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 早朝「探求の庭」に向かったエリックは、昼頃に帰ってきた。風の精霊の力を借りて、飛んできたのだと言う。


「その剣は?」


 エリックが腰の左右に細身の剣を下げているのが珍しくて、アクアは聞いてみた。一本は飾り気のない普通の剣で、もう一本はシンプルだが美しい装飾が施されている。


「本来は二振りで一対だが取り上げられたんでな。タルタニで買ってきた」


「なるほど、二刀流用の双剣ですか」


 魔道士なのに珍しい。ユグドラシルの魔道士は皆剣術も習うのか、アクアがガデスに聞くと、たまたま異例がこの場に揃っているだけだという答えが返ってきた。


「只今戻りましたわ--あら、私が最後でした?」


 アルテミスがそう言いながら宿の食堂に入ってきた。足早にテーブルに付く。その手には、巻かれた羊皮紙が握られている。


「カムリタ周辺の地図、ちゃんと買ってきましたわ」


 その言葉とともに広げられた羊皮紙には、タルタニの町を中心に地名などが記された地図が描かれている。冒険者協会のタルタニ支部にあったものと同じ地図屋の品のようだ。

 アクア達は昼食後、地図をテーブルの上に広げた。


「--ここが、ミランの丘。その少し東に街道があって、カムリタを通る、と。エリックが通ってきたルートはどこら辺かな?」


 フェリルに聞かれ、エリックは考え込む。逃亡時に目にした月や星の方角を思い出しているようだ。


「……恐らく、西北の「静寂の森」の中を抜けて、平原を突っ切ったんだと思う。夜通し歩いたが、あの時は衰弱していたから、距離はそう無かったはずだ」


 この位の範囲じゃないか、とエリックが指で地図に楕円を描く。そこには森が広々と広がっている。

「森の中、か。確かに館が建っていても見つかりにくいね。あそこの木は高いし、年中霧が出るから、空からすら見えないだろうし」


「んでも、逆に辿りやすいかもな。歩いた跡が出来ているかもしれない。--どうする、今から行くか?」


 地図で距離を見るに、森の入り口までは3時間ほど掛かるようだ。


「今から行くと夜まで森を探索することになりそうですわね……。私は、暗くても変わりなく目が見えますけど、他の方は?」


 アルテミスの問いかけに、フェリルとエリックが首を振る。アクアも同様に否定した。


「--半々か。朝のが良さそうだな」


「そうですわね。すぐに見つかるとも限りませんし」


 アルテミスはエリックが指したとおりに楕円を描き込むと、息を吹きかけてインク乾かしてから地図を丸める。


「では、今日はそれぞれ準備をして、明朝早くに出発ですね」


 ヴァインの言葉を合図に、皆立ち上がった。




 寝台の縁に座り、アクアは剣を鞘から抜いた。日の光を受けた剣は、持ち主の気分と裏腹に輝いている。

 布で刀身を拭いていると、不思議な香りが鼻先を掠めた。振り向くと、エリックが乾燥させた薬草を広げている。


「まあ、かなり色々揃ってますのね」


「ああ。使えそうな物を取り合えず持ってきた」


 茶を淹れていたアルテミスが、物珍しさにのぞき込んでいる。


「食堂の時から香りはしてましたけど、こんなに色々種類持ってましたのね」


「さすが、人狼族は鼻が良いな」


「ふふ、当然です--−って、あら、パライゾソーンはありませんの?」


 花粉の香りがしたのに、とアルテミスが首を傾げる。アクアは聞いたことがない植物だ。


「ん? あれは高価だから、滅多に使わないが」


「そうですの。でも今も香りがしますのよねー」


 「気になりますわ」とアルテミスが鼻を鳴らしている。アクアは何となく、どういう品なのか気になって聞いてみた。


「「パライゾソーン」って、どういう物なんだ?」 


「花弁が淡い緑色と薄桃色の、美しい花を付ける木だ。だが木と言っても実際は魔物でな。甘く華やかな香りの花粉を漂わせて生き物を誘う。花粉には幻覚作用があり、誘われたものは夢心地のまま養分にされる」


 痛みすらないので穏やかに逝けるらしい、とエリックは淡々と、怖いことを言う。その作用から、痛み止めに使うらしい。


「作用力が強いので、不用意に近づくと捕まってしまう危険な魔物だ。あらかじめ抵抗力を上げるなりして対策を取らねば、採取どころじゃない」


「そんな怖い魔物がいるのか……。アルは、その香りが好きなのか?」


「香りは良いと思いますわ。魔物自体には絶対会いたくないですけど--あら……?」


 アルテミスがアクアの隣で足を止める。思わず後ずさるアクアに構わず、顔を近付ける。


「アクア……綺麗なお姉さんにでも近付きました?」


「ほう、そうなのか」


「は……? い、いやいやないぞ?!」


 なぜ急にそんなことを言われたのかわからない。アクアが慌てて必死に否定すると、エリックが説明をしてくれた。


「人の気を牽くための香りとして、香水にも使われるからな。……酒場の踊り子とか、娼婦とかがよく使っている--らしい」


「しょっ--絶対無い!」


 それを知っているエリックはどうなのか、とも一瞬思ったが、自分への疑いを晴らす方が先だ。アルテミスにまた齧られては堪らない。しかしアルテミスは首を傾げるだけで、特に怒ってはいないようだ。


