穢水アイスキャンディー ~これ以上ない、汚染の訴えの形~
これは、実話を加工したフィクションです。
水。
それは、生物にとって、必要不可欠な、物質。人類にとっても当然、そうである。そんな人類の場合、三日それを断たれると、平均的な活動の継続不可に陥る。要するに、三日断たれると、死が見えてくる。そういう物質だ。空気の次くらいに、命に濃密に関わる。
そんな、水。
水が、汚れている。汚染されている。様々な水棲生物の体や行動に目に見える影響が出てしまう程に。何による汚染か? それは、人類による、単独でない、複数の毒性物質による、苦疫の多重地獄。一部ではあるが、性別の壁を壊されてしまった歪な水棲生物が発見されたりし、騒がれたことを一部の人々は覚えているかも知れない。それは、環境ホルモンという言葉とセットになっていた。これも、場合によっては、一種の水の汚染毒といえるだろう。
そして、その影響は、陸生である人類にすら、及びつつある、というより、一部既に及んでいる。比較的誰もが一度は耳にして、最近でもその例として挙げられ続けているのは、男性の生殖能の低下であろうか。あくまで、それの一因と叫ばれているだけで、絶対的な因果関係が明らかな訳では無いのだが。
だが、それもいつまで保つことか。これまでのような、曖昧な形ではなく、目に見えて因果関係が見て取れる程の、どうしようもない、自業自得が地域的でなく、全世界的なものとして、研究結果、検証成果として挙がってくる日はそう遠くないかも知れない。
現に、日本という国での、四大公害と呼ばれ、今でもその傷跡を残すものの一部も、古くはなるが、そういった例の一つである。尚、発展途上の多くの国々では、現在進行形で、それらに類する呼び名が付くかもしれない、日本の場合よりもより場合によっては過激で熾烈なで急速な汚染被害が繰り広げられている。
少々話が大きくなりがちであり、想定していた方向から逸れていっているため、話の単純化と、方向修正を行うこととしよう。
要するに、これは、以下のような問題だ。
汚い水を飲んで、腹を壊す。そのような、単純なところから、汚い水を飲んで、苦しみ命を落とす。汚染度合によって、そのような幅を持つのが、人個人単位で見たときの、水質汚染による数々の問題を簡略化したものだと思って欲しい。
今から述べるのは、そんな問題について世に訴えたいと思った一部の学生たちの、これ以上になく分かりやすい訴えの形である。
台湾。
ある年の、夏の蒸し暑く晴れた日の昼間。その首都のある町にある、一つの講演場に於いて。
西欧風の、1000人程度収容可能な会場の前。学者や報道陣といった一部の招待客と、大半の意識の高い一般客たち。
並んで、順番にその講演場に入っていく彼らに、その入口で、毒々しい水の混ざり合うような色合いのデザインのうちわが渡されると共に、高さ1.3メートル程度の、人数人分が入れそうな大きさの箱から、【(1~100)×10】と書かれたくじ引きらしい箱の中から一つだけ掴み取って引くようお願いする。
引かれて出てきたものは、縦12センチ程度、横5センチ程度、厚み2センチ程度の横直方体のパッケージ。上部と下部の先端1センチ程度が、平たくギザギザの袋状に閉じられた、そのパッケージの表面。幾何学的な何やらの意匠かシンボルを示すような単色で塗られた構造の繰り返し配列と、背景の暗色系単色から成る。パッケージが全体的に平たく膨らんでいるのだから、平たい何かが、その中には入っているようである。膨らみの上部の辺りに存在する、白抜きの数字が、恐らく、くじ引きの箱に書かれた1~100という数字であろう。つまり、同じ数字がそれぞれ10セット。1~100まで。この会場の収容人数と同じ、計1000個、その箱の中にそれらは存在している、ということだ。
数個取り出されるごとに、中からモーター音が聞こえることから、最初に取る客も最後に取る客も、同じ姿勢で箱に手を突っ込んで、それを取れるようになっているらしい。
パッケージの裏面には、表面の背景色が地続きになっており、それに加え、中央下部当たりに縦長で存在している白抜きの領域。そこに書かれている言葉はこうである。
