なつのはて
夏が終わろうとしていた。
ヒグラシの鳴く声や夜に吹きつける風の冷たさが、夏の終わりを告げてくる。
立秋が過ぎても昼の暑さは茹だるようなのに、夕方になり闇が迫ってくると、その匂いは刻々と増してくる。
夏が終わりを告げる匂い。
鼻をシュンとすすり、縁側から空を仰ぐ。花弁を茶色く染め枯れようとするひまわりの向こうに、紫色の空が広がる。夕方と夜が交じり合った時間は、風の冷たさをより強くさせる。
「いつまでそこにいるの。風邪引くよ」
家の奥から祖母の声が聞こえた。振り返っても姿は見えなかったが、カチャカチャと皿らしきものを取り出している音が祖母の存在を教えてくれた。
うん、と返事をしたが、耳の遠い祖母には聞こえていないだろう。
私が祖母の家にやって来たのは、お盆に入ってすぐだった。祖父はすでに他界し、祖母一人だけの古い家に、私は一年ぶりに訪れた。
蝉の声だけを響かせ静まり返った家屋は、お盆の来客も少なく、祖母の存在さえも希薄に感じさせた。
「皆もう年取って、死んじゃったからね。うちに誰も遊びになんか来ないのよ」と祖母は笑っていたが、笑えない冗談だ。
「朝ちゃん、ご飯できたよ」
「ありがとう」
腰の曲がった祖母はこんもりとご飯の盛られたお茶碗を二つ持ち、私のもとにやって来る。こんなに食べられない、と言いかけたけど、祖母の好意を無にしたくなくて口をつぐんだ。
祖母の作ってくれた夕飯を一緒にテーブルに並べ、向き合って座る。
いただきます、と手を合わせる祖母に倣い、私も手を合わせ「いただきます」と大きな声を出した。
家に置いてきた息子がちゃんと「いただきます」を言ってご飯を食べているのか急に心配になり、会いたい衝動に駆られる。
七歳になる息子は今、家にいる。
つまり、私は家族をほったらかして、祖母の家にいるのだ。
理由は単純に、家出。
二十歳の時に結婚した私は、今でいう授かり婚だが、出来ちゃった婚というほうが合っていると思う。
言わずもがな、出来てしまったから結婚したのだ。
二十一になった時に産んだ息子はもう小学生で、大きなランドセルを小さな背中に背負い、毎日楽しそうに学校に通っている。
初めての夏休みも友達と一緒に飛び回って遊んでいて、たった七年でこんなにもたくましく育つ息子を誇らしく思っている。
けれど、夫とは少しうまくいっていない。
喧嘩が増え、毎日言い合っている。子供の教育のことや金銭面のことや性生活のこと。内容はいつも違うが、喧嘩が日課にさえなりかけている。
それが苦痛で、私はとうとう逃げ出してしまったのだ。
実家に帰ろうとしたが、母は「嫁に行ったら、喧嘩くらいで帰ってくるな」と私をつっぱねた。
それも母なりの優しさだったのかもしれないが、今の私には逃げ場を無くした泥棒のような気持ちにさせるだけだった。
そこで、救いを求めたのが、東北の片田舎に住む祖母だった。
昔は農家を営んでいた祖母は八十歳になるというのに元気で、今は家庭菜園程度の小さな畑を耕しながら、梁の折れてしまいそうな古い家に一人で暮らしている。
すっかり薄くなった白髪を頭の後ろでひっつめ、おしゃれな髪飾りを必ずつけて、化粧もけして忘れない祖母に、私は憧れを抱いていた。
どんな風に生きれば、こんな風に強くいられるのだろう。笑顔を絶やさずにいられるのだろう。不思議に思いながら、祖母の激動の人生を思う。
戦争を生き抜いた人だ。ちょっとのことでは動じない芯の強さを持ち合わせている。
「朝ちゃんは、いつになったら帰るの」
年を感じさせないシャキシャキとした話し方は厳しくも聞こえるが、伸びた皮膚に隠れる目は優しさに溢れている。
「わかんない。でも、そろそろ帰ると思う。息子のことも心配だし……」
「どうすんの、あんた。離婚するの」
遠慮の無い言葉が逆に私を安堵させる。私のご機嫌など伺ってほしくない。
「わかんない」
「そんなことばっかりで、どうするの。自分の人生でしょう。わからないわからないで、どうするの」
茄子の味噌炒めをつまみながら、こめかみに響く痛みを懸命にこらえた。濃い味噌の味が口に充満し、軽い吐き気を覚える。噛み応えの無い触感が気持ち悪い。
