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十八話「あやかしから友を護りましょう」中

――


「嫌だ! 嫌、やめて、来ないで!!」

「ちょっと沙和さん、暴れたら……」

「怖い怖い怖い怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い!!!」


 沙和の悲痛な叫び声に、平間は何度も足を止めそうになる。

 しかし、ここで止まっては(らち)が明かないのだ。

 そう言い聞かせて、平間は黙々と、むしろ足早に歩みを進めた。

 さっさと通り抜けてしまえば、沙和が怯えることも無いと思ったからだ。


「大丈夫です、何もいませんから……!」


 そう小さく呟いて、平間は水しぶきを上げる滝の横を通り過ぎて行った。

 背中で暴れまわる沙和の足を両の腕でしっかりと挟み、歯を食いしばりながら。


――


 村に戻ったころ、極端に怯えていた沙和はすっかり落ち着きを取り戻していた。

 洞窟での沙和のひどい怯えように、平間と壱子はかなり精神を()がれていたが、沙和が落ち着くてくると次第にそのいたたまれなさも薄れて行った。

 相変わらずどこか呆けていて、焦点の合わない様子の沙和だったが、平間と壱子はひとまず胸を撫で下ろしていた。


 宿舎に入った壱子は平間に、沙和を彼女の部屋に運ばせた。

 敷かれたままだった布団の上に沙和を寝かせると、平間を労ってから、部屋の外に出るように言った。

 沙和の服を脱がせ、ケガやツツガムシの刺し口が無いか調べるためらしい。


 ぼうっとして無気力な上、体格的にも自分より大きい沙和を、華奢な壱子が一人で身体じゅう隅々まで調べられるのか。

観察眼と言った意味ではきっと申し分ないだろうが、体力面では少々疑問だ。

しかし、性別のことを考えれば男である平間が手伝うわけにもいかない。

平間は大人しくうなずき、部屋の外に出て障子を閉めた。


「沙和さんも見つかったし、とりあえずは安心かな」


 少し離れたところにある柱に寄りかかりながら、平間は呟く。

 あとは沙和に、大きなケガやツツガムシの刺し口さえ無ければ良いのだが。


「それにしても、こんな時に隕鉄さんはどこに行ってるんだろう。たしか、壱子の用事で出かけているって言ってたっけ」


 頭の回る壱子は心強いが、物理的な力が迫ってきたときには、隕鉄ほど頼りになる人間もいない。

 筋骨隆々の体格といい、ぼうぼうに伸びた髭といい、それでいてツルリと剃り上げた禿頭といい、隕鉄はなんとも胡散臭い。

性格もどこか適当だ。

 しかし悪い人ではないのは確かだろうし、彼が壱子を大切に思う気持ちはきっと本物だと思える。


 そのうち隕鉄の過去を聞けたらいいのだが、と一人ごちた時、部屋の障子が開いた。

 見てはいけないものを見てしまうのではないかと、平間は反射的に障子の隙間から目をそらす。

 そんな平間を、出てきた壱子が不思議そうに眺める。


「どうしたのじゃ、そっぽなぞ向いて。なになに、私の美貌が直視できなくなった、と?」

「そんなこと一言もそんなこと言ってない! 相変わらずの自信家だな……」

「自信家? これはあくまで、明確な事実に基づいた発言じゃ」


 小さく口角を上げる壱子に、平間は苦笑する。


「はいはい。それで、沙和さんは?」

「安心せよ、大丈夫じゃ。ツツガムシに指された痕も、目立つケガも無い。疲れたのかホッとしたのか、眠そうにしておったから、寝かせてやろう」


 壱子は人指し指を唇に当てながら、柔らかく微笑んでみせる。

 ちょっとした仕草だが、中々どうして様になっている、と平間は思った。


「平間、あまり見惚(みと)れないでおくれ。さすがの私も照れてしまう」


 少し頬を赤らめて言う壱子に、平間は目を丸くする。


「だから見惚れてもいない! まったく、どうしてそんなに自信満々なんだよ」

「自信があるのではない、お主を信頼しているのじゃ」

「はぁ……?」


 壱子の言うことがよく分からずに、平間は間の抜けた声を出す。

 首を傾げる平間を満足げに見た壱子は、平間の手を取って歩き出した。


「ちょ、ちょっと壱子、どこに行くの?」

「台所じゃ。森を歩き通して疲れたし、沙和に粥の一つでも作ってやろうと思ってな。どうして森に言ったのかは分からぬが、熱に浮かれていたとか、そんな理由じゃろう。今は滋養のつくものを食べさせるのが最善じゃ」

