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3月12日 千葉県
関東地方に属しているこの県の森林地帯に近いある場所ではまだ早朝にも関わらず多数の人が何かを待つように集まっていた。
「えっと、場所はここで合っているのかな?SNSの情報だとここのはずだけど・・・」
手に持ったスマートフォンの画面を覗きながら八代 ゆかはそう確認するように呟く、高校を卒業し、来月にはフランスに留学を控えていたが日本の転移により今後の人生設計に多大な影響を受けた彼女は今ある目的のためにこの場所にやってきていた。
「他の人もいるし場所はあっているとは思うけど、本当なのかなぁ・・・」
「おや、お嬢さん見かけない顔だね、あなたも配給を受けにきたくちかい?」
辺りを見渡していた八代に背後から声を掛けられる。振り向くとそこには一人の白髪まじりのお爺さんがガードレールにもたれ掛るように腰を下ろしていた。今時着物を着ているなんて珍しいなと思った彼女だったが質問されたからには答えなければならないという謎の使命感に動かされて笑顔で話す。
「はい、SNSでここの事を知って、丁度地元だったこともあり来ました。お爺ちゃんもそうですか?」
「そうかそうか、こんな朝早くから大変だねぇ、儂は配給の見守りに来ただけじゃ、それでもこの時間はちっと堪えるがのう。それでだがお嬢ちゃん、年寄りのちょっとしたアドバイスだが配給を待つのなら向こうで持つのをお勧めするよ、今日はあそこで配られるだろうからねぇ」
「え?」
お爺さんの言葉に首をかしげる八代、彼が指差していたのは他の人が列をつくっている場所とは離れている森の入り口に近いところだったからだ、そんなところで配給が始めるとは到底思えない。
「まぁ、信じるか信じないかはお嬢さん自身じゃがな」
お爺さんがそう軽く笑う、この時八代は何故か彼の言葉を信じて教えられた場所で待つことにした。その間にも別の所にできている人の列はどんどん長くなっていき次第に彼女は不安に駆られていく。今からでも列に加わるべきかどうか考えているとき背後、正確には森の中から複数人の男性の声がして慌てて振り返る。そこには銃、恐らく猟銃を肩にかけながら歩く猟師たちが協力しながら獲物と思われる動物を運んでいた。
「うし、もう面倒だし今日はここで捌くとするか、誰か政府から派遣された担当者を連れてきてくれ」
リーダーと思われる人物がそう話す。しばらくするとスーツを着た人が数人、列をつくっていた方からやってきて猟師たちと何やら話し合っている。やがてスーツを着た方が折れたのか指示を出して配給の準備が始まった。その間に猟師たちは自分たちが仕留めた獲物に刃を入れて捌いていた。遠目から見ていた八代はその動物をはじめは日本鹿かなと思っていたがそれにはやけに体が小さい、その正体が何なのかと思考を重ねていた彼女だったが、ふと昔見たニュースを思い出し答えにたどり着く。
キョン
シカ科ホエジカ属に属する鹿の一種で環境省が特定外来生物にしている動物。元々は中国東部や台湾に生息していたのを日本が輸入して動物園で展示して居たものだ、それが脱走して千葉県では大繁殖して農作物などの被害が騒がれていた。この動物面倒な事に季節繁殖ではなく周年繁殖な為、1年中子供をつくるせいでその数を劇的に増加させていて手を焼いている。ただ、肉質は柔らかくて脂肪も少ないため中華料理には使われることもあるのだそうだ。
「よし、準備も終わったことだし早速だが配給を始めるか」
リーダーの猟師がそう宣言し配給が始まる。場所はお爺さんが言っていたところだ、当然八代が一番で受け取ることができた。牛をはじめとした畜肉はと畜場法によってと畜場での解体が義務付けられているが研究用や野生動物は例外である。とはいえ流石に大衆に配るとなると何かあった時困るので農林水産省・環境省・厚生労働省の職員が監修の下安全性を確保しての配給としている。これは他の地域でも同様であり、猟師が捕えた鹿や猪の肉を善意によって提供されている。畜産業が壊滅した日本にとって魚以外の動物性たんぱく質は非常に貴重となっているため何気に人気は高いらしい、害獣として疎まれていた動物たちが今やある種の生命線となるとは皮肉である。
