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 今思えば、ああやって気にかけて欲しかったのはあたしなんじゃないかと思う。


 奴隷身分となった理由に同情して、少なくない金を払って買い取るなんて……らしくない。


 聖乙女としては「アリ」なのかもしれないけれど、あたしという人間からすれば「らしくない」行いであることはたしかだった。


 あのころ、あたしは天涯孤独の身になったばかりだった。それで、感傷的になっていたのかもしれない。


 あたしの親が亡くなったなんてことは、神殿の内実をよくよく知っている大神官長以外には、知られていなかった。知られたくもなかった。


 一度決まった聖乙女は、その法力が看過できないほどに弱まるまで務めさせるのが暗黙の了解だ。


 あまりにめまぐるしく聖乙女が代わっては、人心も離れるというもの。遥か昔にそれをしでかした神殿は、以降そういう戒めをもって暗黙の了解を強制するようになった。


 それでも聖乙女をその座から引きずり降ろしてやろうと手ぐすね引く連中が、いなくならないわけじゃない。


 聖乙女になれるのは、たったひとり。泣こうがわめこうが、そのひとり以外にはなれはしない。


 つまり、聖乙女となるためにいくら切磋琢磨してきたとしても、選ばれなければほぼ一生普通の魔法女として暮らすことになる。


 それでもいい、という人間ならば、それでいいんだろう。けれどもそうではない人間は。


 たとえば――あたしのような。


 あたしは()い聖乙女であろうとしたし、周囲もそれを期待していた。でも確実に恨みはあちらこちらから買っていた。


 だからあたしは一家離散し、奴隷となったテオを金で買うことで、平穏をも得ようとしたのかもしれない。そしてそこには先ほど述べたように一種の自己愛も存在していたのかもしれない。


 つまり、あたしがお優しい人間だからできた行動ではない、ということだ。


 でも、まあ、「情けは人のためならず」と言うし、悪いことをしたわけではないと思う。


 あたしは奴隷の主人としては立派だった。なんせ、聖乙女だったんだから。


 それにテオに暴力を振るったこともない。あたしは性格は悪いがサディストではないから。


 口は悪いが、テオを貶めるようなことを言ったこともない。そういうことを胸に秘めていられないのは、弱い人間のすることだとあたしは信じていたから。


 ……そのせいなのかは知らないが、テオはあたしとふたりきりのときは、ごく自然体でいるようだった。


 あたしを呼ぶときは出会ったときからずっと「あんた」だし、そうでないときは「ペネロペ」と呼び捨てにする。


 もちろん、他人(ひと)の目があるときは下にも置かない態度で「聖乙女様」などと、鳥肌が立つようなことを言うのだが。


 なにかきっかけがあったわけじゃない。あたしたちは最初(ハナ)からそういう関係だった。


 そしてあたしはそれに満足していた。


 聖乙女として褒めそやされ、持ち上げられるのは楽しいし、好きだ。けれども人間ワガママなもので、それはそれとして対等な関係でいられる相手を欲してしまうものだ。


 聖乙女と奴隷身分。あたしたちの関係はぜんぜん対等ではなかったけれど、交わす会話はいつだって、身分の上下を感じさせないものだった。


 だからあたしがテオから感じる、愛着みたいなものは、決して単なる投影だけではないハズだ。


 だからテオは、あたしに着いてきてくれる選択肢を取ってくれた。


 それは思い上がりではないはずだ。




 王都から出る馬車を乗り継いで三日ほどの街と周辺の村々が、魔法女に降格されたあたしに割り当てられた地区だった。


 前任の魔法女は高齢を理由に引退して、ちょうど席が空いていたところにあたしが収まった……というか、座らされた形である。


 これから魔法女としての生活が始まるわけだが、不安はなかった。


 まず、あたしには身の回りを世話してくれるテオがいる。


 そしてそもそもの話として、あたしはお貴族様とか高貴な出の人間ではない。だから、仮にテオがいなかったとしても、ひとりでだって生きていける。


 貴重な法力を用いることのできる人間を家中に取り込んできた結果として、貴族には法力を使えるものが一定の割合で存在する。


 だからあたしが今まで会ったことのある魔法女も、元は貴族令嬢だったという人間は少なくなかった。


 もちろん、あたしのような平民出の魔法女もそれなりにいたし、そもそも神殿においては出自は重要視されない。


 娘を優遇してもらうために神殿へ寄進をする貴族は多かったし、神殿もそれを理解していないわけではなかった。


 しかし聖乙女の座だけは、どうあがいたって金では買えない。


 その時代においてもっとも法力の優れた魔法女ただひとりが選ばれる、聖乙女の座。そこはいくらの権力も金も届かない、不可侵にして神聖なる領域なのだ。


 もしそうでなければ、ド貧乏の平民であったあたしは聖乙女にはなれなかったし、そもそも目指してすらいなかっただろう。


 多分の努力といくらかの才能があれば届く。だからこそ、魔法女たちはこぞって聖乙女を目指す。


 ……けれども今やその地位は、ぽっと出の渡り人のものとなった。


 真実、魔法女としてなんの努力もしていない、聖乙女がなんたるかも知らない、才能だけの女のものになった。


 他の魔法女たちの恨みを一身に集めるであろう新たな聖乙女を、哀れみをもって見ることが、あたしにはできなかった。


 なぜならあたしもその恨みのこもった目を向ける、有象無象のひとりだからだ。


 それにあの女を哀れむことなんてできるだろうか? ……あたしこそが、哀れまれる側の女だというのに。


 方々へ就任のあいさつ回りをしていて、それを強く感じた。


 みな口ではあたしを敬うけれど、その目は好奇と憐憫が入り混じっていた。「ああ、あの……」とさえ言いかける人間すらいた。


 それを笑顔で流しながら、あたしはその裏で歯噛みする。


 今やあたしは負け犬。


 それをみんなが知っている。


 悔しくて、恥ずかしくて、腹立たしい。


 これからの生活に不安はなかった。一年前の魔獣狂乱(スタンピード)の際に負った傷が原因で、最盛期より法力は落ちたものの、まだまだあたしは魔法女の中で五指に入る程度には強い法力を有している。


 その自信がまだ、あたしには残っていた。


 法力という最強の「手に職」を持っているし、通常の引退した聖乙女よりずっと多い年金を支払われる。


 不安はない。


 不安はない――ハズなのに。


 なのにどうして眠れないんだろう。


 もぞもぞとそう広くないベッドで何度も寝がえりを打つ。


 窓の外からはフクロウの鳴く声が聞こえてきて、ときおり吹く風が木々の枝を揺らす音が耳に入る。


 まぶたを閉じればその裏側では正体不明の光が明滅している。


 ――眠れない。


 環境が変わったからだとあたしは自分に言い聞かせるが、枕が変わったくらいで眠れなくなるようなタマじゃないことは、よくよくわかっていた。


 ベッドのすぐそばの床にはテオが毛布にくるまって寝転がっている。ほとんど追放同然のあたしの身を心配して、しばらくはそばで寝てくれるらしい。


 あたしはそれをうれしいともイヤだとも感じなかった。


 ベッドの上で思い返すと、なんだか心が鈍麻しているような気がした。


 いつもだったら憎まれ口のひとつやふたつは口にしていただろうに、あたしはただうなずいただけで終わらせた。


 あいさつ回りをして疲れていたのだと、言い訳するのは簡単だった。


「――ペネロペ」


 ふと気がつけばベッドの脇に大きく長い影が落ちていた。


 テオだ。


 テオが吐息のような、ささやき声であたしの名を呼んだ。

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