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十八話「あやかしから友を護りましょう」下


 平間と壱子が夕食を用意し終えたころ、外では妙に風邪が強く、時折唸り声のような音が宿舎に響いていた。

 そんなことにはお構いなく、調理の後片付けをしていた平間に、長い髪を後ろで一つ結びにした壱子が浮かない顔で言う。


「沙和のやつ、食べてくれるかな。私が手伝ったと言ったら嫌がったりしないじゃろうか」


 壱子は、手元の盆に載った食事に目を落とす。

 これは部屋から出ない沙和に持って行くために、壱子が取り分けたものだ。

「何を作るか」は壱子が、実際の調理は平間が主体になって作られたこの一食は、野菜を中心にして栄養面でよく考えられていて、平間から見ても病み上がりには最高だと太鼓判を押せるものだった。


「心配ないよ。よく出来ているから、沙和さんも喜んでくれる。僕が風邪を引いたときにも作って欲しいくらいだ」

「それは……求婚か? やぶさかではないが、場所や状況にもこだわって欲しかったが……」

「違う。一般論だ」


 平間はそっぽを向きつつ、即座に否定する。

 壱子はしかし、ホッとしたように微笑む。


「まあ良い、安心した。ありがとう」

「どういたしまして。じゃあ持って行こう。そのあと僕らも食べよう。なんなら沙和さんも一緒に食べればいい」

「一緒に、か。お主、やはり迷信の類は信じぬのじゃな」


 壱子が眉をひそめながら言うのは、「(けが)れ」という概念のことだろう。

 これは皇国で広く信じられている考えで、病に罹った者や死んだ者には触れるべきではないというものだ。

 そのため、例えば縁者に死者が出た場合には「穢れがついている」として出仕が免除されるし、ある道に行き倒れた者がいたらその道はしばらく通らない。

 今回のように病人が出たときも同様で、病人は部屋に隔離されることが多く、ましてや食事を一緒に摂るなんてことは無い。


 とはいえこの風習が根付いているのは貴族などの比較的上流階級の者が中心で、平間のように庶民出の者にはイマイチ一般的ではない。

 これはおそらく、穢れというものを認識しながらも、これを無視してより効率的で現実的な行動をしなければならないという、彼ら貧しい者たちの切実な現状ゆえだろう。

 逆に壱子の生家である佐田氏のような大貴族では、穢れは十分にその行動を変容させるものだ。

 壱子が平間の提案にどうしても乗り気になりきれないのは、こういった感覚が周囲でありふれているゆえに自然と根付いているからかもしれない。


 平間は壱子の反応が(かんば)しくないので、戸惑いつつも口を開く。


「いや、壱子の家じゃそういうことはしないか。無理強いはしないよ」


 こういう感覚は理屈じゃないのだ。

 必要なところで折り合いをつけなければならない。

 しかし、壱子の返事は平間の予想に反するものだった。


「とんでもない! そういう迷信じみた風習は意識して変えねばならぬ、と常々思っていたところじゃ。いい機会じゃ、沙和も呼ぼう。無論、沙和が首を縦に振ればの話じゃが」

「そう? 貴族の間じゃそういうのは嫌がるものだと思ってたけど」

(やまい)は気から、というではないか。こと沙和に関して言えば、誰かと話しながら食事をする方が喜ぶに決まっておる。もし沙和を部屋に一人にして黙々と食事をさせてみよ、それこそ元気が無くなってしまうではないか」