「……それはいいんだけどさ」

「なんじゃ?」


 大きなツリ気味の目で見上げる壱子。

 彼女はその愛らしい容姿やまだ子供の域を出ない年齢とは不相応に、しっかり物を考えることが出来る。

 もはや心強ささえ感じる彼女に、平間の中には小さな悪戯心が芽生えた。


「いや、普通のご飯を炊いたらお粥が出来る壱子がお粥を作ろうとしたら、水だけになるんじゃないかと思ってさ。ほら、ここに来てからも何回か台所に立ってるけど、一向に上手くなる気配が見えないし」

「な、なんと無礼な……!」


 壱子は目を見開いて、わなわなと震え始める。

 そして平間の手を離して、背を向けしゃがみこむ。


「ひどい……私だって一生懸命に……ぐすっ」

「……壱子?」

「知性や美貌だけでなく台所にも立てる、完全無欠美少女になろうと思っていたのに……そんな健気な私の努力を一笑に付すとは……!」

「行いは健気だけど動機が不純じゃない!?」

「……ぐすん」


 袖を目元に当てる壱子の背は、小さく震えていた。

 平間のツッコミに対して返事をする気は無いらしく、壱子は背を向けたまま時折「ぐすっ」と涙ぐむ声を漏らす。

 なぜ急に壱子がこんなことをするのか平間にはサッパリ分からなかったが、そのせいで何か自分が悪いことをしたのではないかと、猛烈に不安になる。


 ……妙に胡散臭い気もするが。


「そのー、壱子? 悪かったよ」

「謝罪の心がこもっておらぬ」

「そんな無茶な……」


 無いものは込められない。

 言いよどむ平間に、壱子が振り返った。

 その頬には、一筋の涙の跡があった。

 平間は思わずギョッとする。

 が、よく見ると……。


「……ん?」


 何かおかしい。

 涙の跡にしては太いし、普通は泣いたりしたら眼が充血したりするものなのに、壱子の目にはそんな気配は一切無い。

いつもどおりの、吸い込まれそうになる綺麗な目だ。

 

