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 酒場の喧噪が窓越しに聞こえる。

 仲間の声が聞き取れるか耳を立てながら、アクアは穏やかな夜風に目を細めた。程良い酔いも相まって、非常に心地良い。目を閉じていると寝てしまいそうだ。

 静寂の森を後にしたアクア達はタルタニまで戻ると、報告書の作成は後回しにし、ひとまず結果だけを冒険者協会に報告した。夕方前には町に着いたのだが、さらにもう一仕事する気にはなれず、早々に以前と同じ宿に部屋を取って休むことにしたのだった。

 エリックもやはり「探求の庭」まで戻る気にはなれなかったようで、手紙での状況連絡だけで済ませていた。

 夜になるにつれて疲れも癒えていき、宴会をするだけの気力も戻ってきた。

 宴席は現在どんなサンドイッチが良いかで盛り上がっているらしく、バケットとフライフィッシュの相性の良さを熱弁するガデスの声が聞こえてくる。


「……バケットならグリルチキンとトマトが合うと思うんだが、どう思う?」


「--ハムにチーズ、が一番好みかな」


 アクアの問いかけに答えながら、ルザルファスが忽然と姿を現した。着地とともに溜息を付く。顔には僅かに疲労の色が見える。


「……流石に跳びすぎた。アルに従っておいて正解だったな」


 立ち去ろうとするルザルファスを引き留め、強引に宴会に誘ったのはアルテミスだ。彼女の頼みは断りにくいのだという。言われてみれば「ルザルお兄様」と呼んで慕っていたことを思い出す。


「仕事も残ってるしね」


 そう言いながら、ルザルファスはアクアに封書を差し出した。アクアは受け取ると目を凝らして封を見る。


「--どうした?」


「いや、暗いんで……」


 封書を凝視していたアクアに、ルザルファスが首を傾げた。理由を言うと、初めて気が付いたといったような声を上げ、小さな魔法の光源を作り出す。


「言われてみればそうだな。魔族も人狼族も夜目が利くから、気が付かなかった」


「ああ、なるほど」


 改めて封筒を見る。

 宛名にはアクアのフルネームが書かれているが、差出人は覚えのない名前だ。光源の礼を言い、アクアは封蝋を破った。便箋には綺麗に揃った柔らかい文字が一面に並んでいる。

 手紙は、アクアへの謝罪で始まっていた。拘束が不当であったこと、尋問がバーゲルの指示で行われた非合法なものであったことが説明されているとともに、トレイル前大司教のことも書かれ、償いをしたいので来訪してほしいという言葉で締めくくられていた。

 まるで生前のトレイル前司教とアクアのことを間近で見ていたかのような書きぶりに首を傾げていると、ルザルファスが補足する。


「グランアルシアの現大司教から預かってきた。昔トレイル氏の側付きだったそうだ。知り合いだと言っていたが?」


「大司教? 知り合いなわけが--」


 「ない」と言いかけ、アクアはトレイル前司教を呼びにきていた女神官のことを思い出す。手紙の最後に書かれた署名を改めて見た。「ロザリア=ドーレン」と書かれたその名は、言われてみれば彼女のものだった気がする。


「そうか。あの人か……」


 あれから随分と長い年月がたったように思える。もう一度手紙に目を走らせたアクアは、哀愁を振り払うように首を振り、顔を上げた。


「--償ってもらうことなんて、何もないんだが」


 バーゲルもダンドルグも死に、憎む相手はもういない。償うべきことはあれど、謝罪されることは何もない。


「行くも行かないも自由だそうだ。気が向いたらでいいんじゃないかな?」


 すぐに決めなくてもいい、というルザルファスの言葉にアクアは頷き、手紙を封筒に戻して懐に仕舞う。

 酒場は相変わらず賑やかだ。僅かな沈黙の後、アクアは窓から漏れる明かりを見ながら口を開いた。


「……ところで、聞きたいことがあるんだが」


 アクアの言葉に、ルザルファスは黙ったままだ。アクアは視線をルザルファスに移し、訪ねた。


「何故、暗殺者はトレイル前司教を殺さなかったんだろうな?」


 ルザルファスの表情が、僅かに苦々しいものになった。答えを探すように視線をさまよわせ、やがて口を開く。


「--暗殺なんて、頼むほうも狙われる方も大抵ろくでなしだが、その時はたまたま気が乗らない相手だったんじゃないか?」


「なら、何で仕事を受けた?」


「さあね。……殺しを飯の種にしているような連中は、上から下まで一枚岩なほうが珍しいんじゃないか? 考えの違いと権力争いで組織分裂、とかザラだろう」


 そう言ってルザルファスは肩を竦め、笑みを浮かべた。光を吸い込むような宵闇色の目が、アクアを見据える。射抜くように見つめ、やがて目を瞑って息を吐いた。


「--まあ、予想、だけどね。ほかにも何か?」


 開かれた目は、魔法の光源を受けて紫水晶のように光を湛えている。アクアは首を振り、背伸びをした。夜風の冷たさに身震いをする。

 長く外にいたことと酔いが醒めてきたことで、体が冷えてきたようだ。


「……そろそろ戻るか。寒くなってきた」


「そうだね。風邪をひかないうちに中に入ろう」


 「あまり席を外しているとアルに心配されるし」とルザルファスが付け加える。

 その懸念通り、しばらく席を外していたことが見つかった二人は、泥酔したアルテミスに懇々と風邪の怖さを語られた。

 