 なるほど、壱子の言う通りかもしれない。

 しかし、身近に存在したはずの風習を、理屈だけでこうもあっさりと切り捨てることが出来るとは。

 これも壱子の理性によるものか。

それとも、今まで彼女の言葉の端に見え隠れしていた貴族社会への反感によるものか。


 平間は素直にうなずいて、沙和のいる部屋の方を顎で示した。


「たしかに、それもそうだね。じゃあ呼んでこよう」

「うむ!」


 快活に返事を返した壱子は、盆の上の汁物をこぼさないように、そろそろと慎重に歩いていく。

 普段の自信たっぷりに堂々と歩を進めていく姿を見慣れているからか、平間には今の壱子の姿はどこかおかしかった。

 そんなにこわごわと持っていくのなら机にでも置いておけばいいのに、と思わなくは無いが、壱子は自信作の料理をなるべく早く沙和に見せたいのだろう。


「沙和、起きておるか?」


 沙和の部屋の前で足を止めた壱子は、もし寝ていたら起こしてはいけない、と考えたのか、声を抑えて問いかける。

 しかし、返事は無かった。


「沙和さん、寝ているのかな?」

「いや、よく聞いてみるのじゃ」


 真剣そうな顔をした壱子に言われ、平間は耳を澄ませる。

 すると、部屋の中からブツブツと独り言が聞こえた。

 沙和の声だろうか。

何かを言っているのは分かるが、しかし何を言っているのかは分からない。


 どうしようか、という思いを込めて、平間は壱子に視線を送る。

 目が合った。


「心配じゃ、そっと見てみよう」


 平間はうなずいて、両手のふさがった壱子の代わりに部屋の障子に手をかける。

 少しだけ開いた障子の隙間から、平間と壱子は重なるようにして部屋の中をうかがった。


「えっ……!?」


 目には言った光景に平間は驚き、思わず声を漏らした。

 部屋の中は滅茶苦茶になっていた。

布団や沙和の持ってきた服、昼食として置いておいた皿が部屋のあちこちに散らばっている。

畳にはところどころにシミがある。

昼食の汁物がこぼれたのだろうか。


 沙和の姿は……と平間が視線を動かすと、いた。

 部屋の右奥でこちらを向きながら立ちすくんでいる。

 その異様な光景に、壱子はおずおずと口を開く。


「えっと……沙和? 一体何があったのじゃ?」


 壱子の問いかけに、沙和は微笑む。

 その笑顔にどこか異質なものを感じて、平間は思わず顔をこわばらせた。

 しかし、沙和は笑顔を貼り付けたまま言う。


「壱子ちゃん、こんばんは。元気? 本当、ひどいよね」

「ああ、元気じゃが……お主こそ大丈夫なのか?」

「うん、危なかったけどね。ああ、この部屋も片付けないと」


 そう言って、沙和はおもむろに部屋に散らばった食器を集め始める。

 平間をえも言われぬ違和感が襲う。

 昨日、洞窟で沙和を見つけたころから感じていた、あの違和感だ。

 チラリと傍らに視線を向ければ壱子も同じように感じているのか、困惑と不安の入り混じった難しい顔をしていた。


「沙和、この部屋は?」

「ヌエビトだよ。いきなり入ってきて、部屋を滅茶苦茶にして帰って行ったんだ」

「……そうか」


 壱子は低く呟くように言って、せわしなく片づけを続ける沙和に近付いて行く。


「のう沙和、片付けは私がやろう。お主は休んでおれ。そうじゃ、私が平間と一緒に夕食を作ったのじゃ。お主の身体にも良いように考えて作ったのじゃが、どうじゃ、食べぬか?」

「何、壱子ちゃんはヌエビトの仲間なの?」

「……え?」


 漏れ出るような間の抜けた声を上げて、壱子は口を開け目を見開く。

 平間にも、沙和が何を言っているのか分からなかった。

 そんな二人の反応を見た沙和は、語気を荒げてさらにまくし立てる。


「ほら、やっぱり図星なんだ。平間くんも黙っているってことは、共犯だったんだね。だからヌエビトが入ってきたんだ。二人してヌエビトを招き入れて、私の部屋を滅茶苦茶にしたんでしょ。最初からそうだったんだ。私は信じていたのに!」