「おやおや、その様子だとしっかりもらえたようじゃな、お嬢さん」
「はい、おかげさまで今夜の食事は兄も帰ってくるので久しぶりに豪華になりそうです。ありがとうございます」
配給物が入っている紙袋を胸に抱きしめながらお礼を言う八代、抱きしめた紙袋から温もりを感じるのは寄生虫対策で軽くボイルしたからだろう、礼を言われて満足そうにうなずくお爺さん。これも何かの縁という事でそのまま会話が弾む二人、彼女の話によると兄がJAXAに就いており今は小笠原で勤務していたが急遽戻ってくるらしくそのお祝いの為にこの場に来たらしい、ついでに父親が近いうちに環境省の役員として日ノ出に赴く関係でその送別会も兼ねていること、無駄にエリートな家庭である。
「そうかそうか、お父さんが日ノ出にのぉ、今のご時世では何かと大変であろう」
「私も将来どうしようか困っていて・・・就職するにも仕事なんてありませんし、いっその事私も日ノ出に行けたらなぁと思うくらいで」
八代がそう呟く、留学がお釈迦になったせいで今後の振舞について悩んでいることを吐露する。日に日に計画経済へと傾いていく今の日本経済では仕事一つ探すのも一苦労である。まずどの企業も開店休業状態の中わざわざ新しく人を雇うところなどないむしろパートやアルバイトを率先して切り始めるほどだ。中には日ノ出に己の居場所を求める者も出たが現在の日ノ出は政府関係者しか渡航を許されていないこともあり国民の生活は悪化の一途をたどっている。
「っと、もうこんな時間か・・・そろそろ帰らなくちゃ、お爺さん、私はこれで失礼します」
「おうそうか、まぁお嬢さん、国の政から離れたこの身が言えたものではないが、おぬしの思ったことをやればよい、結局のところ動かなければ何も始まらんからのう」
そう言って別れる二人、八代は元来た道を戻り、それをお爺さんが手を振って見送る。配給が終わったのか他の人も帰路につき始める。中には配給物がもらえず肩を落としている者もいるがこればっかしは猟師の腕と運に左右されるため仕方ない、暫くして人気がなくなった地でお爺さんが一人伸びをする。背骨が曲がっているとは思えないほどきれいにまっすぐな伸び、というか普通に背筋伸ばして立っているのですが・・・
“タケミカヅチ様との誓いを破って諏訪の地からやってきた価値があった。ばれる前に帰るのが良いのは分かっておるが、折角の機会だしもう少し外を見て回っても良いだろう”
無人となった地に突風が吹く、風が止んだ後お爺さんは忽然とその姿を消していた。
同日 東京都 竹芝客船ターミナル
「なぁ、いまさら言うのもあれだが私が来る必要はあったのか?」
「住民の疎開事業が今日で完了するのですから事業の中心人物が居ても不思議はないと思いますが不満ですか?榎本国交大臣」
船着き場で大衆ともに船の到着を待つ大臣とその秘書官の二人、目の前に広がる海原の水平線近くにはまだ小さいが一隻の船が近づいてきていた。
「いやまぁそれは承知しているのだが正直言って眠気がすごくてな、出来ることなら寝たいのだが・・・」
「そんな簡単に眠りにつけるとお思いですか?本省に帰っても書類の山の処理が残っているので今日も徹夜ですよ」
秘書官の言葉を聞きあからさまにげんなりとした表情を見せる榎本大臣、勘弁してくれと今にも逃げたしそうな雰囲気である。正直言って今の内閣官僚の睡眠時間の平均を出したら某ブラック企業も真っ青な結果が出るだろう、それくらい日本が置かれている状況が逼迫している証拠でもあるのだが・・・
