一話「奇妙な獣人を探しましょう」中
梅乃の言葉に、平間はいぶかしんで無遠慮に聞き返す。
「……ええっと、妖怪っておっしゃいました?」
「ええ。そもそも平間君は、妖怪や“あやかし”の類について、どう考えているのかしら?」
「さすがにもう信じては……あくまで空想上の生き物だと思います」
おそるおそる平間が答えると、梅乃はこぼれるように笑みを浮かべる。
……魅力的すぎる。
平間は梅乃の右頬に、泣きぼくろがあることに気付く。
梅乃は目を細め、少しだけ首を傾げた。
「ふふ、平間君はほとんどの貴族の方々より、現実的な考え方をするのね」
「と、言いますと?」
「この国には、いまだに病を祈祷で治そうとする人もいるのよ。しかもそれが、意外と立派な貴族だったりするから……」
梅乃は困ったように微笑む。
……色気がすごい。
危うくやられそうになるが、その時、平間の脳裏に一つの疑問が浮かんだ。
「でも、梅乃さんもその“現実的な”考えているのに、ここでは妖怪を扱うんですか?」
「鋭いわね。でも逆よ。『妖怪なんていない』と思うから、妖怪のことを調べるの」
「……どういう意味ですか?」
「妖怪はね、『分からない』と言う事実に名前を付けただけの物なの。だから、その『分からない』ものを解き明かせば、妖怪は死ぬわ」
梅乃の淡々とした口ぶりに、平間はそら恐ろしいものを感じた。
しかしその正体を、平間は解き明かすことが出来ない。
平間が返事に迷っていると、意を決したように梅乃が切り出した。
「実は、ある地方で妖怪の噂が広まっています。その妖怪とは、獣の頭を持つ、いわゆる獣人だったとか」
――獣人。
それは、獣の頭を持つ人型の生き物の総称だ。
頭の形は狼や鳥、馬や牛など様々で、皇国でも神話や地獄めぐりの御伽噺によく登場する。
そんなありふれた妖怪である獣人だが、そんなものが実在すると信じているのは子供くらいなものだ。
平間くらいの歳になれば、「獣人を見た」なんて真面目に言っただけで、笑い者にされてしまう。
平間は率直に、思ったことを口に出してみる。
「……すみませんが、見間違いでは?」
「そう考えるのが妥当でしょうね。ただ――」
「ただ?」
「複数の人間が、この獣人について同様の証言をしているの。目撃情報のあった場所もおおよそ一定の範囲内にあるから、獣人ではないにせよ何か未知の生き物がいるかもしれない」
「なるほど……」
「それに、こういう話もあるんです」
梅乃は「自分でも信じられない」と言わんばかりに、眉をひそめて困ったように笑う。
そんな仕草一つをとっても、なんとも華がある。
「なんでも、その獣人は頭が二つあって、しかも片方は人間だとか……」
「双頭で、片方が人間? さすがにそんなものがいるわけ……無いですよね?」
「ええ、さすがに……実際その証言も、数多く寄せられているものの一つに過ぎないわ。頭が一つだという声や、獣というより鳥のような頭だったとか、いや犬の頭だった、なんて証言もあって、一向に要領を得ません」
「でも、証言自体は上がってくるわけですよね……? 内容がバラバラでも」
「そうね。そして、この獣人について、変幻自在の妖怪である鵺になぞらえて『ヌエビト』という呼称が広まっています」
梅乃が曖昧に笑う。
平間も、梅乃の心境がよくわかった。
人と獣の頭を持った獣人など、あまりに話が突飛すぎるし、ここまで証言にバラつきがあるとなると、こじ付けの可能性も出てくる。
やはり、あまりに信憑性が低い。
「梅乃さん、そういう作り話は置いといて、もっと現実的なことを……」
「いや、作り話ではないかも知れぬぞ」
へらへらと言う平間を、凛とした声が遮った。
声の主は、壱子だ。
平間が視線を向けると、真っ直ぐにこちらを見ていた彼女と目が合う。
たれ目気味の梅乃とは対照的な、切れ長な壱子のツリ目。
その子猫を思わせるような大きな瞳に、平間は思わず吸い込まれそうな気持ちになる。
彼女の艶やかな黒髪に負けないくらい、その瞳はしっとりとして美しい。
そしてそこには、隠然たる知的な光が宿っていた。
突然の割り込みに面食らった平間は、諭すように壱子に言う。
「いや、作り話だよ。さすがに」
「なぜそう言い切れる」
