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神無日には月を抱いて  作者: 成瀬 透
1/8

運命、降臨

 雨の中、濡れた外套を張り付けながら少女は扉を叩いた。

「ごめんください、薬をお持ちしました」

 かしこまった固い声を張り上げると、扉がほんの僅かに開く。

 隙間から小瓶に入った薬を差し入れると、受け取ったその手がそのまま少女の方へ伸び、その肩を乱暴に突いた。


「穢人の分際で家の中に身体を入れるんじゃねえ! 精霊の加護が無くなるだろうが!」

「ご、ごめんなさい」

 大柄な家の主に突き飛ばされて、濡れた地面に尻もちをつきながら震える声を絞り出す。

「およしよ、あんた。ばあさんの薬を持ってきてくれたんだろ」

 奥からおかみさんの声がする。

 彼女は扉に近寄り、扉の隙間から小銭を投げた。

百瀬(ももせ)、もうお行き」

 乱暴に閉められた扉に向かって百瀬と呼ばれた少女は一礼する。


 結い上げた黒髪はほつれ、着物も、指も顔も、泥だらけになっていた。それでも十六にしては大人びたその大きな瞳を、更に険しくして貴重な現金を拾い集めた。これでやっと新しい靴が買える。

 激しくなってきた雨に全身を打たれながら、百瀬は身を屈めて森へと走った。穴の開いた靴から泥水が入り込んで来るが、そんなことに構っていられない。このまま誰にも見つからずに、早く森の奥の小屋へ帰りたかった。


 しかし家屋の並びを抜け、森へ続く橋を渡ろうとしたとき、「あ、穢人(えと)だ」という青年の声が後ろから聞こえてしまう。

 百瀬は一瞬足を緩めたが、振り返りもせず全速力で駆け出した。

「逃げるぞ、追え!」

 あと少しだったのに! 舌打ちしたい気分だったが、そんな余裕すらなかった。足音からして相手は恐らく三人から四人。捕まれば何をされるか分からない。

 斜め前方に、壮年の男性が傘を差して歩いていた。「助けて!」と叫んだが、気付いてこちらを見たものの、ふいと視線を外して足を止めない。


「水よ」

 軽い絶望が百瀬を襲う。こんな雨の日に水術を使われたらただでは済まない。それでも力を振り絞って走った。諦めてなんかやるものか!

「降り注ぐ雨水よ。鋭き矢となり彼の者を射抜け」


 何という術を唱えるのだ! と百瀬は肝が冷えた。けれど予想通り雨の変化は矢というより柔らかな針程度で、射抜かれることもなく、外套の上からちくちく刺されるだけに留まった。この村にこんな高度な詞言(しごん)を具現化できる霊使はいない。それでも出来損ないだろうが、水針を踏めば強く踏みしめることも出来ない。速度が落ちたところで後ろから髪を掴まれ、地面に叩き付けられた。


「止めて!」

 男たちが馬乗りになり、百瀬の懐を荒々しく探る。

「金を持ってるはずだ、探せよ!」

 百瀬が村に姿を現すときは買い物をしに来る時か、森で採取した薬草で商売をしに来る時だ。必然的に、現金を持っている可能性が高い。

 外套の裏地にこっそり縫い付けた小袋に隠していたのに、いとも簡単に服を捲られ小銭をむしり取られた。年頃の娘らしい羞恥心よりも、大切な収入を強奪された怒りで、百瀬は震えた。


「あんたが流行病で死にかけた時、徹夜で看病してやったのに! 恩知らず!」

「人未満の穢人に恩なんてあるわけねえだろ、おまえは一生俺らに尽くして、こうしてオモチャになってりゃいいんだよ!」

 へたり込んでいる百瀬のこめかみを蹴りつけて、彼らは笑いながら立ち去ろうとする。

「かえしてえ、かえしてよおーっ」

 こんな叫びが彼らに届くわけがない。分かってはいても、どうしようもなくやるせなかった。悔しくて悲しくて、蹴られた場所から血が滲んで目に入って来るのもかまわず、百瀬は泥水に両手を叩きつけて泣き叫んだ。


