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十五話「木を見て森を見て、足元を見ましょう」上


「隕鉄さん、これって……」

「我がそこな童女の声を聞き、ここに来た時にはここにあった。恐らく、二年前の……」


 隕鉄と同じことを、平間も考えていた。

 彼の言う二年前のこととは、かつて(りん)を含めた村の子供たちが森に近づいた翌日、野犬の首が村に晒されていた、というものだ。

 これをヌエビトの警告だと判断した村人たちは、掟に示されている以上に、より硬く森に近付くことを禁じた。


 もし目の前のこれが「ヌエビトの警告」であるのならば、まず間違いなく平間たちが森に足を踏み入れたことに対してのものだろう。

 だとすれば、ヌエビトはどこかで平間たちを見ていて、森から出て犬を殺し首を晒したということか。

 そう考えると、平間の背筋に薄ら寒いものが走る。


「平間、それは……?」


 その声に振り返ると、最低限着替えてきた壱子が、目をこすりながら沙和に付き添われて歩いてきていた。

 反射的に、平間は壱子の視界から犬の首を遮るように移動する。

 いくら物怖じせずに白骨に触れていた彼女でも、新しい死体には怖じ気づくに違いない。

 犬の首と壱子との間に入った状態を保ったまま、平間は壱子に足早に歩み寄る。


「壱子、ヌエビトが出た」

「ヌエビトが? どういうことじゃ」

「犬の首が晒された。二年前と同じだ」

「まさか! 隕鉄、お主はちゃんと見張っておったのじゃろう?」


 壱子は信じられないという表情で隕鉄を見る。

 視線を向けられた隕鉄は、力強く頷いた。


「壱子、見張ったって何の話だ」

「昨晩から、隕鉄に言って皿江の同行を屋敷の外から見張らせておいたのじゃ」

「内密に、とのことだったので平間殿にも沙和殿にも言っておらなんだ。すまぬな」


 申し訳無さそうに隕鉄は首をすくめると、壱子がささやくように言う。


「それで隕鉄、昨日の晩に皿江に動きはあったのか?」

「何も無かった。静かな夜でござった」


 隕鉄が首を振ると、壱子は右手をあごに当てる、いつもの考える時の姿勢をとる。

 こうなった壱子はしばらく動かない。

 その間に皿江と鈴に話を聞こう。

そう決めた平間は、二人に話しかけた。


「あの、一体何が……」

「それが、グスッ、この子の散歩をしようと思ってここに来たら……アレがあって、あたし、ひぐっ、ビックリしちゃって……」


 涙声で俯いたまま、鈴は犬の首のほうを指した。

 きっと悲鳴はその時のものだろうから、発見からほとんど時間が経っていないことになる。

 それにしても、まだ幼く、かつ自身も犬を飼っている鈴があれを見た時の衝撃はいかほどのものだったろう。

傍らにいる皿江も、怒りと焦りの入り混じった、険しい表情をしている。


「皿江さん、二年前もこれと同じことが起きたんですか?」

「そうだ、同じだ。平間さん、あんたがたも気をつけたほうが良い。私はヌエビトに懐疑的だったし、二年前のも誰かの性質(タチ)の悪いいたずらだと思っていたが……」


 皿江はその血走った目を平間に向ける。


「平間さん。ヌエビトは、いるぞ」


 その声は疑念を挟みこむ余地の無い、確固たる意思が込められていた。

 常識から考えてそんなはずは無い、そう平間は思った。

 しかし、今となってはその常識も根元から揺らいできている。


 もしかしたら、本当にヌエビトはいるのかもしれない。

 姿は見えないが、森の中で見られていたとしたら?

 本当はすぐ後ろで、その二つの首をこちらに向けているとしたら?


