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十九話「心を強く持ちましょう」一

 長くなってきた日が、すっかり暮れていた。

 平間は次々と流れ落ちてくる汗を、擦り切れた布切れで拭った。

 手に持った(すき)を地面に突き刺して、大きく息を吐く。


「おお、ずいぶん進んだのう」


 頭上から響いた声に平間が振り向くと、胸元に若草色のものが投げ込まれる。

 竹で出来た水筒だ。

 平間が顔を上げると、こちらを覗きこむ壱子の顔があった。


「どうした平間、ため息なんて吐いて。何か悩み事か?」

「ある女の子がね、僕の事をこき使うんだ」


 平間は土に汚れた両手を広げて見せて、わざとらしく顔をしかめる。

 しかし壱子は、平間の皮肉を笑って流す。


「そうか。さぞ器量の良い娘なのじゃろうな」

「よく言うよ。自分で言ってたら世話が無い」


 平間は苦笑して、受け取った水筒に目を落とす。


「これは?」

「疲れたじゃろう? 裏の井戸で汲んできたばかりじゃから、冷たいぞ」

「珍しい。壱子にしては、ずいぶん気が利くんだね」

「そうじゃろう? 私にしては、は余計じゃがな。さて……あとどれくらいかかりそうじゃ?」


 壱子は、平間の足元に視線を向けて尋ねる。

 その問いかけに、平間は肩をすくめる。


「一人だと三日はかかるかな。それも、ぶっ通しでやり続けたら、の話だ」

「なるほどのう……」

「あのさ、早く終わらせたいんだったら、壱子も手伝ってよ」

「そうしたいのは山々じゃが、あいにく私は箸より重い物を持ったことが無い。(すき)を持って土を掘り起こすことなど、夢のまた夢じゃ」


 そう、平間が今までやっていたのは、宿舎の一角の畳をはがして穴を掘っていたのだ。

 数刻掘り続けて、ようやく平間の頭が地面から隠れる程度の深さになっている。


 どうしてこんなことをさせるのか平間も壱子に聞いてみたが、壱子は「内緒じゃ」と笑って教えてくれなかった。

 平間を労役に従事させた諸悪の根源である少女は、相変わらずにこやかに続ける。


「ま、隕鉄が帰ってくれば(はかど)るじゃろう。引き続き頼むぞ、平間」


 そう言い残して、壱子は踵を返そうとする。


「壱子、どこに行くんだ?」

「私は私でやることがあるのじゃ。ではの」


 壱子は少しだけ振り向いて、ひらひらと手を振ってみせる。

「全く、自分勝手な……」と呟いて、平間は壱子に渡された水筒に口を付けた。


「……美味いな」


 火照った喉を降りていく冷たさで、少しだけ平間にやる気が戻った。



――



 その日の夜、沙和が痙攣(けいれん)を起こした。

 最初に気付いたのは壱子で、沙和があまりに眠り続けているのを心配し、何か食べないかと声をかけに来た時に発見した。

 眼球を上向きにしてほとんど白目をむきながら、手足を硬直させて身体をしきりに震えさせる沙和の姿は、どう考えても異常という他無い。

 壱子の顔が、一気に青くなった。


 彼女がまず考えたのが、外部から進入した者に何か危害を加えられたのではないか、ということだ。

 殴られたりして脳に強い衝撃が加わると、こういう風に痙攣を起こすことがある。

 この場合、危険だ。


 痙攣を起こしてもすぐさま死に繋がることは少ないことを知っていた壱子は、すぐさま平間を呼びに行き、顛末(てんまつ)を説明して周囲に怪しい人影が無いか探させた。

 それと同時に、「少し探したらすぐに戻れ」とも伝える。

 と言うのも、もしその人物に遭遇したら平間自身が危険だということと、そもそも壱子自身がこの仮説にはあまり望みが無いと考えていたのだ。


 平間と分かれて沙和の元に戻った壱子は、持てる知識を総動員して沙和と周囲の状態を詳しく調べ始める。

まだ沙和は痙攣を起こしていたが、今の壱子にはどうすることも出来ない。

 出来るのは、痙攣が治まることを祈るだけだ。


 部屋には荒らされた形跡は無く、同時に争ったようにも見えなかった。

 ということは、もし誰かが危害を加えたのなら、眠っている沙和に何かしたと言うことか。

 いや、そもそも――。


「何者かが侵入したわけではないのか……?」


 仮に進入していたとして、沙和を痙攣させるほどの暴行を加える必要がどこにある?

