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アルテミスの防護魔法とフェリルの継続回復魔法、エリックの耐火魔法がほぼ同時に発動し、アクア達を包む。
援護を受けて、ヴァインは漆黒の巨人"フェイスレス"めがけて走り出した。その進路に"火放ち鳥"が狂気じみた笑い声を上げながら炎を吐くが、ガデスが作り出した氷の壁がそれを阻む。
エリックが双剣に冷気を纏わせ、突如そびえ立った壁に怯んだ魔神に切りかかる。その頭上を高々と飛び越え突進してきた"憤怒の雄牛"を、アクアは剣を叩きつけて止めた。よろめく雄牛の脇を、ガデスとアルテミスが走り抜ける。
「"デスマンティス"は任せてくださいな!」
宣言とともにアルテミスが大カマキリにハルバートを振るった。鋭い鎌に受け止められると同時に体を捻り、振り下ろされたもう片方の鎌を躱す。体勢を崩した"デスマンティス"の顔面に炎の弾をぶつけ、ガデスは仰け反った魔神の懐に飛び込んだ。足の節に炎を纏わせた小剣を突き立てようとして弾かれる。
ガデスは舌打ちしながら身を翻すと、踵で間接を蹴り抜いた。衝撃で狙いが狂った魔神の鎌は空を切り地面を穿つ。
アルテミスは体を回転させ、遠心力を乗せたハルバートの鎚でそれを打ち据えた。鎌がひしゃげ、大カマキリの口から苦痛に呻く人の声が漏れる。
"火放ち鳥"の炎が氷嵐にぶつかり掻き消える。再び炎を吹こうとする隙を狙って、エリックは腹部の凹凸に氷の槍を放った。槍は深々と突き刺さったが、炎によって溶けはじめる。
「弱点ではないのか」
可能性を試しただけだ。さして気にせず、エリックは双剣を握り直して踏み込んだ。左手の剣で右翼をあしらい、右手の剣を突き入れる。素早く逆手に握り直して引き切りながら、体を仰け反らせて左翼の攻撃を回避した。
開きかけた嘴を氷槍で縫いとめると同時に雷電をぶつけて跳躍し、大きく痙攣した魔神の右肩を左手の剣で突く。振り落とそうとする"火放ち鳥"の炎が、飛び退いたエリックを包む。身に纏った氷嵐がそれを阻んだ。
深く抉られた傷口が、泡立ちながら少しずつ回復していく。ヴァインが"フェイスレス"に最初に付けた傷は、すでに殆ど治っているようだ。
「首を落とすのが一番早いか……」
養父の見事な手際を思い出す。竜化できれば食いちぎって終わりにできそうだが、広さがないので仕方ない。半身を引いて魔神の鉤爪を受け流しざま、ヴァインは短剣をその腕に突き立てた。身を翻して足の腱を切りつける。波状の刃が鋸のように身を抉り、"フェイスレス"がよろめきながら腕を振る。
ヴァインは鋭い爪を気にせず、懐に踏み込んだ。頬が深く切れ傷口から血が溢れるが、すぐにフェリルの魔法で塞がる。
ヴァインは刃を魔神の首筋に当て、振り抜くように刃を走らせた。
体勢を立て直した"憤怒の雄牛"が、人の言葉で恨み言を吐きながらアクアを睨みつける。
アクアは剣を青眼に構え直した。背後にいるのは支援のために下がっているフェリルだけだが、それも宙に退いているため気にしなくて良い。突進する雄牛をかわしながら角を断ち落とす。
駆け抜けた雄牛は地面を壊さん勢いで踏みしめ、アクアに向き直った。
「来い!」
拳で胸を叩き挑発すると、雄牛が怒り声を上げた。アクアは両手に力を込めて剣を握り直し、腰を落とす。
三度突進する雄牛を今度は避けず剣を振るう。刃は揺らぐ事無く、慌てて身をよじった魔神の左前足の付け根から走り、深々と腹を裂いた。大きく口を開けた傷口から煙と炎を上げながら、雄牛はもんどりうって膝を付く。
その頭上で、フェリルが大鎌を振り上げた。
「哀れな者に、神の慈悲と安らぎが与えられんことを!」
祈りの言葉とともに、大鎌を縦に旋回させる。
落とされた首から吹きあがった黒い炎が抜け落ちた黒い羽を焼いたが、本人は再び宙に退き炎を避けている。
魔神が溶けていくのを確認して、アクアは身を翻した。溶けかけた氷の槍を何本も生やした"火放ち鳥"に駆け寄ると、間合いを離したエリックと入れ替わりで踏み込み足を断ち切る。体勢を崩した魔神にさらに氷の槍が突き刺さった。
エリックは魔神の横を抜け、その背に右の剣を突き立て切り上げた。続けて左の剣で背中を薙ぐ。アクアは"火放ち鳥"に刺さった氷槍を踏み台に跳躍し、背後に気を取られた魔神の首めがけて剣を振り抜く。
刃は、以前に戦った時よりも易々とその首を断ち切った。頭を失って、"火放ち鳥"は粒子になって消えていく。
