表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

46/60

十九話「心を強く持ちましょう」二



【皇紀五五年三月十六日、夜】



「ねえ、壱子」


 沙和の亡骸の前で、壱子はたたずんでいた。

 粗末な服ながらも凛たる雰囲気を醸し出す壱子だったが、その小さな背中は今にも消えてしまいそうなほどに細い。

漠然とした不安に(とら)われて、平間は再び壱子に声をかける。


「壱子、大丈夫?」


 平間が肩に触れると、壱子の体がびくりと震える。

 しかし壱子が振り向くことも、答えることも無かった。


――


 この日、壱子は沙和の呼吸と鼓動が止まるその瞬間まで、片時もその(そば)を離れようとはしなかった。

 食事も摂らず、皇都の屋敷から持ち出したいくつかの書物をしきりにめくっては、ハッと何かに気付いたような顔をして、しかしすぐに力なく首を振るのを繰り返す。

今になって思えば、そのときの壱子はきっと沙和を助ける糸口を探そうと必死にもがいていたのだろう。


 先ほどから声をかけている平間だが、だからと言って何を言うべきか分かっているわけではない。

 ただ、壱子を今のままにしてはいけない、その一心だった。

 無策な自分の至らなさに、平間の顔も俯きがちになってしまう。


「……不思議と」


 おもむろに出た壱子の声に、平間は跳ねるように顔を上げた。

 それとは対照的に、壱子はやはり微動だにせず、続ける。


「不思議と、涙は出ぬものじゃな」


 まるで他人事のように言う壱子の表情は、平間からはうかがい知ることは出来ない。

 そしてそれに返すべき言葉も、平間は見つけられないでいる。

 走行しているうちに、壱子が再び口を開いた。


「平間、これからのことのために、少し私の昔話を聞いてくれぬか」


 壱子の言う「これからのこと」が具体的に何を指すか分からなかったが、平間は「分かった」と短く返した。

 その返事から少し間を置いて、壱子が続ける。


「ありがとう。もしかすると、これを聞いたらお主は私のことが嫌いになるかも知れぬ。そのときは……そうじゃな、明日の朝にまで泊めてくれ。お主が起きるまでには姿を消しておこう」


 あまりに突飛な壱子の申し出に、平間は眉をひそめて黙り込む。

 壱子が何を考えているか、あるいは何を言いたいのか、平間には皆目見当が付かなかったからだ。

 平間が何も言わずにいると、壱子はさらに付け加える。


「それと……一応いまの内に言っておこう。お主はまず間違いなく皇都に戻ることが出来る。私は、もしお主の許婚だとしか思われていなかったら。分からぬ」

「壱子、さっきから何を言っているか全く分からない。頼むから、ちゃんと分かるように言ってくれ」

「すぐに分かるはずじゃ。次に日が昇り、沈んだころには恐らくな。そんなことより、私はお主に今、話しておきたいことがある。済まぬが、我慢して聞いてくれ。これは私と親しくしてくれたお主への、心からの願いじゃ」


 そこまで言って、壱子は振り向いた。

 彼女の顔は青く、小刻みに震えている。

 その異様な雰囲気に、平間は思わず壱子の肩に手をかける。

 少し骨の浮いた、細い肩が跳ねた。


「壱子、何をそんなに怖がっているんだ!?」

「平間、お主は役人じゃ。だから帰ることが出来る。しかし、私や隕鉄は違う。必要とされていない。沙和もそうであった。もしかしたら、既に私も……ああ、考えても仕方ないことは考えるべきではないな。すまぬ、今は私に話をさせてくれ。そして、私を(おぼ)えておいて欲しい」


 唇を青くしながらも真っ直ぐに見つめる壱子に、平間はただうなずくことしか出来ない。

 平間の是認を受けて、壱子は安心したように息を吐くと、無理やり笑みを作って言う。


「これから昔話をしよう。少し長くなるが、聞いておくれ」


 それは、どこか上ずった声だった。

明るい雰囲気を作ろうとしているのか、と平間は思ったが、実際はどうか分からない。


「私はな、平間、今までに泣いたことが一度だけあるのじゃ」

「泣いたこと? それって、壱子のお母さんが……?」


それは口を付いて出た言葉だったが、「亡くなった時か」と言う前に平間は思いとどまる。

 同時に、壱子が驚いたように目を大きく開いた。

しばらくそうしていたが、迷うように視線を上に泳がせると、さっきよりは少しだけ上手な微笑を作った。


「知っておったのか。梅乃から……ではないな。隕鉄から聞いたのか?」


 なぜか後ろめたさを感じた平間は、無言でうなずく。


「そうか。いや、別に言う機会が無かっただけで、隠すつもりは無かったのじゃ。しかし、違う。その時ではない」

「違う?」

「ああ。私はな、母上が死んだときにも涙を流すことは無かった。心の底から慕っていたのにも関わらずじゃ。しかしいま思えば、私も幼かったから、母上の死の意味を分かっていなかったのかも知れぬ」

