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「やっとこさ、護衛任務が終わったというのにエンジン不良のせいで待ちぼうけをくらうとかマジでついてねぇ、水那富での書類整理の仕事が溜まっているのに勘弁してくれよ」
C-2の傍らで林三等陸曹がため息をつきながら己に降りかかった不幸を嘆く。
今回彼は別任務中の葉山隊員の代わりに10名ほどを率いてとある理由で日ノ出へと戻っていたわけだが、その用事も終わり戻ろうとした際に帰りの便で使う予定の輸送機に問題が起きたせいで代わりの機が用意されるまで足止めをされていたのであった。
「ここのところ酷使していましたからね。流石に限界が来たという事でしょう。文句言ってもどうにもなりませんって、副隊長」
部下の一人にそう諭される。
ここ最近は日之出を中心に本土は勿論の事、南方や水那富、更に北方にあるモノート古代遺跡まで活動範囲が広がりそれらの活動を支える物資の輸送のために昼夜問わずフル稼働していたのでどうしても整備などの作業が不足気味になってしまう。そのような運用を続けていれば遅かれ早かれこういう事態は起こっていただろう。
そのことは林自身も重々承知しているが実際に自分が出くわすとなるとやはり小言の一つは言いたくなる物だ。
「まぁ、分かっちゃいるけどよぉ。エメルさん達も検査とかで疲れているのにすみませんね」
『大丈夫ですよ。林様、せっかく自衛隊の皆様のご厚意で生活させてもらっているのにこの程度で文句を言ってしまっては罰が当たってしまいますわ』
林三曹の気遣いにそう笑顔で返したのは長い金髪を後ろで縛ったエメラルド色の瞳をもったエルフ……この世界ではモノート族と呼ばれる女性であった。名前はエメル・ホルイー・エンペラッサと言う。
自衛隊によって回収、ではなく保護された彼の種族であったが、現在は水那富駐屯地にて拡充された施設を流用して生活してもらっている。
今日、日ノ出駐屯地に来ていたのは彼女たちが保護されてから定期的に実施している定期健診を受けるためであった。
なにしろ今までの常識では推し量れない種族であるので彼女たちが生活を支えるために提供している食料をはじめとした日本由来のものがもしかしたら害になっている可能性が否定できずにいるため、それらの不確定要素を解明するためにもとにかく情報を集める事を優先しているわけである。
これは保護されているエメル達モノート族もある意味で自分らの命に関係する事であるので率先して協力してくれている。
「そういえばエメルさん、差支えがなかったらでよいのですが今日はどのような検査をしたのですか?前回の検査に参加した方達に軽度のトラウマに似た症状が見られたこともありますので何か問題があればこちらから意見を届けておきますが」
待機している間これといってやることもないので林がそんな話をエメルに振る。
モノート族を保護して早2か月、定期検査は2週間に1回の頻度で1度に3、4人が受ける体制となっている。依然の検査では保護した13人の中で恐らく一番最年少と思われる男の子2人と女の子が1人受けたのだが、どういう訳か検査が終わった後泣きじゃくってしまって対応に困ってしまった。
『そうですね。今日受けたものは確か採血というものとアレルギー検査?というよくわからないものでした。前に受けた者から話は聞いてはいたのですが自分の身体に針を刺すなんて今思い出すだけでもゾッとしますわ』
「あー確かに注射は日本でも嫌いな人が多いですからねぇ、初めてなら仕方ありませんよ……もしかして前の奴ってそれが原因か?いや、けどラドンさんは普通に受けていたような――」
エメルの話を聞き考察に入った林がふとそんな疑問を思い浮かべる。
モノート族よりも早い時期から交流しているラドン(アンティアは現時点では生命体では無いため免除されている)も例外なく各種検査を受けておりその際に簡単な説明を行った訳だが、その時には特に問題もなく寧ろカテル・ルルオ文明圏の医療技術についての講義が始まるなどしていたのだが、どうやら文明圏ごとに技術体系や水準がかなり異なっているようである。
『それと問題、と言う訳ではないのですが、先ほどから視線を感じて居心地が悪くて落ち着かないのですがどうにかならないでしょうか?』
