第ニ話 辺境、マッスル改革
北の果て、凍てつく風が吹き荒れる辺境の地。
そこに建つ「ボロ雑巾騎士団」の駐屯地は、まさにその名の通り、絶望と疲弊の匂いに満ちていた。
「ハァ……ハァ……あと、十回……いや、五回……」
錆びた剣を振るう騎士たちの動きは、あまりにも緩慢。
彼らの頬はこけ、目はくぼみ、全身から生気が失われている。
その中心で、一際ボロボロの鎧を纏った男――団長のレオンハルトが、震える腕で大剣を構えていた。
「団長……もう、限界です……。昨日から、ジャガイモ半分しか食べてないし……」
「黙れ! 魔物から民を守るのが騎士の義務だ! 根性が足りん、根性がッ!」
その惨状を、私は駐屯地の門柱に寄りかかりながら、冷ややかな目で見つめていた。
私の胸元には、王都から持参した特製プロテインシェイカーが握られている。
私は一歩踏み出した。
「ボロ雑巾騎士団 目を覚ましなさい
根性論 捨てて 超回復 に酔いなさい
ガルド、シルヴィオ、ジュリアン、カイン
四天王が刻む 黄金のサイン
アナボリック な情熱 止まらない
カタボリック な絶望 寄せ付けない
王都の危機? 魔獣の襲来?
私の 大胸筋 で 全て粉砕!」
「!マッスル・ライム?……何者だ!?」
「……嘆かわしい。あまりにも、嘆かわしいですわ」
私の声が、死に体の騎士たちに届く。
レオンハルトが、不快そうにこちらを振り返った。
「なんだ、王都の追放令嬢か。見ての通り、俺たちは忙しい。お嬢様の『筋肉見物』に付き合っている暇はないんだ」
「見物? 失礼な。私が今見ているのは、筋肉ではなく、ただの『動く枯れ枝』ですわ」
私は優雅に歩み寄り、レオンハルトの目の前でぴたりと止まった。
「レオンハルト様。貴方は先ほど『根性が足りない』とおっしゃいましたわね? ですが、それは大きな間違いです。足りないのは根性ではなく、適切な栄養、適切な休息、そして……筋肉への敬意ですわ!」
「なんだと……!?」
「今すぐ、その無意味な『素振り百セット』を中止なさい。それは訓練ではなく、ただの自虐行為。筋肉の虐待ですわ!」
私の剣幕に、騎士たちが呆然と立ち尽くす。
私はシェイカーを高く掲げ、朗々と宣言した。
「いいですか、皆様。筋肉を育てるのは戦場ではありません。食卓と、寝所ですの。苦痛を美徳とする時代は、私がこのコルセットと共に引きちぎって捨てましたわ!」
私はすぐさま、騎士団の「改革」に着手した。
まず行ったのは、彼らが「精神修養」と称して続けていた、睡眠時間を削っての深夜行軍の中止。
そして、備蓄されていたわずかな食料の「成分鑑定」である。
「ジャガイモ、パン、以上……。絶望的ですわ。これでは炭水化物ばかりで、筋肉の材料になるアミノ酸が皆無です。これでは身体という神殿を建てるのに、砂だけで城を造ろうとしているようなものですわよ!」
私は騎士たちを連れ、駐屯地の裏山へと向かった。
そこには、辺境の悩みの種である巨大魔獣「ギガント・ボア」が闊歩している。
「レオンハルト様、あれを仕留めますわよ。あれは魔物ではありません。走る『最高級タンパク質の塊』ですわ!」
「おい、あんな大物を少人数で……。正気か?」
「筋肉は、絶体絶命の危機においてこそ、火事場の馬鹿力を発揮するもの。見ていなさい!」
襲いかかる巨猪に対し、私はドレスの袖をまくり上げた。
剥き出しになった私の前腕には、血管が美しく浮き出ている。
突進してくる巨猪の鼻先に、私は最短距離で右ストレートを叩き込んだ。
「バルク・インパクトォォォ!!」
ドゴォォォンッ!
