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十七話「先立つ者を見送りましょう」下


 暗さゆえに、人影の風貌だけでなく距離感も掴みにくい。

 決して大柄には見えないが……。


「平間、行燈(あんどん)の火をアレに向けてくれ」

「わ、わかった」


 平間は緊張しつつも、言われたとおりに行燈を人影に向ける。

 が、強い西日による逆光のせいか、それとも行燈の火が小さすぎるせいか、人影の姿を明らかにすることは出来なかった。

 壱子は滑らかな曲線を描く額にしわを作りながら、声を潜めて呟く。


「ハッキリとは見えぬな。しかし、話に聞くヌエビトと比べるとずいぶん華奢に見えるが……」

「どうする? まだ夜ではないけど、逃げるなら今だ」


 言いつつ、平間は壱子を隠すように前に出る。

 人影の後ろに広がっている紅い空がどんどん小さくなっていく。

 壱子が思案するためのわずかな時間が、緊迫した雰囲気ゆえに平間にはずっと長く感じられる。


「近付いてみよう。私の直感だが、アレは違う気がする」


 平間の心配をよそに、壱子は歩いて行ってしまう。


「ちょ、ちょっと!」

「大丈夫じゃ、心配するな」


 戸惑いながら、平間は壱子の後を付いていく。

 はたから見ればなんとも情けない光景だろうが、突如として現れた人影のせいで、平間にはそんなことを気にする余裕は無かった。


 人影は微動だにしなかったが、平間たちが近付くに連れてその風貌が少しずつ明らかになってゆく。


「あれは……」

「やはり来たか、平間殿」


 低いが、良く通る声が草原の静寂を破る。

 森の前に立っていたのは、勝未村の長・皿江源次(さらえげんじ)だった。


 ピンとまっすぐ伸びた背筋と、猛禽を思わせる鋭い眼光。

 長くたくわえた銀髭(ぎんせん)が風に揺れる。

 年齢による衰えを全く感じさせない威圧感を放つ皿江だったが、平間は不思議と気圧(けお)されることは無かった。

 それは、ヌエビトと比べれば大したこと無い、と安堵したせいかもしれない。

 落ち着いた声で、平間は皿江に問いかける。


「やはり、とはどういうことですか?」

「そのままの意味だ。君たちが連れの娘を探していたが、夕暮れになっても見つからないと(りん)から聞いてね。村で見つからないとなれば、君たちは森に向かうのではないか、そう考えてここで待っていたら、案の定これだ」

「だとしたら、見送りに来てくれた……わけではないですよね?」

「当然だ。良く分かっているではないか。そこの壱子とか言う娘御(むすめご)は頭が切れると思っていたが、なかなかどうして、君も大したものだね」


 笑みの一つでも見せればいいのに、皿江は全くの無表情で褒め言葉を並べる。

 返答に迷っている平間を押しのけて、壱子が前に出る。


「皿江様、私たちは――」

「その不自然な口調はやめたまえ、壱子さん。私も君をただの小娘と思って侮っていたが、それは間違いだったらしい。いまさら口調一つで目くじらを立てることはしない」

「……では、お言葉に甘えて。村長殿、分かっておられると思うが、私の友がこの先の森に迷い込んでいるかも知れぬのじゃ。それを聞いてなお、私たちに何か言うことがあると?」

