FILE.32
林らが日之出を離れ水那富へと飛び立った頃、日之出のとある区画にてスーツに身を包んだ男性が静かに歩みを進めていた。
彼の歩いている区画には日本本土より輸送され植樹された数種類の樹木が立ち並んでおり、木々の葉が僅かな風を受けてカサカサと音を立てて揺らいでいる。言うまでもないがここは環境省及び農林水産省が保有する実験区である。ただ、元々が水が不足しがちで土壌の栄養分も粗悪な土地柄であるせいか植えられている植物群はか細く弱々しいものが大半であり、中には枯死している樹木すらあった。
そんな今にも力尽きそうな人工林の中を男はまるで何かを探すように周囲を見渡しながらあちらこちらと歩み続け、やがて目的の物を見つけたのか今度は方向を定めて林の中を進んでいく。
「はぁ、ようやく見つけましたよ。カヤ様、いえ、鹿屋野比売神殿、いきなり行方知れずになったかと思いきやこのような荒涼とした地で一体何をしていたのですか」
「む?これはまた珍しい客神が来たものじゃのう。まだ月が昇るには早いと思うぞ、ツクヨミ」
目的の場所に行きついた男、月神であるツクヨミが目線を少し上に上げて樹木の幹に体を預けるような体勢で枝に座っている浅い緑色の和装を着付けた若葉色の髪を伸ばした少女風な女性に向けて声を掛ける。声を掛けられた女性はというとまるで物珍しいものを見るような視線をツクヨミに向けて軽口を口にする。
「話を逸らさないでくださいよ。草木の神であり森林守護を担う貴方がこのような荒れ果てた地に居るだけでなく、あまつさえ訳の分からない怪奇現象を引き起こして人様に迷惑をかけるなど状況が状況なら大問題になっているところですよ」
カヤノヒメの軽口を受けたツクヨミが若干呆れたような表情を見せる。
今回ツクヨミが日之出に訪れたのは突如として行方を眩ましたカヤノヒメが日之出で怪奇現象まがいの事を引き起こしているという情報をアマテラス様が日本政府経由で仕入れてきたため、その真偽の確認と真実であった時は彼女自身を連れ戻す事を目的としていた。また、仮に連れ戻す事が不可能と判断した場合は怪奇現象を起こしたその真意を問いつつ今後の対応に関して決めるようにも言い渡されていた。
「怪奇現象とは人聞きの悪い言い方をするのう。ただ妾は日の本が危機に陥っていると耳にしたから人知れず力を貸しているだけじゃぞ、それにツクヨミよ、そなた先ほど妾のことを草木の神と言っておったが一応これでも開拓や灌漑やら色々受け持っておるのじゃが、今のこの地には打ってつけであろう」
「人知れず、ねぇ……」
カヤノヒメの反論を聞き流しながら周囲に視線を向けるツクヨミ、よくよく観察してみると貧弱そうな林の中でカヤノヒメの周りの植物だけが妙に生き生きとしている事が見て取れた。そこはやはり草木の神という事なのだろう、植物だけではなくそれらが根付いている地表もまた彼女の神気を受けて改善されて行っているようだ。もっとも今のツクヨミにとってはその事は対して重要な事ではないのだが。
「人知れず、というのでしたらもう少し自重を心掛けてもらえますかねぇ、怪奇現象とか言われている時点で説得力が地に落ちてしまっていますよ。それに人間やその社会に介入する場合はまずは姉上に話を通してもらわなければいらぬ混乱を生んで逆に困ります。第一わざわざカヤ様自らが出ずともこの程度であれば人間だけで対処できると思いますが?」
そう言って小言を挟みながらツクヨミが疑問を呈する。
当然のことだが日本政府、この場合は環境省や農林水産省と言うべきだろうが何もただやみくもに植樹を行っていたわけではない。寧ろ政策開始当初からこのような事態に陥ることは推測されてすらもいた。それでも推し進めていたのは結局のところ実際にやってみない事には得られるものが少ない故に打開策も立てられないという理由に落ち付いたからである。
そして8ヶ月が経った今、長期に渡る実験によって得られた情報を元にようやく事態の打開のための一手が打たれようとしていた。
今までは植物、主に木本の能力を用いて土壌の改良を図って来たが今度は少し規模を縮小し微生物を利用しての改善に舵をきっていた。
理由としてはやはり植樹に掛かる労力に対して得られる効果が少ない事が一番に挙げられる。なにしろ大きいものでは10mに達してしかも意外と嵩張る物を決して大きくはない輸送機で運ぶのだ。それに加えて移植する前段階として岩盤の掘削に土壌の搬入……効率が悪いったらありゃしない。
そんな訳で今回新たに打ち立てられた方針ではとにかく一度原点に立ち戻って過程を重んじ、効率を求める方向へとシフトしていくことになっていた。
とにかくいくら植物を導入しようと思っていてもそれを受け入れる土壌がしっかりしていなければ無駄ということでまずは時間がかかっても構わないから安定化させることを優先する。特に生態系において重要な分解者が死滅している状態はまずいため一先ずは小さい事だがこれらの導入を着実に行っていくことになる。
この方式であれば少なくとも輸送効率は級数的に飛躍する。また同時に植物類は生長したものではなく種子の状態で輸送や播種を行えば労力も小さくすることが出来る。
