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恋愛小品集

君が通り過ぎてゆく

作者: 香月よう子

 そもそもの出逢いはいわゆる合コンだった。


 俺の通うU大とその兄妹校であるU女子大との、ジャスト8対8。

 しかし、(ヤロー)共の視線は最初から、一人の女の子だけに注がれている。


 クレストブリッジュチェックが特色の『BLUE(ブルー)LABEL(レーベル)』の上品な淡いパステルオレンジのワンピースに身を包み、そのロングの巻き髪を可憐に揺らしている。

 零れ落ちんばかりに大きな淡い茶色の瞳に、きゅっと引き締まった可憐な口唇くちびる

 そんな彼女……『三浦(みうら)美和(みわ)』。

 ハイセンスで知られるU女子の女の子達の中でも、彼女は遙かに群を抜いていたからだった。


 しかし、美和のガードは固かった。

 それは不自然すぎるとも言える強硬さで、それこそ、にこりともせず、近づく男を片端からぴしゃり!とはねつけている。

 考えてみれば、これほど可愛い女の子だ。

 彼氏(オトコ)がいないわけがない。

 きっと、数合わせか何かでいやいや連れ出されてきたといったそんなところだろう。


 それでも、俺は。

 俺は、美和の存在だけに釘付けになっていた。

 しかし、「よろしくやれれば」というような下心はまるで起こらない。

 ただ、惹きつけられる。

 それは、俺が生きてきた二十年の人生の中で初めて経験する、形容しがたい感情だった。


 その内に、男共は美和をオトスのに見切りをつけ、掌を返したように散り散りと他の女の子達の席へ移っていった。

 ……俺だけを除いて。


「座っても、いいかな」

 ロックの水割りを手に俺は、美和の隣へと近づき、初めて彼女に声をかけた。

「どうぞ」

 と、美和は答えたが、俺の顔は見ようともしない。

 俺は美和の隣の席に座り、とりあえず黙ってひとり、飲むことにした。



挿絵(By みてみん)



 美和も無言のまま、カルーアミルクを飲んでいる。

 時々、ちらりと視線を美和へと向けると、美和は空になっても(グラス)をその長く細い両の指で握りしめたまま、じっと何かを想っているようだった。

 その固い手触りが何なのか計りかね、それ以上やはり言葉はかけなかった。


 が、それでも、俺の心は不思議と穏やかだった。

 何故だか充たされているような優しい想い……。

 そんな時間(とき)が、一時間以上流れた。


 そして。

 いよいよ、その合コンがお開きという最後になって、俺は無駄だと知りつつも、

「これ、俺の名前とアドレス」

 と、テーブルの上の紙ナプキンに書いた走り書きの紙片(メモ)を美和の目の前に置いた。

 美和は暫くじっとそれを見つめている。


 が、次の瞬間。

 ふっと肩の力を抜くように、美和のしなやかな細い指はそのメモを取ったのだ。

 そして、更に信じられないことに、

「ちょっとガキっぽいけど、好きなの」

 と、初めて笑んで、システム手帖の中から、『くまのプーさん』のイラスト入りの名刺(アドレス)……それには、住所に名前、IDが載っている!……それを一枚、俺に手渡したのだ。


