第五話 王都陥落、筋肉降臨
王都の象徴である白亜の城壁が、轟音と共に崩れ落ちた。
砂塵の向こうから現れたのは、山のような巨体を持つ魔獣、マウンテン・オーガ。その全身は鋼より硬い筋肉の鎧で覆われ、一歩踏み出すごとに大地が震える。
「ひ、怯むな! 我が国の誇る近衛騎士団の底力を見せてやれ!」
王太子エドワードが、金糸の刺繍が施された華美な鎧に身を包み、震える手で聖剣を抜いた。
彼の背後には、王都でも選りすぐりの「上品な」騎士たちが控えている。だが、彼らの顔は青ざめ、膝はガクガクと笑っていた。
「突撃ィィィッ!」
エドワードの号令と共に、騎士たちが一斉に斬りかかる。
だが、彼らの放つ剣筋は、マウンテン・オーガの皮膚に届く前に、その圧倒的な「威圧感」によって軌道を逸らされた。
オーガが丸太のような腕を軽く一振りする。
ドォォォォンッ!!
「ぎゃあああああっ!」
「た、助けてくれぇっ!」
最強と謳われた近衛騎士団は、文字通り紙屑のように吹き飛ばされた。
折れ曲がった華美な剣、凹んだ黄金の鎧。そこには、家柄や伝統といった「形だけの権威」が無残に散らばっている。
「そ、そんな……我が聖剣が、一撃も通じないだと!? この高貴なる私が、こんな野蛮な獣に……!」
エドワードが尻餅をつき、絶望に目を見開く。
マウンテン・オーガは、無様に震える王太子を見下ろし、止めの一撃を振り下ろそうとした。
もはやこれまで――王都の民が悲鳴を上げ、誰もが終わりを覚悟した、その時だった。
「――お待たせいたしましたわ。バルク不足の皆様」
天から降り注ぐような、凛とした、それでいて地響きを伴うような声。
王都の正門から、凄まじい「黄金の輝き」が溢れ出した。
それは太陽の光ではない。
鍛え抜かれた肉体から放出される、蒸発した汗とオイルが反射して生み出す「マッスル・オーラ」だった。
「な、何だ……あの光は!?」
エドワードが目を細めて見上げた先。
そこには、六頭立ての馬車を「自らの足で牽引し」、爆走してくる四人の巨漢がいた。
筋肉四天王――ガルド、シルヴィオ、ジュリアン、カイン。
そして、その馬車の屋根の上に、堂々と仁王立ちする一人の令嬢。
「クラリス……貴様、なぜここに!?」
「殿下、お久しゅうございますわ。……あら、以前にも増してその広背筋、萎縮が進んでいらっしゃいますわね。そんな薄っぺらな身体では、国どころか自分の名誉すら支えきれませんわよ」
私は屋根の上から華麗に跳躍し、オーガとエドワードの間に着地した。
私の背後には、即座に「戦闘態勢」をとる四天王が並び立つ。
「ガルド、シルヴィオ! 皆様に、真の『防衛』をお見せなさい!」
「「イエス・マッスル!!」」
マウンテン・オーガが、邪魔者の出現に怒り狂い、その巨大な拳を叩きつける。
だが、ガルドは避けない。
彼はただ、大胸筋に極限まで力を込め、正面からその一撃を受け止めた。
バキィィィィンッ!!