考え込んでいた林に向けてエメルがバツの悪そうな表情を浮かべて小声で話す。
顔を動かさずに目線を彼女の背後の方に向けてみるとそこにはフェンス越しからカメラなどを持った人だかりが幾つか散見できた。
「(水那富を出る前に言っていた記者団の人たちか、大方政府の方で取材拒否喰らって流れてきたと言った所かな)申し訳ないですがあれに関してはもうしばらく辛抱してもらってもいいですか、多分日之出以外の所には来ないと思いますので――あ、そうだ。エメルさんすみませんが首に着けている翻訳機これで隠してもらえませんか?流石に事情を知らないものから見たらそれ印象が悪いので」
何となく事情を察した林は彼女にそう頼みながらスカーフ状の布を手渡す。
エメルも特に何かを言わずに彼から受け取った布を自分の首周りに巻き付ける。その際彼女の首に付けられていた首輪が日の光を浴びて一瞬キラリと光を反射した。
彼女をはじめとして他のモノート族もつけているこの首輪はミーホウ族より支給された簡易的な声帯認識型の翻訳機であり、日本人とモノート族間での意思疎通を円滑に進めるためにアンティアが突貫で生成したものである。
これが作られる前はモノート族との交流は全てアンティアもしくはラドンといったミーホウ族の者を介して行っていたのだが、流石にそれでは効率が悪い上に翻訳を受け持っていたミーホウ族2人が面倒くさくなった為、その改善として作られた訳である。
システムの仕組み的には装着者の声帯の振動を感知してその信号をミーホウ古代遺跡に存在するデータベースで同時解析をしつつ翻訳した言語を音声として再生成するとかなんとかアンティアによる講義が数時間ほど行われたのだが実際に理解できた者は数人しかいない。
それでも性能としては申し分ないし、使用によって今までと比べて各交流の効率も級数的に向上しているのでそのまま利用し続けているのだが、一つ問題があるとするとシステムの都合上翻訳機の装着が首に限定されるうえにデザインが何の変哲のないメタリック的な首輪の意匠をしているせいで傍目から見ると拘束具的な印象を受けていらぬ誤解を与えかねないと言う所である。
勿論、復拓領域に居る者たちの大半はそのあたりの事情は把握しているものの今回はマスコミと言う民間人がいる手前、林も余計な面倒事は起こさないに越したことはないとエメルに首元を隠すように指示したのだろう。
「手を煩わせてすみませんね。本当であれば輸送機で早々にここから離れている手筈になっていたのですが」
『お気になされなくても大丈夫ですよ。このくらいでしたらどうという事もありませんわ』
「あーいたいた。林三等陸曹!代わりの機体を用意しましたので移動をお願いします。あと、ついでで悪いのですが要人の警護任務も頼みました」
話しを続けていた二人の下に空自の隊員がそう大声で叫びながら近づいてくる。どうやらようやく水那富へ戻るための代わりの便の準備が整ったようだ。
「ようやくか、了解した!――って、要人警護?そんな話は聞いていないぞ?」
報告を聞いて返事を返した林であったがそこで知らず知らずのうちに追加されていた新たな任務の存在に気付いて聞き返す。
「ついさっき駐屯地司令部の方で決まったようなので知らなくても仕方ありませんよ。まぁ、色々上の方でもあったようなので詳しい事は陸さん同士で確認しておいてください。そういう訳で要人一名の護衛、頼みました。それでは!」
「あ、おい、ちょっと待て!」
早口で事の顛末を言いきった後、間を作らずにその場を駆け足で離脱した空自隊員を見て慌てて呼び止めようとするがすでに遅く、後にはまだ少し状況が掴めていない林の部下とモノート族が数人その場に残される。
そのまま居続けてもしょうがないので仕方なく代わりの機体に向けて移動を始める林ら一行、幾つか腑に落ちない事はあるが考えていてもどうしようもないため一先ず置いておくことにする。
「しかし要人の警護ねぇ……水那富に要人が視察に来るようなものは無かったと思うけど」
指定された場所に到着してモノート族には搭乗を、部下たちに待機を指示した林がそんな事を呟く。
元々水那富駐屯地はミーホウ古代遺跡の調査を円滑に進めるために設営された暫定的な拠点の意味合いが強く、政府が主導で進めている復拓政策の本拠地としている日ノ出と比べると視察してまで見るようなものは存在しない。仮に古代遺跡を目的にしているとしても現地で活動している隊員たちを含めまだ誰も完全に把握できているわけではないのでこれもまたそこまで意義のある様な事とは思えない。