「沙和、何を言っておるのじゃ! そんなはず――」

「やめて、言い訳なんか聞きたくない!!」


 たしなめようとする壱子を、沙和は凄まじい剣幕で威圧する。

 壱子は小さな声を漏らして怯み、身体を震わせる。

 その目尻に、じんわりと涙の粒が浮かんだ。


「お、おい、落ち着くのじゃ……」

「まだ言うの!? いい加減にしないと……!!」


 沙和が右手を振り上げる。

 まずい。

 そう思うが早いか、平間はとっさに前に出て沙和の手を掴む。


「沙和さん、いい加減にしてください!」

「なんなのよ二人して……! 分かった、ヌエビトを私にけしかけただけじゃなくて、私の家族も二人が殺したんでしょ? 私に酷いことばっかりして、父さんと母さんと研介(けんすけ)の次は私を殺すつもり? 本当に最低。痛いから、離してよ!」


 かつて亡くした家族の名を叫んだ沙和は、自らの手首を掴んでいる平間の手に噛み付こうとする。

反射的に、平間は手を放した。

 平間から開放された沙和は自由になったのをいいことに、傍らに落ちていた端を掴み、平間に襲い掛かった。


「ちょっ、さすがにそれはシャレになりませんって!!」


 平間は戸惑いながらもそれをかわすと、壱子を後ろにかばって立った。


「壱子、沙和さんはどうなってるんだ!?」

錯乱(さくらん)しているのは確かじゃが、詳しいことは分からぬ!」

「なら、どうすれば」

「他害だけでなく自称の可能性もある。このままでは私たちだけでなく、沙和も危険じゃ。取り押さえられるしか……無いじゃろうな」


 泣きそうな声で言う壱子に、平間はうなずく。

 壱子だってこんなことを言いたくは無いのだろう。

 そんなことは痛いほど分かる。

 言わずもがな、平間だって同じ気持ちだ。


 平間は決意を込めて小さく息を吐くと、目を血走らせて肩で息をする沙和を凝視する。

 