魔神が消えていくのを見届けてからエリックは振り返り、雷を発生させて"フェイスレス"を貫いた。衝撃に痙攣した魔神の体を、ヴァインが深々と長剣で貫き、捻りながら横薙ぐ。
大きく体を傾がせた漆黒の巨人は、しかし半ば切断されかけた首や胴を意に介さず腕を振るう。ヴァインはそれを後転して回避し、エリックが雷の槍で魔神の頭を貫いた。
"フェイスレス"の口から命乞いの言葉が漏れる。
ヴァインは一瞬動きを止め、柄を握り直して魔神の胴を断ち切った。助けを請いながら、巨人は溶けていく。
その傍らに、切り落とされたカマキリの鎌が飛来し、液状になって飛沫を散らす。人のものである悲鳴が洞穴内に響きわたった。
大カマキリは切断された傷口から煙を上げながら、流れる体液をまき散らす。回避したアルテミスの法衣に触れた体液は、蒸気とともに凍り付いた。
「まともに被ったら氷漬けっぽいな--っと!」
ガデスの声を合図に、地面から赤子の腕ほどの太さの蔦が無数に伸びて、魔神を締めあげる。全身を軋ませながらも身を捩る魔神の頭上に、アルテミスがハルバートを振りおろした。
重さと遠心力が乗ったハルバートは魔神を腹の半ばまで断ち割り、その姿を液状に戻していく。
「ふむ、こんなものか」
ダンドルグは魔神が次々に液状に戻っていく様を見て、平然と頷く。
アクアは"デスマンティス"の脇を抜け、ダンドルグに迫った。
「お前で最後だ、ダンドルグ!」
ダンドルグはアクアの斬撃を易々と短剣で受け流した。赤みを帯びた短剣の刃が、塗れたように輝く。
「それはどうかな?」
笑みを浮かべ、ダンドルグがアクアの懐に踏み込んだ。その脇腹に触れ、耳元で囁く。
「--まだ、君がいるだろう」
「--ッ?!」
背筋に悪寒が走ると同時に、言葉に反応するように短剣で刺された痕が痛みだした。アクアは跳び退き、目眩を覚えてよろめく。
それを庇うようにヴァインが切り込んだ。ダンドルグは後退しながらその太刀をかわす。足下を狙って生じた鋭い水晶の柱を盾にして、ダンドルグは間合いを離した。その動きに合わせて、エリックが氷槍を放つ。
ダンドルグはそれを一別し、笑った。
飛来した氷槍は、振り抜かれた剣の一撃で粉砕され、溶け消えた。
「な--?!」
「やはり君は頼りになるな、アクア」
アクアは答えず、ふらつきながら振るった剣を降ろした。苦しげに目を瞑り、脇腹を押さえて荒い呼吸を繰り返す。
ダンドルグは苦笑すると、その背中を軽く叩いた。
「また私のために力を貸してくれるのだろう?」
「--ぐっ、ぅ--く……」
荒かった呼吸が収まり、アクアが顔を上げた。
表情は虚ろで、その目は焦点が合っていない。酔っているかのように体を揺らしながら、剣を構える。
「な--何をしたぁッ!」
異変に唖然としていたヴァインが我に返り、怒号とともに剣を振るう。
怒りにまかせた一撃は、ダンドルグに届く前にアクアに受け止められた。激しくぶつかった剣が火花を散らす。
「何も? 彼が私の元に付いた。いや、戻ってきただけだ」
歯軋りをして剣を引くヴァインを、アクアが追撃する。ヴァインは剣撃を受け止めようとしたが、慌てて受け流した。養父に負けるとも劣らない一撃の重さに戦慄する。ひとまずダンドルグから引き離そうと、防戦しながら後退する。
「こんな瞬時に、容易に操れるものなのか? どうやって--」
「さあな。ふざけやがって……」
エリックの疑問におざなりに答え、ガデスは魔法を撃つ機会を窺う。迂闊に攻撃するとアクアを盾にされるだろう。
結局諦めて、小剣を鞘に戻して鞭に持ち替えた。アクアが剣を振るったタイミングでその横を駆け抜ける。
上がった水音に視線をやると、ヴァインが魔神だったものを踏んだところだった。揺れた水面が不意に盛り上がり、人の腕を象る。
「! ヴァイン、避け--」
「お兄様、横!」
アルテミスの声と同時に、別の水溜まりからカマキリの鎌が伸びる。跳び退いたガデスは立ち上がろうとして、走った痛みに膝を着いた。
「--ッぐ」
切り裂かれた背中から流れた血で、コートが赤く染まっていく。その首を刈ろうと新たな鎌がもたげられ、間に割り込んだフェリルの大鎌が受け止めた。
「まだ生きてたのか……!」
傷を押さえうずくまるガデスを背に庇い、フェリルは水溜まりに大鎌を振り降ろす。水は蠢いて逃れ、大カマキリに姿を変えた。
「ガデス様--ッく?!」
ガデスに気を取られた隙に、水面から伸びた腕がヴァインの足に鋭い爪を食い込ませた。骨が折られる感覚を感じながらヴァインは剣を上げる。崩れた体勢では振り降ろされた剣を受け流しきれず、切っ先が肩に食い込んだ。