「だったら……」

「どうして泣いたのか、じゃな。まあ、もったいぶってする話でもないが……」


 そう言って、壱子はなぜか恥ずかしそうに片側の口角を上げる。


「私の母はいわゆる後妻(ごさい)でな。梅乃は一人目の母の(はら)じゃから、私にとっては異母姉妹ということになる。ああ、義理の母は生きておるし、恐らく悪い人間ではない」


 恐らく、と言うのは、あまり交流が無いからだろうか。

 平間にはよく分からないが、貴族の義理の親子の間柄はそんなものなのかもしれない。


「しかし昔の私は引っ込み思案で、歳の離れた梅乃とすら中々打ち解けられなかった。八年前に母上が死んだあとは、その人見知りがもっと酷くなってしまってな。そんな時、一人の女官が私に付いた。その時の父上は私にあまり感心を持っていなかったから、梅乃が気を使って父上に働きかけてくれたのかも知れぬ」

「もしそうなら、梅乃さんは(いちこ)思いなんだな」

「ああ、自慢の姉じゃ。当時の梅乃と同じくらいの歳になったが、私が同じように気を回せるとは思えぬ。しかし自分ではなく女官を付けさせる辺りは、肝心なところで自信の無いと見える。そういうところは、今も昔も梅乃らしい。いざと言うときにしり込みするから、器量よしなのに婚期を逃すことになる」


 かすかにだが、作り物でない笑顔を壱子は浮かべる。

 その表情に、平間は少し安心する。


「話を戻そうか。その女官は若く、裏表の無い性格じゃった。名は和泉(いずみ)と言っていたが、本当の名かどうかは分からぬ。貴族に下仕えする者には、名などあって無いようなものじゃからな。和泉と私が出会ったころは多分、和泉は今の平間と同じくらいの歳だったはずじゃ。決して知的ではなかったが、快活で明るく、正義感が強かった。間違っていると思ったことは、相手が誰であろうと意見するような女じゃった」


 言葉を切って、壱子は息を吐く。

 長く話して疲れたのか、あるいは次にどう言葉を(つむ)ぐべきか考えているのか。

 恐らく後者だろう。


 平間は「和泉はまるで沙和みたいだ」と思ったが、さすがに今それを口にするのは(はばか)られた。

 どう相槌を打つか迷っている内に、壱子が再び口を開く。


「それに対し、私は見ての通り口下手で根暗(ねくら)じゃ。屋敷のはずれにある一室に(こも)って、母上が(のこ)した絵巻物ばかり読んでおった。そんな私に、和泉は『ちゃんと食事を()れ』だの『暗いところで本を読むな』だのと口うるさく言って来おったのじゃ。一介の女官が、大貴族の娘にじゃぞ? まるで考えられぬ」

「その和泉さんに、壱子はどうしたんだ」

「無視したり、睨んだり、逃げたり、まあ色々じゃ。今ならそんなことはせぬが、私もまだ若かったからのう」

「若かった、ねぇ……」


 壱子より年上の平間は、突っ込む気も起きない。

 平間の呆れ顔を、壱子は怪訝そうに眺める。


「まあ良い。しかし、無遠慮に人の領域にぐいぐいと入り込んでくる彼奴(きやつ)の性分は意外に私と合って、次第に私も和泉に気を許していった。それに、私に注意しに着た和泉と一緒に本を読めば、小言を聞かなくて済むことにも気付いていた。その辺りでは、私もソツが無いじゃろう?」


 いたずらっぽく笑う壱子は、しかし、すぐに悲しそうに目を伏せた。


「そうやって打ち解けていったある日、父上は医事方(いじかた)と私に目を付けた。平間は医事方について、どの程度知っておる?」


 壱子の言う医事方(いじかた)とは、皇国の役所の一つだ。

 その名の通り、医学や疾病(しっぺい)についての知識を集約したり、研究を行ったりしていると聞く。

 しかし、平間は医事方が具体的に何をしているのかを知らなかった。


 そのことを平間は正直に壱子に伝えると、予想通りだといわんばかりに頷く。


「そうか。まあ仕方があるまい。医事方に蓄えられている知識はほとんど外部には持ち出されておらぬ。ツツガムシについての情報も開示されたのは九年前じゃが、調査自体は十五年前に終わっておった」

「ちょっと待ってくれ。素朴な疑問なんだけど、どうして隠す必要があるんだ? 病気について分かっていることがあるなら、広く知らしめて対策を取った方が良いと思うんだけど」


