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8月12日 日之出 環境省管轄区
日が沈み辺りが完全に闇に包まれたこの地を2人の自衛隊員が頭につけたライトの僅かな光を頼りに歩いていた。
「なぁ、どうして俺たち駐屯地の外の見回りなんかやっているのだ?ここ環境省の管轄だよな?」
隊員の1人が隣を歩いている同期の隊員にそんな疑問を投げかける。
整地など満足にされていない土地をほとんど視界がきかない状況で歩いているせいか時々つまずくせいでその声にはわずかに不満の感情が漏れている。
「警察がこっちに居ない以上、治安の維持もうちらの仕事だからな。見回りも大事な任務だろ?」
質問をされたもう1人の隊員が小銃を持ち直しながら何か異常が無いか付近を見回している。
「治安維持って言ってもねぇ……」
そう呟きながら同僚と同じように周りを見回すがあるのは本土からの輸送後、実験目的で植樹された樹木が弱々しく葉を揺らしているのみでそれ以外では遠くで駐屯地の建物の明かりが見えるだけだった。
そもそも論だが自分たちは滅びた世界に転移してきたのだから(今は多少違うが)敵対勢力など皆無であるはず、仮に居るとしたらそれは同じ日本人という事になるがここ居る者たちは皆公務員で構成されているはずだし、わざわざこんな逃げ道の無いところで何かをやらかすとも思えない。
「そういやここだけの話なんだが、ここ、出るらしいぞ」
「出るって――何が?」
何もないところをただ周っていることに馬鹿らしくなり始めた所で同僚が神妙な面持ちで静かに話す。
あまりにも話が唐突過ぎて思わずそう聞き返してしまったがすぐに下手を打ってしまったと後悔した。自分の相棒であるこいつが怪談やオカルトなどの類に普通以上の興味を持っていたことを思い出したからだ。
案の定、こっちが反応を示したことに気を良くしたのか嬉々として最近この辺りで目撃が多発している怪奇現象について話し始めた。妙におどろおどろしい感じで話すので無駄に不安な気持ちが膨れ上がるのだが、もう少し話し方を変えてくれないのだろうかと思いながらも相手が満足するまで話させておくことにした。
「最初に異変が起こったのはひと月も前でなぁ、この辺一帯は環境省が緑地化の試験場に使っていたこともあって色々な植物が試験的に植えられているのだが、そういう訳で環境省の職員が試験のデータを取っている最中にな、どこからか少女の声がしてきて不思議に思ったその職員が声のする方に行くとそこには誰も居なくてただ背の高い萱が生えているだけだったんだ――」
こんな感じにとくとくと同僚が話を進めていく。
正直言って草が生えていたぐらいだったら何を言っているんだか程度で済ませていたところだがどうもその生えていた植物の種類が環境省の持ってきたものには含まれておらず、植えた記憶もないためその時の職員も疑問に思ったらしい。結局、その時は何かの手違いだろうと思って報告以外のことはしなかったらしいが、その次の日に別の職員が作業しているとまた同じところから少女の声がしてきて見に行ってみるとその萱の集団が25mプールの広さまで広がっていたのだそうだ。
流石に不審に思ったのか、原因を探り始めた環境省であったがほぼ毎日のように似たような怪奇現象が起こっているにも関わらずその真相を今なお解明出来ておらず、最終的にはこっちに丸投げしてきたようである。
「現象は分かった。で、だ。それが別に幽霊の仕業とは限らないだろう?もしかしたらあのミーホウ族だっけか?その人たちかもしれないだろう?」
一通りの話が終わったのを見計らってそう自分の意見をねじ込む。
正直言って異世界への転移という現実離れな事象に現在進行形の形で出くわしているのに今更幽霊騒ぎなど馬鹿らしく感じる。
「いや、それは無いだろう。あの人たちはほとんど水那富駐屯地の方に入り浸っているからこっちに来ることは滅多に無いし、それに見回りの最中に緑色の髪をした少女を見たという情報がちらほら出てきているんだよ。それも悲鳴とも奇声ともとれない声を出して辺りをクルクル回転しながら動いている姿を……」
さも恐ろしそうに両手を挙げる仕草をする相棒に対して阿保かと口走りそうになるが時間の無駄なのでやめる。
「おい、そろそろいいだろう、いい加減向こうに戻ろうぜ」
――キャハハハ
もうそれなりの時間が経ったが特に何もないため駐屯地に戻ろうと相方に向かって話しかけるのと同時に不意に誰のものか分からない声が飛んでくる。
――イヒヒヒ
何事かと思う隙も無く再び声が響く。今度はしっかりとした女性の笑い声ともとれる声を耳が捉える。
そしてもう一度どこからともなく声が辺りに木霊する。
「なぁ、もしかして今までの怪奇現象もこんな風な声だったのか――?て、おい大丈夫か?顔色悪いぞ」
訳が分からず、流石に不気味に感じてたまらず同僚の方に顔を向けるとそこには顔を真っ青にして冷や汗をかいている相棒の姿があった。散々、オカルト話をしていたくせに実際に自分が出くわすのは怖いみたいだ。
