出した。
「バウワゥ!!」
同時に、獣の咆哮が森の中に響き渡る。
その声に人間たちは飛び起き、急いで松明を燃やした。
『起きろ!!×××××××だ!!』
『オイ、オレのナイフがねーぞ!!?』
『俺の××もだ!!』
『今はそれどころじゃないでしょ!!早く火持って!!』
松明を手に持ち、彼らは闇を晴らすように四方を照らす。
極度の警戒状態ではいくら自然に溶け込んだところで見つかってしまうだろう。
イェニスは手探りで石を引っ掴み、遠くの方へと投げ込んだ。
『×××から×がしたぞ!!』
『早く火を持ってこい!!』
暗闇に紛れ、飛んでいく石までは見えなかったらしい。
人間たちは着弾地点に火を向け、食べ物の匂いに釣られた魔狼たちもその場所に注意を向けたようだった。
その隙にイェニスは集落目掛けて走り出す。
「ガルルルッ!!!!」
『ぐあっ!!こいつ…!!××××見せてやる!!』
『××するわ!』
背後からは喧騒が聞こえてくる。
どうやら人間たちと魔狼の小競り合いが始まったらしい。
だからといって振り返る事もなく、イェニスは一人その場を抜け出した。
(ふぅ…何とかなったな)
集落の近くまで戻ってきたイェニスはやはり忍び足で自分の住まいへと荷物を運んだ。
泥を固めて作った洞がこの集落に暮らすゴブリンの住まいだ。
その内の、とりわけ小さい穴の中にイェニスは立てこもる。
(さて今日の戦利品は――)
入口を木で作った蓋で塞ぎ、持ち帰って来たものを目の前に置く。
まずはぐるぐるに巻かれた紙を広げてみた。
最初はこれが何か分からなかったが、人間たちはこれを地図と呼んでいる。
紙というぺらぺらの素材に言葉や文字を記したものが地図で、地図には集落や森を図解したものが描かれているという事を何度目かにして覚えた。
以前手に入れた地図と比べても、描かれている内容はほとんど同じだ。
微々たる差はあるが、これがこの森周辺を描き起こしたものなのだろう。
(私たちの集落の情報はないが、川や池の位置からいっても信頼できる内容だろう)
人間はこの地図を頼りに未開の地を歩いているらしい。
集落―人間は街と呼んでいる―を移動する際に用いられるのがもっぱらだ。
(こっちは……)
今度は両手で抱えてきたナイフに視線を落とす。
革で造られた鞘に収まったナイフを取り出し、地面に突き刺してみた。
サクリと軽い音を立てて地面に刺さったそれをまじまじと見つめる。
(普通のナイフだな。おそらく安物だろう)
重いナイフを持ち帰ってくる事は稀だが、期待に反し何の面白みもない一品だった。
先の方に至っては刃こぼれを起こしており、切れ味も良くはなさそうだ。
そもそもイェニスにはまともに扱う事のできない代物である。
いざという時には使うかもしれないと、鞘に戻し地面を掘って作った空間に投げ入れておく。
次に今日一番の成果である金の塊を地面に置いた。
初めて見るそれは金色に輝いていて、思わず顔が綻んでしまう。
イェニスはゴブリンとしては異例で綺麗なものが好きだった。
ピカピカに光るそれにゆっくりと触れ、側面に付いたでっぱりに指をかける。
「!」
すると蓋が開き、数字の描かれた図面が眼前へと飛び込んできた。
(たしか…時計…だったか)
人間は時間というものに事細かく区分を設けているらしい。
空が明るめば朝、暗くなれば夜としか思っていないゴブリンとは大違いだ。
今のところ使い道は分からないが、人間が好んで使うものとなれば便利なものではあるのだろう。
勿体ないとは思いつつ、イェニスは懐中時計を分解していく。
長い鋭い爪をネジ穴に刺し、くるくると回せば時計は簡単にパーツに分かれていった。
一つ一つ部品をはずし、順序だてて目の前に並べていく。
(薄い部品同士がかみ合って動いているのか)
歯車一つとってもイェニスにとっては未知の物体だ。
歯車、バネ、針と丁寧に取り外し、最後にまたそれを元の形に戻していく。
動き出した針を見つめ、イェニスは満足げに頷いた。
こうして理解を深める事が、イェニスにとって一番の楽しみで生き甲斐なのである。
(――明日は罠の回収だけにしておくか)
戦利品を全て穴に隠してから木の板を置く。
その上に土を被せ、イェニスはボロ布を置いただけの寝床へと転がった。
既にご存じの通り、イェニスは変わり者のゴブリンだ。
人間の文化に興味を持ち、人間の言葉を覚える類まれなる存在だった。
だがそれを褒める者もいなければ、それがいかに凄い事かを知る者もいない。
(……あいつは馬鹿だからな)
唯一グラコスは肯定してくれるが、どうせそれも幼馴染のよしみだ。
真に受けたところで意味はないだろう。
何よりイェニスは自分の姿が嫌いだった。
緑の肌も、背の曲がった体も、骨と皮だけのくせにぽっこりと飛び出した腹も、長く突き出した鼻も、裂けたように大きな口も何もかもが醜くて嫌だった。
だからこそイェニスは、人間の文化を知ろうと思ったのである。
長い手足も精巧な時計や武器を作る器用な指先も全てが妬ましくあり、それ以上に憧れだった。
そうしてイェニスは一人、人間の様子を覗きに行くのである。
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これはそんなちょっと変わったゴブリンの物語。
奇才のゴブリンに待ち受けるのは果たして天国か地獄か――。