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二話「彼女に餌付けいたしましょう」上

【皇紀五五年三月一日】

 皇都、羊門(ひつじかど)大通り。


 ここは皇都で最も多くの商店が軒を連ねる通りで、庶民や貴族の小間使い、ひいては衛士(えじ)のような軍人など、皇都に住む多種多様な人々が足を運ぶ。

 いわば皇都の物流を支える大動脈と言える場所だ。


 人通りの多いこの通りに、ぐいぐいと歩いてゆく少女と、その少し後を付いて行く少年がいた。

 少年はどこか浮かない顔で、一方の少女も、どこか不機嫌そうに口を尖らせている。

 言うまでも無いが、壱子と平間だ。


 半歩先を歩いていた壱子は、不意に振り返って言った。

「先に言っておくが、お主に私が負けているところなんて無いからな」


 がるる、という威嚇さえ聞こえてきそうな剣幕だ。

 何をこんなに怒っているのか、平間には分からない。

 なんなら怒りたいのはこっちだ、という心地さえする。


「梅乃はああ言っておったが、私がお主に学ぶものなどあるとは思えぬ。結局帰ることになるのに、なにゆえこのように無駄な時間を過ごさねばならんのだ」


 壱子の言うように、彼女は姉の梅乃とある約束をしていた。

 それは「壱子が平間に何か一つでも劣るものがあれば、今後

 平間のいうことを聞くこと」。

 そして「今日一日で劣ったものが見つからなかったら好きにするといい」とも言われている。


 壱子は、自分が平間に負けていることが無いから、さっさと帰りたいと言っているのだが……。


「しかし、今日一日はお主に付き合ってやろう。感謝せよ?」


 平間は嘆息した。

 壱子の自信はすさまじい。

 もはや「傲慢」とも言うべきそれをなんとかして挫いてやりたいとも思う。

 きっとあんな約束をした梅乃も、平間には壱子の(はな)(ぱしら)を折って欲しいのかも知れない。

 しかし、そのためにどうすればいいか、平間には皆目検討も付かなかった。


「そもそも、僕が壱子に勝てるところなんて……」


 まず思いつくのは、体力だ。

 平間も特別体力に自信があるわけではないが、細腕の壱子には勝てるだろう。

 しかし、それでは意味が無い。


 あくまで壱子の自信のあるところで勝負し、そして勝利しなければ、壱子とて負けたとは思わないだろう。

 平間だって、壱子と体力勝負をして勝っても、勝った気にはならない。


 だとすれば……そもそも壱子の自信のあるところは何か。

 となると、家柄と知識だろう。


 しかし家柄はダメだ。

 既に平間は負けているし、いまさら勝てるものでもない。

 残るは知識だが……平間はこれも勝てる気がしなかった。

 しかし、物は試しとも言うし。


「壱子、問題だ」

「ほう? 言うてみよ」

「五臓六腑の中で仲間外れが――」

三焦(さんしょう)か?」

「うっ……その理由は?」

「全身にあるから、じゃろ」


 正解だ。やはり取ってつけたような知識では壱子には太刀打ちできない。


「梅乃さんには悪いけど、諦めるしかないか……」

「なにをブツクサと言うておる。さっさと行くぞ。仕方が無いから今日一日はお主の旅の準備を手伝ってやろう」

「そりゃどうも。でも何から手を付ければ……」

「まずは服じゃろうな」

「服? どうして?」

「森に入るのじゃ、おそらくかなり汚れる。代えの服はあったほうが良い。それにもし万が一、私も同行することになったら、この服では村への旅路ですら動きにくくてかなわぬ。」