本来なら自然再生において基礎中の基礎であることだったのだが、今回に限っては厳しすぎる環境と少しでも早く結果を出そうと求めすぎたのが相まってその辺の事がおろそかになってしまっていたようだ。とは言えそれも数多の失敗を経て修正を加えた事によっていずれは解決の目を見るだろうとツクヨミは分析しており、緑地化に関してはすでに自分たちの出る幕はないと考えていた。
「むう……そこまで言うのであれば致し方あるまい。ここはおぬしの言う通りに戻るとするかのう」
「出来れば最初からそうしてもらえると有り難かったのですけどねぇ」
ツクヨミの話を聞いていたカヤノヒメが如何にも渋々と言った感じで日本へ戻る事に同意して腰かけていた樹から飛び降りる。そのまま特に意味があるわけでもなく徒歩で実験区の外へとツクヨミと共に向かう。
「ところでツクヨミ、おぬし心なしかやつれたのではないか?」
「皆が皆、好き勝手やっているせいでその後始末が大変なものでして」
「皆も大概自由じゃのう。人様に迷惑を掛けてなければ良いが」
「迷惑を起こしている筆頭の貴方がそれを言いますか……」
自分の事を完全に棚に上げているカヤノヒメ様の物言いに胃痛が痛いとでも言いかねないツクヨミ様、何と言うかご愁傷様としか言いようのない光景であった。
モノート古代遺跡
所変わって日本が新たに発見したモノート古代遺跡では転移後に外務省を再編して立ち上げられた探査省の探査員達が自衛隊員と共に数日間を通して行う定期探索を進めている最中であった。
本当なら拠点を築いてじっくりと調査を進めておきたいところだが、距離が離れすぎている事、既に手中に収めているミーホウ古代遺跡ですら手に余っている現状を踏まえると定期的な調査で手を打つのが精いっぱいであった。
そんな訳で現地で部下を率いて調査を進めていた十束 剣探査員も今回で3回目となる定期探索の最終日ということで見回りがてら古代遺跡内で他の探査員らに対して撤退準備の指揮をしていた。
「機材関係は次回の調査でも使うので簡単に防塵措置をしておいてください。あと、モノート族の石像には間違っても触れないでくださいよー。もし壊したりでもしたら最悪過失致死罪でしょっぴかれるかも知れませんから」
「怖い事言わないでくださいよ。十束さん、ところで回収した魔導盤はどういたしますか」
十束の言葉に引きつった表情を浮かべながら探査員の一人が箱に詰め込まれた円形状の石板を抱えて彼に問うてくる。
「魔導盤に関しては八洲調査員からもサンプルとして確保するように頼まれていますからねぇ、ヘリに載せられるだけ載せておいてください。ただし、石像の維持に使われている物には手を付けないでくださいよ。あ、そこ。素材サンプルの管理は慎重に行ってください。下手に扱って調査課の人たちに怒られても自己責任ですからね」
「了解でーす」
そんな感じで言葉を交わしながらテキパキと撤収の準備を進めていく十束達一同、既に前の2回の探索を経験しているのでその動作には全くの無駄が無い。
『十束探査員、申し訳ないのですがD階層まで降りてきてもらってもよろしいでしょうか?少し気になる部屋を見つけたので』
慌ただしいながらも特に問題らしい問題も起こらずに準備が進んでいっている事を確認したので一度地上に出ようとした十束に対して無線機によりそんな通信が入る。
お呼ばれして無視する訳にもいかないので急いでD階層――すなわち古代遺跡の最下層に向かった。
この階層は探索当初に葉山達らがエメル達モノート族を保護した場所でありそれなりに調査は進んでいる方である。だが、意外にも広場となっている空間が大きくそれに加えて部屋数も膨大、しまいにはいくつかの枝道がこれでもかと言わんばかりの複雑に絡まり合って迷宮化しているせいでまだまだ調べる箇所はごまんとあるのが現状だ。そんなわけで新しい発見があってもさして不思議な事ではなかった。
と、そんな感じに補足をしている合間に部下と合流して『気になる部屋』と言う所に連れていかれる十束、大広間から伸びる枝道の一本を右へ左へと進んで行きやがてたどり着いたのは他の部屋と似通った扉の前であった。
見た目は他の部屋と似たような感じで外からではそこまで気になるような箇所は見当たらない。なら、中かと思い部屋に入ってみるが内部も今まで調べてきた部屋と殆ど同じで壁をくり抜いて作られたベットと岩を削ってこしらえたと思われる机類が置いてあるだけであった。机の上には作りかけの魔導盤と思われるものが散乱していたがやはりそこまでおかしさは感じない。
「あ、間違えた。こっちの隣の部屋でした」
「しっかりしてくださいよ。疲れているのではないですか?」
一体どこに気になる箇所があるのか考えあぐねている十束に部下が軽い感じで話す。その言いようの軽さに真剣に考えていたことが馬鹿らしくなる。
そのまま間違えた部屋を出て今度は右側に5mほど離れた場所にある部屋の前に移動する。やはりこちらも外側には気になる物は見当たらない。敢えて上げるとすれば扉に魔導盤が1枚取り付けられているくらいであろう。
