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10月7日・日ノ出駐屯地
駐屯地内で施設された滑走路の傍らにいつもならあるはずもない機体が2機止まっていた。
B-777-300ER――ボーイング社製旅客機であるがその外観は白い胴体に金のアンダーラインが付いた赤色の帯が施されており、機体の両側に日本国旗と日本語・英語で書かれた国名から日本の政府専用機であることが見て取れる。
本来この機体は日本の千歳基地にあるものでそれがここにあるという事はここ日之出に日本の要人が訪れていることを意味している。
「ご多忙な中での来訪、感謝します。総理、見ての通り飾りっ気のない場所で御座いますがどうぞごゆっくり下さい」
そう言ってやや角度の浅い会釈をするような形で敬礼をしたのは日ノ出駐屯地を始め日之出で活動する自衛隊の全部隊を纏める葉山 幸三郎陸将であった。
挨拶を受けて伊東総理も軽く言葉を返した後、そのまま休むことなく視察へと移る。
そもそも何故このタイミングで視察が行われたのかといえば、表向きには現場の現状と本土での認識の差を是正することとなってはいるが、実の所世論と野党対策の面が大きい。
復拓政策が開始されてから8か月、実行直後には何もなかったこの地も今では一定の施設が建て揃い活動を続けるための必要最低限の環境も整ったことから次の段階へと移ろうとしていた。だが、その次の段階が思った以上に予算と手間が掛かる。
当初の予定では一定の施設環境が整い次第民間の入植を執り行う予定ではあったが想定以上に国外の自然環境が厳しい事が判明したため、そっち方面にも手を加えなければならなくなり未だに民間の受け入れは行われてはいない。そういう訳で今回の視察を通して今の日之出の現状を国民にそれとなく伝えることも目的の一つと言える。
「見た感じでは駐屯地内は日本にあるものと引けを取らない程度には充実しているのだな」
葉山陸将に連れられて駐屯地内を見聞していた伊東総理が率直な感想を述べる。
総理の言う通り駐屯地には空自の航空団が丸々1個置けるほどの航空施設を始め、自衛隊の司令部や医療施設、日之出で活動している隊員や各省庁の役員用の官舎と必要最低限な能力は保有しており駐屯地内であれば人が生活する分には充分のような感じを受ける。
「幸いにもここには政府関係者しかいませんので一般人を気にする必要もなく、ここまで設備の拡充を進めることが出来ました。また、官舎に関しては今駐屯している隊員よりもさらに余裕を持った数を用意していますので今後の人員の増加にもある程度対応できるようにしております。――ただ、駐屯地外の開拓に関しては好調とは言えません。軍事目的として求められた自衛隊の施設能力では流石に専門外の事に対応出来るほど万能ではないので今後は自衛隊よりも民間の土木企業の建設能力の方が必要とされるかと、その件に関しては政府としてはどのようになされるのでしょうか?」
葉山陸将が総理の言葉に補足するように説明を加えて最後に現在の問題とそれに対しての政府の対応についての質問を述べる。
日本が異世界へと転移してきてからずっと奮戦してきた自衛隊ではあるがここ最近は求められている事柄の関係から能力不足が否めなくなってきていた。
現在、日之出で執り行われている事業は農林省の植林事業と農地開拓、気象庁の気象観測所の設営、国交省と経産省の共同による日之出南方にある鉱脈地帯及び水那富を繋ぐ陸路の開発と鉱山開発、環境省、復興省共同の復拓地域における生態系の整備と明らかに自衛隊が行うには難しい物が多い。
今のところは現場の部隊が精神論と思考を巡らしてあの手この手で対処しているがあまり褒められたものではない。そんな事情もあり防衛省や現地部隊としては早々に民間企業を参加させて代ってほしいものだがそれも先の理由で政府が慎重になっていて実現するかどうかも分からない状況だ。葉山陸将でなくても不安になる。
「その問題の件は防衛省からも度々言われています。今はマスコミも付近に居ますので詳しい事は言いませんが実を言うと経産省の方から防衛省と協力してある法案を制作しているとの情報が私にも届いていましてな。内容はまだ分かりかねますがその法案が通れば理論上では民間企業を現地に入れることが可能になると伝え聞いています」
陸将の言葉に口たらずながらも総理が答える。
本来であれば陸将と言っても一自衛隊員でしかない葉山の質問に総理自ら答える必要性は無いはずだがわざわざ答えた辺り総理自身も色々思うところがあったのだろう。