 平間の至極まっとうな意見に、壱子は顔をしかめる。


「その通りじゃ。しかしな平間、知識は力なのじゃ。多くを知っている者は、そうでない者に対して優位に立つことが出来る。医事方を牛耳っているのが一部の貴族であると言うこともあって、医事方は己が持つ情報を開示したがらない。情報は広く知られると、その情報を得ている優位性が失われてしまうからじゃ。それに医事方が何かを開示したとしても、それを閲覧できるのは薬学術院などのごく一部の者たちだけじゃ。おそらく医事方が得ている情報のうち、民草(たみぐさ)が知っているものは極々一部じゃろう。いや、あるいは皆無かも知れぬ」


 壱子の言葉に、平間はあることに気付いた。

 それは、とても恐ろしい事実だ。


「そんな……だとしたら、勝未村で出たツツガムシの犠牲者は、完全に無駄死にじゃないか。だって、村の人たちがツツガムシについて知っていたら、たくさんの人が死ぬことは無かったのに……!」

「そうじゃな。しかしそれは、もともと薬学術院にいた皿江が本当にツツガムシのことを知らなかったら、の話じゃが」


 壱子の言うとおり、かつて皿江は壱子の「ツツガムシについてあらかじめ知っていたのでは」という追求に首を横に振った。

 もし本当に知らなかったのなら、村長である彼の後悔のほどは想像を絶する。

 しかし、実は知っていたとすると……?


 そこまで考えたが、平間が結論を出すことは出来なかった。

 平間が考え込んでいると、壱子が話を戻した。


「さて、医事方じゃ。医事方を主に取り仕切っているのは枕草(まくらくさ)という貴族の一族で、医事方の長も枕草の者じゃ。そして枕草は、私の生家である佐田と相争っている。そこで父上は、枕草の牙城をどうにか切り崩せないかと常に考えていたらしい」

「枕草、ねえ……でも結局対立している同士なんでしょ? その枕草と壱子が、何の関係があるわけ?」

「私も、何も関係ないと思っていたよ。しかし、父上は権力争いに関しては天才的で、使えるものは何でも使うような人じゃ。無論、私もその道具の一つじゃった」


 壱子の言葉に、平間はなんとなく嫌な予感がよぎる。

 貴族の娘を「使う」と言う時は、それは得てして政略結婚を指すことが多いからだ。

 平間は知らず知らずに浮かない顔をしていたのか、壱子が怪訝そうに平間を見る。


「妙な想像をしておるのかも知れぬが、多分違うぞ」

「え、いや、そういうわけじゃ……」

「とりあえず話は最後まで聞け。医事方では、記録を紙には取らぬのじゃ」

「紙に記録を取らない? なんで?」


 平間の問いかけに、壱子はうんざりしたような顔を作る。


「老人にありがちな考えじゃ。紙は技術としてまだ新しいじゃろう? そう、少なくとも竹簡や木簡よりは。すると、古い人間は新しい物に、やれ『無粋だ』だの『軽率だ』だのと言って受け入れようとせぬ。そして、この国で古い人間が最も多い人種は何か分かるか」

「……貴族か」

「正解じゃ。そのせいで、医事方はこの国で最も進んだ知識を有しておるにもかからず、最も古い考え方をする人間によって支配されているのじゃ」

「なるほどね……じゃあ、医事方では紙を使わずに、竹簡なんかに記録を取っているわけだ」

「残念じゃが、それも違う。竹簡が使われるのは、一時的に情報伝達するときのみじゃ。そしてそれらは、役目が終われば即座に焼き捨てられる」

「だったら、何に記録するって言うんだ? 紙でも竹間でも木簡でも無いんだったら、記録できるものなんて何も……」


 平間がそう言うと、壱子は黙って自分のこめかみを、トントンと指で叩いて見せた。

 一瞬、平間には壱子が何を意図することが分からなかった。

が、少し迷って、ハッと気が付く。


「……壱子、それ本気で言ってるの?」

「本気じゃ。無論な」


 到底信じられない平間は、恐る恐る確認する。


「つまり、医事方の記録は人が記憶することで保たれているってこと?」

「そうじゃ。非効率的じゃろう?」

「うーん、少なくとも僕だったらそうはしないかな」

「同感じゃ」


 少しだけ表情が柔らかくなってきた壱子に、平間は浮かんできた疑問をぶつける。


「で、その医事方が何なの? 今までの話だったら、壱子とは何の関係も無くない? ……まさか」

「勘が良いな。その通りじゃ」


 壱子は何でもないことのように言うと、小さく息を吐き、そして口を開いた。


「私の頭には、医事方の全ての記録が入っておる」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