恋とか愛とか好意とか全部煮詰めて溶かしたらこんなもん
浮遊感の後には、もう何も見えなくて、何も考えられなかったのだが、俺の上で座り込んでいる彼女は、ボタボタと無表情で涙を流していた。
屋上から、一緒に落ちたわけなのだが、その涙は決して、怖かった、とか、安堵、とか、そういうものではないと思う。
多分、いや、絶対に。
「あ、あの……作ちゃん?」
「……っ」
ぐずっ、と鼻を啜った彼女――作ちゃんは、涙を拭うが、その隙間から落ちてくる涙が、俺の制服に水玉模様を作っていく。
きっと、また死ねなかった、とか、考えているんだろうな。
そう思ったら、真一文字に結ばれていた唇が薄く開き、予想通りの言葉が落とされる。
「……また、死ねなかった」
泣きながらなので締りがないが、やはりか、と細く溜息を吐き出す。
ぐずぐずと泣いている作ちゃんは、ついに「ひっく、うえぇん……」と声を上げて泣き出した。
初めて見る号泣に、嫌な汗が流れたのは、言うまでもない。
俺の制服に水玉模様を作り、ワイシャツを握り締めている作ちゃんは、俺の上から退ける気がないのか、泣き続けている。
俺は、何と言うか、まぁ、つまり、作ちゃんのことが好きで、所謂作ちゃんは、俺の想い人で、いつまでも馬乗りになられていると困るのだが。
別段、脳と股間が直結しているわけではないので、ヤバイとまでは思わないが、困ることは困る。
「作ちゃん、作ちゃん。あの、一回、下りてくれたりとかは……」
「うぅっ、うあぁぁぁんっ……。ひっく……うぇ」
下りてくれないらしい。
それどころか、更に声を上げられてしまい、どうしていいやら。
例えば、これが実の妹相手ならなんてことないのだが、如何せん、相手は自分の好きな女の子。
しかも、泣いてるところなんて初めて見た。
どうして良いのか分からずに、あぁぁぁ、と変な唸り声を上げて、真上、空に視線を向ける。
そして、固まる。
「……何してるの?」
パチリと音が聞こえそうな感じで目が合った。
色素の薄い、ベージュのような茶色の瞳。
それから、青空を背景にした、燃えるような真っ赤な長い髪も見えて、口元が引き攣ってしまう。
相手は、キョトンと首を捻ったままだ。
「……MIOちゃん」
「うん。崎代くんのお友達で、作ちゃんの幼馴染みの、MIOちゃんだよ」
俺の頭側に立ち、こちらを覗き込むようにして腰を折り曲げているMIOちゃん。
言葉通りに俺の友達で、俺に馬乗りになりながら泣いている作ちゃんの幼馴染みである。
因みに、あの赤い髪は染髪らしく、入学当初は生活指導の先生と追い駆けっこをよくしていた。
そんなMIOちゃんは、不思議そうに目を瞬かせ、俺と作ちゃんを見比べる。
「こんな所で、駄目だよ」なんて言葉が投げられたのだが、一体何をどうしてどうなった。
しかし、次の瞬間には、ニパッといつも見せる、人好きのする、人懐っこい笑顔を浮かべて、こう言うのだ。
「きっと、屋上から飛び降りようとした作ちゃんを、崎代くんが止めたんだね。でも、悲しいかな。止めきれずに、二人揃って落ちてきたんだね」
当たっていた。
最後の語尾に、ウケる、と付いていた気がするが、聞かなかったことにする。
「格好が付かないねぇ」なんて、ケタケタ笑っているMIOちゃんには、全く悪気がない。
そして、事実なので言い返せない。
俺は仰向けのまま、快活に笑うMIOちゃんを見上げて、未だに泣いている作ちゃんをどうすればいいのか問い掛けてみる。
MIOちゃんの登場に気付かないのか、しゃっくりと嗚咽を繰り返していた。
ワイシャツの染みがどんどん広がっている。
ちょっと、冷たい。
「作ちゃーん。大丈夫ー?」
MIOちゃんが更に腰を曲げて、俯いている作ちゃんの顔を覗き込む。
それを真下から見守る俺って、一体。
微妙な気分だったのだが、作ちゃんの声が一切聞こえなくなり、落ちて来ていた雫が途切れたことに驚いた。