身を捩って体勢を立て直そうとするヴァインを、水溜まりから無数に腕が伸びて引き倒す。締め上げられた関節が軋み、ヴァインが苦痛に顔を歪めた。
アクアはその頭上に剣を振り上げ、わずかにたじろいだ。蠢く無数の腕を見て、一瞬だけ恐れの表情が浮かぶ。
エリックがアクアに弱めの電撃をぶつけて動きを抑えつつ、何本もの氷槍を創り出した。水溜まりに槍を突き刺す度に水面が大きく震え、腕が液状に戻る。
エリックはもう一度雷をぶつけてアクアに膝に着かせてから、ヴァインを水溜まりから退かせてアルテミスに託した。前に出ながら口早に詠唱をし、魔法を発動させる。
「猛る炎、紅蓮の柱よ、敵を焼き尽くせ!」
炎が螺旋状に燃え上がる。
水は"フェイスレス"の姿を象り、身を捩った。炎の中でもがきながら一気に収縮し、エリックは安堵する。
だが次の瞬間、水が跳躍して炎から逃れた。
"憤怒の雄牛"だったものと混じりあい、膨張していびつな獣の姿になる。振り降ろされた前足を、治癒を中断したアルテミスが辛うじて受け止める。
「くぅ……っ、しつ……っこいですわ!」
アルテミスを援護するため、エリックは魔法を詠唱しようと口を開きかけ、背筋が泡立つ感覚を覚えて跳び退いた。反射的に創り出した氷の壁は易々と砕かれ、白刃がそのままの勢いで脇腹に吸い込まれる。
「っ、ぐ、もう、動く、か……ッ」
言葉と共に血を吐きながら、エリックは崩れ落ちる。
アクアは倒れたエリックを見下ろし、血に塗れた剣を逆手に握りなおした。手の震えが剣に伝わり、切っ先が揺れる。
剣を突き降ろす直前、風を纏った鞭がアクアを鋭く打ち据えた。衝撃で吹き飛ばされ地面を転がる。
鞭を引き寄せたガデスはエリックに駆け寄ると、しゃがみこんで傷口に手をかざした。生命の精霊に働きかけて傷を塞ぐ。
「大丈夫か? 生きてる?」
「ぐ、ふっ……そう、簡単に、死んでたまるか」
エリックが咳込んで目を開いたのを確認し、ガデスは立ち上がる。
視界に入った大カマキリを炎の蔦で戒めつつ、アクアに向き直った。
「ほれ来い。お兄さんが構ってやるよ!」
煽るように手招きをする。その声に反応し、アクアがのろのろと身を起こした。
そうしなければならない気がして、アクアは側に落ちていた剣を拾い上げた。
刀身を濡らす血は誰のものなのだろうか。僅かな脇腹の痛みが思考を阻害し、霧散させる。
顔を上げると誰かが不敵な笑みで手招きをしている。
「行け」という声が聞こえたような気がして、アクアは走り出した。勢いよく振り抜いた剣を、「誰か」は身を翻して躱す。
鮮やかに赤く染まった衣が翻るのに気を取られた瞬間、鳩尾に掌底が叩き込まれた。衝撃でよろめいたところに、鞭による追撃が加えられる。
「随分と容赦がないな、さすが魔女」
先程から自分を駆り立てているものと同じ声が聞こえ、アクアは身を起こして見遣る。法衣を着た壮年の男が背中に触れ、軽く押した。
「まだ戦えるだろう? 行きたまえ」
促されるままにアクアは再び剣を構える。
振るった剣は、しかし間に割って入った青年の長剣に受け止められた。
「今度は、やらさせない……!」
力を込めて押し返そうとしたが、波状の刃は微動だにしない。刺された痕の痛みで腕に力が入らなくなってくる。
アクアは後ずさり、脇腹を押さえて膝を付いた。手から離れた剣が床に落ちて金属音を立てる。
「ぅ、ぐ--くっ--ぐ、ぁっ−−」
鼓動に合わせて痕が疼くたびに、痛みが増していく。「戦え」という言葉が頭の中で繰り返し響き、意志とは関係なく腕が動く。
苦痛で歪む視界の中で、自身の手が勝手に剣を掴むのが見えた。その刀身はエリックの血で赤く塗れている。
顔を上げると、長剣を構えるヴァインと目が合った。強い意志が込められた目の中に、僅かに痛みを堪えているかのような色が見える。
アクアはよろめきながら立ち上がった。歯を食いしばって痛みを堪え、柄を握り直す。
「迷うことはない。君の味方は私だけだ」
優しく諭すように、ダンドルグが背後から声を掛けてくる。
アクアは剣を腰溜めに構え、身を翻した。
ダンドルグが素早く反応して短剣を構えかけ、何かに妨害されたかのように腕の動きが止まる。笑みが消え、驚愕の表情に変わった。
アクアは体ごとぶつかり、その胸を貫いた。突進の勢いでダンドルグごと、床の外に身を投げ出す。
誰かが自分の名を叫ぶのを聞きながら、アクアは水流に身を委ねた。
(10に続く)