相方のまさかの事実に呆れているとまた声が聞こえだす。しかも今度は何度も何度もまるでライブ会場のような幾重にも反響した声が響き続ける。
――キヒヒヒ
――――キャハハ
――――――イヒャハハハ、ノビテ、ヒロゲテ、ネヅケヨワガミタマ……
「何だ……そこに誰か居るのか!!」
とうとう耐えきれなくなり闇に支配された虚空の空間に向かって思いっきり叫ぶ。するとさっきまで聞こえていた声がヒタッと止まり静寂が訪れる。
急に訪れた静けさがかえって緊張感を膨らませてしまい、冷や汗が頬を伝って地面に落ちる。
そのまま数分が立ったが何も起こらない事を確認してようやく緊張を解いて深く息を吐き出す。
「クソ、何なんだよ一体、気味が悪い。おい、もう戻るぞ」
「お、おう……いくら異世界とは言えこんなもんに出くわすのは流石に……!!」
そこまで言って不意に言葉を切った同僚の顔に驚愕の色が浮かび上がってくる。
その表情と背後から流れてくるタバコの臭いと並々ならぬ気配を感じて慌てて振り返る。見返したその先にはヘッドライトで怪しく照らされた大人とも子供とも見て取れる緑色の髪をした女が佇んでいた。
その姿を見た次の瞬間には二人そろって大きな悲鳴を上げていた。
日本・官邸
「総理、ご決断を」
官邸に設けられている総理大臣の執務室で財務大臣の杉本 義正が椅子に腰かけている伊東総理に詰め寄る。
「杉本さん、もう少し何とかできませんかな?無論、各省にも可能な限り予算の節約には務めるように通達はしていますが今は非常時です。どうあがいても予算の増加は抑え込めますまい」
自分より5歳年下である彼の鋭い眼差しに刺されるような思いをしながら総理がそう説明する。
この2人が何を揉めているのかというと、まぁ、隠す必要もないのだが来年度の予算についてである。
予算案で揉めるのは特に珍しい事ではないのだが、なぜ財務大臣が総理に直談判をしているのかというと日本がこの世界にきて初めてとなる来年度の予算額が概算要求の時点で300兆越えというGDP率でおよそ50%、税収と比較すると3倍というとてつもない規模になりそうだからだ。
転移当初に緊急に付けられた補正予算ですでに100兆に近い額を消費している現状を鑑みてもかなり危険な橋を渡っていることが分かる。
「それにですが予算のほとんどは厚労省が占めておりますし、日本の生命線となるべき復拓領域の開拓の為にも復興省・防衛省の予算も大幅に削るわけにはいきませんし、その他の省庁はすでに少ないところでも3割の削減をしている状況ですよ?」
総理の隣で控えていた田中官房長がそう意見する。
他に特筆するとすれば農林省が食料増産のために前年と比べて4割増、環境省が復拓領域での活動以外の予算を全て削った影響で6割の削減、宮内庁に関しては要求額が0という状況である。
出来うる限りの取捨選択をしてこの事態である。やはり国民総生活保護という状況は政府にとってはかなりの負担になっているようだ。
「それは分かっています。田中官房長、ですが今年のGDP成長率がマイナスは確実になり経済の衰退と税収の低下は不可避な状況でこの規模の予算額を確保するとなると国債の発行以外に手段がありません。それも転移の混乱の影響により国民が銀行に預けていた資産を根こそぎ引き出したせいで発行するには日銀も新たな紙幣を発行せざるを得ず、そうなると今度は面倒な事に国内の流通量が増大してインフレが起きるという負の連鎖です。更に国内に有している資産の5倍もの国外資産が綺麗さっぱり消失したせいでその穴埋めも考えると転移初期でこの予算増は危険すぎるのです」
手振り身振りを交えながら事態の深刻さを説明する杉本財務大臣、転移によって他国に借りていた借金も綺麗に消えたもののその規模は政府の有する2000兆にものぼる債務額の内ほんの1割程度である。それよりも他国への資金の提供やアメリカの国債の買い付けなどで増大していた資産の消滅の傷の方が大きかった。
これに加えて民間でも技術の開発、提供によって得ていたパテントや他国に設置していた工場などの物的資産も考慮するともう阿鼻叫喚な状態である。
「むぅ、どうしたものか……『ちょーと、失礼するわよ!』」
総理が悩んでいる最中にそんな声が天井辺りから響き、タイミングを合わせるように執務室の中が眩い光に包まれる。
「うお、まぶ!」
「総理、お客さんですか?」
「目がぁ~目がぁ~」
総理、官房長、財務大臣がそれぞれ違う反応をしている合間に部屋を満たしていた光は収まり、代わりに部屋の中央に置いてあるソファに一人の少女に近い女性が腰かけていた。
「やっほ~、お邪魔しているわよ」
「アマテラス様、いらっしゃるならちゃんとアポを取ってもらえますか?すでに70の私にとってはその突然の来訪は心臓に悪いのですが」
まだ少ししょぼつく瞳を擦りながら総理がそう苦言を呈してそのままいつの間にかつけていたサングラスを外している官房長に未だにダメージを追っている杉本大臣を退室させるように指示する。
