水でさえ致死量はある。抗がん剤は言わずもがな。
水のLD50は6リットルだそうだ。
多いと感じるかはそれぞれだろうけど、地上で溺死した方もいらっしゃるらしい。
まぁ、直接は何ら関係ないけど、身内が亡くなった。
一番近しい身内が…
つまりは、母だ。
まだ、平均寿命には20年も余裕があったはずなんだが、亡くなってしまった。
僕が近しい身内を亡くすのは、これで、二人目。
祖父母を含めるなら、六人目だが…
祖父母相手には、なんだか近しいって表現はなんか違う気がする。
ゆえに、僕の気持ちにとっては二人目だ。
母は癌だった。
8年前に進行した癌が見つかり大手術の末に回復した。
回復。
そう、回復だ。
完治には至らなかった…
進行した癌はその細胞を、体内にまいてしまう。
だから、大部分の患部を取り除いたら、抗がん剤で癌の芽を潰すという処置が一般的らしい。
…手法としては、確かに正しいのだろう。
残念ながら僕らには恩恵が無かったわけだが…
8年間…
母は抗がん剤と戦った。
抗がん剤と共に癌と戦った訳ではない。
抗がん剤の副作用と戦ったのだ。
では、抗がん剤とは何かご存知だろうか?
当たり前だがどんな薬でも、薬にはほぼ副作用がある。
しかし、抗がん剤の副作用は、かなり別格だ。
何が言いたいかと言うと…
つまり抗がん剤は、癌という、人体の中で作られた、人体に限りなく近い異物を殺すための薬で、同時に人体そのものを壊しながら効力を発揮するということ。
抗がん剤を飲むとは、結果的に毒を飲んでいるのと、変わらないわけだ…
通常の薬が、規定量を守っていれば副作用が極少ないバランスに調整されているのとは訳が違う。
薬を飲み過ぎれば、体に悪影響があるという話ではない。
体をぶっ壊しながら、癌を殺すのが前提の薬…
飲めば飲んだだけ死に近づくのが確定している薬なのだ。
回復するかは別にして、ね。
つまり、抗がん剤の効果が薄かったり無かった場合は、毒を飲んでいるだけってことになる。
死に至る猛毒を…
薬の副作用について、髪の毛が抜けるとか、白髪になるとか、その程度の知識しかなかった僕は、結局、母が抜き差しならない状況になるまで、その事に思い至らなかった。
つまり、母が…命を削って抗がん剤を飲んでいるという事実に、だ。
僕の母は、心配されるという事を極端に嫌う人だったからというのも理由の1つだ。
結局、母が1日に数時間しか、意識を保てなくなるまで、僕ら兄弟は医者からの話を聞く機会を持てなかった。
余命1ヶ月と言われたその時まで、医者とは母と父だけが話していた…
バカな話だ…
現実から目を背けたかった父は、その段に至っても、終末医療が必要になるかもしれないと口にした。
なに言ってるんだ?って思ったかな。
明日をも知れない命の母には、終末医療以外の何も与えられはしないのに…
そのことにすら意識が至っていない父に、任せっきりにしてしまっていた。
そのことそのものに打ちのめされた気分だった…
すぐ近くに住んでいながら、状況が見えていなかった。
そんな僕もバカさ加減では父と同罪だろう…
また…
また僕は失敗したんだ…
酷く心が削られて、頭の中を次善策とは何だったのか。いつまでもいつまでも駆け巡って尽きなかった。
何の意味も無いのにね。
だって、その医者の言葉の3日後には、二度と母には会えなくなったんだから…
全てはもうとっくに遅すぎたんだから!!
嘆いていても意味はないから、抗がん剤の現状について語ろうか。
まず、前提としてどんな薬にも効果に差がある。
人によって効き目が違う。
でも、効きが弱いとか強いとか、それくらいの認識だと思う。
効かなくて死んじゃう事はほとんどない。
抗がん剤の場合も確かに似たような部分はあるけど…
効かないとホントに効果がないし、効くときは劇的に効くですって。
まぁ、うちの母には結局のところ全く効かない薬ばかりだったんだけどね。
命を削ってということの意味は、結局のところ、内蔵の…特に心臓に負担をかけているということだ。
生きる力を削ぎ取られて母は亡くなった。
直接的な表現をすれば、抗がん剤の毒により、心臓を止められて母は亡くなった。
癌ではなく、抗がん剤の副作用によって、心臓を動かすだけの体力も維持できなくなって亡くなった。
何度でも言おう。
癌に殺されたのではなく、薬による心不全が直接の死因だった。
なぜ、そこに拘って話すかと言えば、繰り返したくないからだ。
自分や妻や子供や親父や弟妹に、同じ災難が降りかかったときに、同じ選択をしたくない。
そして、これを読んだ誰かにも、検討の一助になれば…
つまり、癌との共生を考える時期を間違えないための覚え書きだ。
癌は確かに恐ろしい。
放置すれば体内で増殖し、臓器の機能不全を引き起こす。
死にも至る。
でも…
緩やかな死を前提として、心と体にかかる負担を少なくして、時を過ごすという方法が確かにある。
そんなのは逃げだという意見もあるだろう。
諦めるなと叱咤する向きもあるかもしれない。
その通りだ。
逃げであり、諦めだ。
それの何がいけない?