 平間は急に背後に気配を感じて振り向く。

 が、そこには(むご)たらしく突き刺された獣の首がそっぽを向いているだけだった。

 それだけだ。

 それだけだが……。

物言わぬ首が平間に「次はお前だ」といっているような気がした。


いや、悪い考えだ。

こういう時こそ冷静になれ。


「皿江さん、僕は辺りを調べてみます。皿江さんは鈴ちゃんを連れて帰ってあげてくれませんか。この子がここに長くいることは、今後のことを考えても良いこととは思えません」

「……分かった。鈴、立てるか」


 皿江は優しげな声を作って養女(むすめ)に語りかけると、鈴もコクリとうなずく。

 その健気な姿に少し安心して、平間は壱子たちのほうへ戻った。

 思考のたびから帰ってきたらしい壱子が、平間に言う。


「平間、鈴の様子はどうじゃった?」

「かなり怖い思いをしたみたいだけど、何とか立ち直れると思う。皿江さんもきっと上手くやってくれるよ」

「そうか……。それで、あれは首じゃろう? 恥ずかしいことに、恐ろしくて直視できぬのじゃ」

「ご明察、犬の首だ。昨日は無くて今朝発見されたものだから、まだ新しいものだと思うけど」


 平間の台詞に、壱子はピクリと眉を上げる。

 その仕草に、何か変なことを言っただろうか、と平間は不安になるが、特にそんな気はしない。


「平間、あれの眼を見てくれ。どの程度、(にご)っておる?」


 変なことを聞くなあ、と思いつつ、平間は素直に観察を始めた。


「眼? 分かった、どれどれ……かなり濁っているね。どの程度、とは言いにくいんだけど、少なくとも普通に生きていたらこうはならないと思う」

「分かった、それともう一つだけ見て欲しいのじゃが」

「あんまり直視したいものではないけど、何を見ればいいの?」

(ウジ)はいないか? ハエの幼生で、白く米粒大の、芋虫のような形をした奴じゃ」


 また変なことを。

というか、そんな気持ちの悪い者が死体の上を這っているのは見たくも無いのだが……。


「ああ、うん、いるね。そんなに多くはないけど……いや、結構いるな。もしかして壱子、数を数えろとかは言わないよね?」

「数はあまり重要ではない。要するに、いるかどうかじゃ」

「なら、いるよ。他は?」

「それだけで良い。さて、次は……」


 壱子が周囲を見回すと、騒ぎを聞きつけた村人たちが遠巻きに眺めていた。


「彼らに話を聞こう。昨晩何をしていたか、それとこの哀れな野犬に心当たりは無いか、な。まあ、あまり成果は期待できぬじゃろうが」

「壱子、この首はどうする?」

「状況を保存するためにそのままにしておけ……と言いたいところじゃが、それではあまりに可哀想じゃ。隕鉄と二人で埋葬してやってくれ。その間、私と沙和で村の者たちに話を聞いてみる」


 深く息を吐いた壱子は犬の首にしばらく手を合わせると、小さくぽつりと呟いた。


()に、朝から気分の悪いこと、この上ないのう……」



――



 首の処理を終えた後、平間と隕鉄はいったん宿舎に戻って行った。

 平間は隕鉄の死体に対する扱いが異様に慣れていたのが気になったが、色々あったのだろうと思ってあれこれ聞くのをやめた。


 宿舎に入ると、既に聞き取りを終えたであろう壱子と沙和が、広間に腰を下ろしていた。

 壱子は頬杖を突き、難しい顔をして沙和と何かを話していた。


「……ありえぬ」

「ねぇ」


 その不穏な空気に、平間は無理やり明るい声を作って言う。


「壱子、聞き取りはどうだった?」


 少しだけ顔を上げた壱子は、少し唇を突き出して独り言のように言った。


「のう平間、私は昔から妖怪に会ってみたいという気持ちがあったのじゃ。しかし、今ほど妖怪がいないで欲しいと思ったことは無い」

「どういうこと?」

「ヌエビトらしい影を昨日の夜に見た、という証言が複数あった。頭もちゃんと二つあったらしいぞ」


 そう言って、壱子は自嘲気味に薄く笑った。


「それじゃあ……」

「ヌエビトはいる……かもしれぬ。ああ、妖怪などいないと心の底から信じているから、逆に会ってみたい気持ちが強くなるものなのじゃな。いざ目の前にその影かちらつくと、途端にその存在を否定したくなる」


 力なく大きなため息を吐く壱子に、平間は愕然とした。

 壱子まで、そんなことを言うのか。

 平間は心のどこかで「壱子ならヌエビトなどいないと鮮やかに断言してくれる」と期待していた。

 そんな精神的な支柱が、いま大きくたわんでいる。



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