第三話 覚醒する四天王
辺境の駐屯地に革命が起きてから、一ヶ月が経過した。
かつて「ボロ雑巾」と蔑まれた騎士たちの姿は、もはやそこにはなかった。
早朝の霧を切り裂き、駐屯地内に響き渡るのは、鋼のぶつかり合う音ではない。
「一ッ、二ッ、三ッ、モア・パンプッ!!」
「「「「モア・パンプッ!!」」」」
野太い咆哮と共に、地面を揺らすのは自重スクワットの振動だ。
私は、駐屯地の中央に設置した特設の「ポージング・デッキ」の上で、鋭い視線を送っていた。手にしているのは、魔力を通すことで拡声効果を持つ「マッスル・メガホン」である。
「皆様、甘いですわ! そのスクワット、大臀筋のストレッチが足りていません! 地面に穴を空けるつもりで、もっと深く腰を落としなさい! 重力は敵ではありません、貴方たちを高みへと導く最良のパートナーですわよ!」
騎士たちは、額から滝のような汗を流しながらも、その瞳には狂信的なまでの輝きを宿していた。
彼らは知ってしまったのだ。
昨日まで上がらなかった重さが上がるようになる喜びを。
朝起きて鏡を見るたび、自分の身体に「新しい隆起」が生まれている奇跡を。
私はメガホンを置き、特に優れた成長を見せている四人の前に歩み寄った。
彼らは、私の「マッスル・ロジック」を完璧に理解し、独自の部位別指導を完遂した「筋肉の精鋭」たちだ。
「……よろしい。貴方たち四人、前へ出なさい」
まず一人目。以前はただの太った食いしん坊だったガルド。
彼は今、私の徹底した高タンパク・低糖質生活と、高重量のプレス系種目により、駐屯地で最も分厚い胸板を手に入れていた。
「ガルド、その大胸筋を見せなさい」
「はっ、マスター・クラリス!」
ガルドが息を吸い込み、両腕を身体の前で組む。
「モスト・マスキュラー」のポーズだ。
途端、彼の分厚い革の鎧が「ミシミシ」と悲鳴を上げた。盛り上がった大胸筋は、もはや二つの岩石が衝突しているかのようだ。
「素晴らしい……。まるで、王都の城門を守る鉄壁のようですわ。ガルド、貴方を『剛腕の重戦車』と呼びましょう」
「光栄です! この胸板があれば、矢の一本や二本、弾き返して見せましょう!」
続いて二人目。かつては「細身こそが美徳」と信じ、不健康なまでに痩せていた美青年のシルヴィオ。
彼は私の「懸垂千本ノック」により、劇的な変貌を遂げた。
「シルヴィオ、貴方の誇りを」
「承知いたしました、我が女神よ」
彼が背中を向け、両腕を横に広げる。
次の瞬間、彼の背中には信じられないほどの「広がり」が現れた。
広背筋が大円筋と連動し、逆三角形の極地へと達している。その皮膚の下には、まるで鬼の顔が浮かび上がっているかのような凄まじい凹凸があった。
「見事な広背筋ですわ。シルヴィオ、貴方は『広背の銀翼』です。その背中に、この騎士団の勝利を背負いなさい」
「この翼で、どこまでも高く羽ばたいて見せましょう。……ポーズをとるたび、服が破れるのが唯一の悩みですが」
三人目。最年少だが、爆発的な瞬発力を持つジュリアン。
彼は、自重の三倍を超えるスクワットを毎日こなし、異常なまでの「脚筋」を作り上げた。
「ジュリアン、その脚を」
「いくよ、マスター!」
ジュリアンが片足を上げ、大腿四頭筋に力を込める。
そこには、幾重にも重なる筋肉の溝――ストライエーションが深く刻まれていた。
まるで彫刻刀で削り出したかのような、鋭利な脚筋だ。
「『鋼脚の韋駄天』。その脚があれば、どんな魔物も追いつけませんわね」
「うん! 僕、もう馬に乗らなくても王都まで走っていける気がするよ!」
最後は、理知的で神経質なカイン。
彼は私の「栄養学」を最も深く学び、体脂肪率を極限まで削ぎ落とすことに成功した。
「カイン、貴方の『芸術』を見せなさい」
「はい。私の計算によれば、今の皮下脂肪厚は一ミリ以下です」
カインが腹筋を収縮させる。
そこには、六つどころか、さらに細かく分割された「エイトパック」が鎮座していた。
外腹斜筋が指先のように肋骨に沿って並び、まるで全身が解剖図のように鮮明だ。
「『腹筋の錬金術師』。そのキレ、まさに宝石以上の輝きですわ」
「無駄な脂肪は、心の弛緩。私は、一ミリの妥協も許しません」