「なぜって……。そりゃあ、獣人――いや、ヌエビトか。それでさえ眉唾なのに、しかも頭が二つあるって……壱子はそんなものが存在するとでも言いたいの?」
「そうではない。では逆に問うが、お主が『ヌエビトが存在しない』と言う根拠はなんじゃ?」
急に饒舌になった壱子に、平間が更にたじろいだ。
壱子は、というと、一向に平間から目を離そうとしない。
「根拠と言われても、そもそも獣人なんて誰も見たことが無いし……」
「何人もの者が見たと言うから、梅乃はお主にこの話をしたのじゃろう。それに、誰も見たとがないとしても、それが存在しないことにならない」
「どうしてだよ」
「『誰も見たことが無いものは存在しない』のであれば、お主は梅乃の裸が存在しないとでも言うのか?」
「……ん?」
「梅乃の裸は誰も見たことが無いが、確かに存在するぞ」
そう言うと壱子は、横にいる梅乃の胸を左手で鷲掴みにした。
時間が、止まった。
平間は恐る恐る梅乃の方を見る。
梅乃の表情は相変わらずの笑顔だが、平間が今まで見たことの無いほど禍々しい雰囲気を放っていた。
……ヤバい。
「な、確かにあるじゃろ? であるから、誰も見たことが無くても存在するものもある。これには異論あるまい」
「壱子ちゃん……?」
凍てつくような梅乃の一言に、それが自分に向けられたものでないにもかかわらず、平間は全身の毛が逆立つのを感じた。
――ああ、これが噂には聞いたことがあっても、実際には見たことの無いアレか。
――殺気だ。
顔をひきつらせた平間の視線に気付いた壱子が、ゆっくりと梅乃の方を見る。
そしてその表情が、みるみる恐怖の色に染まっていった。
「あ、ああああ、ああ……梅乃、すまぬ、そんなつもりでは……」
「じゃあ、どういうつもり?」
「それは、その、あの……先週の見合い相手との縁談が反故になったじゃろ? それを慰めようとして、じゃな……?」
梅乃の縁談のことは良く知らないが、横で聞いていた平間にも分かる。
壱子のその発言は火に油を注ぎ、同時に、墓穴を掘っていた。
器用なものだ。
自分の言ったことがどういう影響を与えたか、壱子も気付いたのだろう。
数瞬の後、壱子は「あ」と小さく呟いて、がくがくと震え始めた。
その怯えっぷりから察するに、壱子には梅乃に関する様々な恐怖の記憶があるに違いない。
「あわ、あわわわわ……」
「縁談の話は関係ないでしょう?」
「ありません。梅乃の言うとおりだと――」
「お姉ちゃん」
「お、おおお姉ちゃんの言う通りだと思います。私が悪うございました」
早口で壱子が謝罪の言葉を並べる。
しかし梅乃の笑顔は邪悪な雰囲気を醸し出しつつ、微動だにしない。
「……なら、どうする?」
「どうするって、ええっと、どうしよう……」
壱子はもう、すっかり半泣きになっていた。
平間としても、壱子には申し訳ないが二人の間に割って入っていく勇気は無い。
そもそもこれは壱子の自業自得だ。
「そ、そうじゃ。これを!」
そう言って壱子は、懐から鮮やかな朱色の和紙で包まれた小さな何かを取り出す。
そしてそれを名残惜しそうにしばらく見つめてから、うやうやしく梅乃に差し出した。
「……これは?」
「朱鷺屋の栗羊羹です。あとで食べようと思ってこっそり持って来ました。これをあげます。だから許してください、お願いします」
「……」
「……どうか」
「……」
「お願い、お姉ちゃん」
「……ふむ、いいでしょう」
「本当か!? 助かった!」
さも命拾いしたかのように、顔をほころばせる壱子。
その様子を見た平間は「それでいいんかい」と内心で突っ込みを入れた。
というか、壱子もさっきおはぎを食べていただろう。まだ食べるつもりだったのか。
平間は苦笑するが、壱子は心底安心したようで、大きくため息をつくと、再び平間に向き直る。
「話を戻……しても良いか? 梅乃」
「ええ」
梅乃が頷く。
それを確認し、壱子が口を開いた。
「ええと、何の話じゃったか……そうじゃ、『誰も見たことが無くても存在するものもある』という話じゃ。それは良いか?」
壱子の問いに、平間は素直にうなずく。確かに見たことが無いからヌエビトが存在しない、と言うのは無理があった。
しかし、まだ引っかかるところがある。
「じゃあ、頭が二つあるのはどうなんだ? そんな話、作り話でも聞いたことが無い。それに、生物としてもおかしいじゃないか」
