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第六話 筋肉の夜明け



 魔獣マウンテン・オーガの巨体が黄金の光の中に消え、王都に静寂が訪れた。

 いや、それは静寂ではなかった。

 呆然と立ち尽くす民衆、腰を抜かした貴族たち、そして折れた聖剣を握りしめたまま震える王太子エドワード。彼らの鼓膜を震わせているのは、私の背後に控える筋肉四天王が放つ、荒い、しかし力強い呼吸音ブレスだった。


「……終わりましたわね」


 私は、乱れた髪をかき上げることなく、自身の二頭筋に溜まった熱を静かに逃がした。

 その時、崩れた城門の向こうから、威厳に満ちた足音が響いてきた。

 現れたのは、現国王の妻であり、この国の真の支配者とも噂される王妃陛下であった。


「母上……! 助けてください、この乱暴者たちが、高貴なる私を――」


 エドワードが縋り付こうとしたが、王妃様はその細腕を冷酷に振り払った。彼女の視線は、無様に地を這う息子ではなく、堂々と胸を張る私たち、そしてその後ろでブロンズ像のように輝く辺境騎士団に向けられていた。


「エドワード。貴方は『筋肉など下品だ』と宣いましたわね。ですが、貴方が守れなかったこの国を救ったのは、貴方が切り捨てたその『下品な努力』の結果ですわ」


「そ、それは……!」


「自らの身体すら制御できず、ただ血統という名の重圧ウェイトに潰された貴方に、王位を継ぐ資格はありません。……エドワード、貴方を廃嫡とし、北の僻地での『永久謹慎』を命じます」


 王妃様の宣告に、エドワードの顔が土色に染まる。

 だが、私からの「ざまぁ」は、これだけでは終わらない。私は王妃様の許しを得て、絶望する元婚約者の前に歩み寄った。


「殿下。貴方には特別な刑罰を用意いたしましたわ」


「な、なんだ……命だけは助けてくれ!」


「命は助けます。ですが、今後貴方は、十グラム以上の物を持ち上げることを一切禁じます。食事は常に他人に口へ運ばせ、歩く際も常に車椅子。貴方には一生、自重トレーニングの喜びすら与えません。……そう、貴方の人生から『負荷』という名の希望をすべて奪い去って差し上げますわ」


「なっ……筋トレ禁止だと!? そんな、そんな残酷なことが……!」


 エドワードが絶叫する。

 彼にとって、筋肉などゴミ同然だったはずだ。だが、いざ「二度と鍛えることを許されない」と突きつけられた時、人間は初めて、自らの肉体を動かす自由がいかに尊いかを知るのである。

 彼は泣き叫びながら、衛兵たちによって引きずられていった。その細い腕が、永遠にバルクアップすることはない。これこそが、筋肉を愛する者から贈る、最大の復讐ディスであった。


 ――数ヶ月後。


 王都は、かつてない活気に包まれていた。

 私が国防長官兼「国家筋肉改革委員会」のトップに就任してから、この国の風景は一変した。

 まず、全学校に「解剖学」と「重量挙げ」の科目を導入。

 王宮の舞踏会場は、床を強化ゴムに張り替え、世界最大のトレーニングセンターへと改装した。

 国民の合言葉は「ごきげんよう」から「ナイスバルク」へと変わり、不健康な痩身を尊ぶ古い文化は、力強いストライエーション(筋線維の溝)を愛でる新しい美意識へと塗り替えられた。