「ああ、言うことならある。森には入るな」


 平坦な低い声で否定的な意思表示をする皿江。

 そう言うだろうとは想定していたが……。

 眼前に凛として立つ老人と壱子は視線を交錯させて、二人とも何も言わぬまま時間が過ぎる。


「もし――」


 ささやくような声で、壱子が口を開く。


「もし私たちが、力づくで押し通る、と言ったら?」

「ほう、それは面白いな。しかしそんな自信はあるのか?」

「無論じゃ。ここの平間は刑部(ぎょうぶ)でも指折りの徒手空拳(としゅくうけん)の達人じゃ。ここを押し通るくらい、わけでもない」


 嘘だ。

 平間が徒手空拳の達人であったことなど一度だって無い。

 壱子はハッタリをかまして、事を荒立てることなくここを通ろうというのだろうか。

 実際、おそらく老人相手であれば可能だろうが……。


 それをどこまで見越しているのか、皿江の表情はまだ余裕の色が垣間見える。


「なるほど、面白い。しかし、それは君たちがここで拠点としている宿舎のほか、この村のなんの支援も受けられないと言うことになるが、それでもいいのかな」


 皿江の言葉に、平間はギョッとした。

 が、その平間の反応とは対照的に、壱子は淀みなく言う。


「かまわぬ。沙和はいま、体調が万全ではないのじゃ。その沙和がもし森にいてそれを連れ戻せるのなら、迷うべくも無い」

「……そうか」


 壱子の返答に皿江の顔がにわかに強張(こわば)るのを、平間は見逃さなかった。

 たしかに、壱子の言うとおりだ。

 平間たちにとっていま最も重要なことは沙和を見つけることで、それと比べれば支援の有無など二の次だろう。

 皿江の言葉に戸惑った自分とは違い、壱子はそのことをすぐさま決断して見せた。


 すっかり険しい顔になった皿江はしばし逡巡(しゅんじゅん)していたが、その後スッと道を空けた。


「では、もう私に君たちを止める(すべ)は無いな。行くが良い」

「感謝する。平間、行くぞ」


 平間はうなずき、歩を進めようとした。

 その瞬間。


 森の奥から、狼の遠吠えのような鳴き声が聞こえた。

 地を這うようなおどろおどろしいその声は、寒くも無いのに平間の背筋を凍らせる。


「……壱子、今のは?」

「狼か野犬の(たぐい)じゃろう?」


 顔を引きつらせる平間の不安をあざ笑うかのように、壱子は鼻を鳴らして言う。

 だが、しばし考え込んだ後、ぽつりと呟いた。


「まあ、この辺りに狼がいるとは聞いたことが無いが……」


 平間を見上げる壱子は、不自然な作り笑いをみせる。

 ふと皿江のほうに目をやると、皿江も不安げに周囲を見回していた。

その様子に平間の恐怖心が加速していく。


「あれは……?」


 ふと、平間は皿江の奥、森の入り口の辺りで、なにかが動くのを見た。

 人影だ、それも大きい。

 そして影の上部にはぼんやりとだが、突起が二つあるように見える。


 双頭の獣人・ヌエビト。


 その名が平間の脳裏に嫌でもちらつく。

 目の前に立つ影は、巨躯に二つの頭を持っていて、話に聞いたヌエビトの姿にそっくりだった。

薄暮の暗さのせいでおぼろげな外観しか捉えられないながらも、その姿は十分に異様で、平間は大いに戦慄する。


 身体を緊張で固まらせる平間を壱子は不思議そうに眺めると、平間の視線に釣られて顔を動かした。


「……ついに出たか」


 どこか他人事のように呟く壱子に、平間は顔を向ける。

 さすがの壱子も突然現れた双頭の影には恐怖したようで、もともと大きな目をさらに見開いて、青ざめていた。


 逃げるか?

