ある『もの』の話
カチッ、と、おれの意識が覚醒する。
――おはよう、およそ1日ぶりの目覚めだね。調子はどうだい?
目を開いたおれの目に飛び込んできたのは白衣を着た2人の男だった。
「体の機能に異常は認められません」
おれはベッドから体を起こしながら平坦な声で返す。その方が相手にとっては1番聞き取りやすいと考えているからだ。
「下半身を除いて、ですが」
おれの下半身はぴくりとも動かない。もっとも、それももう慣れてしまったが。
――そうか。
2人の男のうち、背の低い方が申し訳なさそうに答える。
――君、1週間前の記憶はあるかい?
背の高い方が尋ねてきた。
「はい。山田さん、谷口さん、西川さん、吉野さんと共にテニスを行いました」
その時におれの体は壊れてしまった。うちにはあまりお金は無いため、なおすことは叶わなかった。しかし、おれに後悔はない。その時のおれは空を羽ばたく鳥であった。海を泳ぐ魚であった。大地を駆ける獣であった。この世界は素晴らしいと考えることができた。今思い起こすと、おれはあの時テニスがたのしいと感じていたのではなかろうか。おれは、何かをたのしいと感じたのはその時が初めてだった。残念ながら、どんなにたのしいと感じてもおれは表情を変えることができない。生まれつきそうなのだ。だが、相手の表情を読み取るくらいはできる。今、目の前にいる男2人は顔を見合わせ、悲痛な面持ちを浮かべている。そして、なにやらぼそぼそとしゃべっている。
――……だな。……つは………にならない。
――ああ、こいつは処分……しかない。
…処分?今あいつらは処分と言ったか?何を?まさかおれを?いやそんなバカな。だがあいつらは明らかにこっちを指さしている。
――やり直しだ。もう一回……から………だ。
――廃棄はするな、使い道はたくさんある。
やめろ、やめてくれ。おれは生きている。嫌だ、死にたくない。死ぬだなんて恐ろしいこと。怖い怖い怖い怖い嫌だ嫌だ嫌だ嫌だおれは死にたくないんだ…。
圧倒的な感情の波に飲まれ声も出ない。
殺すな、やめろ、死にたくない、怖い、やめて、まだ生きてる、怖い、殺すな、怖い怖いやめrrrrrrrrr……
プツン。
白い部屋の中央に置かれたベッド。その上にはたった今電源を落とされたばかりのロボット。その傍らに白衣を着た背の高い男と背の低い男。「感情のあるロボット…今回も駄目でしたね」
「ああ…設計は間違っていないはずなのだが、感情なんてもんは現れてきやしない」
「案外表面に出ていないだけだったりして」
「いやそれはないな。いくらロボットだからといって、感情があれば表に出さないはずがないだろう?」
「それもそうですね。それじゃあとりあえず、次の782体目では成功することを祈って飲みに行きましょうか」
「ああ、次の飲み会では祝杯をあげてやる!」
「その意気です、先輩!!」
ハハハという笑い声を残して2人は白い部屋から出て行った。部屋の中央には生命を宿していたモノが1つ、それから、沈黙だけが…残る。
ある『物』の話改め、ある『者』の話でした。ちなみにこの科学者たちは、無自覚とはいえ、今の時点で781体の、心をもつものを殺しているっていうことになりますよね。