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「なーんか、気持ち嫌な雰囲気になってるな」
霧で奥まで見通せない森を前に、ガデスが苦い顔で顎に手を遣った。
森から少し離れた所に降りたアクア達は、僅かに休憩して朝食を採ってから森に入った。事前に聞いた話では霧が漂う神秘的で静かな森、ということだったが、今目の前に広がるのは陰鬱とした靄に覆われた森だ。
木々の間から薄く光が射し込んでも良いはずだが、外界の晴天が嘘であるかのように森の中は薄暗い。
「いかにも何か「いる」って感じですわね」
背負っていたハルバートを降ろし、アルテミスが言う。確かに、いつ何かが出てきてもおかしくない様子だ。
「逃げるときに印を付けていけば良かったな……今更言っても無意味だが」
「--まあ、何とか足跡らしきものは辿れそうです。複数人通ったらしい痕跡ですが」
しゃがみ込んで地面を見ていたヴァインが立ち上がる。踏み固められた部分を見つけたらしい。だがその言葉に、フェリルが首を傾げる。
「複数人……歩道は別にあるのに?」
「ああ。だが、霧の森を当てもなく歩き回る人間はそういないはずだ。辿れば何かしら見つかると思う」
そう答えながらヴァインが指し示しているのは、エリックが話していた館の予想位置と同じ方向だ。アクアは方位磁石を手に目を凝らしてみるが、霧の中は伺えない。
「迷いそうだな、これは……。方位磁石は利くみたいだが」
「まあ、方角が分かりゃ出れなくなることはないだろ。追ってみようぜ」
側に立っていた木を軽く叩いて何かを話しかけてから、ガデスは森の奥に歩き出す。その隣にヴァインが並んで、足跡を辿り始めた。追跡は2人に任せ、アクアは周囲を警戒することにする。
「ここは元々、どんなやつがいるんだ?」
「魔物はそう多くない。狼や鹿などの、森に生息する動物が殆どだ。--パライゾソーンもいないしな」
アクアの質問にエリックはそう答えながらも「今は分からんが」と付け加える。それを聞いて、歩きながら耳を澄ませていたアルテミスが嫌そうな顔をした。
「会いたくありませんわぁ……。九死に一生を得た人の話を聞きましたけど、しばらく森に入りたくなくなりましたもの」
「あいつは会いたくないねー。僕も会ったことないけど、よっぽどのことが無い限り近付くなって父さんに言われたよ」
心底嫌そうなアルテミスの言葉にフェリルも同意して頷く。その前方ではヴァインとガデスが立ち止まることなく、足跡を辿っている。
「迷った形跡がありませんね。分岐も無く、まっすぐ続いてます」
「目的地に向かって最短ルート一直線、か? 隠そうとした形跡が無いのが気になるっちゃ気になるが--まあ、あの変態野郎、随分と自己顕示欲強そうだったから何とも言えないな」
霧が深く視野が狭いため、判断はアクアの持つ方位磁石便りだが、足跡は大きく曲がることなく同じ方向に進んでいるようだ。
「この様子なら奥まではすぐ行けそうですね。--森を突っ切らなければ」
「う、その可能性があったか。んでも大体の距離も把握してっから、突っ切る前に気付くだろ」
道が真っ直ぐなため、移動速度を落とすことなく進めている。アクアの体感では、目的地点まではもう少しだ。
その後も足跡は途切れも曲がりもせずに続き、程なく木々に囲まれた館にたどり着いた。
「古いな……建てられて大分経ってそうだ」
アクアは館を見上げた。壁は石造りで、その殆どを蔦が覆っている。高さから判断するに、2階建てのようだ。
「窓が無くて解放感に欠けますわ。中は暗いんじゃないかしら」
アクア同様に館を見上げて、アルテミスがそう評価する。確かに通気のためと思われる細い窓しかない。
「日光が嫌いな人種の物件だったんじゃないか、たぶん」
「隠れ住んでいた可能性はあるな。館があること自体知られていないはずだ」
ガデスとエリックが話しているのはヴァンパイア族あたりの事だろう。基本的には密やかに生きる種族らしいので、ありえなくはない。
「……うん、罠無し、開錠完了。お待たせ、中に入れるよ」
扉を調べ終わってフェリルが立ち上がった。さりげない動作で開錠用ツールを袖口にしまう。
「……前から気になってたんだが、その鍵開け技術は、どこ--」
「覚えてると意外に便利だよ。アクアもやってみる?」
「--いや、俺はやめておく」
やはりあまり突っ込まない方が良さそうだ。アルテミスさえも何も言わないので、アクアも気にしないことにした。扉を開けたヴァインに続いて、館の中に入る。
外から入ってくる光が少ないため、中はやはり暗い。エリックが作り出した魔法の光がなければ、アクアの目には暗すぎて何も見えないだろう。
ほんの一瞬だけ、古めいた館に似つかわしくない華やかな香りがアクアの鼻先を掠めた。花でも飾られているのかと見回すが、ホールには煤に汚れた暖炉と年期の入った燭台が置かれているだけだ。どちらも埃が溜まっており、長らく使われていないことが分かる。