ところでさっき総理が告げた経産省と防衛省が共同で作成している法案というのは何かというと自衛隊が行っている予備自衛官制度の改定に関する法案である。
諸々の理由から日之出への民間企業の参入を制限している中でありながら民間企業の能力を借りたい現状に対応するために経産省が考えだした策はこの予備自衛官制度を応用して一時的に国家公務員として組み込むというもので企業に適応できるように採用条件を組織ごとでも可能なように緩和するものだ。また、一部企業を書類上でPMC化させそれを政府が傭兵として雇い入れる方式も同時に進められておりこれで何かと制限が多い日之出方面で企業の自由を適度に制御しつつ事業に参入されられる態勢を作られようとしていた。この世界が滅び敵対勢力存在しないからこそ実行に移せた力技というべきだろう。
無論、問題が無いわけではない。
制度上自衛隊の一部隊として組み込まれるとはいっても本質は普通の企業だ。当然ながら今までの日之出で活動していた自衛隊の部隊と同様の扱いなど出来ない訳でそこは一定の配慮と調整が必要となる。
それなら事業ごとに関係省庁に管理を任せればいいのだろうがそうなると指揮系統が複数生まれてしまい混乱の元になりかねない。
第一何故これほどまでの回りくどくて面倒くさい事をしているのかと言われると日本の経済が自由主義に基づいて成り立っている事が起因している。
事業の受注は発注主が民間だろうが政府だろうが関係なく入札をはじめとしたやり取りを通して行われるが異世界に転移して仕事が全くもって無くなった中で安易に入札を始めてしまえば当然何が何としてでも受注しようと躍起になることは確実である。そうなれば力のある大企業が受注を独占することは想像に難くない。そうなれば企業間で過剰な格差を生み出しかねず後々問題になる。
それを避けようとして下手に政府が独断で指名をしてしまえばそれはそれで自由経済の観点から逸脱しかねない。更に一定の調査をしたとはいえまだまだ日之出は日本にとっては未踏の地、下手に動かれて問題を起こされてもかなわないのでどうにかして政府の管理下に置きたいがそれも前述した理由であまりいいことではない。
すでに食料の配給制などで多分に介入している状況で何を今更と思うかもしれないが非常時だからと言って例外としてあまり軽く扱ってしまえば事態が終息した後の処理が大変になるのだからここは是が非でも常道を貫く必要があった。
故にこの様な形となった。上下関係が確立され指揮系統もしっかりしていてかつ、総理を最高司令官として存在している自衛隊に組み込むという一見不可解で歪であろうと理屈を通すためにこの制度をくみ上げようとしていたのだ。
「政治に関しては詳しくはありませんがそれでも部隊を預かる身としてこれからも国家存続のために努力は惜しまない所存です」
集団での視察の終わりが近づいたところで葉山陸将がそう述べる。
依然として問題が山積している日之出の開拓だがそれでも日本の存続の為に必ずやり遂げて見せる。その決意の表れが彼の言葉には現れていた。
一通りの視察が終わり、後は大臣や官僚の個別での会議などを行っている最中、復拓政策の進展状況を国民に知らせるために共に連れて来られたメディア関係の者たちは駐屯地内での便宜的な自由行動を許された為、ある者は異世界の景色をカメラで収め、またある者は現地で活動している隊員らにコメントを求めたりと各々の判断で取材活動を行っていた。
そして駐屯地を囲むフェンスの傍でカメラを構えながら外で活動している自衛隊員たちを写真に収めていた夜明新聞記者の橘 正樹も新聞社の代表として今回の視察に同行した一人であった。
彼と彼の後輩兼助手である村岡 昭樹の二人の視線の先には赤く荒れ果て岩盤が剥き出しになった彼らにとって初めて見る異世界の土地で装輪式のりゅう弾砲を操作している陸上自衛隊の隊員たちがいた。
「国を出る前の説明で話には聞いてはいたが本当に何もないのだな、こりゃ政府も発表を渋るわけだ。村岡、そっちはいい絵は取れたか?」
「いえ、特には――こんな環境じゃ面白味もあったものじゃないですね、それよりあれは何をやっているのでしょうかね?やっぱし非常時とは言え日頃の訓練は欠かせないのでしょうか?」
カメラのシャッターを切るのを中断した橘は改めてこの地に抱いた心情を吐露しながら隣にいる村岡に話を振る。
話を振られた方はというとあまり成果が良くないのかそっけなく返してそんな疑問を橘に返す。
「村岡ぁー、お前も記者の端くれならもう少し深く考えて物を言ったらどうだ?国が不味いっていう状況で一番酷使される自衛隊にそんな余裕なんかないだろうが、しかも俺らのような者たちが活動している時なら尚更だ。そんなだからいつまでたっても編集長に記事を没にされるんだよ」
