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三話「崇高なる信念を貫きましょう」上

 


 平間のように学術院を出た者のうち、希望者には皇国から新しく住居を無償で用意される。

 一見して破格の待遇だが、この制度を利用する者は決して多くはない。

 ほとんどの学術院の卒業生たちは貴族や官吏などの比較的裕福な家の出身で、卒業後は学術院内の寮を出て、一人で暮らすのではなく実家に戻るのだ。

 だから、平間のように卒業を機に新居に移り住む者は少ない。


 梅乃に手渡された木簡によると、平間にあてがわれた新居は皇都の東のはずれ、開発途上区域の一画にあるらしい。

 周囲と木簡を交互に見ながら、平間と壱子は日暮れの皇都を歩んでいた。

 既に大通りからは外れていて、道幅も二人が並んで歩くとわずかな余地しか残らない程度の広さしかない。


「はぁ、まさか私がお主に頭を下げることになるとは思わなんだ。羊羹の件といい、全て梅乃の手のひらの上か……」


 小さくため息をつく壱子に、平間は首をひねる。

 どちらかと言えば、壱子が単純と言うか、素直すぎるのだ。

 もし本当に行きたくなければ、梅乃との約束など反故にしてしまえば良い。

 しかしそうしないのは、壱子の生真面目さと、そして恐らく未知の外界への(あこが)れゆえだろう。


 平間の少し後ろを歩く壱子が、不安げに口を開いた。


「それで、お主の家への道はこっちでいいのか? 随分と怪しげな雰囲気になってきたが……」


 平間が木簡から顔を上げると、そこには今まで通ってきた路地とは違い、かなり広い通り出ていた。

 さっきまでの狭い道よりは歩きやすいのだが、平間はその光景に顔をしかめる。

 端的に言って、汚いのだ。


 狭い路地に隙間なく建てられた建物たちは、元々は立派だったのだろう。

 しかし、ある建物の土壁はかなりの部分で欠け落ちて、中の藁や竹がむき出しになっていたり、またある木造の家は屋根の中央がたわんで、今にも崩れてしまいそうだ。

 地面には屎尿(しにょう)らしき汚れがそこかしこにあって、華やかな装いの壱子にそこを歩かせるのは(はばか)られる。平間自身、そこは避けて歩きたかった。


 夕暮れという時間のせいもあるだろうが、人通りもまばらで、買い物をした羊門(ひつじかど)大通りのように無警戒で歩けるようなところではない。

 その通行人だって、見るからに堅気(かたぎ)では無い者や物乞いのような風体の者が散見される。

 そういえば、平間は皇都の旧市街地が貧民窟と化していると聞いたことがあったが、人や建物の様子から察するに、ここのことなのかも知れない。


 見るからに治安の悪そうな通りに、一抹の不安を覚えた平間が壱子に言う。


「道は合っているはずだし、近道だと思ったんだけど……別の道を探そうか?」

「いや、それだと日が暮れてしまう。この道を行こう。なに、汚れたところは避けて歩けばよい」


 迷いなく言う壱子だが、平間の不安は尽きない。

 もし何かあれば、自分が壱子の身を守らなければならないのだ。

 そして平間には、武術の心得は全くなかった。


 そんな平間をよそに、壱子は勝手にどんどん先へ進んでいく。

 怪しげな水溜りをひょいひょいと避けて歩くその姿は、心なしか楽しそうに見える。


「逆に、さっさと通り抜けたほうが安全かもしれないな」


 そう呟くと、平間は足早に壱子のあとを追った。

 なお、結論から言えば、平間の見当は外れた。



 ――



「……歩きにくいんだけど」

「し、仕方なかろう!」


 貧民窟を歩き始めてからおよそ四半刻(三十分)。

 はじめこそ平間の先を行き、きょろきょろと楽しそうに周囲を眺めていた壱子だったが、日が暮れて恐怖心が勝ったのだろう。

 次第に大人しくなり、(しま)いには両の手で平間の袖をつかんで歩くようになった。


「まだ着かぬのか? まさか、お主の家もこの通り沿いに……?」


 平間もそれを懸念していた。

 いや、新米の役人に与えられる家は新しい建物であると平間は聞いていたから、恐らく違うとは思うのだが、有力な後ろ盾のない彼は軽んじられて、この辺りのあばら家を(あて)がわれても不思議ではない。