「……ふふ。これこそが、私の夢見た『マッスル・ユートピア』ですわ」


 私は、改装された王宮ジムのテラスに立ち、昇る朝日を眺めていた。

 そこへ、背後から地響きのような、心地よい足音が近づいてくる。


「クラリス。ここだったか」


 振り返れば、そこには正装――すなわち、特注の「大胸筋強調型タキシード」に身を包んだレオンハルト団長が立っていた。

 彼のバルクは辺境にいた頃よりもさらに進化し、歩くたびにタキシードの縫い目が悲鳴を上げている。


「レオンハルト様。今日の僧帽筋そうぼうきんも、まるで険しい山脈のように神々しいですわね」


「君の指導のおかげだ。……だが、今日は筋肉の話だけをしに来たのではない」


 レオンハルト様が、真剣な眼差しで私の前に膝をついた。

 その巨大な身体が、朝日を浴びて長い影を作る。彼は懐から、小さな――しかし異様に重厚な箱を取り出した。


「クラリス・ヴァン・ベルン。君は俺に、自分を変える勇気と、重力に抗う力をくれた。……俺のこれからの人生という名のセットを、隣で数えてくれないか?」


 彼が開いた箱の中には、純金で作られた、ダンベルを模したデザインの指輪が収められていた。

 しかも、その指輪自体に「二十キログラム」の重りが仕込まれているという、常軌を逸した「愛の重量ウェイト」である。


「……これ、指につけるだけでトレーニングになりますわね」


「ああ。君との愛を、一瞬たりとも休ませたくない(レストなし)という俺の決意だ」


 私は、思わず目元を熱くした。

 普通の令嬢なら、ダイヤモンドの輝きに酔いしれるだろう。だが、私は違う。

 この指輪の重み。これこそが、彼が私に捧げる誠実さの証。

 私はその巨大な手に、自分の手をそっと重ねた。


「……喜んで、お受けいたしますわ。私たちの愛に、超回復おわりはございません」


 レオンハルト様が立ち上がり、私をその強靭な腕で抱きしめた。

 彼の胸板に顔を埋めると、規則正しく、かつ力強い鼓動が伝わってくる。


「……心臓の音が、まるでドラムのようですわ」


「いいえ。これは心臓ではない。……君への愛で、大胸筋が勝手にパンプアップしている音だ」


 私たちは、言葉を交わす代わりに、互いの身体が放つ「熱」を確かめ合った。

 愛とは、甘い囁きではない。

 愛とは、共に同じ負荷(苦難)を背負い、共に高みへと成長し続けるプロセスそのもの。

 その真理を、私たちは誰よりも深く理解していた。


 後日行われた私たちの結婚式は、歴史に語り継がれるものとなった。

 場所は、新しく建設された「筋肉大聖堂」。

 神官が「病める時も、健やかなる時も」と誓いの言葉を述べる代わりに、私たちは参列した国民全員と共に、息の合った「シンクロナイズド・ポージング」を披露した。


 誓いのキスは、互いの三角筋を強調するダブルバイセップスのポーズと共に行われた。

 祝砲の代わりに、筋肉四天王が巨大な岩を粉砕し、その破片が紙吹雪のように舞い散る。

 そして披露宴での乾杯は、最高級のヴィンテージ・プロテイン。


「「「「ナイスバルク!!」」」」


 国中の民衆が叫ぶ声が、天まで届くかのようだった。


 ――エピローグ。


 今、私は夫となったレオンハルトと共に、再びあの辺境の駐屯地を訪れている。

 そこには、かつての荒野ではなく、世界中から「強さ」と「美」を求めて人々が集う、マッスル・トレーニングの聖地が広がっていた。


 空を見上げれば、今日も太陽が燃えている。

 それはまるで、エネルギーを消費し、熱を放つ巨大な筋肉のようだ。


「レオンハルト様。見てください。世界は、こんなにも筋肉バルクに満ち溢れていますわ」


「ああ。だが、俺にとって世界で一番美しい筋肉は、いつだって君の中に宿っている」


 夫の言葉に、私は少しだけ頬を染め、そして力強く自分の上腕二頭筋を曲げて見せた。


 人は言う。美しさは内面にあると。

 人は言う。真の価値は目に見えないものだと。


 だが、私は知っている。

 内面こころの強さは、必ず表面からだに現れる。

 流した汗の分だけ。持ち上げた鉄の重さの分だけ。

 人間は、どこまでも強く、優しく、そして美しくなれるのだ。


「さあ、レオンハルト様。……新しい一日の始まりに、まずは一セット、こなしましょうか?」


「ああ、もちろんだ。……限界を超えたその先に、まだ見たことのない筋肉が待っているはずだからな」


 私たちは、昇りゆく太陽に向かって、共に大きく、誇り高いポーズをとった。

 その背中には、もう抑圧のコルセットも、虚飾のドレスも必要ない。


 筋肉は、決して裏切らない。

 そして、筋肉を愛する者の物語は、ここから永遠にパンプアップし続けていくのである。


 ――筋肉至上主義者、クラリス・ヴァン・ベルンの伝説、これにて完結。

 ――皆様、今日も素晴らしいトレーニングを!

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