響いたのは、オーガの拳の骨が砕ける音だった。
ガルドの胸板は、傷一つついていない。それどころか、衝撃を吸収した大胸筋が「ピクンッ」と小気味よく跳ねた。
「……重みが足りん。お前の拳には、毎日五百回のプッシュアップによる『執念』が宿っていない」
「次は僕の番だよ! スカイハイ・ランジッ!!」
ジュリアンが爆発的な脚力で跳躍した。
彼はオーガの頭上を越えながら、その鋼の脚で、オーガの側頭部に強烈な回し蹴りを叩き込む。
脳が揺れるオーガ。そこへ、シルヴィオが背中を向け、広背筋を最大限に広げた。
「見てご覧なさい、この広背筋を! これが、貴様ら魔獣には決して到達できない『機能美』の極地だ!」
シルヴィオが放つ「ラットスプレッド」の風圧だけで、巨体のオーガが後退する。
仕上げはカインだ。
彼は目にも止まらぬ速さでオーガの懐に潜り込むと、指先を鋭く立てた。
「貴方の弱点は、その過剰な内臓脂肪にあります。……ここだ!」
カインの指が、オーガの腹筋の隙間にある急所を的確に貫いた。
伝説級の魔獣が、悲鳴を上げることすらできず、その場に膝をつく。
王都の民衆から、どよめきが起きた。
「な、なんだあの人たちは……」「あんなにデカいオーガが、素手で……」「なんて……なんて美しい身体なんだ……!」
民衆の声が、次第に一つの大きなうねりとなっていく。
それは、恐怖からの解放と、圧倒的な力への羨望。
誰からともなく、拍手が鳴り響き、そしてシュプレヒコールが始まった。
「サイドチェスト! サイドチェスト! サイドチェスト!!」
王都全体を揺るがす、熱狂のマッスル・コール。
その中心で、私は震えるエドワード殿下を見下ろした。
彼は、折れた聖剣に縋りつきながら、涙目で見上げてくる。
「く、クラリス……助けてくれ! 私が悪かった、婚約破棄は取り消す! だから、その男たちに命じて、私を守らせろ! 私は王太子だぞ!」
その見苦しい言葉を聞き、私は心の底から冷ややかな溜息を吐いた。
私は彼に背を向け、四天王と共にマウンテン・オーガに止めを刺すべく、ゆっくりと歩み出す。
「殿下。……筋肉は、裏切りません。どれほど過酷な環境でも、どれほど強い敵の前でも、鍛えた分だけ、それは私を支え、守ってくれます」
私は肩越しに、残酷なまでの笑顔を向けた。
「ですが、私は……貴方を裏切りますわ。筋肉を持たぬ者に、私の忠誠を捧げる義理はございません。……ご自分のおっしゃった『上品な家柄』とやらで、その魔獣を説得なさったらいかがかしら?」
「なっ……待て、待ってくれクラリス! 行かないでくれぇっ!」
エドワードの絶叫が、民衆の「サイドチェスト!」という歓声にかき消される。
私は四天王に向かって、最後の手信号を送った。
「皆様、最高の仕上げ(フィニッシュ)を。王都の皆様に、明日からの筋トレのモチベーションを分け与えて差し上げるのですわ!」
「「「「マッスル・エクスプロージョン!!」」」」
四天王の全身から、凄まじい熱量と共に、黄金の輝きが爆発した。
彼らが一斉に「モスト・マスキュラー」のポーズをとる。
その瞬間、オーガの巨体は放たれたオーラの圧力によって霧散し、王都を覆っていた暗雲すらも吹き飛ばされた。
晴れ渡った空の下、太陽の光が、汗に濡れた五人の肉体を神々しく照らし出す。
民衆は、もはや恐怖を忘れていた。
彼らは、目の前の光り輝く身体に、新しい時代の到来を確信していたのだ。
「クラリス様!」「筋肉令嬢万歳!」「プロテインを、我らにプロテインを!」
熱狂する王都。
その光景を、エドワード殿下はただ呆然と、腰を抜かしたまま眺めていることしかできなかった。
彼のプライドは、オーガの骨と共に粉々に砕け散り、二度と再生することはないだろう。
私は、溢れんばかりの声援を受けながら、静かに胸元で十字を切った。
いいえ、十字ではありません。大胸筋を強調する「ポーズ」です。
「……ふふ。やはり筋肉は、最高の結果を導き出してくれますわね」
王都陥落の危機は去った。
だが、これは終わりの始まりに過ぎない。
筋肉によって救われたこの国が、これからどのような「バルクアップ」を遂げていくのか。
私は、四天王と共に、歓喜の渦巻く王都へと堂々と足を踏み入れた。
一歩、一歩、地面を力強く踏みしめるたびに、新しい時代の胎動が聞こえていた。
――さて。
――まずは、この軟弱な王宮を、世界最大のトレーニングセンターに改装しなくてはなりませんわね。
筋肉令嬢の物語は、今、伝説へと昇華しようとしていた。