「水よ」

 そのとき、少し遠くから凛とした、抑揚の無い声が雨の合間を通り抜けて来た。。

 彼らのうちの誰かが詠唱しているのだろうか。何のために? もう目的は達成したはずだ。

「降り注ぐ雨水よ。鋭き矢となり彼の者を刺せ」


 またこの術か。そうまでして自分を痛めつけて遊びたいのか、と百瀬は呆れつつ来たるべき衝撃に蹲った。しかし想定された痛みは訪れず、代わりに青年たちの叫び声が耳を突く。

 先程向けられた術とは桁違いの、本物の雨粒の矢が彼らに降り注いでいる。

 完成度が高すぎる。とてもここの村人が生成できる精度ではない。

 驚いて目を見開いていると、後ろから大股で誰かが百瀬の横を通り過ぎた。血まみれでのたうち回る彼らの傍に放り出された小銭を拾い上げ、百瀬の方へ顔を向けた。


 一体誰? 視界が雨と血で霞んで良く見えない。

 目の前の光景が非現実的で茫然としていると、相手は百瀬の座り込んでいる場所まで戻って来て、掌を差し出した。


「大丈夫ですか? 血が出ている」

 感情を抑えた、冷静な声だった。

 答えるべきなのだろうか。この手を取ってもいいのだろうか。反応に困って相手を凝視していると、彼の両手が百瀬の腕を掴み、立ち上がらせてくれた。


「どうぞ」

 自分の外套で小銭の泥を擦り落としてから、百瀬の手の中に握らせてくれる。相手も外套をすっぽりと被っているため、鼻から上は見えないものの、どうやら百瀬と同世代の青年のようだ。

「ありがとう……大した、傷じゃないから、大丈夫」

 途切れ途切れにやっと礼を伝えると、彼はとても事務的に言った。

「百瀬さんですね? あなたを探していました」


 ひっそり暮らしているつもりでも、百瀬はこの界隈の村や里では有名である。精霊に嫌われた穢れた人間、穢人として。もう一つは、腕の良い薬師として。

 穢人としての自分に用がある筈もないから、きっと目当ては薬だろう。


「薬が必要なんですか?」

「ええ、短時間で確実に死ねる薬を」

 こんな静かな声で事もなげに、何と物騒なことを言うのだろう。


 助けてもらった手前、可能な限り相手の要望に応えるつもりだった、彼の返答を聞くまでは。でも、今となってはそんな殊勝な心は霧散した。金には困っているが、その手の仕事を引き受けるつもりはない。


「人殺しとか、そういう薬は作っていないんです」

 強風が吹き、彼の被っていた帽子がめくれ上がる。

 声と背格好から相手は青年と予想をつけていたが、その秀麗な顔立ちを見て百瀬は一瞬たじろいだ。

 白い肌に薄い唇、高い鼻梁。どの部位も、とても華奢で精巧な造りである。しかしその中で、長い睫毛に縁取られた一見理知的な瞳の奥だけに、苛烈な焔が爛々と宿っていた。雨に打たれて薄茶の髪が濡れそぼり、疲労のためか顔色は悪い。しかしそれがより一層、作り物じみた彼の美貌を際立たせている。


「人殺しではありません。あなたに頼みたいのは自殺の幇助です。私はどうしても自分を薬殺させたいのです」

 百瀬を襲ったゴロツキどもはいつの間にか姿を消していた。

(そういえばこの人、彼の者を刺せ、と言ったんだったわ。奴らは彼の者を射抜け、と言ったのに。手加減したのね、射抜けじゃ死んじゃうもの)