 この距離なら、まだ十分に村へ逃げ帰れるだろう。

 ヌエビトが村にいる人間を襲ったという話は聞かないから、そうすれば安全は確保できる。


 しかし逆に考えれば、これはヌエビトの正体を確かめる絶好の機会でもある。

 これからもしばらく続くであろう調査をすっ飛ばして、一気にこの森で何が起きているのかを解明することができるかもしれない。


 それだけではない、もし森の中に沙和がいるのなら、目の前のヌエビトに危害を加えられる可能性は十分にある。

 だが近寄って行ったとして、ヌエビトに襲われたときに壱子や自分の身を守れるのか、平間には自信がなかった。

 武器になりそうなものは隕鉄から預かった懐の短刀くらいしかない。


 こんな時に隕鉄がいれば……。

 なんて、この期に及んで怖じ気づく自分の小胆(しょうたん)と非力さに、平間はふつふつと苛立ちを覚える。

 だからと言って、前に進もうと言う気が起こるわけではない。

 不意に、壱子が平間の(そで)を引いた。


「平間、あの影は……」

「ヌエビトだと思う。ここは引いた方がいい」

「しかし沙和が森の中にいるかもしれぬのじゃぞ? 何としてもアレをやり過ごして、森に入らねば!」


 壱子の言うことは、平間にも十分理解できる。

 が、しかし……。


「壱子、さすがに危険すぎる」

「……平間、今なんと言った?」


 壱子は目を見開いて、驚きと失望の入り混じった視線を平間に向ける。

 それに気圧(けお)されそうになりながらも、平間はさらに続けた。


「危険すぎると言ったんだ、壱子。それくらいわかるだろう!? もし君にあのヌエビトを突破できる策があるなら教えてくれ。あるのか?」

「……それは、無いが」

「それに、今はヌエビトはジッと動いていないけど、村の中心に犬の首が晒されたように、村の中にだって入ってくることがあるんだ。いつあそこから僕たちを襲うか分からない。その時、僕たちには対処する術が無い」

「……それも、そうじゃ」

「だったら――」

「それでも!」


 突然の壱子の大声に、平間は怯んだ。

 俯きがちに歯を食いしばる壱子は、キッと平間に強い視線を向ける。


「それでも、私は沙和を探しに行かなければならぬ! 沙和は私の友じゃ、お主にとってもそうではないのか!?」

「そうだ。その通りだよ。だからこそ、行くべきじゃない」

「……何を言っておる?」


 まるで理解できない、と言うように、壱子は眉間に深いしわを作る。

 平間は、慎重に言葉を選びながら続けた。


「もし壱子が沙和さんの立場だったら、自分を探しに来た人がそのせいで怪我をしたり、極端な話だけど死んじゃったりしたらどう思う? それでも来て欲しい?」

「来て……欲しくない」

「そうだよ、ここは無理をするところじゃない。それに、沙和さんだってタダで転ぶような人じゃない。心配だけど、きっと上手くやってるし、そもそも森にいないかもしれない。僕たちが見つけていないだけでね」