そのまま突っ立っていても仕方がないので中へと入ってみるとそこには天井ギリギリまで建てられている棚の列が何列も並べられている大広間になっていた。奥行きは目測で100mはあるだろう。幅もこれまでの部屋と比べて段違いで左右それぞれ50mはある。
確かにこれなら報告の一つぐらいしてくるだろうなと理解すると同時にふと、ある疑問が頭の中に浮かぶ。
「ん~?私達すぐ隣の部屋からこっちに来ましたよね?部屋の大きさおかしくありませんか?」
首を傾げながら自分の頭の中で渦巻いていた疑問を吐露する。
十束達がやってきたのは今の部屋から左にある部屋でその距離は僅か5m程度である。だが、今いる部屋は扉を中心にそれぞれ50mずつ左右に広がっている。どう考えても物理的な法則を無視しているのである。
「自分もそう思い連絡したんですよ。まぁ、部屋の異常な大きさに関しては魔法かなんかだと考えていますが、それよりもこの棚に収められている物も見てください。物凄い量のサンプルですよ。これだけあれば調査課の方達も研究に困ることは無いでしょう」
十束の言葉を耳にして部下がそう答える。そのまま話題は部屋に設置されている棚に収められている物へと移っていく。
促されるままに棚に置かれている箱型の容器の一つを除いてみるとそこには綺麗に整頓された何枚もの魔導盤が並べられていた。他のにも魔導盤とは違う文字らしきものが記されている石板や種類不明の鉱石といったものが大量に保存されており、その量は今まで彼らが調査して手に入れてきた研究サンプルを容易に上回っていた。
「もしかしてこれ全部の棚に同じように片付けられているのですか?だとしたらモノート族由来の技術解明の速度が飛躍的に上がりますよ!お手柄です。よく見つけてくれました」
発見した物の価値の大きさに気付き興奮気味に部下を褒め称える。
今までのモノート古代遺跡に関連する研究はそのサンプルの少なさも相まってミーホウ古代遺跡の研究のおまけ的な感じで進められてきたが今回の発見によってその研究スピードの加速が大いに期待出来る。
出来る事なら今すぐにでも水那富駐屯地に持ち帰りたいところではあるがそろそろ出発の時間に差し迫っていたため回収は次回に持ち越して今回は報告に纏めるに留めることにした。
そういう事で帰りのヘリに向かうために地上へと繋がっている大広間まで戻って来た十束であったが、階段に向かうところで広間の中央辺りで自衛隊員の男性が一人立っていることに気付く。
「おや、葉山隊員こんな所でどうしたのですか?確かそろそろヘリの出発時刻のはずでしたよね」
「十束さん、まだここにいたのですか。てっきりもう上に戻られたのかと思っていました。いやですね。他に人が残って居ないか最後の確認をしていたのですが、アンティアがそこでまた幻術での演説映像を確認したいと言っていてそれでちょっと足止めと言った所です。はい」
話しかけられて初めて十束の存在を知ったのか若干驚いた様子で質問に答えたのは葉山三等陸尉であった。その彼の後ろにはさっきは光の加減で見えていなかったがミーホウ族のアンティアが何やら自分と同じようにやたらと透明感がある人型の光の物体を食い入るように見つめていた。
「演説映像というと確かモノート族の王族が残したと言われているものでしたね。かなり前に見つけていたものだったはずですが、何か新しい発見でもしたのですか?」
「いえ、アンティアが言うには一字一句発見当初と全く同じ内容らしいのですが、どうにも気になるらしくさっきからずっと同じものを見続けているのですよ」
アンティアの行動を不思議に思ったのか十束が質問を重ねる。先ほどから話に出ている演説映像と言うのは十束達がこの古代遺跡の調査を始めて初期の頃に見つけた物でアンティアが言うには時封石と呼ばれる鉱石を用いたモノート族特有の記録媒体によって記録されていたもので、ちょっとしたホログラム技術のようなものである。
調査初期の頃の発見物であったので調査自体は記録内容含め既に終わっていたので何か新しい発見でもあったのかと思ったがどうも違うようだ。もっとも質問された葉山隊員もよくわかっていない様子ではあったが。
「まぁ、別に問題を起こしているわけでもないので何もいう事は無いのですが……ところで葉山隊員、先ほど確認とおっしゃっていましたが、そうなると撤収の準備はもう完了したという事でいいんですよね?」
「ええ、そうです。丁度今は人員の確認を行っているところでそれが終わり次第、ここを発つ手筈になっています」
「そうですか分かりました。それでは我々も迷惑にならないうちに合流することにします。葉山隊員も出発時刻までには遅れずに来てください」
「了解しました」
軽く現状の把握をしたところでもうしばらくアンティアに付き合わされて動けそうにない葉山隊員を置いて先に地上に上がる事にした十束、彼女の行動も気になるには気になるがどうせ後で報告の一つでもあるだろうと考え階段を早足で上がっていくのであった。