「離婚するなら、この家、朝ちゃんにあげるから」
「え?」
「家が無いと困るでしょう。利恵はそういうところ厳しいし。私譲りだからね」
利恵――母の厳しさと祖母の厳しさはご本人がおっしゃるとおり、そっくりだ。だが、祖母は孫の私には甘い。いわく、孫だから厳しくしないでいいのだそうだ。
「朝ちゃん、自分のことはしっかり自分で決めなさい。こんなところに逃げてるようじゃ駄目だよ。いいね、この家はあんたにやるから。どうするかは自分で決めなさい」
ぴしりとそれだけ言い放ち、祖母はウィンクして笑った。
あっけに取られる私をよそに、祖母はもうこの話は終わりとばかりに、昼にやっている韓流ドラマについて熱く語りだした。
私はあいまいにうなずきながら、こんな古びた家もらっても困るなあと、祖母の真意を汲み取ることも出来ずにいた。
田舎の夜は、本当の闇がどういうものなのか思い知らされる気がする。
築百年近いこの家の中にはトイレが無く、庭の片隅にある小さな掘っ立て小屋のトイレに行かねばならない。
深夜に目が覚めた私は、尿意を我慢できず、仕方なくトイレに向かった。
玄関の引き戸を開けると、墨のように黒い空が圧倒的な存在感でもって襲いかかって来る。
星も見えない暗闇になかなか目は慣れず、目の前は黒の渦に飲み込まれたようだった。
「便所かい?」
後ろからいきなり声をかけられ、びくりと肩を震わす。おそるおそる振り返ると、祖母が立っていた。
「うん」
「どれ、私も行こうと思ってたところ。一緒に行く?」
「うん」
小さな子供みたいだけれど、一人でこの暗闇に突入していくのは相当の勇気が必要だった。祖母が来てくれたことが飛び上がるほど嬉しかった。
祖母は慣れたもので、びくびくする様子も無く、外に出て行く。
私は祖母の寝巻きの裾をつかみ、後ろについて歩いていった。
「あ、見て」
祖母がふと足を止め、楽しそうに前方を指す。闇の中を緑色の光が、一瞬踊っていた。
「わ、なにあれ? 人魂?」
お盆の時期だということもあって、妙に幽霊の存在を信じてしまう。祖母は大きな声で笑いながら肩を震わせると、「あれは蛍だよ」ともう一度闇の向こうを指差した。
小さな点がふ、と灯り、右へ左と揺らぐ。光の帯が八の字を描いては消えて、ゆらゆらと飛び跳ねる。
「綺麗だね」
しみじみつぶやかれた祖母の言葉に、私はうなずいた。
やっと暗闇に慣れた目は、枯れたひまわりの輪郭を見つける。その周りを緑の光が点滅し踊っていた。
「人の一生は長いよ。蛍なんてあっという間に死んじゃう。あんなに綺麗でも……短い命なんだよ。失敗してもいいんだよ。一生分使って、あんたはあんたらしく生きなさい」
なぜ突然、そんなことを言うのか、わからなかった。
けれど、私は懸命にうなずいてた。
祖母が亡くなったのは、夏が終わり、また夏を迎えようとしていた、ある日のことだった。
四十九日を迎えた八月、親類一同が集まって法事を行った。その終わりに、私と母と、母の妹は遺品をどうするか話し合った。
問題はこの家で、それぞれ持ち家があり、周りは畑と田んぼしかないのにわざわざ住む気になれないし、だからといって処分するのも気が引けると、一様に口を揃えた。
「朝ちゃんにあげるって言ってたみたいじゃない」
母の妹の陽子おばさんは、物を押しつけるみたいに手の平を私に押し出した。
「でも、朝子だって、家はあるし。いらないわよねえ」
母がすかさずそう言った。私ではなく、母が管理するはめになると踏んだのだろう。眉をひそめて私に同意を求めてくる。
「まあ、そうだけど」
いつの間にか息子が私のそばにいた。小さな手の平を私の腕に絡めて「腹減った」とわめく。「静かになさい」と叱ったが、今度は腹の虫が抗議してきた。
「おにぎりでも食べる?」
孫に甘いのは、なにも祖母に限ったことでは無いらしい。母は喪服を整えながら立ち上がり、家の奥へと行ってしまった。
「朝ちゃん、この家もらえばいいじゃない。確かに立地は悪いけど、もっと歳を取った時にここに隠居するとか。売ってしまうのは嫌だし、今すぐ住むのが無理でも誰か家族にもらってもらいたいのよ」
