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一話「奇妙な獣人を探しましょう」上

【皇紀五五年三月一日、昼】


――えらい所に来てしまった。


 そんなことを思いながら、平間京作(ひらまきょうさく)は一枚の看板の前にたたずんでいた。

 看板に書かれているのは「祓魔討鬼(ふつまとうき)係」というおどろおどろしい文字列。

 この係こそ、平間が今日から配属された部署だった。


 いま平間がいるのは、だだっ広いお屋敷の中の、いくつもの部屋が並ぶ廊下の最奥だ。


 祓魔(ふつま)といえば文字通り「()(はら)う」のが仕事なのだろう。

 だが、この平間には魔物や妖怪のようなものに対抗するための霊的な力は無い。

 それどころか、特別に腕が立ったりとか、物知りで頭が良かったりとか、そういった特技があるわけでもない。


 そんな彼が「祓魔討鬼(まをはらいおにをうつ)」という仰々しい、そして微妙に胡散臭い名を冠した所で、何をするというのか。

 彼自身も見当が付かない。

 唯一分かるのは、看板がある以上、ここが平間の来るべき場所なのだということだけだ。


 平間は今一度、壁に雑に立てかけられた看板に目をやる。

 しかし無情にも、やはり看板は同じ文字列を平間に伝え続けていた。


――行くしかないか。


 平間は意を決し、目の前に無言で立ちはだかる障子の向こう側に呼び掛ける。


「失礼いたします。本日よりこの部署に配属された平間京作です」


 返事を待つ。

 ……が、帰ってこない。


 不思議に思った平間が耳をすますと、部屋の中からドタバタと何か物を動かすような音が聞こえてきた。

 片付けでもしているのだろうか。

 作業に夢中で聞こえなかったのかもしれない。


「失礼します! 本日より――」

「分かっておる! 聞こえておるから、しばし待て!」


 慌てたような高い声が(ふすま)越しに平間の耳に届く。

 一般的に庁舎で働く役人は男だから、平間はてっきり中にいるのも男だと思っていた。

 しかし聞こえてきた声は、どうも女の、それも少女のような声だ。

 男ばかりの役人が働く場としては、どうも似つかわしくない。


「ひ、平間とやら、入って良いぞ」


 平間が首をかしげていると、再び(ふすま)の奥から平間の耳に声が届く。

 それは、やはり少女の声だった。


 彼女の声は落ち着きを装っているが、どこか上ずっていた。

 何をそんなに焦っているのか、平間には少し可笑しい。

 向こうも緊張しているということだろうか。


 平間は意を決し、腹に力を籠める。


「失礼します!」


 平間の挨拶は、緊張で声が少し上ずってしまった。

 人のこと言えないなあ……と自嘲しつつ、平間は大きく襖を開ける。


 一面に畳が敷かれた部屋の中は物が少なくがらんとしていて、採光がよく考えられているおかげで廊下よりもかなり明るかった。

 そしてやはり新築独特の、畳の爽やかな香りが漂っている。

 部屋の中央にはちゃぶ台が雑に置かれていて、そこに腰を下ろしている人影が、先ほど平間に返事をしたのだろう。


「さ、遠慮せず入れ」

「あ、はい。失礼します」


 再び口を開いた少女に促されて、平間は手荷物を持って部屋の中ほどへと進む。

 そこに座っていたのは、十二か十三歳ほどの少女だった。

 

 真っ直ぐ伸ばした黒髪は、窓からの日差しでほんのり茶色がかって見え、きらきらと光を反射して輝いている。

 その左右を彩る、花を模した小さな髪かざりが可愛らしい。

 着こなし自体は町娘のようだが、生地に高級感があるのを見ると、どこかのご令嬢だろうか。


 こんなところに何をしにきたのだろう、遊ぶものが有るわけでもないだろうし。

 などと言うことをぼんやりと考えていると、ふと平間は少女の頬に、黒くてつやつやしたものが付いていることに気が付いた。

 餡子(あんこ)だ……おはぎでも食べていたのだろうか?