僕は、僕らは母と既に現世では永遠に会えなくなった。
結局のところ、20近くの抗がん剤のどれも効果が殆ど無く、転移もしていたことがわかっている。
もう使える薬が無い状態まで、チャレンジした結果が、心不全なんて救いが無さすぎるじゃないか…
いつもいつも、ここ数年、苦しそうで辛そうな母の顔ばかりが、頭を過る。
さっさと、抗がん剤なんかに見切りをつけて、負担軽減にシフトしていれば、母との思い出を作れた可能性が高い。
旅行にも行けたはずだ…
まだ未定の弟の結婚式にも出れたかもしれない。
三人目の孫を抱けたかもしれない。
それも、嘆きでしかない。
もう取り戻せない過去…
全ては現状から目を背けたことと、無知から招いた結果だ。
だから、あえて書こう。
その抗がん剤って本当に必要ですか?
もちろん、癌と戦って勝つために使うことは否定しない。
でも、何度も繰り返して使って、既に体力が少なくなりすぎてませんか?
医者は、もう限界ってところまで、止めましょうって言いませんよ?
少なくともうちの母は、これ以上使ったら、心臓が止まります。って状態まで、品を変えて抗がん剤の投与がされましたよ?
医者としても、諦めましょうとは言いにくいのかもしれないけど、あえて言いますわ。
無責任だよなって。
まぁ、うちのバカ親父が聞いてて理解できなかっただけかもしれないけどさ…
都合の悪いことや聞きたくないことは、自然にフィルターがかかる羨ましい耳をしているらしいのでね。
とにかく、医者に負担軽減する方向で話をするべきタイミングを逃さないようにするべきだと思ったのですよ。
これは覚え書き。
僕の個人的な備忘録だ。
本来は、人に見せるべきかすら怪しい。
でも、僕はこのどうしようもなく嫌な気分を風化させるのは嫌だったし、同じ気分を味わう人が1人でも減れば良いと思う。
もちろん、こんなチラシの裏の殴り書きが、誰かの生き死にに影響を与えることなんてないだろう。
だけど…
僕自身は抗がん剤の在り方ではなく、使われ方に疑問を持った。
全く使わないという選択肢は無しだと思う。
でも、本人の体調によっては、これ以上は使わないという思考を除外しない方が、少しでも納得できる最後を迎えられる可能性が残るんじゃないだろうか…
そう思ったので、ここに、この文を残そうと思う。
自分自身と何処かの誰かのために…
もしも、時が巻き戻せるなら…
僕は昨年の春の時点で、抗がん剤の使用をとめるだろう。
その時点で既に17の薬を試しているから。
もちろん、癌による苦しみがどんなものになるのかは、わからない。
苦しみ抜いて亡くなる結果になるのかもしれない…
でも…
その部分を話し合って決めたかった。
母と話し合った上で、一緒に悩んで支えてあげたかった。
1日にたった数時間ほど、意識を保つだけで、あとは眠り続ける母の頭を撫でてやることしかできなかった無力な時間…
どれだけ寂しかったか…
自業自得はその通りだ。
甘んじて受けよう。
母や父とのコミュニケーションをあまり持とうとしなかった自分の責任だ。
話して変化に気付いて、医者に怒鳴りこめれば止められたのだろう。
母が父と隠したくて隠したくて仕方なかった秘密を暴いて、叱りつけて、無理矢理止めさせることもできたかもしれない。
出来なかった…
だから、後悔している。
二度とは繰り返したくないんだ…それだけだ。
あくまでも僕の勝手な言い分なので、ほんとかなぁって位で読んで貰えるとありがたいです。