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滅魔騎士エリナ

作者: 小林 樹人

 ◆



 しなやかという形容は、エリナ先輩のために存在する。


 肩甲骨の下まで伸びる薄いブラウンの髪。

 一六〇代後半はあろう高い背丈。

 控えめに膨らんだ胸と、ビスチェを着込んだように引き締まったウエスト。

 細く釣り上がった眉と目尻。


 スカートよりスラックス。可愛いより美しい。そんな女性。


 ぼくも含め、男子生徒の多くが彼女に憧れていた。

 憧れるだけで恋愛にもつれ込めないのは、そのしなやかさがある種の近寄り難い壁になっていたから。

 加えて、彼女自身の物言いがきついことも挙げられる。

 要は、告白したところで断られるビジョンが鮮明に見え過ぎるのだ。


「みんなは。まだか」

 平坦だがよく通る声と共に先輩は部室にやってきた。


 よく考えたら、入部以降先輩と二人きりになった瞬間は一度もなかった。

 興奮と緊張がぼくの肩に圧し掛かる。

 先輩の方を直視できない。というか二人きりで直視する意味もない。


 何か話したいのに。何を話せばいいのだろう。 


 一分にも満たない重苦しい沈黙。

 それは予想だにしない形で破られた。


――ぶぶゅりっ。


 エリナ先輩しかいない方向から、生々しい音が聞こえてきたのだ。



 ●



 セーフ! ギリセーフ! 音がリアルだっただけだ、中身は出ていない。


 さて。しかしこれは厄介な。

 一刻も早く現状を打開せねば秒単位で事態が悪化しまう。

 考えろ、考えるんだ私。

 模索できる可能性は全て掘り起こせ。


 ①無言を貫く

 これは私の放屁音が山口クンに聞こえていないことが前提となる。

 いやしかし今のはさすがに聞こえただろう。

 当事者である私ですらあまりの鮮明さに状況が掴めなかったほどだ。楽観的判断は我が身を滅ぼす。却下。


 ②他の音だと主張する

 ぶぶゅりっ。

 これは間違いなく放屁音。

 他の何の音だと言えるのか。出涸らしのケチャップかマヨネーズしか候補がない、そして両者ともここにはない。

 そうだ!

 クシャミを我慢しようとしたものの耐え切れず失敗して変な音が出たことにしようそうしよう。

 そうと決まれば練習だ。

「ぐしゃぶっ」

 却下。


 ③山口クンのせいにする

 いや人として最低だろうこれは。今もかなりの勢いで最低だが。

 大体二人きりの状況で「お前こいただろう!」としたり顔で指摘するほど愚かなことはない。自分でなければ犯人は相手であることは明白。却下。


 ④ひみつ道具

 タイムマシンあるいは地球破壊爆弾を下さい無いですかそうですかそうですよね。


 ⑤素直に告白する

 これが「ぷりっ」とか「ぷぅ~」とかならそういう気にもなれたかもしれないが「ぶぶゅりっ」は許せない。女として、人として許せない。

 あまつさえ「先輩本当にオナラだけですか?」と鼻をつままれながら言われた日には山口クンを扼殺してしまう自信がある。

 だがこれが最もダメージの少ない解決法といえよう。

 ようし覚悟を決めろ私。一世一代の勇気を振り絞るんだ。


「山ぐ――」


――どびちっ。



 ◆

 


 二回目だ。聞こえなかったフリをして通そうと決断した矢先に二回目だ。

 男として人として後輩として、どういう対応を取ればいいのかわからない。


 いっそこちらも派手に一発こき散らかしてしまえればお互い様で済むのに、どうやらぼくには充電が足りていないようだ。

 もしもオナラができたなら――

 盲腸でもないのにこんな願望を抱く羽目になるなんて予想だにしなかった。


……っていうか出ただろ今のは確実に。気体以外のものが。

 もう恥ずかしいとか気まずいとかじゃなくて、先輩を体調不良者として扱った方が良いんじゃないか。


 英国紳士のようにハンカチでも差し出して「お嬢さん、これでお拭きなさい」と優しく言ってみれば。

 あるいは無言で部室を出、他の誰も部室に入らないよう見張り、先輩にプライベートな時間をプレゼントするのが後輩の役割ではないか。


 そう思い立ちドアに向かうと、物凄い速さで先輩が飛び出してきて、ぼくを外に出させまいと立ち塞がった。

 その顔には冷や汗が流れ、引きつった笑みが浮かんでいる。


「どうしたんですか先輩。ぼくはちょっと水を飲みに」

「そ、そう焦ることはないだろう山口クン。他の部員が来てからでもいい……じゃない……か」

 先輩の言葉尻は震えている。とことん尻の調子が悪い人だな!……と思いついたけど死んでも言えない。

「いや、本当は先輩が具合悪そうだったので」

「悪くない! 心配無用だ、ちっとも具合は悪くない! 私は全く悪くないぞ!」

 さりげなくニュアンスを誘導された気がする。

 まあいい。とにかくこの部屋を出て――


 ヴーッ! ヴーッ!


 途端、ぼくの腰ポケット内で携帯が震えた。

「あ、メール――」

 メール画面を開こうとすると、

「んらめぇえええいっ!!」

 羅刹のような怒号と共に、チョップで携帯を叩き割られた。



 ●



 しまった――!

『今部室なんだけど先輩が盛大に屁をこいてさーwww』などとメールされるかと思ったらついうっかり手が出てしまった。

 こうなってはもう後には引けぬ。

 きっちり話し合い、山口クンの口を封じておかねばなるまい。


 しかし、さすがに携帯破壊はやり過ぎたか。

 彼はしばらく呆然とゴミと化した携帯に目を向けていたが、不機嫌そうにこちらを睨みつけてきた。

 えっ怖いんですけど。


「す、すまないな山口クン。つい手が出てしまって――」

「屁も出てますよね」


 嫌ァァァアアアアアアアア!!



 ▲



 神楽坂エリナは『滅魔騎士』として、夜な夜なこの霞ヶ崎を狙う『夢魔』との戦いに明け暮れていた。

 しかし今日の出来事をきっかけに「世界なんて滅びればいいんだ」と自分の殻に閉じこもってしまい戦いを放棄したため、霞ヶ崎は間もなく夢魔に侵略され尽くされてしまった。

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