マジで?そう思い、MIOちゃんへと視線を向ければ、何故か俺を見下ろして、したり顔。
そんな中で、作ちゃんは、長い袖のカーディガンで目元を拭い、すん、と鼻を慣らしてから俺とMIOちゃんを見比べた。
長い睫毛に付いた涙が、瞬きの度に飛び散って、キラキラと光って見える。
「大丈夫。平気。死ねなかった」
大丈夫と平気の後に続く言葉が、作ちゃんらしいのだが、そんなことをわざわざ突っ込む俺でも、MIOちゃんでもなかった。
MIOちゃんは、ニッコリと笑っている。
それから「作ちゃん、情緒不安定だね」と言うけれど、常にそうなんじゃないだろうか。
失礼な話、想い人で好きな相手に思うことではないのだが、作ちゃんは情緒不安定だと思う。
特別、ヒステリーだったり、癇癪持ちだったりするわけではないのだが、死にたがりだ。
事あるごとに「そうだ、死のう」とか「死にたい」と呟き、行動に移す。
言うは易し、行うは難しという言葉を彼女は知らないのだろう。
先程まで号泣していたのに、相変わらず馬乗りの状態で、作ちゃんは無表情だった。
目元と鼻の頭が赤くなっている以外は、いつもと変わらない。
それを見て、MIOちゃんは「生理だね」と笑うので、ギョッと目を剥いてしまう。
「うん。二ヶ月振り、かな。不順過ぎて、病院行けって言われたよ」
文ちゃんに、なんて抑揚のない声で語る作ちゃんは、無表情を崩さない。
MIOちゃんは、そっかぁ、やっぱりねぇ、と胸を張るように言っている。
いや、ちょっと待って、何で俺の上でそんな話してるの、ねぇ。
因みに、文ちゃんとは、作ちゃんとMIOちゃんの幼馴染みである。
「死ねなかったショックで取り乱したんだけど、取り敢えず崎代くん、生きてるから良いよね」
馬乗りのまま見下ろされる。
長い睫毛と、長い前髪が作ちゃんの顔に影を作り出していて、リアルだった。
リアルだけれど、そういう陰影がリアルを濃くしているというか、何と言うか。
吐き出されている言葉は、結構自分勝手なものだが、許容出来てしまうのは惚れた弱みである。
MIOちゃんもそれを知っているのか、眉を下げながら笑っていた。
「泣いたら疲れたし、お腹痛くなってきたから、今日はもう帰って寝る」
はふ、と溜息混じりに吐き出され言葉。
自分勝手と言うかマイペースだった。
俺のお腹辺りに手を置いて、よっこいしょ、と呟きながら立ち上がる作ちゃん。
標準よりも少し長いスカートの裾が揺れる。
「これ、あげるね」
中途半端に立ち上がった状態で、ブレザーのポケットから何かを取り出した作ちゃん。
やはり、俺のお腹辺りにそれを置く。
すっかり元の調子に戻っている作ちゃんは、いつも通りに緩く結わえているサイドテールを揺らしながら背を向けた。
MIOちゃんは追い掛けないのか、俺を見下ろして、にんまり、楽しそうに笑っている。
チェシャ猫のようだと言えば、ほんの少しヘソを曲げてしまうかもしれないが良く似ていた。
「変なこと、考えちゃ駄目だよーん」
つむ、と頬に人差し指の爪を差し込まれる。
キチンと切って、ヤスリで整えているのか、特に痛くはなかったが、言葉の方が印象強い。
その手を振り払うように、勢い良く体を起こして「考えないからね!!」と、今日一番声を張り上げた。
逆に怪しまれるような反応だが、これは風評被害だ、名誉毀損だ。
ケラケラと楽しそうな笑い声を上げるMIOちゃんはというと、ひらりと俺から距離を取り、身を翻す。
「作ちゃーん、待ってー」と、声を張り上げて、のんびりと歩き去る作ちゃんを追い掛けているのを見届け、そっと息を吐いた。
足元を見れば、先程作ちゃんに押し付けられた何かがあり、手を伸ばす。
拾い上げたそれは、蛇腹に連なった絆創膏だった。
「……あぁぁぁ、無理。好き」
起こしたはずの体を再度倒す。
好きじゃなきゃ、一緒に屋上からこと落っこちないけど。