私は彼ら四人を一列に並ばせ、高く宣言した。
「今日この時より、貴方たちを『バルク・クァルテット――筋肉四天王』と任命しますわ! これより始まる我が騎士団の黄金時代を、そのバルクで支えるのです!」
「「「「イエス・マッスル!!」」」」
四人の咆哮が重なり、駐屯地の空気が熱く膨れ上がる。
そんな中、駐屯地の外壁付近で、異変が起きていた。
――ガサッ。
茂みの中から、鋭い視線が騎士団を覗き見ていた。
彼らは、隣国からの偵察員である。
辺境の騎士団が「ボロ雑巾」から「何か」に変わったという噂を聞きつけ、密かに潜入していたのだ。
「……おい、あれを見ろ。なんだ、あの集団は」
「王都からの報告では、ひ弱な負け犬の集まりだと聞いていたが……。あの光る身体はなんだ? 何かの新型ゴーレムか?」
偵察員の一人が、震える手で望遠鏡を覗き込む。
彼の視界に入ったのは、ちょうど休憩に入り、互いの筋肉にプロテイン・オイルを塗り合っている四天王の姿だった。
「ひっ、皮膚が……太陽を反射して輝いている! しかも見ろ、あのデカい男。背中が……背中が叫んでいるぞ!」
「馬鹿な、物理的にそんなはずが――本当だ! 背中に鬼の顔が浮かんでいる! あれは禁忌の強化魔法か!?」
その時、四天王の一人、シルヴィオが偵察員の潜んでいる方角へゆっくりと首を向けた。
彼は視認したわけではない。ただ、発達しすぎた脊柱起立筋が、周囲の空気のわずかな乱れ(殺気)を感知したに過ぎない。
「……マスター。あちらの茂みに、不純物を感じます」
「あら、ネズミかしら? シルヴィオ、少しだけ威嚇して差し上げて」
「御意」
シルヴィオが一歩前へ出る。
彼は剣を抜くことすらしない。
ただ、大きく息を吸い込み、全身の血管を拡張させ、最大限の「ラットスプレッド」を披露した。
「ハァァァァァッ!!」
ドォォォォンッ!!
物理的な衝撃波ではない。
だが、シルヴィオから放たれた圧倒的な「威圧感」が、突風となって茂みをなぎ倒した。
筋肉の隆起が空間を歪め、黄金の汗の飛沫がキラキラと舞い散る。
そこには、人間を遥かに超越した「生命の暴力」が顕現していた。
「ぎ、ぎゃああああああっ!!」
「化け物だ! 辺境に、黄金の化け物が現れたぞぉぉぉっ!!」
偵察員たちは腰を抜かし、這々の体で森の奥へと逃げ去っていった。
彼らが母国に帰り、「辺境には鋼の皮膚と鬼の背中を持つ巨人が数百体ひしめいている」という誇張された報告を上げるのは、もう少し先の話である。
「……ふふ、逃げていきましたわね」
私は、手元の手帳に「心理的威圧による防衛成功」と書き込んだ。
やはり、筋肉は武器を使わずとも平和を守ることができる。これこそが、私の目指す「マッスル・ピース」だ。
だが、平和な時間は長くは続かない。
夕刻。
王都の方角から、数騎の早馬がこちらに向かってくるのが見えた。
彼らが掲げているのは、王太子エドワードの紋章。
「クラリス様。王都より、視察団の先遣隊が到着しました」
レオンハルト団長が、以前よりも三倍は分厚くなった胸を張って報告に来た。
「予定より早いですわね。……ふふ、あの方々は、自分たちが何を『捨てた』のか、まだ理解していらっしゃらないようですわ」
私は、四天王と騎士たちを整列させた。
彼らの筋肉は、夕日に照らされてブロンズ像のように鈍く輝いている。
「いいですか、皆様。王都の視察員たちは、貴方たちを『落ちこぼれ』だと思っています。まずはその思い込みを、その大胸筋で粉砕して差し上げるのです。言葉は不要。ただポーズをとり、その筋肉の『声』を聞かせてあげなさい」
「「「「イエス・マッスル!!」」」」
大地を揺らす返事が、王都からの使いを迎え撃つ。
私の胸には、かつてないほどの高揚感が溢れていた。
――さあ、エドワード殿下。
――貴方の「上品な騎士団」と、私の「高潔な筋肉」。
――どちらがこの国を守るに相応しいか、今ここで、残酷なまでの現実を突きつけて差し上げますわ。
私は特製のプロテインを一口飲み、最高の笑顔で門を開かせた。
そこには、驚愕と絶望に染まるであろう、ひ弱なエリートたちの顔が待っていた。