 蜂蜜の壺を抱えたプーさんは、柔らかい笑顔でミツバチたちと一緒に笑っていた。



 ◇◆◇



 そうやって手に入れた、夢のような名刺だったが、俺はしかし、電話はおろか、LINEを送ることさえも何故かしなかった。

 ただ、毅然としていながらもどこか淋しげに見えた美和を、その美しい横顔を想う日々が一ヶ月近く続いていた。

 そんな『純愛』と言えなくもない俺の想いが天に通じたのかどうか。それはわからない。

 しかし、それは十一月に入ったばかりの或る夕暮れだった。


 自室のベッドに仰向けに寝転んで、美和がくれたプーさんを眺めていた時。

 不意に、傍らの携帯スマホが鳴った。

『あの、久保(くぼ)……。琢郎(たくろう)さんですか?』

 その覚えの薄い上品な女の声に、俺はまさかと思った。

『あの。三浦美和、です。合コンの時の……覚えてらっしゃる?』

「勿論、覚えてるよ!」

 情けないことに、俺の声は上擦っている。

『でも。ごめんなさい……。迷惑ですよ、ね……』

「迷惑なんかじゃないよ!俺、嬉しいよ」


 でも……。


「何で。どうしてそんな泣きそうな声、してるの」

 美和はどうやら、電話口で涙ぐんでいる気配だったのだ。

「今、どこからかけてるの?」

 その俺の問いに美和は、「自宅から……」と小さな声で答えた。

 俺は、更に言葉を重ねた。

「三浦さんのとこの家、俺ん家から近いんだよ。良かったら今から、マンションまで行くよ。だから、駅からの道順、教えてくれる?」

 毎日、飽くこともなく眺めていた『プーさん』のおかげで、俺は美和の家の住所を諳んじられるほど記憶していたのだ。

 美和の家へは、同じ路線で駅三つ。

 俺のその強引な申し出に、美和は多少躊躇っていたが、か細い声で自宅への道を教えてくれた。

 そして、マンションの前で待っていると言った。


 俺は、ジャケット一枚羽織ると家を飛び出し、タイミング良く来た電車に飛び乗って、美和の最寄り駅にすぐ着いた。ここまで僅か十五分。

 北改札口を出て、左へ折れて、三番目の路地を左へ入る、と。そして、坂を上ってゆく。

 その間中、木枯らしに晒されながらも、俺の心臓(むね)は暖かかった。

 そして、坂の上まで来ると右手には、想像していた通りの瀟洒なマンションが現れた。

 美和はマンションの前で、黄昏れて俺を待っていた。

 俺は一瞬、その清楚な佇まいに見とれてしまったが、

「三浦さん!どうしたの?いったい」

 と、はやる胸を押さえて、駆け寄った。



 ◇◆◇



「どうぞ」

 美和は、銀のトレーにのせた何とも言えず優美な青い花柄のティーカップを、ガラステーブルの上に置いた。

 そして、カップと同じ模様(デザイン)のポットからティーストレーナーを使って紅茶を注いだ。

「お砂糖とそれにミルクは?」

「え。ああ、えーと適当に……」

 自慢にもならないが、ティーパックでしか紅茶など飲んだことのない俺に、ピッチャーに温めたミルクなど出されてもどうしていいかわからない。

 美和は少し首を傾げると、砂糖壺シュガーポットからスプーン二杯の砂糖シュガーを入れ、「失礼」と呟きながらかき混ぜた。

 そして、改めて俺の前にカップを差し出した。

 俺は、「有難う」と言うのがやっとだったが、飲んでみた紅茶は、さすがに俺の家にある『LIPTON』とは違うと思った。


 そんなことに気を取られている間、美和は無言で砂糖もミルクも入れないプレーンな紅茶を口にしていた。

 その表情は暗く、憂いに沈んでいる。

 俺は、やっとここに来た本来の経緯を思い出した。

 美和は俯いている。華奢な肩を落として。

 何を考えているのだろう……。

 その視線は虚ろに漂っている。

 俺の存在など元からないかのように。

 美和と俺しかいないこの部屋の中で、尚更俺には何もできるわけがない。出来るはずはなかった。


 しかし。


 その様子はあまりにも痛々しげで、俺は無意識にカップをテーブルの上に置くと、ローソファにもたれかかっている美和の隣へと座り、おもむろに美和を抱き寄せていた。

 そんな俺の行動にも、美和は無防備だった。

 唯、美和はよほど辛かったのだろう。

 俺の胸にその美しい顔を伏せると、声を殺して泣き出した。


 何がそんなに君を苦しめているのか……。

 俺は唯、それだけを思った。

 果てしない時間が続く。

 それは、永遠のようだった──────


 しかし、紅茶がすっかり冷め、その独特の強い香りもいつの間にか消えてしまった頃。

「何も聞かずに……何もしないでいてくれるのね」

 と、美和はぽつりと呟いた。

 赤い目をしたその小さな顔を俺の胸に預けたまま。

「いいよ……。話したくなかったら、理由も言わなくていい。ただ……君が少しでも楽になれるなら。俺でいいのなら、いつでも呼んでくれよ。俺、飛んでくるからさ。今日みたいに」