 青年の言葉が頭に入って来ず、百瀬はぼんやりとそんなことを考えていた。




 それから、取りあえず雨を凌ごうと、百瀬は彼の馬に一緒に乗せてもらい、森の奥の家まで送ってもらった。

 男性用の着替えがないので毛布を渡そうとすると、何と外套を脱いだ首から下の彼は全く濡れていなかった。外套に何かしらの術を施してあったのだろう。


 彼は依然として厳しい顔つきで不愛想だったが、百瀬のこめかみの傷どころか、あちこち擦りむいた場所も、足の靴ずれまで風と水の癒術で治してくれた。彼の霊種(れいしゅ)はどうやら風のようだったが、水術も会得できているとなると、随分と高位な霊使に違いない。

 特製の茶葉で入れた茶を飲ませると、彼は堰切ったように話し始めた。

 

まず、即死性、またはそれに準ずる性質の致死薬を求めていること。服薬の対象は自分。三日以内に服薬したい。名も身分も明かせない、但し報酬は大いに弾む。要約するとこんな内容だった。

 報酬という言葉に心は激しく揺らいだが、それでも百瀬はその申し出を断固として断った。 

 その頑なな態度に彼は眉を顰めて苛立ちを露わにしたが、それきり瞼を閉じて、長く息を吐くことで諦めがついたようだった。


「では私はこれで失礼する。何せ時間がないので」

 ふらりと立ち上がる彼に百瀬は慌てた。今、彼を外に出すわけにはいかない。

「こんな雨の中、これからどうするんですか?」

「あなたにはもう関係ない。私の事は他言しないように。これはお茶代です」

 そう言って、ぐらつく木の食卓の上に銀貨を一枚置いた。


「いただけません、こんなもの」

 百瀬は背を向けて出て行こうとする青年の袖を引っ張り、銀貨を突き返そうとした。銀貨一枚、百瀬の半年分の食費に相当する。

「口止め料も含まれています。受け取ってください」

「駄目です、もし頂けるならもっと細かい小銭でください。こんな大金持ち歩くなんて恐ろしいです、また盗られるかもしれないのに」


 百瀬としては時間稼ぎのつもりだったが、先刻の事態を目の当たりにしていた青年は百瀬の懇願を尤もだと思ったのか、扉に手をかけるのを止めて銀貨に目を落とした。

「そうは言っても、小銭はあまり持ち合わせていないのです。村に下りればまだ店は開いていますか?」

「両替したいの? この時間じゃ難しいと思うわ、それに、あなたもうすぐ痺れて動けなくなりますよ」

 青年は一寸置いて、さっとお茶に視線を走らせる。

「違うわ、何も盛ってないです。そうじゃなくて、道中青紫の蔦に触りませんでした?」

「え……」

 思い当る節があるのかどうか、とにかく思案している。その間にも、顔色はどんどん悪くなっていく。


「雨だし暗いし、急いでて気付かなかったかもしれないけど、芭沐(はもく)草の毒に当たってます。そのうち強い痺れと悪寒と吐き気で立ってられなくなると思います。今までだってずっと、具合が悪いのを我慢してたでしょう?」

 とうとう、額に油汗が滲み始めた。こうなると症状は一気に加速していくはずだ。


「どう……して」

「自分では分からないでしょうけど、顔と首に青紫の発疹が出てるもの。段々色が濃くなってきたから、そろそろだと思います」

「あ そ あ」

 呂律が回らなくなってきたのだろう、受け答えも苦しそうだ。

「ごめんなさい、苦しいですよね。でも薬師の家で発症するなんて運がいいと思って、養生してってくださいね」


 はっはっはっ、と胸元を抑えて小刻みに揺れている。発疹も濃く、大きく広がって来ていた。

「とりあえず横になった方がいいわ」

 百瀬は震える青年の腕を自分の肩に回して立たせると、引き摺るように寝室へ連れていった。




 白々と夜が明け、寝不足の身体を朝日が照らす。

 夜中に一睡もせず、百瀬は新しい解毒薬を煎っていた。一応作りおきの薬を飲ませて様態は落ち着いているが、いつ急変するとも限らないので寝るわけにもいかない。笆沐草の毒には作りたての薬の方が効果が高いので、朝食後用に急遽拵えているのだ。