 平間が首を傾げていると、少女も観察するかのように、平間をジッと見つめてきた。

 ツリ目がちの大きな少女の眼は、彼女の髪の色もあいまって、どこか黒猫のような雰囲気がある。

 しかし何より気になるのは、その少女の瞳に全てを見透かされているような、妙な感覚だ。

 胸のざわつきを抑えられず、平間は思わず目を逸らす。


「……」

「……」

「……」

「……あの、座っても?」


 沈黙に耐えかねた平間が口を開くと、少女はハッとしたように体を振るわせた。

 そして、小さく首を縦に振る。

 ……(うなず)いているらしい。


 座って良いと判断した平間は、持ってきた一抱えほどもある荷物を部屋の片隅に置く。

 そして傍にある座布団の山から一枚取り、少女の向かいに腰を落とした。


「……」

「……」


 沈黙が気まずい。

 さて、どうしよう。

 ほっぺたに付いた餡子(あんこ)のことを教えてあげた方がいいのか、平間は迷った。

 部屋の中をぼんやり眺めながら平間が思い悩んでいると、少女が口を開く。


「お主は、その……ここの者か」

「ここの者? というか、今日からここで働くことになっているんだ。名前は平間京作。君は?」

「私は壱子という。佐田壱子(さだのいちこ)じゃ」

「佐田……って、あの大貴族の!?」


 平間の問いに、壱子(いちこ)と名乗った少女はこくりとうなずく。

 佐田といえば、皇国で屈指の力を持つ貴族だ。領地の広さだけで言えば、まず間違いなく五本の指には入る。

 一族の長は、たしか内大臣だったか。


 そんな尊い生まれの相手なら、それがたとえ少女でもへりくだって接した方が良いのだろうか。

 というか、なんでそんな良いとこの娘さんがこんなところにいるんだ?


「時に平間(ひらま)、お主は……いやいい。なんでもない」

「え、言ってよ」

「気にするな」

「でも、気にするなっていうのも無茶じゃないか」

「いや、良いのじゃ。沈黙が心地悪くて、お主に何か聞こうかと思ったのじゃが……特に聞きたいことも無かった」

「ひどい! 正直だけど、それだけにひどい!」


 平間は思わず身を乗り出して非難する。

 初対面の相手に、なんて失礼なことを言うんだ。

 いや、貴族の娘だしこれぐらいが当たり前なのか?


 平間のツッコミに少し眉をひそめた壱子はいかにも渋々といった形で、再び口を開く。

 ちなみに餡子は付けたままだ、


「ふむ……では聞いてやろう。平間、お主はイヌ派かネコ派か、どっちじゃ」

「あ、すごく広がりそうな話題だね。んー、僕はネコ派かな。お高くとまっているようで時々ドジなところとか」

「そうか。イヌの方が好きじゃ」

「ああ、うん、イヌも良いよね……どうして?」

「媚びてくるのが、中々に愉悦ゆえな」

「……そっか!」


 ダメだ、会話が続かない!

 これは平間が「イヌが好き」といえば良かったのかも知れないが、そんなの後出しジャンケンだ。


 今度は平間が話題を振る番、になるのか……?

 だとしても、この平間は今まで同年代の女の子とろくに言葉を交わしたことも無いのだ。

 一体どんな話題を選べば……アレか、アレに触れるか?