そんな風に時間を潰しているといつの間にか目的の船が到着したようで接岸の準備に入っていた。その接岸も無事に終え船内からぞろぞろと人が降りて来る。彼らは小笠原諸島で生活していた住民たちである。何しろ燃料が切迫してきている今の日本に遠く離れた離島まで物資を輸送している余裕などない故、転移当初から本土への疎開が実施されてきた、これは沖縄県を除くすべての離島住民が対象でありようやくその疎開が終わりを迎えたのだった。
「よし、出迎えはもういいだろう後は任せた。俺は寝る」
「ちょ、何言っているのですが大臣!まだこの後JAXAの職員との謁見が・・・って行っちゃいましたか・・・もう!」
公然と職務放棄する大臣に頭を痛める秘書官、任された以上はしっかりと役目を果たさなければならない向こうの反応を想像して今度は胃が痛みだす。重い足取りで秘書官は約束の場所に向かって行った。
「イツツ・・・もう少し平和的に起こせなかったのか?何もグーで殴ることはないだろ」
痛む頭を押さえながら榎本大臣がそう言う、残りの予定を秘書官に押し付けてから3時間後、彼は予定を済まして来た秘書官の拳によって文字通りたたき起こされたのであった。
「大臣の自業自得です。後これ向こうの所長さんから預かりました。衛星電波の送受信を担当している職員が気になる物を見つけたそうです」
不機嫌そうに話す秘書官が手に持っていた封筒を渡す。中には文書と何枚かの写真が入っていた。恐らく衛星画像をコピーしたものだろう大地が赤い事から日本国外の場所を写したことが分かる。その資料を読み進める榎本大臣だったが次第にその顔が嫌なものを見たような表情に変わっていく。
「これはまた面倒なもんを持ってきたなぁ、これ明日の会議に提出するから調整しといてくれる?」
「承知しました。それでこの後の予定ですが本省に戻った後、書類仕事ですのでお願いします」
「マジで勘弁してくれぇ・・・」
淡々と告げる秘書官と悲痛な声を上げる大臣、4日目の徹夜が決定した瞬間である。そしてその翌日の会議にて・・・
「で、これは一体何なのかね?由妃秘書官」
「この世界の人工物と思われる発行体と資料には記載されておりますが正確なところ分かっておりません、伊東総理」
伊東総理の質問に答える榎本大臣の秘書官、榎本本人は徹夜が祟ったのかダウンしており本日も秘書官を代理に立てて欠席である。それは置いておき今話している議題は昨日JAXAの者から提出された資料の内容についてである。会議室に設けられているスクリーンには一枚の衛星画像が映し出されている。それには中央に何やら光っている物体が確認できるだがそれが太陽の光を反射してか自身の力で光っているのかまでは分からない。
「このタイミングでまた扱いに困る物を・・・それでだが資料によるとJAXAはこの未確定地点・・・通称Xポイントの調査を依頼すると書かれているが間違いないか?」
「はい、間違いありませんですが実際に行うかどうかは政府の決定に委ねるとのことです」
「西郷君、自衛隊が調査することは可能か?」
「可能ではありますが距離的に少数を送るのが関の山です。また燃料の問題もありますが・・・」
西郷防衛大臣が答える。Xポイントに位置は日ノ出駐屯地から北西へおよそ300km、日ノ出の領域の範囲外である。車輌を出すとしても時速40kmで移動しても片道7.5時間の距離しかも不整地の所を走るのだから燃料の消費も激しいだろう、今の日本にはつらい出費である。
「送ろう、もしかしたら今の日本に役立つものがあるかもしれん、なくても古代の存在が残した遺跡だ、この星についての事が多少分かるかもしれないからな」
暫しの沈黙のあと総理がそう発言する。少なくともこの世界の住民の痕跡が見つかったのだからそれだけでもかなりの収穫だろうこのまま放っておくのも惜しい、それに国民のストレスもそろそろ限界に来そうであるここで話題性のあることを報告して息抜きする必要もあるだろうそれらを踏まえての総理の決定だった。