 硝子のビンが散乱している作業台に向かいながら、百瀬の手がふと止まる。

(お節介過ぎるかしら)

 実際、ここまでする必要なんてない。作り置きの薬だけで解毒には事足りる。しかし。

(だって私なんかを助けてもらったのよ。自殺志願者だからって放っておけないわ)

 回復してここを出ていったら、もしかして本当に死んでしまうかもしれない。でも、それでも良かった。少しの間だって。だってあの人は自分をあからさまに穢人扱いしない。何の愛想もない、淡々とした態度だけれど、取りあえず悪意は感じない。


(でも、本当に何者なんだろう。穢人の私相手に、あの態度は全然普通じゃないよね)

 穢人、とは霊力を使えぬ者を指す蔑称である。

 ここ伯都(はくと)の国では思春期頃に霊力という術を使える霊使となる。主に火、水、金、木、土、光、風の属性に分かれたそれは、詞言と呼ばれる文言を唱えることにより、その力を発揮する。

 しかしごく稀に百瀬のような、その年齢を超えて精霊の加護を受けられず、力を持たぬ者を穢人と呼ぶのだ。通常、穢人は迫害される。百瀬は父親がおらず母と二人暮らしだったが、母も穢人で、薬師として村に奉公する代わりにここで暮らすことを見逃して貰っていた。その母も二年前に病死し、以来百瀬はこの森の中で一人きりだ。


(それにしても、綺麗な人だったな)

 百瀬は彼との会話の様子を思い出す。何とか平静を装っていたが、実はとても緊張していたのだ。ただでさえ初対面の相手と話すのは苦手なのに、あんな美人と対峙したのは初めての経験だったから。

 細い顎としっとりとした弾力を含む唇は、無造作に触れれば脆く崩れそうなほど繊細なのに、直線的な眉と茶色い眼の凛々しさが、決して彼を女性的に見せていない。


 百瀬の容姿だって悪くはない。薄汚れて手入れはされていないものの、漆黒の髪と瞳は程々に目を引く。警戒心の強さが年相応の娘らしさを相殺していなければ、愛らしい部類には入るだろう。が、彼はというと全ての造りが、微塵の狂いもなく、丹念に仔細に、過不足なく彫り上げられたかのようだ。この人に比べれば自分など子供の拵えた粘土人形のように雑に出来ている、と百瀬は思う。


(生きてて、話しているのが不思議だったくらい。発疹が出てさえ綺麗だった)

 しかしそんな彼の容姿に唯一不似合いなのが、そのざんばら髪だった。何故か薄茶のさらりとした髪が、耳の上あたりでひどく乱暴に切り刻まれているのだ。

(綺麗な髪なのに勿体ない。もう死んじゃうから、どうでもいいと思ってるのかしら?)


「ほう、そなたは穢人じゃったか。不憫じゃのう」

 あれこれ勘ぐっていると、後ろからいきなり声が掛けられた。

 その言葉に、百瀬はぎょっとして振り返る。何の気配も感じなかった、微かな物音さえ。こんなに静かな空間なのに?


「そなたが助けてくれたのか? なかなか優れた配合じゃ。もうほぼ全快じゃな」

 百瀬は唖然としていた。

 仕事部屋の入り口に寄りかかって腕組みをしている青年は、確かに昨夜の彼の姿をしていたが、何故かまるで……別人だった。

 話し方や仕草に相違があるばかりか、表情までもが異なっている。同じ顔なのに表情筋の使い方で、こんなにも違った印象になるのかと、感心するほどである。しかし百瀬を驚かせたのはそればかりではない。


(霊気が、違う?)