「あのさ、壱子ちゃん……?」

「壱子でいい。あるいは壱子様(いちこさま)でもいい」


 自分で言うか、それを。

 とは思ったが、平間はそれを口に出すほど野暮でもない。


「じゃあ壱子、その、さっきから左のほっぺたに付いているものは何?」

「はぁ、ほっぺた……? お(ぬし)はいきなり何を言い出すのじゃ」


 そう言って壱子は指で頬を拭うと、その顔を見る見る赤くしていく。

 そして目にも止まらぬ速さで(ふところ)から手ぬぐいを出し、手早く拭き取った。


「……何も見てないな?」

「いやいやいや、さすがに無かったことにするのは無理があると思う」

「そんなことは無い。私は頬に餡子をくっつけるという失策を犯してなどおらぬし、こっそり屋敷から持ってきたおはぎを食べていたことも無い」


 やっぱりおはぎを食べていたのか。

 しかもこっそり持ってきたのか。


「……美味しかった?」

「うむ、絶品じゃった! ……あ」


 壱子は満面の笑みで、さらっと前言撤回してしまう。

 あまりのおかしさに、平間は思わず噴き出した。

 この子、意外と迂闊だ。


「なな、何がおかしい! 好きなのだから仕方あるまい!」

「別に何も責めてないよ」

「いや、馬鹿にした! 絶対に馬鹿にした!!」


 腕を振り回して言う壱子を、ひょうひょうと平間は流す。

 貴族の娘といっても、中身は普通の子供と同じらしい。

 違うところといえば、少し尊大なところがあるくらいか。


 顔を真っ赤にして今にも飛び掛ってきそうな剣幕の壱子に平間が苦笑していると、部屋の入り口の(ふすま)が開いた。

 噴き出す冷や汗を自覚しつつ、平間は慌てて視線を向ける。

 すると、そこに立っていたのは着物姿の美人だった。


 平間が見惚れていると、その袖を壱子がちょいちょいと引いた、

 目を向ければ、壱子は眉をひそめながら、唇に人差し指を当てている。

 おはぎのことは黙っていろ、ということだろうか。


 平間があいまいに頷いていると、くだんの美人が壱子の隣に腰を下ろす。

 彼女は手短にたたずまいを正すと、柔らかく微笑んで口を開く。


「ごめんなさいね、遅くなっちゃって」

「いえ、そんなことは……。すみませんが、あなたは?」

(わたくし)佐田梅乃(さだうめの)。この壱子ちゃんの姉で、祓魔討鬼(ふつまとうき)係の長を勤めさせていただくことになっています。よろしくね、平間京作くん?」

「あ、はい! よろしくお願いします」

「ええ、よろしく」


 流麗に自己紹介を済ますと、梅乃(うめの)は白百合のような笑顔を平間に向ける。

 異性なれしていない平間の心臓は、自分でも情けないほどに大きく跳ね上がった。


――それにしても、二人とも「佐田」か。


 平間は緊張を押し殺しながら、眼前の梅乃を観察する。


 梅乃の歳は、二十(はたち)そこそこだろう。

 長い黒髪を鮮やかな“かんざし”でまとめて、壱子と同様に上質な着物を身にまとっている。

 その華麗な装いもそうだが、それ以上に彼女自身のなんとも品の良い佇まいが、控えめながらも絶対的な魅力を(かも)()していた。


「さあ平間君、祓魔討鬼(ふつまとうき)係へようこそ。ちょっと長いから……そうね、祓魔係(ふつまがかり)とでも呼んでおこうかしら。まだ出来たばかりなので何もないけど、どうか楽にしてね」

「ありがとうございます。梅乃さんが祓魔係の長を勤められるということは、つまり……僕の上役(うわやく)ってことですか?」

「ええ。私なんかが、って思うかもしれないけど……」

「そんな、とんでもないです!」


 梅乃と名乗った女性の物腰があまりに低いので、平間はついつい恐縮してしまう。

 役柄も家柄も、梅乃のほうが上なのに。

 平間は梅乃とお近づきになれることが、素直に嬉しかった。


 ただ、違和感はある。

 後宮――帝の妃などが住まう宮殿――の管理など、特殊な部署を除いて、女性が役人として働くなどという話は聞いたことが無い。

 しかし梅乃は「出来たばかり」と言っていたし、新部署ならではの試みなのだろうか。

 祓魔討鬼(ふつまとうき)係という仰々しい名前も、どこか現実離れしているように思える。


 考えれば考えるほど、何かがおかしい。

 まだここに来て間もないが、この時点で既に平間はそう確信していた。

 嫌な予感がする。


 だが、こんな美人と働けるのなら悪くない……いや、むしろ嬉しい。

 もしかしたら、とんでもない当たりクジを引いたのかもしれない。

 平間が頬を緩めていると、梅乃がおもむろに口を開く。


「平間くん、壱子ちゃんとはもう自己紹介は済ませた?」

「あ、はい、一応は」


 そう言って平間はちらりと壱子のほうを見ると、壱子は梅乃の横で大人しく正座して、口元にはわざとらしく小さな笑みさえ浮かべている。

 梅乃が来るまであんなに偉そうだったのに。

 ……さてはこの子、ネコかぶっているな。


 その壱子の髪を撫でながら、梅乃が独り言のようにこぼした。


「なら良かった。この子ったら人見知りだから初対面の人と仲良くなるのが苦手なのよ。それで、平間君は祓魔係(ここ)について説明は受けている?」

「いいえ、それがサッパリ……大学寮(だいがくりょう)の人から、今日この時間にここへ来るように言われただけで……」

「だったら、説明はそこからね。さて、何から話したものかしら……」


 梅乃はあごに手を当てて、小首をかしげてみせる。

 物思いにふけるそのありふれた仕草も、梅乃のような美人がやれば絵になるものだ。

 そう平間が感心していると、梅乃は思いついたように言葉を紡いでいく。


「祓魔係は、いわゆる隙間(スキマ)産業的な部署なの」

「隙間産業?」

「ええ。ここでは他所(よそ)で扱えない“信憑性の低い案件”を調査します。しかし信憑性が低いとは言っても、緊急性が高いものを扱います」

「すみません、おっしゃる意味がよく分からないのですが……つまりどういう案件なんですか?」


 戸惑う平間を見て、梅乃は微笑みながら言う。


「そうね。ざっくばらんに言えば、妖怪よ」


 平間の悪い予感は、的中した。



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