 違和感を覚えた平間は、視線を下にずらしていく。


「壱子、その後ろに隠した手に持っているものは何?」

「な、なんのことじゃ?」


 壱子はとぼけてそっぽを向く。

 なにか後ろめたいころがあると、相変わらず凄く分かりやすい。


「いいから、見せて」

「あっ、ちょっ……」


 平間は壱子の背後に回りこみ、手早くその手を掴む。

 壱子が隠し持っていたのは、水を入れるための竹筒だ。

 飲み口と壱子の指先が濡れていることから考えると……。


「泣き真似だ! その涙の跡は水筒の水じゃないか!」

「ばれてしまっては仕方ない。どうじゃ、焦ったであろう?」

「焦るもんか。最初からバレバレだったよ」


 そう言いつつ、気付くまで平間は焦っていた。

 平間の声に、壱子はすねたように唇を突き出した。


「私の演技力もまだまだのようじゃな……。素材はいいと思うのじゃが」

「はいはい、無駄口叩いてないでさっさと行こう。沙和さんにおいしいものを作るんだろ」

「そうであった。平間、手伝ってくれ」

「言われなくてもそうするよ。病人に悪いものを食べさせるわけにはいかないからね」

「……本当に泣くぞ」


 あからさまにふてくさる壱子に、平間は噴き出した。

 壱子がそれを見たら怒るだろうから、平間は失笑を押し隠して台所に向かう。


 くだらないやり取りをして、平間は今までどおりの日々が戻ってきたように感じた。

 と同時に、一つの仮説が生まれる。


 もしかして壱子は、沙和のことで平間を元気付けるためにあんな小芝居をして見せたのではないか。

 だとしたら、平間は完全に彼女の手の上で転がされていたことになる。


 そんな疑念に駆られて、平間はチラリと後ろを歩く壱子を見やる。

 しかし壱子は、あいかわらず不機嫌そうに眉間にしわを作っていた。


「……考えすぎか」


 そう呟いて、平間は昨日買い出して来た食材を頭に浮かべながら、なにを作るか思いを巡らせ始めた。



――



【皇紀五五年三月十四日(翌日)、昼】


「あのさ壱子、一つ聞いていい?」

「なんじゃ?」


 報告用の書類に筆を走らせながら、平間は後ろから覗き込んでくる壱子に問いかける。


 今日、沙和の看病をするために宿舎(ここ)に留まることに決めたのは壱子だが、存外やることが少なく、暇を持て余しているらしい。

 だからといって報告書を覗き込むのは、平間は気が散るから止めて欲しかったのだが……どうせ上手いこと丸め込まれるのがオチだろう。


「隕鉄さんって何してるの?」

「ああ、皇都(こうと)におる」

「へぇー、皇都ね……って、皇都!?」


 平間は驚いて振り向くと、すぐ目の前に壱子の顔があってまた驚く。

 その反応を見た壱子は、すうっと目を細める。


「うふふ、そんなに焦らぬでも良いではないか」


 そう言って、壱子は細い指で平間の頬をつついた。

 平間は壱子の手を身をよじって振り払い、呼吸を整えながら言う。


「焦ってないよ。で、隕鉄さんは何をしに皇都に行ってるの」

「秘密じゃ。もし万が一、当てられたら教えてやろう」

「ケチだな……あ、皇都のお菓子を買いに行ってもらったとか?」

「たわけ! 私がそんな公私混同をするはずあるか! ただでさえ隕鉄は貴重な人員なのじゃぞ……まあ、物のついでに大福の一つや二つ、頼んではいるが」

「壱子、いまの『たわけ』を取り消してくれ」


 頬をかきながら、平間は書面に目を戻す。

 そろそろ調査期限が迫ってきている。

 今の時点では一定の成果が得られたと言えなくも無いが、ツツガムシの存在を確かめたわけではないし、その仮説を立てたのだって壱子だ。

 平間が胸を張って自身の功績と言うことができるものといえば、先日現れたヌエビトを目撃できたことと、勝未の森の詳細な地図を記録できたことくらいだ。

 

「我ながら、なんとも情けないな……」

「確かに、すぐに取り乱したりするしのう」

「余計なお世話だよ。ねえ壱子、ヌエビトって何なんだろうね。そろそろちゃんとした報告を持って帰らないといけないんだけど」

「ずいぶんと漠然としたことを聞くのじゃな。しかしそれも仕方ないか。ヌエビトはあまりに多くの顔を持っている……あ、これはヌエビトが頭を二つ持っていることに掛けたわけではないぞ」

「それくらい、分かってるって」


 淡々と返す平間の声に、壱子はなぜか少し不機嫌そうになる。


「ならば良い。で、ヌエビトの話じゃが、とりあえず姿は見えた。それに犬の首を晒すらしい。呪いは多分かけない。あと、まず間違いなく関係ないが、熱にうなされた沙和の前に幻となって現れて怯えさせた。こんな感じじゃな」

「相変わらず散らかったままだけど、姿が見えるってことは実在するってことでいいのかな」

「どうかのう」


 独り言のように言う平間に生返事を返しながら、壱子は座布団に胡坐(あぐら)をかく平間の膝を枕にして、壱子が横向きに寝そべる。

 いよいよ暇の極地に至って、接し方が雑になっているのか。

 近くで見た壱子の頭は思った以上に小さく、軽かった。

 眼下に見えるその横顔は、よく出来た人形のように整っていて美しい。

 平間には、こんなに可憐で家柄も良い壱子が自分なんかと一緒にいるのか、改めて不思議に思えた。


 壱子が頭を動かさないで、横目で平間の方を見る。


「実在するか田舎は、何を以って実在するとするかによるじゃろう」

「……難しい話?」

「たぶん、そうでもない」

「だったら、続けてくれ」

「うむ」


 あくびをかみ殺しながら、壱子は続ける。


「つまり、宗教は存在するか否か、というような話じゃ」

「ごめん壱子、なおさら分からなくなった」

「例えば、神や仏は実在するか?」

「いいや、実在しないと思う」


 ずいぶんとヌエビトとは関係無さそうな話をするものだ、と戸惑いながら、平間は答えた。

 相変わらず横になったままで、壱子はさらに尋ねる。


「では、その実在しない神や仏をを信じる心は、実在するじゃろうか」

「うーん、実在しない、とは言えないんじゃないかな」

「そうなのじゃ。しかしだからといって、心なんてものは見たり触ったりすることは出来ぬ。しかし実在すると思える。これはなぜかというと……」


 そこまで行って、壱子は大きなあくびをした。


「ふわぁああ。言い換えればな、心というものは実際に人に影響を与えて、その行動を変化させるものじゃ。そう言った意味では、実際に存在する路傍の石などより、ずっと存在感がある。ヌエビトも同じじゃ。ヌエビトなる者がいると皆が思うことによって、森には人が入らなくなるし、平間はこの村までやってきたし、私も付いてきた。そう言った意味では、確かにヌエビトは存在する」

「……つまり、何が言いたいわけ?」

「お主の報告書に書くべき内容は、お主が書きたいと思うことまででいいということじゃ。納得したら、帰ればいい。それまでは、少なくとも私は一緒にいて、やろう……」


 言いきるかどうかというところで、壱子は小さく寝息を立て始めた。

 その子供らしい姿に、平間は思わず頬を緩める。


「僕がやりたいところまで、か」


 大腿(ふともも)に壱子の質量を感じ、またその存在感を噛み締めながら、平間は上体を後ろに投げる。

 ごろりと寝転ぶと、古びた(たたみ)の匂いが平間の鼻先で滞留するのを覚えた。



――



 異変が顕在化したのは、その日の夜のことだった。




今回はのんびり回でしたね。

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