 纏う霊気(れいき)の種類が、丸っきり別のそれだった。本来霊気というのはそう細かく感じられるものではない。しかし目の前の男の霊気は強大で、荘厳で、それでいて限りなく清陵だった。こんな霊気は未だかつて感じた事がない。

(こんなことって、あるの?)


「そなた灯冶の知り合いか? 名は何と言う? どうしてここにこやつがおるのか教えてくれんかの?」

 百瀬の知っている彼とはおよそ似つかわしくない柔和さで、にこにこ笑いながら小首を傾げる。

 灯冶というのはあの彼の名なのだろうか? 

「私は百瀬と言います。毒に当たったあなたを介抱しているだけで、 私はあなたの名前も知らないですが」


 嘘ではない。相手の素性が知れない以上、これ以上答えようもない。

「ふむ、そうか。わしがここにいる理由は聞いておらぬか?」

「さあ、知りません」

 これは半分以上嘘かもしれない、と思った。でも、なぜ彼が自死を望み、薬死にこだわり、ここまで自分を訪ねてきたのかは謎のままだ。何より、もう一人のあなたがここに致死薬をお買い求めに来ましたよ、と安易に伝えてはいけない気がした。


「何じゃ、何も知らぬのか。それにしても、こんな可愛い年頃の娘が、こんなあばら家に一人で暮らしているのか?」

「あ、まあ、はい」

 何とか返事をしつつ、百瀬はほんのり赤面しているのを隠そうと、慌てて俯いた。可愛い、などと、母を除いて言われたことがない。


「ん? どうした?」

 青年が近付いて来る。顔を覗き込まれそうになって、百瀬は咄嗟に掌で顔を庇い、後ずさった。

「なぜ顔を隠す。見せてみよ」

 強引に手首を掴まれ、顔を露わにされてしまった。至近距離で彼の整った顔を拝んでしまい、頬の赤味は一層濃くなってしまった。

(見られた!)

 手首を振りほどき、くるりと背を向ける。


「や、止めてください!」

 胸の鼓動が早まっている。お世辞に決まっているのに、いちいち反応してしまう自分が情けなかった。

「ふむ、ふむ。ふふふ。おぬし、百瀬じゃったか? 可愛いのう」

 次の瞬間、髪を掬われる感覚があった。そしてその髪の房にちゅっ、と啄む音も。

 えっ、と小さく叫んで振り返ると、顎を掴むことでその勢いを止め、即座にまた額に口付けされた。


「き、きゃああー」

 驚きすぎて、大声さえ出なかった。へなへなと腰の抜けたような叫び声がか細く響く。

「なん、な、なにっ」

 壁際に張り付いて距離を取る百瀬を、実に興味深そうに彼は観察、と言うより、にやにやしながら面白がっている。

「んー、愛い! 純じゃのう、新鮮じゃ」


(この人、昨日の人と絶対別人よ! こんな、こんな……!)

 脚をがくがく震わせながら、あなた一体誰なの? と言いかけたところで、外から馬の嘶きが聞こえた。昨日から納屋に繋いであった彼の白馬だろうか? いや、それにしては少し遠い。