 実際、壱子の服装は「さすが貴族の娘」と言える高級感あふれる着物だ。

 これでも略式の格好なのだろうが、確かにこの服では歩幅が狭い。

 森を歩き回ることはおろか、長距離の移動ですら事欠くことになるだろう。


「っていうか、もう森に入ること前提で話が進んでいるんだね……入ったら死ぬかもしれないのに」

「当たり前じゃ。ヌエビトの正体を探る第一歩じゃぞ」

「そうなんだけどさ……」

「情けない……男なら腹をくくれ!」


 そう言うと、壱子は平間の尻を思いっきり平手で叩いた。

 小気味良い音と平間が鈍い悲鳴が同時に通りに響いた。


「だいたい、あの程度の梅乃の色仕掛けにデレデレしおって……男は単純じゃと聞いてはおったが、まさかこれほどとは」

「壱子、今まで男の人と話したこと無いの?」

「話したこと? それくらい、あ、あああ、あるに決まっておろう?」


 壱子はたどたどしく答えると、平間から目を逸らす。


 ははーん、これは何か弱みがあるんだな。

 そう予感した平間はさらに追撃する。


「具体的には?」

「……あ、兄上とか」

「親戚以外で」

「……」

「……」

「……」

「男の人と話したこと、ある?」

「……」

「……」

「……無い。無いぞ。悪いか!?」


 涙目で言う壱子は、追い詰められた子猫のように見える。


「悪くはないけど……」

「いままで屋敷でずっと暮らしておったのだから仕方あるまい。話をするのは世話役の女官か、ちょいちょい遊びに来る梅乃くらいじゃったし、兄上とは何年も会ってないし……。だから仕方ない。そう、仕方ないのじゃ」