という轟音と共に、数百キロの巨体が空中で一回転し、絶命する。
騎士たちが「ヒッ……」と短い悲鳴を上げたが、私は構わず、鮮やかな手つきで解体を開始した。
「さあ、調理の時間ですわ。いいですか、筋肉飯の極意は『高タンパク・低脂質』。余計な脂身は、魔物除けの油にでもしなさい。私たちが喰らうのは、この赤身だけです!」
駐屯地の広場で、巨大な鍋が火にかけられる。
私は持参した香草と、わずかな塩、そして秘密の「マッスル・スパイス」で、肉を焼き上げ、煮込んだ。
辺りには、空腹の騎士たちの胃袋を直撃する、香ばしい肉の匂いが立ち込める。
「団長、一口食べなさい。これはただの食事ではありません。貴方の細胞を再構築する『神の雫』ですわ」
半信半疑のレオンハルトが、肉を一口運ぶ。
その瞬間、彼の目がカッと見開かれた。
「な、なんだこれは……。力が、身体の底から湧き上がってくるようだ! 熱い……胃のあたりが、燃えるように熱いぞ!」
「それが『同化作用』の始まりですわ。さあ、全員食べなさい! そして食べた後は、一秒でも長く眠るのです。成長ホルモンという名の奇跡を信じて!」
その日から、騎士団の空気は一変した。
私は、科学的な「超回復」の概念を徹底的に叩き込んだ。
「いいですか、皆様。痛みは『弱さが身体を去っていく音』。筋肉痛は、貴方が昨日よりも強くなったという筋肉からのラブレターですわ。その痛みを慈しみ、そして休ませなさい。今日鍛えたら、明日は休む。これが鉄則です!」
騎士たちは当初、戸惑っていた。
「休むのが仕事」という私の理論が、これまでの騎士道精神とあまりにかけ離れていたからだ。
だが、結果はすぐに出た。
一週間後。
ガリガリだった騎士たちの肩回りに、柔らかな丸みがつき始めた。
一ヶ月後。
彼らの肌には艶が戻り、重い剣を軽々と振り回すようになった。
そして今日。
私はレオンハルトを指導し、自重トレーニングの王、スクワットを行わせていた。
「背筋を伸ばして、腰を深く落とす! そうです、レオンハルト様。正義を支えるのは、高潔な精神ではありません。地を這い、天を支えるその脊柱起立筋ですわ!」
「ハァッ……ハァッ……! クラリス、見える……見えるぞ! 俺の脚が……鋼の柱に変わっていくのが!」
「素晴らしい! その『パンプアップ』した感覚こそが、宇宙の真理ですわ!」
レオンハルトが立ち上がった瞬間、彼の背中から「ミシミシ……」という音が聞こえた。
彼が着ていた古びた騎士服の背中が、盛り上がった筋肉に耐えきれず、派手に弾け飛んだのだ。
「あ……」
露出したレオンハルトの背中には、以前の悲壮感はない。
そこには、力強く、そして誇り高い広背筋が、まさに翼のように広がっていた。
「団長……背中の広がりが、まるで大鷲のようですわ!」
「これか……。これが、筋肉の力か……!」
周囲の騎士たちからも、次々と歓声が上がる。
彼らもまた、自分の身体に宿り始めた「物理的な力」に、かつてない自信を感じ始めていた。
「皆様、これだけは覚えておいて。剣は折れ、盾は砕けます。ですが、正しく鍛えた筋肉だけは、貴方が息絶えるその瞬間まで、貴方の骨を支え、魂を守り抜きます。筋肉は、決して……決して裏切らないのですわ!」
「「「「イエス・マッスル!!」」」」
駐屯地に、野太い声が響き渡る。
かつて「ボロ雑巾」と呼ばれた男たちは、今や「筋肉の求道者」へと変貌を遂げつつあった。
私は、満足げに頷き、王都の方角を眺めた。
あちらでは、ひ弱な貴族たちが、着飾っただけの宴に興じていることだろう。
その一方で、この辺境では、世界を塗り替えるための「バルク」が着々と蓄えられている。
「さて、次は……さらに効率的な栄養摂取のために、魔物の骨から『コラーゲン・プロテイン』を抽出する設備を造らなくてはなりませんわね」
私の改革は、まだ始まったばかりだ。
しかし、その成果は、不意に訪れた。
「報告します! 王都より、辺境騎士団の現状を確認するための視察団が到着しました!」
門番の騎士が報告に来たが、その制服もまた、胸筋の肥大によってボタンが今にも弾け飛びそうになっていた。
「あら。案外、早かったですわね。……ふふ、楽しみですわ」
私は、シェイカーを最後の一滴まで飲み干した。
王都から来る、脂肪に塗れた、あるいは貧弱な「エリート」たちが、この筋肉の聖域を見てどのような顔をするのか。
――さあ、皆様。ポージングの準備を。
――私たちの「美」を、存分に見せつけて差し上げましょう。
北の寒風を切り裂くような、熱い熱いマッスル・フェスティバルの幕が開こうとしていた。