「ふうむ、いいところで邪魔が入った。世話になったな、娘。 迎えが来るので行かねばならぬ」

「え? 迎え?」

「夜中に式神を送っといたんじゃ。そろそろ着くじゃろ」


 扉に向かってスタスタ歩き出した彼の前に慌てて立ちはだかる。

「ちょっと待って、まだ安静にしてなきゃ駄目よ」

「大丈夫じゃよ。浄化はもう終わっとる。指先が多少痺れるだけじゃ……ん? そなた」

 突然怪訝な顔をして百瀬を睨むと、頬に指が伸びて来る。

 反射的に仰け反ると、後ろの扉に頭をごつんとぶつけてしまった。


 そうこうしている間に、大勢が小屋を取り囲むような気配がする。

 百瀬が前に後ろにうろたえてオタオタしていると、程なくして小屋の扉がやや乱暴に叩かれた。

「誰か! いらっしゃいますか?」

 百瀬を避けて彼が扉を開けると、浅黒い肌の精悍な男が鬼気迫る表情で立っていた。

「申し訳ありません、このような」

「だから言ったじゃろー、目を離すなと」

「はい、申し訳ありません」


 後ろには馬車が二台、他に騎馬が十組。いずれも豪壮な装飾、身なりで、一見して庶民の集団ではない。

「そちらの娘は?」

 男の眉がぴくりと動いた。経験上、ここで自分が穢人だと気付いたな、と百瀬は察する。

「あ、この者はな、毒にかかった灯冶を介抱してくれたんじゃ」

「そうでしたか、私は王宮の者で、阿文(あぶみ)と申します。この度はありがとうございました、後日改めてお礼に伺います」

 美しい四十五度の礼であったが、百瀬は内心それどころではなかった。


(王宮!)

 喉をゴクリと鳴らさずに我慢するのに、細心の注意がいった。

 この二人(一人?)は只者ではないと思っていたが、王宮から使いが来るというからには王族か、少なくとも貴族ということだ。

 とんでもないのと関わってしまったと今更ながらに冷たい汗が浮かんでくる。


「いえ、お礼なんてとんでもないです、王宮の方のお役にたててこちらこそ光栄です」

 目を合わせないよう、光の速さで頭を垂れた。これ以上関わりたくない、早くその奇っ怪な男を連れ去ってくれ、と祈っていたのに。その祈りは儚くも、どこにも届かなかったようだ。


「いやいやこの者も連れて行く。百瀬、用意せよ」

「は?」

 百瀬と阿文の声が揃った。

「色々聞きたいこともあるしの。上手い菓子でもご馳走しよう」

「いえ、私がお話できることなどありません、お菓子なんて結構ですから、私はここから離れるわけにはいきません」

 

ちらりと阿文が窺うように彼をみやる。

 彼は少しの間きょとんとしていたが、やがてにやりと口角を上げた。

「そうはいかぬ。わしはそなたが気に入ったのじゃ。何としても連れて帰る」

「だって、家畜の世話だってあるし、調合中の薬や道具が」

 必死に抵抗する百瀬を、何だそんなことか、とカラカラと笑い飛ばした。

「心配いらぬよ、この場所はなるべく現状維持させるよう人を使わそう。何ならこの小屋ごと王宮へ運ぶか?」

 どうやら冗談ではないらしい。王宮って、本気で? 


「無理です、だって……」

 その後を言い淀んでいると、「ん?」と促すので、何だか意地になって吐き捨てた。

「私は穢人ですよ。王宮どころか王都にだって行けやしません」

 

 そう言われると、彼はうーんと唸り、隣の阿文にそうなのか? と尋ねた。

「まあ、王都には穢人はほぼいないと思います。選民意識の強い地ですから」

 ふむふむと頷く相手に、やっと解ってくれたか、と百瀬は胸を撫で下ろす。しかし目が合った瞬間、彼がニッコリと微笑んだのを見て嫌な予感がした。

「ふうん、ま、大丈夫じゃろ! わしの客人じゃ、誰にも何も言わせぬよ」

「御意」

 阿文は物言いたげな素振りをしたが、それを抑えて一礼した。

 

 このやりとりが茶番だとは思えない。彼の振る舞い、口調、何より霊気がそれだけの説得力を備えている。

「あなた、一体誰なんですか」

 息が止まりそうな展開に、それでも勇気を持って百瀬は訊ねた。

「わしか? わしの名は大那実津(おおなみつ)。ここ伯都(はくと)の国を治める神じゃよ」

 輝く霊気が、微笑む彼を容赦なく鮮麗に彩っていた。


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