「すみません、沙和さん」


 先に詫びて、平間は沙和に近付いた。

 そして興奮して殴りかかってくる沙和をいなし、その手をとって腋に挟む。

体重をかけてすぐさま足を払うと、沙和の身体がふわりと浮き上がり、散らばったままになっていた敷布団の上に、ばふん、と気の抜けた音と共に落下した。

 平間が沙和を押さえ込んだ格好になったが、沙和がじたばたと暴れている。


 沙和の動きを抑えることは出来たが、このままでは(らち)が明かない。

 それに病み上がりの沙和を無理やり抑えつけるのは、身体に負担をかけることにもなる。


「平間、これを使え!」


 そう言うと、壱子は自分の髪を結んでいた緑色の飾り布を平間によこす。


「沙和には悪いが、これで後ろ手に結めば動くことは出来なくなる。落ち着くまで、大人しくしてもらおう」

「……そうだね」


 悲痛な顔で言う壱子に平間はうなずいて、沙和の両手を背中の後ろで縛ろうとする。

 沙和も抵抗するが、力でも体勢でも平間のほうが上だ。

 労せず沙和の腕を縛り上げることができた。


「なにすんのよ! (ほど)いて、解きなさい!!」

「そうしたいのは山々ですけど、ひとまず落ち着いて……」

「こんな状況で落ち着けって言うの!?」


 沙和の言い分はもっともだ。

 そう思ってしまった平間は、壱子に視線を向ける。

 しかし、壱子は目を伏せてただ首を振るだけだった。


「すみません、しばらく座っていてください」


 平間は詫びつつ、沙和を壁にもたれかかるように座らせた。

 それから、改めて周囲の状況を確認する。

 部屋は、入ってきて時にも増して乱雑に散らばっていた。


「……片付けようか、平間」


 壱子はそう呟いて、床に落ちていた木の食器を拾い上げる。

 あらかた片付けて平間と壱子が広間に戻ると、すっかり冷めた夕食が、ぽつんと置かれていた。



――


【皇紀五五年三月十五日(翌日)】


 沙和は、昨日とはうって変わって落ち着きを取り戻していた。

 前日の夜には夕食を摂らずに暴れ、悪態を吐いていたが、今日の昼ごろには自由にしても部屋でジッとするようになっていた。

 口数も少なく、むしろ落ち着きすぎている、と言ったほうが良いかも知れない。


 そんな沙和を一人にしておくわけにもいかず、平間と壱子はこの日も沙和と共に宿舎に留まることにしていた。

 昼過ぎに報告用の書類をあらかた書き終えて、手持ち無沙汰になった平間は沙和のいる部屋の前へ向かう。


「沙和さん、入っていいですか」

「平間か。入っていいぞ、静かにな」


 返事をしたのは、看病していたのであろう壱子だった。

 言われたとおりに、平間はそっと障子を開けて部屋の中に入る。


「壱子、沙和さんの様子は?」

「落ち着いている。ついさっき寝入ってしまった。相変わらず微熱があるが、きっと数日以内に良くなるはずじゃ。あわやツツガムシか、とも思ったが」

「ツツガムシ? でも壱子は『沙和さんにはツツガムシの刺し口は無い』って言ってたじゃないか」

「その通りじゃ、しかし、腋下(えきか)など見えぬところにあって見落とした可能性も捨て切れなかった。昨日、沙和が暴れだしたときなど、生きた心地もせなんだ」


 自らの腕をさすりながら、壱子は不安そうに言う。

 しかしすぐに柔らかい笑みをたたえて、眼前で寝息をたてる自らの友人に安堵の視線を送った。

 この十数日間で、壱子にとって沙和は本当にかけがえない友人となっていたのだろう。


「でも、それなら安心だ。それで、隕鉄さんはまだ帰ってこないの?」

「ああ。あやつは行ったっきり中間報告など寄越さぬし、そもそもそんな手段も無いじゃろう。もうじき帰ってくるとは思うが、そればっかりはなんとも分からぬ」

「そっか……。さすがに僕たち二人だけじゃ身動きが取れないから、早く帰ってきて欲しいんだけど」

「そうは言うが、いま私たちが森に行ったところで、もうすることは無かろう?」


 壱子の予想外の言葉に、平間は目を丸くした。

 

「することが無い? いくらでもあるじゃないか。あの白骨の正体だって、洞窟の横穴にあった畑だって、何よりヌエビトの正体だって……!」

「ヌエビトはおらぬ。多分な」

「多分? ずいぶん君らしくないことを言うじゃないか」

「いいか平間、私たちは森のあちこちを探し回ってきたにもかかわらずヌエビトは見つけられていない。なら、ヌエビトはいないと考えるのが筋じゃ」


 当たり前だ、と言わんばかりにつまらなそうに言う壱子。

 そんな彼女がどうにも受け入れがたく、平間は不機嫌になって腕を組む。


「でも、沙和さんがいなくなった日の夕暮れに見た、あの異様な影は?」

「あれはヌエビトではない。どちらかといえば、路傍(ろぼう)の石じゃな」

「路傍の石?」

「なにものでもない、ということじゃ」


 そう言って、壱子は沙和が使ったのであろう食器を盆に載せて立ち上がった。

 どうも釈然としない平間は、食い下がるように言う。


「ちょっと壱子、もう少し詳しく――」

「そうしたいのは山々じゃが、今は無理じゃ。存在しないことを証明することほど難しいものは無い。大人しく隕鉄が帰ってくるのを待とう」

「そんな、大人しくなんて――」

「待てぬ、のであれば」


 振り返って、壱子はニヤリと笑う。

 久しぶりにこの表情を見た気がする、と思うと同時に、平間は嫌な予感に襲われる。


「では平間、付いてまいれ?」


 遠くにいるだけのヌエビトより、近くで悪い笑みを浮かべた壱子のほうが怖い。

 平間は心底そう思った。



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