「それは希望的観測じゃ」

「う……そう言われると返す言葉が無いんだけど」


 たじろいで顔を引きつらせる平間をよそに、壱子は再びヌエビトのほうへ視線を向けた。

 つられて平間も見ると、ヌエビトは小さく揺れながら、しかし襲い来る気配は無い。

 しかしその姿は「来るならば容赦しない」と、どこか平間たちを威嚇しているようにも見える。


「平間、夜明けじゃ」

「え?」


 ヌエビトから視線を外さずに言う壱子に、平間は思わず聞き返す。


「夜明けと共に森に発ち、沙和を探す。それまで休む。あくまで経験則じゃが、日中は安全であるからじゃ。それならば良いな?」


 歯を食いしばり、悔しげに言う壱子に、平間は一も二も無くうなずく。

 と同時に、平間は壱子の手が硬く握られているのに気付いた。

 彼女にとっても、これは苦渋の決断なのだろう。


 壱子は及び腰になっている皿江に視線を向ける。

 ヌエビトを凝視している彼は、表面上は冷静を装っているが、その顔には血の気が無い。

 皿江もヌエビトを目撃するのは初めてなのだろうか。


「村長殿、状況が変わったゆえ、私たちは村に戻る。結果的には言うとおりにしたのじゃ、今後とも支援をお願い申し上げる」


 壱子の声に皿江はバッと振り向くと、青い顔をわずかに紅潮させつつ、苦々しげにうなずいた。

 それを確認し、壱子はヌエビトを睨むように見やると、きびすを返す。

 宿舎に戻るまで、壱子は一度として振り向こうとしなかった。



――



【皇紀五五年三月十三日(翌日)、早朝】


その日平間は、まどろみと呼ぶべき浅い眠りの中から目を醒ました。

 頭に(もや)がかかったように(ぼう)っとするが、すぐさま使命を思い出して跳ね起きる。


 (あけぼの)の柔らかな陽光が、窓から漏れこんでいる。

 それをわざと凝視して、平間はむりやり脳を叩き起こした。

 その後、何の気なしに横に目を向けると、そこには横になりながら目を開けた壱子がいた。


「……壱子、なにしてんの?」


 別の部屋で寝ているはずの壱子の存在は、日光なんかよりずっと効果のある目覚ましだった。

 その問いかけに答えることなく、壱子はむくりと起き上がる。


「出立する時間じゃな。行こうか」

「うん。で、なんでここにいるの?」

「覚えておらぬか? 昨晩『ヌエビトの動きがあるかも知れぬから、何かあった時のためにいっしょに寝ても良いか』と聞いたではないか。我ながら的確な判断じゃ」

「全く記憶に無いんだけど」

「そりゃあ、寝ておったからな。お主は」


 平然と言う壱子に、平間は大きくため息をついた。

 そんな平間を尻目に、壱子は自分の掛け布団をいそいそと畳むんで立ち上がる。

 朝日を反射して輝く壱子の黒髪の美しさに、平間は思わず見とれそうになった。


 壱子は平間を見下ろして言う。


「さて、急ぐぞ。沙和を探しに行く。まずは一番見つかって欲しくないところ、すなわち水辺からじゃ」


 その目は、どこまでも真剣だった。



――



 まだ隕鉄は戻っていなかったので、平間と壱子は二人で森に入った。

 壱子の言うとおり、沙和にいて欲しくないと願う場所、すなわちそこにいたら危険だと思われる場所から順に回っていく。

 すなわち、川原などの水辺、高低差のある崖などだ。


 しかし、探せど探せど沙和の姿は見つからなかった。

 すでに日も傾きかけていて、睡眠不足もあいまって、壱子は疲労感を隠し切れなくなっていた。


「一体どこにおるのじゃろう……」


 言葉にはしないが、平間も壱子もだんだんと諦めの色が濃くなってきていた。

 平間が返事に迷っていると、壱子は呟くように言う。


「ここまで来たら、残るめぼしいところは……洞窟だけじゃ」

「洞窟って、『ヌエビトの畑』のある洞窟?」


 壱子はうなずくと、小さく息を吐いて俯いた。


「洞窟なら比較的安全じゃと思い、後回しにしていたが……もしかしたらヌエビトを恐れてのことかも知れぬ。あの洞窟がヌエビトと関係あるとしたらとか、万が一沙和が昨晩現れた異形の者に襲われていたら、と考えてると……」

「もういい、洞窟に行けば分かることだよ。きっと大丈夫だ。沙和さんのことだから、もしかするともう自分で村に戻ってるかもしれないよ」

「ならば良いが……」


 煮え切らない壱子の頭を、平間は強めに撫でた。


「壱子、考えても仕方ないことを考えるのは時間の無駄だ。せっかく君は賢いんだから、その頭を有効活用しないとさ」

「むぅ……それもそうか」


 平間に慰められたのが気に食わないのか、壱子は紅潮した頬をわずかに膨らませながらも、素直にうなずいた。

 そしていつもの不敵な笑みを浮かべると、平間を見上げて言った。


「確かに、私たちの祝儀には沙和も呼ばねばならぬから、ちゃんと帰ってきてもらわねば困るな」

「祝儀は上げないけどね。でも帰ってきてもらわないと、っていうのには賛成だ」

「照れおって。よし、急ぐぞ平間。ひとまず洞窟じゃ!」


 そう言って、二人は足早に洞窟に向かった。


 洞窟を覆う滝は、すっかり本来の姿に戻っていた。

 連日の雨が、滝にもとの勢いを取り戻させたのだろう。


「ヌエビトがおるかも知れぬ。慎重に進むぞ」


 険しい顔でいう壱子と視線を交わして、平間は先頭に立って進んでいく。

 滝から跳ねた冷たい水しぶきとをかいくぐり、ぬかるんだ地面を踏みしめて、平間は洞窟の中を首だけ出るようにしてうかがう。

 そして、平間は思わず大きな声を上げた。


「……! 壱子!」


 ひんやりとしていて薄暗い洞窟の奥には、寒さに震える沙和がたたずんでいた。



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