「ですわよねぇ。行くようにも思えませんし、行く時間もなかったでしょうし」


「……」


 ならなぜ言い出したのかと思ったが、口には出さないでおく。


「普通に使っている者はそう居ないだろうし、なぜ付いたんだろうな」


 なぜか興味深げなエリックを苦々しい顔で見ながら、アクアは記憶を辿る。


「そりゃ、裏通りに入ったことはあったが……。--でも、誰もいなかっ--」


 言い掛けて、エリックの説明を思い出す。パライゾソーンの花粉は幻覚を見せ、痛みを消すという。


「--痛み止めに使うって、香りを嗅がすのか?」


「うん? あとは傷に塗り込んだり、飲んだりもするが……何か思い当たることでもあったか?」


 アクアは意を決して、剣の刃を手の平に滑らせた。軽く切ったつもりだったが、鋭い痛みとともに血が溢れ出す。


「--よかった……ちゃんと痛い」


「な、なにしてますの!」


 アクアは心底胸をなで下ろした。呟く声が思わず震える。アルテミスは慌ててその手を取り、傷を癒して血を拭った。


「あ、ああ、悪い。--どこかでその花粉を飲んだかしたかな、と気になって」


「--花粉の味は癖があるから、口にすれば分かるらしいが」


「え、ああ、そうなのか」


 ダンドルグに会ったことは伏せておき、アクアは適当に理由を付ける。エリックは僅かに首を傾げたが、追求はしてこなかった。


「もう……びっくりしましたわ。言ってくれれば、抓ってさしあげましたのに」


 軽くアクアの手を叩き、アルテミスは手を離す。アクアはもう一度謝りながら、剣を鞘に戻した。

 「帰還の書」に関わる記憶が確かにある以上、何もされなかったとも思えない。だが感じた痛みがダンドルグとは違うなによりの証に思えて、アクアは傷が癒えた手を強く握る。 




 穏やかな風が、ミランの白い花を揺らしている。所々草が潰れて荒れている所もあるが、丘に広がる白と緑の絨毯は見事なものだ。


「……それにしても、本当に何も残ってないね」


 フェリルが地面にじっと目を凝らし、感心したように呟いた。昨夜ガデスが喚んだ魔神の痕跡を探していたのだ。


「ミラン草が戦いで潰れたのが残念だけどな」


 そう言ってガデスは辺りを見回した。他に人がいないのを確認してから、いつものようにフードを被り力を解放する。若草色の目でミラン草の絨毯を一瞥し腕を振るうと、萎れていたミラン草が起きあがった。


「ちゃんとフォローしとかないと、植物の精霊に怒られるからな」


 ガデスはそう言いながらフードを上げる。群生は、じきに前と変わらぬ姿に戻るだろう。


「しかしまぁ、昨日の変態野郎はしつこかったな」


「ええ。影の狼に限りがあってよかったです」


 エリックの話によれば、影の狼を喚ぶには「帰還の書」の力を使うため、書に蓄えられた力が少なくなりすぎると一時的に喚べなくなるのだそうだ。夜明け前に帰ったのは、限界が来たからなのだろう。


「結局、ダンドルグはガデスのこと知って、狙いをエリックから変えたってことで良いんだよね」


「そうだな。--どこから見てたか知らないが、魔神召喚の方法を言い当てたあたり、そもそもミストリルについて詳しく知ってたんだろうな。"護人"についても言ってたし」


 その言葉に、ヴァインとフェリルは険しい顔をする。ガデスは2人の護衛の様子を見ながら、最後に見た故郷の姿を思い出した。

 かつて、故郷の森は木漏れ日が優しく差し込んでいた。

 清らかな水を里に運ぶ小さな川や、木々の間を抜ける穏やかな風が大好きで、ガデスはよく森で遊んだものだった。

 その森は今、透明な結晶の砂が広がる砂漠へと姿を変えている。生き物はもちろん、精霊すらもいない。ガデスの母が、ミストリル狩りに来た者全員を道連れにした結果だ。

 ザックスに連れていってもらいその光景を目の当たりにしたとき、不思議と涙は流れなかった。美しく煌めく砂を眺めて、ただ「生き抜かなければならない」と遺されたことを納得したのを覚えている。


「……守られるだけで何もできなかった頃とは違う。次会ったら、あの胸糞悪い本もろとも消してやらないとな」


 同族の皮膚が使われた本だ。大図書館でその存在を知ったとき、ガデスは強い憤りを感じたが、あるべき姿に返せる機会が来るとは思っていなかった。


「そうだね。憂いを絶つためにも、ミストリル族のことが広まらないようにしないと」


「ええ。必ず殺します」


 フェリルとヴァインの言葉にガデスは頷く。

 母がなぜ敵を一人残らず道連れにするだけでなく森を砂漠に変えたのか、そして別れ際に「抗いなさい」と告げたのか、今なら分かる。ミストリル族は狩られ尽くされ、その血を引くのは最早ガデスとその双子の兄だけだ。

 だが、彼女たちは大人しく狩られていったわけではない。


「息絶える瞬間まで死体の山を築き上げ続ける「不遜の魔女」ってね。……"我ら"に仇なすということがどういうことか、教えてやろうじゃないか」


 剣呑な笑みを浮かべて、ガデスは宣言する。その言葉に応えるかのように、一陣の風がミラン草を激しく揺らした。



(5に続く)

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