抗議してくる人間がいなくなったことをいいことに、陽子おばさんはにこにこと笑いながら「ねえ?」と私ではなく息子に問いかける。
「おれ、ここに住んでやってもいいよ」
生意気の盛りの息子は、上から目線でそんな暴言を吐く。
「カブトムシとトンボがいっぱいいて面白いしー。裏山行くの楽しいしー。おれ、ここ好きだしー」
「学校、遠くなるじゃない」
「近くにできたんだろー? 昨日、遊んできたもん」
私よりも行動範囲の広い息子は、昨日の内にそんな発見までしてくる。小学校が新設されたという噂は聞いていたが、本当だったとは知らなかった。
「住むにはちょっと、家もボロボロだけどねえ」
陽子おばさんのつぶやきに重なって、息子を呼ぶ母の声が聞こえてくる。学校の先生が褒めてくれそうなほどの大きな返事をして、息子は台所へ走って行ってしまった。
目の前に置かれた、祖母の遺品に触れる。
正絹の着物や、昔私があげたぬいぐるみや、古びた手紙の束や、表紙の取れたアルバム。思い出のひとつひとつを大切に取っておきたかったのか、すべて綺麗に整えてしまってあった。
表紙がすっかり煤けた日記帳には昔の人特有の達筆な字で、日々の細々したことが綴られていた。
「私、去年のお盆にここに来たんだ」
「あらそう。喜んでたでしょう」
「全然。だって、私、離婚するんだって喚きながら来たんだよ? うんざりするでしょ」
離婚の危機は、あっさりと回避した。
お盆の終わり、私が家に帰ると、夫は何事も無かったかのように私を出迎えた。
夜、ベッドの角で丸くなって眠る私を後ろから抱き寄せ、「ごめん」とだけ謝ってくれた。
何も言えなかったけど、うん、とだけうなずいて、小さく身を縮こまらせた。
こんな一言で終わってしまうことに、怒り心頭だった自分を情けなく思った。
「自分のことは自分で決めろって怒られたよ」
日記帳をめくり、読みづらい字に目を留める。
『人生は選択肢の連続だ。私の人生は私が決める』
そう書いてあったのは、十二月の始め――祖母のガンが見つかった日だった。
祖母の体には悪性の腫瘍が巣食っていた。ガンと知ってか知らずか、祖母は病院での治療を拒み、家で暮らす日々を選んだ。
それが、祖母の決断だった。
体の不調は、その前からずっと気付いていたようだった。あの夜の私への言葉は、もしかしたら自分の死期を悟っていたからなのかもしれない。
「お母さんらしい言葉ねえ」
私の手に置かれた日記帳を覗き込み、陽子おばさんはぼそりとつぶやいた。
祖母の生き方は、私の憧れだった。目標だった。あんな人になりたいと、思う。
「……この家、もらうよ」
「どうしたの急に」
「おばあちゃんの遺志をつぐ」
格好良く言い放ったつもりだったが、陽子おばさんはぽかんとしているだけだった。
「この家が好きだから」
天井を仰ぐ。黒く変色した太い梁はこの家を支える。土間の上の天井は平屋のために高い屋根まで筒抜けで、太い梁のひとつひとつを見ることが出来る。
土間に続く場所からそれをながめ、この天井を抜けて、さらに上の空の向こうに行ってしまった祖母の姿を思い浮かべた。
取り替えたばかりの畳から漂うイグサの香りをかぐ。鼻の奥がつんと痛んだ。
「道を選ぶのは、私自身だからね」
言いながら、畳をなでた。
急には変われないだろう。
わからないわからないと、愚痴りながらしか進めないだろう。
けれど、選ぶのは私だ。他の誰でもない私なのだ。
「いつかここに住めるようにする」
祖母の片鱗を手に入れた気がした。
そして、片鱗しか見つけていない自分を自覚もした。
人生があと何年続くかはわからない。
祖母のように生きるのは、きっと何年何十年と時間が必要だろう。だが、歩むための道はある。私だけの道が。私らしく生きるための道が、必ずあるのだ。
「トンボとりに行って来るー!」
口をモゴモゴ動かしながら家の外に走り出す息子を見送る。
夏の名残の向こうに、祖母の背中が見えた気がした。
お読みいただきありがとうございました。
久々に真面目一本な作品が書きたくて、こんなん書いてみました(笑)
ご意見ご感想などいただけたら嬉しいです。