【食べられません】
【指示があるまで開封はご遠慮下さい】
【会場内では静粛に】
会場に全ての人々が収容されて、講演の開始時間から数十分。だというのに、何も始まらない。ずらっと並んだパイプ椅子に座る客と、その椅子が向く、会場内正面にある台座と壇。そこに誰も立っていないのだから。後ろには、一枚の巨大なスクリーンが降ろされていて、それは何も移し出していない。部屋を暗くされて、唯、待たされているだけ。
空調の効きが弱く、やけに熱い。それは、主催者の想定するところだったのか、客たちは無言で、貰ったうちわで少しでもこの暑さを和らげようと扇ぐが、それには殆ど効果が無い。そこには熱くじめじめした空気しか存在していないのだから。
だからだろうか。パッケージの裏書きの三項目。その何れかの一つ、若しくは複数を破り始める者たちが出始める。恐らくは、最初は一人二人と、会場内の何処かでぽつん、ぽつん、と。
引いたパッケージを見せ合いつつ、同じ番号ですね、と喋り始めたり、互いに引いた番号のパッケージを開封し始め、その中身に驚いてみたり。
薄暗くとも、その中身はよく分かる。単純に色が鮮やかであるからだ。それは、半透明な、長方形の塊。木の平べったい棒に刺さっている。そこが持ち手であるようだ。
まさにその見掛けは、アイスキャンディーそのものだった。
アイスの中身には色々と、入っている。アイスキャンディーとしてはあり得ないような、食べ物でないもの、例えば、ネジの一部とか、そういったものが入っている。一見何の問題も無さそう、いや、少し問題ありそうな、泥汚れた海藻などが入っているものもある。
一見何もそういった異物が入っていないものもある。そういったものは、薄く明るい色合いの、ぼけた感じの優しい色をしている。この暑さも手伝い、そのまま食べてしまいそうになるような見掛け。
そういう類の一本を持つ者の数人が、かじり、それが全く噛みきれなく、どうやら、何かでしっかりコーティングされていることに気付く。そもそも、溶け出す気配すらなく、冷気すら発していないのだ。中の色合いをしっかり残していることからして、恐らくは、透明系の樹脂の類であると推測する。
全く食べようとしなかった者も結構な数存在する。それは、見掛けがかなり毒々しいものを引き当てた者たちだ。そういった者たちは、そのヘドロ色を、その毒そのもののような暗色を、これはあんまりだろう、と顔をしかめたり、自分のやつの方が毒々しいと言い合う始末。
錆びたバネが樹脂面からはみ出ているのを見てげんなりしている者も僅かながらいるようだ。
そして彼らはの不満は一体感を帯びていく。主催者出てこいやら、何だこれは、等、この暑さもあり、彼らの苛々は相乗的に大きくなっていき、暴動でも起こりそうな気配である。
そのうち誰かが椅子でも振り回し始めたり、設備を蹴り壊し始めたり、そして、人数の割には狭いこの会場内の他の人にそれが当たったりして、大惨事になりそうな気配。
そして突如光り、移し出された。スクリーンに投影される、何か。それに客たちは一同に、視線を吸い込まれた。
それは、この国と巨大な隣国を映した世界地図。陸地を緑で、水辺を青で示した、地図。そして、その地図の水辺の幾つかの場所には、白抜きで数字が書かれていた。1~100までの数字が、様々な青い場所に
散在し、存在している。番号の重複はない。
それに人々が気を取られていると、足元から薄明るく、照明が照らし出された。それにより、客の足元から手元辺りまでがうっすら照らされる。
各々が携えているその、アイスキャンディーさながらな物体が照らされ、くっきりはっきり目に見える。客たちは、会場を席から見渡し、それらの色鮮やかさを鑑賞している。
一部の者たちが、そのアイスキャンディー擬きの物体の平たい木の棒部分に、レーザー印刷されたかのような、記述を見つけ、この会場での今までの流れの意味を、意図を、理解する。遅れて、他のアイスキャンディー擬きを見ることに夢中になっていた者たちも、自身が手にするアイスキャンディー擬きの平たい棒の印字に気付き始めた。
