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鼻歌を歌いながら足を蹴り上げたり、回し蹴りをしたりとガデスが新しい服の動き易さを確かめている。
「前の服と同じような物を選んだつもりなんだが」
「いいねー。ばっちり動けるし、裾も良い感じに翻るし。いやー、悪いな」
アクアの問いに、ガデスは上機嫌で答える。気に入ってもらえたようだ。
行方不明になっていたエリックは救ったが、ダンドルグは野放しのままだ。
一刻も早く見つけだして倒さなければいけないが、無限に喚び出される影の狼への対処法などを見つける必要があるため、エリックは朝早くユグドラシル自治領一の大図書館がある「探求の庭」へ帰っていった。文献から情報を集め、戻ってくる約束になっている。
アルテミスは、神霊協会の記録を調べると言って出掛けていった。ルザルファスも同様なのだろう、いつのまにかに姿が消えていた。
彼らが情報を集めている間に、ガデスとヴァインは回復のために休息し、アクアとフェリルはタルタニの町で情報収集と買い物をすることにした。歩けば行くだけで昼になっていただろうが、フェリルが空を飛んでアクアを運んだおかげで、随分と早く着くことができた。
「じゃあ、僕は冒険者協会とか神殿に行ってくるから。後で中央広場に集合ね」
「あ、ちょ、ちょっと待ってくれ。ガデスの服は、どうすればいいんだ?」
アクアは早々に別れようとするフェリルを引き留めた。シャツを駄目にした代わりに服を買う約束だったが、どういうものを選べばいいのか分からなかったからだ。
「そうだねー--裾がヒラヒラする男物の服なら気に入ると思うよ」
「は……裾?」
首を傾げるアクアに構わず、フェリルはさっさと雑踏の中に消える。アクアは仕方なく、彼女が着ていたコートと良く似たものを選んだ。他に買う物はないので、約束の中央広場に向かう。
何者かの視線を感じて立ち止まったのは、裏通りに続く十字路に差し掛かったときだった。訳もわからず背筋が粟立つが、無視することができずに視線を感じた方へ向かう。
裏通りには視線の主どころか人一人見えず、静まり返っていた。時間が早いにしてもおかしい。そう感じてアクアは踵を返そうとし、凍り付いた。
「な、何……で、ここに……」
喉の奥から苦労して声を絞り出し、後ずさる。アクアが剣を抜いても、相手--ダンドルグは眉一つ動かさなかった。その姿は記憶の中と全く変わっていない。
「やあ、久しぶりだな。生きているとは思わなかったよ」
「……それは……お互い様だろう」
「お互い様、か。--そうだな」
不意に、ダンドルグが間合いを詰める。その動きはアクアが剣を振るより速く、易々と塗れたように輝く短剣を喉元に突きつけた。赤みを帯びた切っ先が僅かに刺さり、血が一筋流れる。
「共に一度斃された身だ。同じ存在、かもしれないな」
「な、んの……こと、だ」
極力喉を動かさぬようにアクアが問うと、ダンドルグは教え子を諭すような声で答えた。
「死からの帰還者、ということだ。--君が最後の戦いに赴く前に施してあげた術を、忘れたのか?」
「じゅ……つ?」
「進入者を倒してこい」と命令された時の話だろう。アクアは朧気に覚えている記憶を探る。言われるままに武装をしてエントランスホールに向かう時、ダンドルグはアクアを呼び止めた。その手に携えていたのは赤茶の表紙の本だ。
彼は本をアクアの左胸に押し当て、聞き慣れぬ言葉を呟いてからアクアを送り出したのではなかったか。
「まさ、か--」
そんな筈はない、そう言いかけたアクアの喉元から、短剣が退いた。次の瞬間、ダンドルグはアクアの首を掴み、脇腹に短剣を捻り刺した。アクアの手から剣が落ち、乾いた金属音を立てる。
「な、あ--?」
「痛みなど感じない。違うか?」
短剣は確かに深々と刺さり、赤い染みが滲んでいる。だが痛みはない。動揺するアクアに、ダンドルグは穏やかな口調で告げる。
「やはり君は私と同じだな。生者と我らはさほど変わらないから、今まで気が付かなかったのも無理はない」
「う、嘘だ、そんな筈は--」
アクアは、短剣を引き抜こうと両手を柄に遣った。その動きをダンドルグが片手で抑え、更に押し込む。
「そうやって更に深く刺しても、何も変わらんよ? 信じられないのも無理はないがね」
「ち、がう……違う……」
声を震わせ頭を振るアクアに、ダンドルグは苦笑を浮かべた。短剣を引き抜き、座り込んだアクアを見下ろす。曇り一つない短剣の刃が、赤く輝いている。
「まあ、理解するには時間が必要か。君を迎え入れるのは次の機会にしよう」
そう言い残し、ダンドルグは姿を消した。アクアは刺されたはずの脇腹を見た。赤い染みは残っているが傷口は消え、後すら残っていない。
アクアは呆然と、しばらく座り込んでいた。
「--なあ、ガデス」
裾の揺れ方を確かめていたガデスが、声を掛けられ振り返る。
「死者の復活って、できるものか?」
神職者にとっては摂理を歪めるとして禁忌とされている。アクアがそう言うと、ガデスも同意した。
「死者の魂を守護する「夜と死の神」への反逆、だろ。普通は魔道士でも手を出さない。--けど、「帰還の書」が存在するとおり、完全を求めなければ不可能ではないだろうな」
「そう、か……俺は--」
どうなのか、そう言い掛けたが結局声には出せなかった。視線をさまよわせ、言葉を探す。
「--俺も、そう思う」
何も悟られぬよう、アクアは平静を装って言葉を続けた。
否定をすることができなかったダンドルグの言葉は、冷たく重く、腹の底に沈んでいる。
(2に続く)