 脅しだろうか?

 だとすれば、隕鉄を皇都にやった自分の判断が恨まれる。


 そこまで考えて、壱子は思い直した。

 沙和を見れば良いじゃないか。

 何が暴力を振るわれたなら、それ相応の後が残っているはずだ。


「私としたことが、冷静さを失うとは……」


 壱子は沙和に近寄って、頭を中心に何か異変が無いか、注意深く観察し始めた。

 しかし、目に見える範囲ではアザのようなものは確認できない。

 暴力を振るわれていない確立が増えた。

しかし、仰向けで倒れている沙和の後頭部に何か痕があるかもしれない。

それを確認する必要があるが、痙攣が治まってからだ。

 壱子はふとした拍子で沙和が怪我をしないよう、周囲のものを片付けて沙和の様子を見守る。


 もし沙和の痙攣の原因が怪我で無いとしたら?

 壱子が沙和と共に過ごしたのは二十日にも満たない僅かな時間だけだが、痙攣を起こすような兆候は見られなかった。

 もし持病があるのなら言ってくれてもいいだろうに、とも思う。

 それくらいの間柄になったと、少なくとも壱子は自負していた。


 しばらくして、沙和の痙攣が治まった。

時を同じくして、平間が戻ってくる。

 気を揉んでいた壱子にとってその時間は数刻ほどにも感じられたが、実際はほんの短い時間だったのだろう。


「壱子、沙和さんの様子は?」

「今しがた落ち着いたところじゃ。平間、手伝ってくれ。そっと、そっとじゃ」


 壱子は平間とともに沙和の身体を横向きにさせる。

 沙和はぐったりしていて、華奢な彼女の見かけ以上の重さを感じる。

 そして平間に沙和の頭を抱えさせ、自分は後頭部に以上が無いか確かめ始めた。

 おそるおそる髪に手を触れるが、手に血が付着したりというようなことは無い。

 地肌を確かめてみても、怪我をしている様子は無かった。

 それと同時に、壱子は自分の手が震えていることに気付く。


 動揺しているのか。


「私らしくないな……。よし平間、沙和を元の姿勢に戻そう。怪我をしているわけでは無さそうじゃ」

「分かった」


 再び慎重に沙和の身体を動かし、もとの仰向けの状態にする。

 次に壱子は、沙和の観察を始める。


 胸は上下しているから、呼吸はある。

 脈も触れた。

 心臓が動いている。

 しかし、どちらも弱い……気がする。


 壱子には知識はあったが、それはあくまで知識で、経験が全く無かった。

 そのため、どうしても自分の判断に確信が持てない。

 不甲斐なさに、壱子は歯噛みする。


「いや、こんなときこそ私が落ち着かねば……」


 自分に言い聞かせるように呟くと、壱子は両手で挟み込むように自分の頬を叩いた。

 高く小気味良い音が部屋に響く。


「沙和、わかるか? 頼む、目を覚ましてくれ」


 改めて、すがるように肩を叩いて呼びかけても、やはり沙和が目を覚ます素振りは無い。

 壱子の胸の中を、焦燥感が覆っていく。

 落ち着かなければ、と自分に言い聞かせて、それを押さえつけようとしても、焦りや不安は立ち込める煙のように広がり続けるばかりだ。


「壱子、沙和さんは……」


 同じく不安げな表情を向ける平間にも、今回ばかりは苛立ちを覚える。

 そんな自分が嫌になって、壱子は自分の感情が滅茶苦茶になっていくのを覚えた。


「いま考えておる! だから、少し待ってくれ」

「あ、ああ……」


 張子人形のようにうなずく平間。

 そんな彼を見ていると自己嫌悪がどんどん大きくなっていくようで、壱子は思わず目をそむけた。


 目の前には、ぐったりとした沙和の顔がある。

 どうしてこんなことになった?

 壱子には、それがさっぱり分からない。

 博識を自負してきた自分の愚かさが、嫌で嫌で仕方が無い。

 まとまらない思考と共に、壱子の視界はぐるりと歪んでいった。



――



 翌日、ついに答えは出せぬまま、沙和は静かに息を引き取った。




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