帰郷
これは夢だ。何度も何度も繰り返し見た夢。
轟々と燃える炎の中から延びる獣の爪。金色にギラつく瞳。肉を食らうための牙に唾液が滴る。
そして、炎の獣は言う。
『―ミツケタ…!!!』
ガタッと身体を勢いよく揺さぶられ、目が覚めた。
「すみません、ここら辺は道が悪くて。起こしちまいましたね」
御者がこちらを軽く振り返り会釈する。
「…いえ」
断続的に揺れる馬車は、確かに乗り心地のいいものではなかったが、こんなところを走ってもらっているのだから仕方ない。
窓の外を伺うと、まだ夕暮れ前だというのに、高く伸びた木々に空が覆われてひどく暗い。道は舗装どころか管理もほとんどされていないのだろう、石や折れた枝などがバラバラと転がっている。
「もうすぐ着きますよ」
森を抜ければ目的地はすぐだ。わたしの人生の始まりの場所。そして―終わりに選んだ場所。
三十数年ぶりの帰郷に、高揚感と懐かしさ。そして受け入れたはずの死への恐怖が少しだけ頭をもたげて、身体に巣食った病が痛んだ気がした。
胸に手を当て、静かにゆっくりと呼吸する。
大丈夫。わたしにできることも、やるべきことも、もう無いのだから。死んだって後悔はないのだ。
霞みゆく恐怖が、痛みが、こちらを睨みつけているようだった。
森を抜けたところで、御者にお礼とともに多めに料金を支払い、馬車を降りた。
森の道から村の真ん中を貫いて、反対側の森へぶつかる、奥へ高い坂道の通り。その脇に並ぶ家屋に混じる数軒の商店。それ以外は殆ど畑か更地だ。
四方を森に囲まれ、外へ続く道は、今通ってきた森の道が唯一。あまりに変わらない、閉ざされた村。
近くの畑に屈んでいた男が、物珍しそうにこちらを伺っている。姿は見えないが、近くで子供たちの笑い声が聞こえる。
歩き出そうと、踏み出そうとしたところで、ザァと森が戦慄いた。強い風に思わず顔を伏せる瞬間、その視界の端に、白いワンピースと懐かしい銀色の髪が靡いた気がして、すぐに顔をあげる。
そこには先程と同じ風景があるだけで…いや、坂道通りを奥に登る背中が見えた。燕尾服に鮮やかな金髪の華奢な男。背筋を伸ばして歩く姿は、明らかに風景から浮いている。
どこかの家か商店に入ったのか、彼の姿はすぐに見えなくなった。
こんなところに貴族の別邸でも建ったのだろうか。大きな建物は見えないが、森の中にでもあるのかもしれない。
「さて、」
改めて、歩き出す。まずはこの坂道通りを、一番上まで行こうか。
坂道通りは奥に進むにつれ、建物や畑がまばらになっていた。人の生活圏ではなくなった場所を、草花や低木、若木が覆って、なだらかに森に繋がっていく。子供も遊びに入らないのか、全く踏み荒らされてないその地帯を強引に抜けると、開けた場所に出る。
「はは、まさかそのまま残ってるとは…」
比較的大きな建物の焼け跡。半分以上焼け崩れ、建物の体は成していない。剥き出しの床や壁には雑草や苔が生え、焦げた柱や家具類は今にも崩れそうだ。
それでも懐かしいと感じる。ここは教会だった。生まれてすぐに捨てられたわたしを拾ってくれた場所。わたしの生きる意味だった少女と出会い、ともに生活した場所。炎の獣の夢を見る原因となった場所。
扉だったところから中に入る。吹き抜けの広間だった場所の真ん中から上を見上げると、二階の廊下も部屋も、天井もない。
空は赤く染まり始めている。あの日と同じように。あの日の炎のように。
本当は、村に戻ってどこかに泊めてもらおうと考えていたのだが、ここまで登ってくるのに思ったより時間と体力を削られてしまった。
それに、なんだか離れがたい。
野宿の道具も持っていないのに、そんなことを思いついてしまったのも、捨て鉢になっている証拠かもしれない。
夏の盛りは過ぎたが、寒いというほどでもない。獣除けに焚火でもすれば、一晩くらい大丈夫だろうと判断して、荷物を降ろす。
裏はすぐ森だ。枯れ木には事欠かなかない。集めた枯れ木を適当に積み上げて、煙草用のマッチで火を付けた。
マッチの小さな火種は、瞬く間に大きくなって、枯れ木を覆った。熱が肌に照り付ける。ちりちりと燃える火の端に触れる。皮膚が焼かれる痛み。
この教会が燃えたあの出来事から、わたしは炎に魅入られてしまった。
炎に多大なる恐怖を覚えるとともに、ひどく美しいと思うのだ。今すぐにでも飛び込んで、私もこの眩しい揺らめきと混ざり合ってひとつに―。
「…っ」
指先に一際激しい痛みを感じて我に返る。焚火から少し距離をとって、深く息を吸った。大自然のぬるい空気が肺を満たす。ゆっくり息を吐きながら、荷物を枕に仰向けに寝転がると、満点の星空が視界を埋める。
「星空のほうがずっと綺麗だ…」
自分に言い聞かせるように呟く。
今夜もあの夢を見るのだろうと、なんとなくそう思った。
いつの間に眠ってしまっていたのか。焚火はとっくに燃え尽きて、星明りだけがあたりをぼんやりと照らしている。
風が森を震わせる音。虫の声。鳥の羽音。
それから、獣の唸り声。かなり近い。
思わず、身を竦ませ、息をひそめる。
何か大きなものが、森の中を分け進んでくる。草木を手折り踏みつぶす音が迫ってくる。
逃げることも叶わずに、座り込んだまま音のする方から目が離せない。
あっという間にその獣は、森の深淵から姿を現した。狼のような頭を、わたしの背の倍もありそうな高さから突き出して、確かめるように鼻をひくつかせている。
闇夜で光る獣の金色の目が、わたしを見つけた。不敵にほほ笑むように、獣が牙を剥き出す。
わたしは呆然と、ただ何も起こらないことを祈るしかなかった。
「ミツケタ!」
獣の唸り声が、あの夢の炎の獣と重なる。眼前に迫る獣の爪に、息を呑んだ。