「まぁ、こっちが考える様な事でもないか、それ以前に誰が来るのかすら知らされていないのだがどうしろと、要人と言うくらいだから大臣クラスなのだろうけど――」
「急な要請でありながら随分とすんなり話が進んだと思っていたがなるほど、丁度帰還する部隊がいた訳か。我ながら運がいい」
輸送機の傍で待機している林の耳に中年より更に上くらいの声が入り、声のした方を振り向く。そこには数人のSPに守られながら歩く田中 光秀官房長官がいた。
「か、官房長官!?」
思っていた以上の大物を目の前にして驚きを隠せない林三曹、まさか政権の中で総理に次ぐ実質的なナンバー2の地位を持っている者がくるなど想像もしていなかった。
「おや、君はもしかして林三等陸曹かな?」
「へ?はい、確かにその通りですが……」
驚きが冷め切らぬ所に官房長官直々に話しかけられて更に困惑する。一介の自衛官でしかない自分の事を地位も立場も雲泥の差がある者に知られていて加えて声を掛けられればそんな反応も当然であろう。もっとも田中官房長が林の事を知っていた理由は彼が次に口にした言葉ではっきりする事になった。
「いやはや、まさかこんなところで例の探査部隊の者と会えるとは。貴官らの活躍は政府の方でも色々聞かされていますよ」
そう笑顔で話す官房長、どうやら林たちの属する小隊の騒動は政府の方では活躍という事で片付けられているようである。いや、確かにそのおかげで日本の領域外での活動範囲を拡大する切っ掛けにはなっていると言えばそうなのだが、明らかに騒動、もう少しよく言っても珍道中としか言えないようなトラブルの数々を活躍と言っていいものなのか現場で巻き込まれていた林にとっては疑問としか思えなかった。
「そういう訳で例の古代遺跡に着くまでの間よろしく頼みますよ」
「は、はい。承知しました。(てか、なんで官房長官が直接古代遺跡に視察来るんだよ。たいしたもの無いぞ。あそこ)」
「――今回の視察は時間稼ぎも兼ねて個人的に希望したものです。そろそろ孫に釘の一本か二本は刺しておいた方が良いと思ってね。君たちが考えているほど深い意味があるわけでもないからそうかしこまらなくても結構だ。気を楽にしてくれたまえ」
まるで心の中を読んだかのように言葉を返す官房長官に対して林含め全員が「サトリかよ!?」と思ったが余計心を読まれそうなので深く考えることを放棄する。
「そ、そうでしたか……ん?孫?」
会話の中で違和感のある単語を耳にした林の中にそんな疑問が浮かび上がる。水那富駐屯地はまだ小規模なため在中している人員も割かし顔見知りになるため、ある程度の人間関係は林のような者でも把握しているが少なくとも彼は官房長の孫にあたるような人物に心当たりは無かった。
「む?なんだ日御子の奴、自分の出で立ちについて話してはいないのか、防衛省、文部省からは問題を起こしてよく報告書で話に上がってるのだが」
話が飲み込めていない事に気付いたのか田中官房長がそのような事を口にする。彼の物言いから察するにどうやら彼の孫は省の方では話に出るぐらいの有名人、というか問題児だという事が推測できる。
(なぁ、日御子って名前ってもしかして――)
(確か文部省の派遣員の八洲さんがそんな名前だったと思いますよ)
(あの自爆魔、官房長の血縁かよ!?全然そんな雰囲気無かったぞ)
官房長の言葉を聞いてある人物を思い浮かべた林含む陸自隊員の誰もが小声で話し合う。彼らの話を聞く限りどうやら八洲調査員の印象はかなりヒドイ感じになっているなと聞き耳を立てている田中官房長が苦笑する。
「ちょっと林隊員!準備まだ終わらないのですか?早くしてもらわないと燃料が勿体無いですよ」
「おわっと、すまん。すぐに終わらすからもう少し待っていてくれ、そういう訳で官房長官、輸送機なので乗り心地は悪いでしょうがそろそろ出発しても構わないでしょうか」
「問題ない。急な事で手数を掛けるがよろしく頼むよ」
痺れを切らした空自の輸送機パイロットに怒鳴られて慌てて言葉を返す。そしてそのまま官房長官に出発の旨を伝えて輸送機に搭乗した一同は日之出を離れて水那富駐屯地へと向かうのであった。