 

 

「昨日、寝るまでの記憶がありませんのよね……」


 難しい顔をして、アルテミスが溜息を吐く。何かしたかと聞かれたアクアは、適当に誤魔化して話を逸らしておいた。

 タルタニの港は、出航の準備をする水夫や定期船の乗客などで賑わっている。乗降船窓口の傍に立っているアクア達の横を、商人や一般客、冒険者の団体などが通り過ぎていく。


「そっちは、まず「探求の庭」に寄るんだったか?」


「ええ。ルザルお兄様と一緒にエリックさんを送り届けて、そこからグランエアルカに行きますの」


 エリックが頷き、遠い目をする。面倒な報告書が大量に待っているのだろうと、ガデスが理由を耳打ちしてくれた。

 グランエアルカは風の女神を奉る大神殿がある自治領で、その近くには人狼族の大きな集落がある。一連の事件が終わったということで、アルテミス達はひとまず地元に帰るらしい。


「そちらは、八鱗連合に行きますの?」


 朝のうちに正式な報告をしに冒険者協会を訪れたアクア達に、ザックス=グレイヴからの手紙が渡された。手紙には、しばらくペルキアにいる予定だったが助っ人を頼まれたので先に出立することと、別件で頼まれていることがあるので、代わりに八鱗連合の1国シルバーフィールドに行ってほしいということが書かれていた。

 八鱗連合へは、ペルキアから3つの町を経由し、陸路と海路を使って1週間ほど掛かる。


「そうだね。まあ、結構距離があるからゆっくりと--」


「--俺は」


 フェリルの言葉を遮ると、アクアに視線が集まった。


「俺は、一旦別れてグランアルシアに行こうと思ってる」


 皆の訝しげな顔を見ながら、アクアは大司教からの手紙を手に言葉を続ける。


「今の大司教から来てほしいと言われている。一晩考えたんだが、丁度良い機会だと思ったんだ。どうせ出直すのなら、すっきりさせておきたい」


 アルテミスがルザルファスに非難めいた視線を送った。彼女は手紙のことを知らなかったようだ。


「別に自首しに行とか、恨み言を言いに行くとかそういうつもりは無い。ただ行くだけで良いんだ」


 心配そうなフェリルを見ながら説明をする。その隣で、ガデスが納得した様子で頷いた。


「イイじゃんか、憂いは絶っておきたいもんだよな」


 そう言いながら、何か言いたげなヴァインの背中を宥めるように叩く。


「ペルキアから乗り合い馬車乗り継いで4日だっけ? シルバーフィールドには俺たち3人で行ってくるからさ。ケリ着いたら要連絡な?」


「ああ、決着が着いたら合流する」


 いつになるかはわからない、とは言わないでおいたが、ガデスには見透かされているようで、「気長に待つ」と言われた。


「まあ、そう言ってもペルキアまでは一緒だけどな」


「……そうですね。アクアとは、まだ別れるわけではなかったですね」


 叩くのをやめて背骨をなぞろうとしたガデスの手を掴んで止めつつ、ヴァインは知らずに皺が寄っていた眉間を揉む。気を取り直すように、定期船を振り返った。出航時間までは後僅かのようだ。


「そろそろお別れですわね……。また一緒に仕事をするときは、よろしくお願いしますわ。--ルザルお兄様ともども」


「え、俺もかい? まあ、味方であれば尽力するよ」


 当然ですわ、とアルテミスは断言する。手紙の件で少し怒っているようで、ルザルファスは宥めるように素直に同意した。


「八鱗連合か。行ってみたいが--しばらくは無理だろうな。魔神召喚事件の整理に、図書館の閲覧禁止エリアの封鎖方法の見直し、ダンドルグが学者になっていた件の調査、静寂の森の建築物の調査……処理案件が多すぎる」


 エリックは指を折りながら数え、数の多さに溜息を吐いた。苦々しい顔は帰りたくなさそうに見える。


「ガデス、日当と毎日の昼食支給で手伝ってくれ」


「聞いただけで面倒くさそうだから無理だな」


「だろうな……冒険者協会に依頼を出すよう掛け合うか」


 予想通りに断られ、あきらめたようだ。眼鏡を直し、背筋を伸ばす。


「それはひとまず置いておいて、だ。改めて感謝する。今度ユグドラシル自治領を訪れることがあれば、色々と案内しよう」


 「是非来てくれ」と言いながら、エリックが一瞬だけガデスを見た。目が合ったらしく頷いたガデスを見て、エリックは微笑する。

 汽笛が鳴った。乗船を促す合図だ。


「おっと、そろそろ乗らないと置いていかれるな」


 別れを告げて、アクア達は船に乗り込んだ。

 再度、今度は汽笛が3回鳴った。出航の合図だ。

 甲板に上がって下を覗き込むと、船を見上げるアルテミス達が見えた。アクア達の姿を見つけたのだろう、大きく手を振っている。

 手を振り返しながら、アクアは聖印に触れた。不安がないわけではない。だがそれ以上に、迷いが消えて晴れやかな気分だった。


 長らく蹲っていた場所から、再び歩み出すことができた。後はもう、最後まで歩き続けるだけだ。



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