そして、スクリーンに表示される映像が変わった。白い背景に、黒く大きな文字で、こう書かれているだけだ。
【それが、私たちの訴えたいメッセージです。】
たったそれだけ。その数十秒後、天井の照明がつき、部屋は明るく照らされる。スクリーンが上がり、その裏に予め仕掛けられていたらしい、スクリーンと同じサイズのポスターが姿を現す。白い背景に、ナンバー順に書かれたパッケージと中身の全一覧が並んでいた。その最上部辺りには、黒い文字でこう書かれていた。
【汚染水アイスキャンディー】
【材料:地図の各ナンバーが示す地点の水源から取得した固形混じりの汚水(皆様に配布した品は樹脂でそれを再現したレプリカ)】
【パッケージ内側にあるQRコードから、そのパッケージの番号の本物を制作する様子を30秒動画として閲覧可能です。他の方々と話をしながら、見せ合って、話し合って、考えてみてください。】
【未だパッケージを開封していらっしゃらない奇特な方は、今からでも遅くありません。開封して下さい。】
【気分を悪くされた方、出口は開かれております。このような半ば悪ふざけにも見えるような催しに付き合わせてしまい申し訳ありませんでした。】
【しかし、そういう方々にも、恐らく大多数の受け入れて下さった方々にも、ほんの少しだけ述べさせて頂きます。我々はこの問題について、真摯に考えました。その結果が、これです。これを機会に皆様のうち一人でも多くがこの問題に関心を向けて頂けるよう、私たちは祈っています。】
【ありがとうございました】
会場後ろ、入口と兼用であるその出口の扉が開くが、誰一人、そこからすぐさま立ち去る者はいなかった。壇上に主催者が、主張者が、全く現れないどころか、予め書かれた文字だけで、声の一つすら見せないというのに。
説明は結局碌に無かったが、それでも、そのパッケージと中身の意味は明らかだ。
中身に使用した汚染水を取水した域の、各種汚染物を抽象的に示す、色と形のコラボレーション。書かれた数字は、各取水所の番号。
観客たちに渡された一人一つの、その、アイスのパッケージの中身。余りに色鮮やかな、単色かつ薄色の不溶氷。その中に入った、汚染水源の汚染物質(固体)。それは、分かりやすいごみである。電子部品の一部から、プラスチックの断片、各種包装物の一部など。それに加え、その水の汚い濁度を作り出す、微細な物質までを内包している。
棒の持ち手側に、こう焼き刻まれている。【100%汚染水製氷所】
要するに、それらは、汚染水を使って、作られた、絶対に口にしてはならない、禁断のアイスキャンディー。水の毒の、鮮やかな結晶である。それは、水質汚染という問題の、本来我々への身近で直接的である筈の影響を、視覚的に、直情的に、教えてくれる。
主催者が、姿を現さず、生の言葉何一つ無かったのは、何故かというと、これもまた明らか。
言葉は要らない。
その会場の全ての人々は、前に立つ登壇者兼制作者の意図を汲み取っているのだから。主催者が幾つか提示した、選んだ文章は、本筋とは殆どが関係無い。ほんの一部が、進行の為に必要最低限な文章であり、残りの大半は、これが投げっぱなしではなく、意図と意味がある演出であるということと、ある種のどっきりに突き合わせた謝罪である。
それは、直情的、直感的でありつつも、考え抜かれた、心打つ訴えだった、ということだ。その証拠に、その発表は、その年の各種賞、芸術系、広告系、環境問題系の賞の多くを攫っていったのだから。それが、一介の大学生たちの卒業研究であったということが、また、大きな驚きであった。
水の汚染。まだ若くも、それを深く深く考える彼らのような存在がおり、世界がそれを受け入れるということは、その問題に人類が真正面から取り組む日も、近いのかも知れない。
興味を持った方は、google検索などで、【食べてはいけないアイスキャンディー】と検索するか、以下のリンクでも見てみてください。
https://www.cnn.co.jp/photo/35105168.html?tag=mcol;topPhotos
https://rocketnews24.com/2017/06/13/912197/