「心外ね~ちゃんと現れる前に失礼しますと言ったわよ、それに70なんてこっちにしてはまだまだ赤ん坊のようなものよ、我慢しなさいな」
杉本大臣が退室し3人だけになった執務室でアマテラス様が笑いながらこたえる。確かに言っていたが直前に言われて対応できる人間など早々居ないし、そもそもアポの態を成していない。後ついでに自分の常識がいついかなる時でも通用すると考えるのは人付き合いの中ではNGである。
「まぁ、いいです。神様に人の常識を問う方が常識外れですし……それで今回は何用ですか?こちらもまだ忙しいほうではあるのですが」
「そうそう忘れるところだった。カヤさんの居場所を知らないかしら?もう2か月ほど行方知らずのせいで母上も父上も大騒ぎで大変なのだけど」
質問を受けアマテラス様がそう説明するが突然出てきた知らない名前に頭を傾げる。
さん付けしている辺り神様の類だとは思うが残念な事に総理にはその辺の知識は十分と言えるほどは持っていなかった。むしろ今の時代でその道に精通している人の方が珍しいだろう。
「いきなりそう言われましてもこちらとしては誰の事を差しているのかも分からないので返す言葉に悩むのですが……田中さんは何か知っているかね?」
自分だけではどうしようもないので傍にいた田中官房長に助けを求める。
「そうですね、考えたところ思い当たるとすれば鹿屋野比売神の事でしょうか?」
「それがどんな神様なのか見当も付かないのだか」
「えーと、少しお待ちください。すぐに調べますので」
そう言って手元のタブレットで何やら操作をする官房長、てっきり検索でもしているのかと思えば何とか知恵袋というものに質問を投稿していた。
もう少しましな方法があるだろうと思う反面、ほんの数秒でいくつもの回答が投稿されていく様子を見てなんだかなぁ、と思う総理であった。
そして送られた回答の中で真面目そうなものを選んでみたところ、鹿屋野比売神というのは伊邪那岐と伊邪那美の間に生まれた森羅万象を司る神々の1柱であり、特に草木や原野の神様として信仰されているようだ。
「他にもタバコや漬物の神様としても祭られているようですね、この神様でよろしいのでしょうか?アマテラス様」
「そうそう、それで合っているわ。それで居場所を知らないかしら?最後に見た時に面白い場所を見つけたから行ってくるとか言っていた記憶はあるのだけれど」
田中官房長の質問にアマテラス様が頷いて質問を返す。
「いえ、誠に申し訳ないのですがこちらでは存じ上げておりません……」
「あー総理、実を言うと環境省と防衛省から日之出で怪奇現象が頻発しているという報告が寄せられていたのですがもしかしたらそれではないでしょうかね?」
質問に答えようとする総理に官房長が申し訳なさそうに報告する。
話を聞いたところ何となく怪奇現象と件の神様の特徴が合致している。とは言え流石にそれだけで決めつけるわけにもいかないのだが。
「うーん、それだけじゃ何とも言えないわねぇ……今度ツクヨミを送るからそっちで調節しておいてくれるかしら?」
「いや、こちらも忙しい身なので神様の問題は神様内で解決してもらえませんか?」
アマテラス様の突然の要求に総理がそう嘆願する。既に2柱ほど政府の下で活動してもらってはいるのだが事あるごとに喜劇という名の騒動が起きるためこれ以上の追加は勘弁してほしいのが心情だ。
だが、その願いも「けど、管理下に置かないと新たな怪奇現象が起きるかもよ?」というアマテラス様の言葉に一蹴されそのままなし崩しに押し付けられてしまう。
「はぁ、田中さん、すまないが――」
「一先ず、どこの省に通達しておきますか?怪奇現象絡みで行かせるのでしたら環境省か防衛省となりますが?」
アマテラス様が帰り2人となった執務室でそんな会話を始める。
押し付けられたものとはいえ最低限の体制は作っておかなければならない為、その中心となる担当を考えている所だ。
「今回は他と違い短期の派遣になりそうだからなぁ、どこかの省に押し付けるという訳にはいかなさそうだ」
「あーそれでは前々から言っていた日之出の視察に同行させておきますか?それなら比較的簡単でしょうし」
総理の懸念を聞き、田中官房長がそう提案してくる。転移から半年が経ったという事もありいい加減報告だけでは状況が分かりづらくなってきた昨今、ここらへんで直接目で見て把握したいと考えていたがそれが丁度いい隠れ蓑になりそうである。
それなら一石二鳥というのともう面倒くさいという理由でそれでいくように伝える総理、そのあと指示を受けた官房長が予定を組むために退室して1人になる。
(あ、そういえば予算の話まだ決着ついていなかったな……)
突然の来客ですっかり忘れていた本来の目的を思い出し心の中で思うが肝心の杉本大臣が居ない為、近いうちに開かれる予算委員会の前には纏めておこうと今は放置を決めた総理であった。