「パライゾソーンの香りですわ……」
アルテミスの呟きにエリックが頷く。皆も香りに気が付いたようだ。
「これが例の……」
「室内に本体がいるとは思えません。花粉を使った痕跡では?」
「だろうな、使い道はわかんねえけど。部屋調べる前に毒耐性上げといた方がよさそうだ」
ガデスの提案を受けてフェリルが神聖魔法を全員に掛けた。魔法が掛かっているかぎり、花粉の影響はほとんど受けないという。
魔法が掛かったのを確認してから、改めてアクアはホールを見渡した。扉の数と位置から察するに、2階には左右2つずつ、1階は左右それぞれ1つ、正面に1つ部屋があるようだ。
「俺が監禁されていたのは2階左翼奥の部屋だ。家具も何も無い部屋だった」
「なるほど。一応全て調べてみますか?」
「そうだな。部屋数も少ないし、全員で纏まって調べるのがいいと思う」
手分けをしないのは、何かが出たときのためだ。フェリルとヴァインを先頭に、一つずつ扉と部屋を調べていく。
エリックの話通り、2階の部屋はいずれも何も置いておらず、探索はすぐに終わった。続いて1階に降りると、左の部屋を調べる。
扉を開けると、ホールよりもしっかりと、パライゾソーンの花粉の香りが感じられた。だがあるのは香りだけで、部屋の中は何も置かれて無い。
「家具も何も無いと寒々しいな。昔の家主はきっちり引き払ったんだね」
一通り中を見回してから、フェリルが中に入って床を調べ始める。アクアも壁を触りながら調べてみたが、変わったものは無さそうだ。
「1階だけ床に土が落ちてますね。足跡の主達は2階には上がってないのかもしれません」
結局左の部屋の中で見つかったのは土ぼこりだけだった。
さらに正面の部屋の探索をするが、今度は土ぼこりすら見つからなかった。部屋から続く厨房の調理台に、血の臭いが染み着いている事に気付いただけだ
「さて、この部屋で最後だね。例によって鍵も掛かってないけど」
そう言って中に入るフェリルにアクアも続く。
部屋の中はやはり何も置かれておらず、花粉の香りはホールと同じように僅かだった。だが反対側の部屋とは様子が少し違うことに、アクアは気が付いた。
「部屋の広さが違うな……」
入って左手の壁が、反対側の部屋よりも迫って見える。普通ならば壁の向こうは正面奥の大広間のはずだが、そこはきれいな長方形の部屋だった。
「室内に空気の流れがあるな--恐らくその壁からだろう」
エリックが左方の壁を指し、フェリルが調べ始めた。壁に顔を寄せて、手で探る。
「定番は壁の模様に沿って、だよね。どこら辺かなー」
「まあ、見つからなくても壁ぶち破るだけだな」
手を握ったり開いたりしながらガデスが言う。冗談なのか分からない口調だったので、アクアは一応止めておいた。
「お、ここっぽい」
フェリルは扉の部分を見つけたようだ。今度は開くための仕掛けを探し、すぐに隠されたレバーを見つける。アルテミスが聞き耳を立てて様子を探ってから、全員扉の左右に立ってレバーを作動させた。
鎖が巻き取られるような作動音とともに、壁の一部がスライドして開く。同時に、大型犬ほどの大きさのネズミが2体、部屋の中央に躍り出る。耳障りな鳴き声を上げながら首を巡らせ、しかしアクア達に気付いて振り向く前に氷の槍に頭部を貫かれて絶命した。
「--なるほど、これが冒険者の知恵か」
手を降ろしながら、氷の槍の主であるエリックが感心したように呟く。
「物音立てるような相手でよかったですわ。耳の良さに物言わせられますもの」
「まあ、何も聞こえなくても扉の前には立たなかったけどね」
神官2人の言葉に「ためになった」と言わんばかりに頷きながら、エリックは魔法の明かりを先行させて扉の中を照らした。小さなスペースだが他の部屋同様に壁紙が張られ、木製の手摺り付いた下り階段が口を開けている。アクアが首だけ伸ばしてのぞき込むと、鉄製の扉が見えた。
「地下か。すぐに終点まで付ければありがたいが」
「間違いなく、まだ何かあるでしょう。足跡の主も気になります」
下に何も潜んでいないのを確認してから、ヴァインが階段を下りた。その後ろにフェリルが続き、扉を調べる。
「鍵は掛かってるけど仕掛けは無いね--よし、開いた」
手際の良い仕事ぶりに、アクアの背後でアルテミスが小さく拍手をした。ヴァインがわずかに開けた隙間から鏡を使って中を伺い、僅かに眉根を寄せる。
「どうした、なんかあったか?」
足音を立てずに降りたガデスが声を潜めて訪ねる。ヴァインは静かに扉を閉めてから答えた。
「別の建造物の吹き抜け上部に繋がっているようです。階下に何かいるようですね」
どうやら探索は、ここからが本番のようだ。
アクアは気を引き締め、静かに扉を潜るヴァインに続いた。
(7に続く)