後輩の直感的な言葉に若干苦笑を浮かべながら橘がそう軽く諫める。
彼の書く記事は橘の主観ではあるが言葉を飾らない物事をそのまま書き表す手法を用いるためどうもインパクトに欠ける。個人的には新聞をはじめとする従来のメディアでは特異で面白いとは思っているしネット界隈ではそういう直接的な表現を好む所もある故に良いとは感じているものの情報媒体である新聞記者という情報を見せる職業を生業にしている都合上、受け手側である読者の印象が残らない記事という物は敬遠されがちでそれを踏まえると村岡の記事は新聞という大衆向けの情報企業の中では弱い立場であった。
「あれはどちらかというと編集長の思想が偏っているだけでしょう。自分、これでも務め始めてそれなりに経っているのですからそういう技術は会得しているつもりですよ?」
「まぁ、否定はしない」
村岡の反論に橘も短いながらも肯定する。
真実の報道などとよく謳っているが、悲しいかな。いくら公正中立の立場を貫こうとしても資本企業である以上、その社内方針はスポンサーである投資者の意向を多分に受けてしまう。大手であればあるほどその影響は大きく、個々の信条など無きに等しい。
それでも昨今ではネットの普及などによって個人単位でも情報の発信が容易になり多種多様な思想が織り交ざり情報の多角化が生じ始めてはいた。
そしてそれは異世界への転移を経てより一層の加速を果たすこととなる。
なにしろ日本の産業が軒並み機能不全を起こしている不安定な状況の中で出資する物好きなど居るはずもなく、全ての企業は大企業だろうが中小、零細関係なくそれぞれの持つ能力だけで経営を成り立たさなければならなくなってしまった。無論、政府による支援も数多く行われているが建前でも公正中立を謳っているメディア関連に関してはプライドが許さなかったのか一勢力に一方的にくみすることが出来ずにいたのだが、それが結果的に余計なしがらみから解放されるような形となり転移前と比べて様変わりしたように報道手法が変化したのは怪我の功名と言うべきか。
だが残念な事にしがらみが消えたとは言ってもそれは外部的な事柄であり企業である以上内部的な制約は依然として残り、上下関係が存在するため上司の思想が報道に影響するという事は未だに起こり得ていた。橘たちが所属する夜明新聞は特に顕著で彼らの上司である編集長が若いころはまぁそっち方面で活動していた過去もあり他と比べると転移前とあまり変わらない環境を維持していた。
「編集長の思想は確かにあれだが俺たちもこれで食わせてもらっている以上、どうしようのない事もあるのは仕方ない事さ、寧ろ今のご時世で手に職を付けられている事の方が幸運と言うべきだしな……!?村岡!あれを見ろ、あれ!」
「どれですか?――!!エルフ!?」
自分たちの職場環境について物を言いつつも明日の生活がそのままの意味で掛かっている現状では仕方のない面もあると受け取れる言葉を述べて橘が突然大きな声を上げてある方向に向けて指を差す。
いきなりの大声に驚きつつも殆ど反射的に村岡は彼の差した方を振り向く。橘の指の先には日ノ出駐屯地内に設けられている滑走路で離陸を待っている一機の輸送機を指していた。
そしてその輸送機の傍で自衛隊員と共に居る明らかに日本人とはその意匠が異なる存在を見て村岡も同じように驚きの声を上げる。
それもそのはず、彼らが目にしたその存在は日本がこの世界に転移してミーホウ族に次いで新たに出会った種族であり日本でも親しみが持ちやすいエルフ型の造形を持つモノート族なのだ。初めて見る人なら誰であっても驚く。
ちなみにミーホウ族やモノート族の存在に関しては政府を通して国民にもしっかり伝えられている。それが何故ここまでの驚きになっているのかというと政府の発表の文言がこの世界の原住民のようなものと接触したという物凄くアバウトな表現をしていたからだ。何しろ接触の仕方がどちらもかなり特殊なためありのままの事を話してしまうと常識的に考えて「お前は何を言っているのだ」状態になるためこんな風に発表するほかなかった。そういう訳で政府関係者ではない部外者が異世界人の容姿を実際に知ることになったのはこれが初めてという事となるため二人の驚きようもまぁ、当然の結果と言えるだろう。
そしてそんな話題性もインパクトもでかいものをみすみす逃すはずもなく付近にいたメディア関係の者たちがこぞって映像や画像を収めようとカメラのレンズを滑走路の方に向ける。
橘たちも同業者らに遅れを取らぬように駆け足でさっきまでいた場所を離れていくのであった。