「おかしくは無い。人間でも頭が二つある子供が生まれてくることがあるぞ。双子が腹の中でくっついたりしてな。まあ、夭逝してしまうものもいるが、それでも普通の人間と同じくらい生きることもある……らしい。私は見たことが無いが」
「急に弱気になったな」
「しかしな、双頭の蛇くらいならばたびたび見つかるぞ。胎生と卵生の違いはあるが、可能性の話だけならばたいした差ではあるまい」
「……まあ、たしかに」
言われてみればそうだ。
「だけど、人間と獣の頭を持っていると言うのはどうなんだ。双子だったら、当然同じ種類の生き物のはずだ」
「それについても、違う種類の生き物が子供を作る、異種配合というものがある。無論、近縁種のものに限るが……」
「ああ、確かにイヌとオオカミは子供を作れるって聞いたことがあるな」
「それじゃ。それに、猫なんかは同時に違う父親の子を妊娠することがある。それらが何らかの影響でくっついて生まれたら、獣と人の頭を持ち合わせた生き物が生まれる可能性も、まあ無くは無い」
「でもそんな確率は……」
「ほぼ無いな。しかし絶対に無いと言うこともできぬ」
壱子は肩をすくめてうそぶくが、平間は反応に困ってしまう。
いよいよ平間は反論のネタが尽きてしまった。
助けを求めるように梅乃に目を向けるが、梅乃は申し訳無さそうに首を横に振るだけだった。
「というわけじゃ。平間、お主が『ヌエビトが存在しない』と今ここで断じる根拠は無い」
「……まあ、そうだね」
「であるから、お主はヌエビトとやらについて調べなくてはならぬ。そういうことで良いじゃろ、平間」
「はいはい、分かりました。壱子様のおっしゃるようにします」
すっかり降参した平間は、おどけて言うと肩をすくめる。
梅乃はその様子を見て苦笑すると、壱子に代わって再び口を開いた。
「実は、今回の話にはまだ続きがあるの。目撃情報を総合すると、ヌエビトは勝未村という村の近くにある小さな森に住んでいると考えられるわ」
「それなら話が早いですね! その森を大人数で捜索すれば解決です」
「確かにそうなんだけど……。平間君、祓魔係には私たち三人ともう一人の、合計四人しかいないのよ」
「なら、他所から応援を呼べば……」
「得体の知れない新部署に人員を寄越す物好きはいないし、それを求める権限も私には無いわ」
申し訳なさそうに梅乃は言う。
自分で「得体の知れない新部署」と言うか、と平間も思わなくは無い。
しかし、ここに来たときに「祓魔討鬼」という名前を見たときに彼自身怯んだのを思い出したので、黙っていた。
平間の沈黙を確認して、梅乃は更に続ける。
「それに、もし人が十分にいたとしても、一斉に森に入って調べることはきっと出来ないわ」
「と、言いますと?」
「ヌエビトが目撃されたのはさっき言った森の周辺なの。ありふれた森だし、入りにくい位置にあるってこともあって、いままであまり興味を持たれることも無かった。だから皇国としてもほとんど資料がありません。でも唯一、私の方で確認できたものがある。それがこの勝未村の掟とされる文書です」
そう言うと、梅乃は持ってきた風呂敷包みから折りたたまれた桃色の和紙を取り出し、平間に手渡した。
それには、綺麗な楷書で以下のように記されていた。
――――
一、その森に入ってはならない。
一、その森に人を入れてはならない。
一、この禁を破りし者、尽く命を落とすものと知れ。
皇国伝承録・豊州「勝未村之禁」より
――――
丁寧に出典まで書かれている。
この美しい字は梅乃のものだろうか。
「これってつまり、ヌエビトの森に入ったら死ぬってことですか?」
「そうなるわね」
「やっぱりそうですよね……って、ちょっと待てください! これ、詰んでません?」
獣人の住処が森にあって、でもその森には入れないのなら、調べようが無い。
調べられなければこの仕事も出来ない。
そのとき、再び壱子が口を挟んだ。
「いや、詰んではおらぬ」
「……確かに。で、今度は何?」
少し苛立ちながら平間が応じるが、それを意に介する様子も無く、壱子は続ける。
「森に入ったら死ぬが、どうしてもその中を調べたいとき、採れる方法は二つある。わかるか?」
採れる方法?
そんなざっくりした話……。
――あ。
少し考えてから、平間の頭に一つの考えが浮かんだ。