 努めておどけて言ってみせた。

 美和の心が和らぐように。


「理由は……」

 そこまで言って、美和は暫し言い淀んだが、

「理由は。貴方にとってはすこぶる失礼な話だと思う。……それでもいい?」

 と、問いかけてきた。

「君が喋って楽になるならね」

 俺のことなら気にしなくていい、と俺は答えた。


「私。おつきあいしてる人が、いたの……」

「いた、て……」

 何故、過去形?

「ふられた、の?」

 俺は、言葉を選びながら問うた。


 しかし、美和は無言でかぶりを振る。

 そして、桜色の口唇をきゅっと噛んだ。

 次の言葉を口にするかどうか、逡巡しているようだったが、

「彼ね。自動車事故で天国へ行ってしまったの」

 と、呟いた。


「いつ……?」

 俺の問いに、

「一年前の……今日」

 と、美和は静かに呟いた。

「忘れられないの? 彼のこと?」

 こくりと美和は頷いた。

 小さな肩がまた震えた。


「どうして。どうして、私だけを置いて、一人で逝ってしまったの? 同じ車に乗っていたのに。どうして……」

 そう言うと、美和はまた泣き出した。

 (ひさし)……尚……と、彼であろう名を口にしながら、辛い、辛いと。


 俺は、美和をただ抱き締めた。

 美和の深い、深すぎる悲しみが、俺の心を貫いた。

 そのか細い躰を折れんばかりに抱き締めながら今、ここで、美和を抱いた方が美和も楽になるかもしれないと思ったが、しかし、俺は『(ひさし)』じゃない。

 そんなことをしても、美和も俺も、結局は傷ついてしまうだけだ。

 俺にはこれ以上、どうすることも出来ない。

 ただただ俺に縋って泣きじゃくる美和は、どんなに辛く苦しいだろうと、俺はその震える肩を抱きながら思う。

 忘れろという方が無理だろう。


 俺だって。

 俺だって、美和がこの世からいなくなったら、耐えられない……。


 けれど。

 けれど、少しでも俺のことを思い出してくれたのなら、どうかそんなに哀しまないでくれ。

 例え君が俺のこと愛せないとしても、俺は。


 俺はいつも君の側にいるよ────── 


 だから、泣かないでおくれ。

 俺は君がいる限り生きていくから。


 ずっと君だけを想うから……。


 


本作は、家紋武載さま主催「過去の挫折企画」参加作品です。


家紋さま、お読み頂いた方、どうもありがとうございます!


(作者、企画期間中に入院・手術を控えておりますので、ご感想へのお返事が遅れる場合がございます。

必ずお返事させて頂きますので、その旨ご了承頂けますと幸いです。)

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[一言]  弱ってるところにつけこんだら、卑怯なのでしょうかね(汗)  つけこんてきてくれたら、それに縋って甘えたいのにって気持ちが、いくらかないのかな? とは思います。  少なくとも、どうせつけこも…
[良い点] 死別という形での恋愛関係の幕引きは、何とも切なくて悲しいですね。 オマケに同じ車に乗っていて事故に遭ったのですから、「自分だけ生き残ってしまった…」というサバイバーズギルトにも悩まされてい…
[良い点] レビューから来ました。 素敵なお話でした! しっとりとしたお話で、言葉にならない人間の心の動きが伝わってくるのです。 思わず電話をかけてしまうほどの美和さんの過去のつらさ。 『尚じゃない』…
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