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AR-Sekai

作者: 憑火

  Augmented Reality



 ケータイをかざすと道路に浮かび上がる文字列があった。キャンパスという機能を使った落書きだ。車が通った。車が落書きを上書きする。否、奥行きを計算して落書きが消されるのだ。自分に見えないものは存在しない。自分の後ろの物は存在しなくて自分が振り返った瞬間にそこにあるべきであろうものが誕生する。小さい頃に描いた幻想を思い出させる。自分が見ている世界はもしかしたら夢なのではないかという幻想。

 文字列はこうだった。「HELP ME !」。文字列とは言えこれはたったの9バイトの情報ではない。そして例えそれが文字列――Stringだったとしても、9バイトではないだろう。27バイトでも18バイトでもない。すぐ近くから足跡が描かれていたのだ。ケータイを通さないと見えない仮初めの軌跡。それはずーっと続いていた。「HELP ME !」だけだったらただの悪戯だと無視していただろう。足跡があったから、僕はそれを辿ってみようと思ったのだ。

 歩き出す前に僕はキャンパスを呼び出した。ロケーションを空間に設定、ポジションは落書きの真上にくるようにした。ローテーションはフリー、どの角度からそこを見ても正面から見ているように描画されるように設定した。フリーにしたのは特に意味はないが、処理を軽くしたいという思惑ではないことだけは確かだった。モード、2D、「I do」と空間に落書きした。

 足跡を辿って歩き出す。歩幅は僕より狭い。つまりそれだけ大量に描かれている。よっぽど暇だったか、或いはスタンプツール的なのを拾ってきたか作ったかしてインストールしたのだろう。AR-Sekaiはオープンソースだ。中心技術のOpenCVもオープンソースだ。ローカルパッチなら誰でも作れる。精度向上何かはウェルカムだ。

 足跡は存外長かった。10分程歩いてそこにあったマンションへと続いていく。玄関へと続いていく。

 そこで人影が見えた。ケータイ画面の外の話だ。黒い服を着て花束を持って不幸があったことを全身で表す女性と距離感的に娘であろう、制服に身を包んだ女子高生。気になったので様子を見ることにする。もう一度ケータイをマンションの玄関にかざして足跡を確認してケータイをポケットに閉まった。そのくらいのマナーはある。

 2人の後ろを距離を置いてついて行く。2人の行く手に花束が置かれた1角があった。立ち止まる。2人がそこに着き花束を置き手を合わせるのを眺めた。しばらくして帰ろうとする2人を捕まえた。

「何かあったんですか?」

「えっ? ああ…」

女性は目を逸らした。

「転落事故です。1週間前に、娘のクラスメートが」

自殺か。思った。

「そうですか。通りすがりですが僕も手を合わさせていただきます」

「それはありがとうございます。私が言うのも変ですが」

「失礼しました。では」

 花束の1角にしゃがむ。顔をも名前も年齢も性別も知らない誰かの為に僕は手を合わせた。心の一部で死んだ者の愚かさを罵りながら、心の一部で自分自身を嫌悪しながら、頭の片隅で2人の気配を探しながら、頭の別の隅で「HELP ME !」について考えながら。偶然だったら面白いし救いがある。そんな風に思いながら。

 立ち上がる。周りを見渡す。2人の姿は見えなかった。他の誰かが見えたりもしなかった。ケータイを出す。キャンパスを呼び出す。モデラを呼び出す。手早く花束の3Dモデルを作る。物理モードも入れる。タイプは静的に。静的範囲を1に。それを花束の1角に添えた。この仮想の花束は皮肉なことに消えることはない。ここにある本物の花束はいずれ枯れて撤去されるだろう。だけど僕が作った花束を撤去することはできない。仮想だから触れられないから。だれかが気づいて取り去ろうとしても、静的に指定したから半径1の中から動くことはない。AR-Sekaiが落ちればさすがになくなるが、その時はその仮初め世界と一緒に消えるのだ。

 自分が知らない者への弔い。そもそもその人は存在しないのではないかという幻想。何故なら、僕が知らないものなんて実際に存在していようとしていまいと関係ないから。僕が認知した瞬間にインスタンス化されているのだと主張しても誰も言い返せない。

 マンションの玄関へと戻る。足跡は消えていない。玄関へ入る。と、誰かが駆けていった。今度はケータイの画面の中だ。慌ててケータイをかざし直す。彼女は足跡を踏んで駆けている。僕も慌てて走り出す。彼女が踏んだ足跡が消えていくのだ。階段を登る。すぐに息が切れる。彼女は疲れを見せず駆けている。必死に追う。ケータイが揺れすぎると彼女は消えてしまう。そんな不安定。最上階まで一気に駆けた。ケータイを持ち上げているのも辛い。運動不足が唐突に祟る。最上階まで来て彼女は駆けるのを止めた。最上階から屋上へと続く階段はあった。立ち入り禁止の黄色いテープがある。彼女はそれを無視して歩き出した。僕はそれを跨いでいく。最上階への扉があった。彼女はそれをすり抜ける。奥行きを察知して彼女は消えた。僕は扉に手をかける。壊れていたままなのか、扉は開いた。ケータイをかざす。屋上の端に彼女を見つけた。ゆっくりと歩み寄る。近づくと彼女は僕に振り向いた。しっかりと僕を見ていた。黒い髪の可愛らしい少女だった。

「やめろ」

 僕は誰にとでもなく囁いた。彼女は微笑んだ。それはスクリプトだ。わかっていた。だけど、「見ててね」と言っているように見えた。そんな想いは込められちゃいないのに。彼女は前を見た。僕はケータイ見るのを止めた。見ないままAR-Sekaiをタスクキルした。プロセスは死んでもサービスは生きたままだ。AR-Sekaiをまた起動しても、そこに彼女はもういないだろう。そして足跡も、「HELP ME !」のメッセージも消えているのかもしれない。

 ただ、「I do」だけがそこに漂う。誰かの決意であるかのように。

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