 自分を納得させるように頷く壱子。

 ふと平間の頭に一つの疑問が生まれる。


「もしかしてお屋敷から出るのは初めてなの……?」

「いや、二回目じゃな。と言っても一回目はかなり前のことでほとんど(おぼ)えてはおらぬ。であるから、ほとんど初めてじゃな」

「なるほど、世に言う箱入り娘だ」

「それに関してはその通りじゃな。まあ貴族の娘などそのようなものじゃろ。梅乃もほとんど外には出ていないはずじゃぞ」

「梅乃さんも……?」


 独特な性格の壱子が箱入り娘だということには納得できたが、人当たりの良い梅乃もそうなのは意外だ。

 そんなことを考えた平間の心を察したのだろう。

 壱子がジト目で言う。


「言っておくが、梅乃は梅乃でかなりアレな性格じゃぞ。人を手玉に取ったり支配下に置くことが滅法得意じゃし、そのくせ異様に人当たりが良い……特に男には」


 確かに、梅乃の物腰の低い物言いは、誰からも好かれるだろう。

 頷く平間を苦々しく見て、壱子は更に続ける。


「あやつの本性は長く付き合いのある私にも良く分からぬ。裸がどうこうという話があったが、梅乃の本性は本当にどこにも無いかも知れぬな……」


 そう言うと、壱子はぶるっと体を振るわせた。

 かつて梅乃から受けた恐怖を思い出したのか。


 しかし、そんな壱子の様子を見ても、いまいち平間には梅乃がそんな恐ろしい人間(ひと)だとは思えなかった。


「そうかな。梅乃さんがそういう人には見えないけど……」

「まだそんなことを……まあ良い。服じゃ」


 心底呆れたようにため息をつくと、壱子は通り沿いの呉服屋を指差した。

 立派な店構えの、いかにも高級そうな店だ。


「あそこにしよう。行くぞ平間」

「どこに行くって?」

「あそこの呉服屋じゃ。森に入るための服を買う。さ、行くぞ」

「ちょ、ちょっと待った! ダメだって」

「……なぜじゃ?」


 平間がなぜ止めるのかまるで理解できないというような口ぶりで壱子が言う。

 怪訝そうに眉を潜める壱子に、平間は指を立てて一つ一つ説明しようとする。


「なぜって、今から買いに行くのは汚れてもいいような、動きやすくて丈夫な服でしょ」

「その通り。分かっておるではないか」


 どうも話が噛み合っていない。


「あのね、壱子ちゃん。あの服は呉服屋だから、そういう服は売ってないの」

「何を言っておる。呉服屋も服屋じゃぞ?」

「……じゃあ行ってみる?」

「無論じゃ。付いて参れ」


 自信満々で呉服屋に向かって歩いていく壱子。 

 平間は苦笑いして、そのあとを追った。



 ――


 四半刻(およそ三十分)後。


「無いらしい……なぜじゃ……」


 そこには呉服屋の前でがっくりと肩を落とす壱子の姿があった。

 その肩を、平間は慰めるように小さく叩いた。


 ――


 その少し前。


 店に入った壱子と、壱子の身に(まと)った着物を見て、呉服屋の女店主は人目で「金持ちの娘だ」と確信した。

 そして「上客だ」と認定し、遠慮する壱子を半ば強引に、次々と試着させていた。


 艶やかに蝶の舞う紅色の着物や、可愛らしい桜の花が刺繍された薄桃色の着物。

 その他にも様々な服を壱子に着せては


「どう、お気に召しました?」

「いや、その、(わたし)は……」

「あまりお気に召しません? よくお似合いですのに。それではこれは?」

「あっ、ちょっ……」


 というやり取りを何度も繰り返していた。

 その間の平間はというと、軒先でそのやり取りをぼんやりと眺めながら、「まるで着せ替え人形みたいだ」と能天気に考えていた。


 結局、六着目の試着を終えたところでようやく壱子が「じょ、丈夫な服が欲しいのじゃが、あるか……?」という要望を伝えることに成功し、女店主は「そういうのはうちには無いわねえ」と首を横に振った。


 そのときの壱子は口をぽかんと開けて、まるでこの世の終わりのような顔をしていた。


「ごめんなさいね。あんまり壱子ちゃんが可愛いから、おばさんつい気合が入っちゃって。また来てね」


 にこやかに手を振って見送る女店主に、壱子は半笑いで応えて店を出た。


 ――


「だから言ったでしょ」

「店主があんなに押しが強いとは聞いていない……どっと疲れた。やはり外は怖い。帰りたい」


 体を丸めながら言う壱子は、怯えた子猫のようだ。

 そんな壱子に、平間は何の気なしに追い討ちをかける。


「そんなことしたら、梅乃さんに怒られるよ」

「うっ……それは困る。もう当分、怒った梅乃を見とうない」

「でしょ。じゃあ買い物の続きに行こう」

「……わかった。ああ、私もまだまだ知らぬことが多いのじゃな……」


 ヌエビトの話をするときはあれだけ弁が立っていた壱子だが、歳相応かそれ以上に世間知らずなのだろう。

 この歳までほとんど屋敷の外に出ていないなら仕方の無いことだとも、平間は思った。


「そう気を落とさずにさ、これから覚えていけばいいよ」

「そうか……そうじゃな。もしかしたら梅乃もそのつもりで私をお主に同行させたのかも知れぬ」

「……ところで、梅乃さんは君を連れてくる時になんて言ってたの?」

「『ちょっと散歩に行くわよ~』と言っておったが……今思えば大嘘吐(おおうそつ)きじゃな」


 梅乃のおっとりした口調を上手く真似て、壱子が答える。

 確かに散歩に行くと言っていたなら、梅乃は大嘘吐(おおうそつ)きだ。

 どうも梅乃は壱子の扱いがちょいちょい雑な気がする。


 しばし間を置き、壱子は虚空を見上げて不思議そうに言う。


「しかし、私が今まで何度も『外に出てみたい』とせがんでも女官らは許してくれなかったが……どうして今日は許してくれたのじゃろうか」


 外出を許してくれない?

 貴族の娘だとそういうものなのだろうか。

 しかし――。


「梅乃さんの口利きだったら、何があってもおかしくないような気がする」

「……確かにそうじゃな。お主も分かってきたではないか」


 壱子は口角を上げ、冗談めいて言うが、その表情は硬い。

 梅乃という人の底知れなさを感じた平間だった。


「ところで、服とかの必要なものを買う必要経費はあとで貰えるのかな」

「知らぬ。ちなみに私は金を持っていないぞ」

「どうして?」

「散歩に行くつもりじゃったからな」


 片手をひらひらさせて壱子が言う。

 確かにそれなら何も持たずに来るだろうが……。


 立て替えるしかないか……。

 今度は平間が肩を落とした。



 ――――


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