 平間はそんな話は聞いたことが無かったが、そもそも今日、聞いたことの無い部署で働くことになったのだから、そう疑ってしまう彼を誰が責められよう。


 不安まみれの平間が、自分と同じく不安げに言う壱子に、無理に笑みを作って返した、その時。


「金が無いなら帰れ、このクズめ!」


 平間たちの歩く通りから一つ逸れた路地から、男の怒声が聞こえてきたのだ。


 平間と壱子が、恐る恐る建物の陰から声のした方を(うかが)うと、そこには若い男と、彼にひざまずく、痩せた中年の男の姿が会った。


 若い男は小奇麗な衛士(えじ)の姿で、どうもこの貧民窟には似つかわしくない。

 状況から考えて、先ほどの怒声は彼のものだろう。


 一方の地にひざを突いた男は、身なりもみすぼらしく、まだ肌寒い季節だというのに薄いぼろを(まと)っているだけだ。

 擦り切れた(そで)からのぞく腕は細く、彼の栄養状態が決して良くないことが分かる。

 恐らくこの貧民窟の住人だ。


 この光景を一目見た平間は、瞬時に理解した。

 これは厄介ごとだ。関わってはいけない。


 予定より新居に到着するのが遅くなってしまっているし、ここは見て見ぬフリをするのが一番だろう。

 命あっての物種(ものだね)。平間が信条としている言葉だ。


 平間の袖を壱子がくいっと引く。

 壱子の方に見ると、真っ直ぐに平間を見つめる彼女と目が合った。


 平間は、念押しするように、小声で言う。


「壱子、分かっていると思うけど……」

「当たり前じゃ。私を誰だと思っておる」


 (おごそ)かに頷く壱子。少し頼もしい。

 やはり彼女は察しが良い。

 こういう時は説明の手間が省けるのは大いに助かる。


 先を急ごう、と平間が壱子に言おうとした時、平間は気付いた。


 壱子がいない。


 どこに行った!?

 ほんの一瞬前は確かにここにいた。

 さらわれたのでは、という恐ろしい考えが脳裏によぎる。

 確かに、見るからに上物だとわかる壱子の着物か目を付けられてさらわれた可能性も……。

 物陰に隠れながら、平間がそこまで考えた時。


 いた。


 壱子は、先ほどの男たちの前に、腕を組んで仁王立ちしていた。


「……あの子なにしてんの??」


 平間はぽかんと口を開け、呟く。

 そんな平間を他所に、壱子は指が空を切る音が聞こえるような勢いで男らを指差し、高らかに言い放った。


「貴様、隠れて弱いものをいたぶるとは、それでも男か! ここに直れ。杉の若木がごとく健全で真っ直ぐになるまで、その腐った性根を叩き直して……お、おい、何をする平間!」

「それはこっちの台詞だ! 関わらないようにするんじゃないのか!?」


 慌てて壱子を抑える平間に、壱子は「何を訳の分からないようなことを」とでも言うように眉をしかめる。


「はなせ! 誤ったことをする人間に遭遇したならば、あるべき正しい姿に矯正する。それが持てるものとして生まれた私の務めであろうに!」


 壱子の台詞に、平間は彼女との「差」の大きさに愕然とする。


 忘れていた、壱子は極端に素直なのだ。

 他人の誤った行動を見たら、それを正さずにはいられない。

 それくらいの予想が出来て然るべきだった。


 しかし一先(ひとま)ずそれはいい。

 巻き込まれる前にここから離れなければ。


「何者だ、貴様ら」


 無理だった。

 平間は恐る恐る声の主の方を見やる。


 ひょろりと背の高い衛士姿の男が、平間に冷たい視線を向けていた。

 その男は、顔を引きつらせた平間を見ると、急に口角を上げる。


「その格好……役人かな? それにその娘、ナリからしてどこぞの名士の娘御(むすめご)であろう。駆け落ちするのは勝手だが、目に付かないようにされよ。さ、行きなさい」


 男の表情は笑顔だ。

 しかしそれは上辺だけで、その目は笑っていない。


 平間の背を、冷たい汗が流れた。

 嫌な予感がする。


 衛士がこんなところで何をしている?

 それに先ほどの「金が無いなら帰れ」という台詞。

 金貸しの取立てか? こんな貧しい男を相手に?

 いや、金貸しなら「帰れ」とは言わないはずだ。


 ……何かを売っている?


 平間は、目の前に立つ衛士姿の男の空虚な瞳に、漠然とした恐ろしさを感じた。

 やはり関わってはいけない。一刻も早くこの場を離れなければ。


 壱子の細い肩に手を置き、平間は媚びるように不器用な笑顔を作る。


「壱子、さあ行こう。へへ、すみません、お邪魔しました」

「何を言っておる。私はこやつらの性根を叩きなおすと言ったのじゃぞ」

「壱子! 駄目だ行こう。頼むから!」


 平間の懇願(こんがん)を無視し、壱子は言う。


「平間、お主は『力ある者がそうでない者を(しいた)げること』が悪だとは思わぬのか?」

「思うけど、今は違うだろ!」

「なにが違うと言うのじゃ」

「何って……」


 平間が言い淀んでいると、壱子はさっさと衛士姿の男らに向き直る。


「全く、いい大人が善悪の区別さえつかぬとは……おや、お主どこかで見たことあるぞ。どこぞの貴族の(さぶらい)だったかな」


 壱子の言葉に、男の作り笑いがサッと消え失せる。

 どうやら図星らしい。


 長身の男は小さく舌打ちすると、腰の刀に手をかけた。


 平間は確信した。

 マズい、殺される。

 刀に手をかけたのは、それを使うからだ。

 そして刀の用途は言うまでもない。

 脅しという可能性もあるが、もしそれが目的ならばそう言えば良い。

 無言である必要は無い。


 ではなぜ無言なのか。

 騒ぎにならないように。

 あるいは相手を混乱させ、より確実に殺すために。


 焦りと恐怖で動けないのに、頭だけは妙に冷静だった。


 どうすれば良い?

 戦う? 無理だ。護身術程度でしか習っていない上に、こっちは丸腰だ。武器を持った男を相手にしても勝ち目は無い。

 説得する? 何を、どうやって!?


「逃げるぞ、平間!」


 そう言うと、壱子は平間の手を取り、駆け出した。

 同時に男も駆け出す。


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