第9話 2人で動画視聴
放課後の図書室は、今日も静かだった。
窓の外では、西日がゆっくりと傾き始めている。
いつもより少し遅くなった時間、空は資料室の前で深呼吸をひとつしてからドアを開けた。
「こんにちは、空。」
未来は、いつも通り微笑んでいた。
その笑顔に、ほっとする。
けれど、どこか今日は雰囲気が違って見えた。机の上には、ノートやペンではなく、一台のスマホが置かれている。
「今日の恋の練習はね、これを使うよ。」
「スマホ?」
「うん。一緒に動画を観よう。」
「動画?」
「そう。恋人っぽく一緒にお互いが好きな動画を隣に座って観るの。」
「でも、音出したら図書室の人にバレるだろ。」
「大丈夫。ちゃんと対策してあるから。」
そう言いながら、未来はスマホの横に白いイヤホンを取り出した。
見慣れた、コードのついた有線タイプ。
未来が軽く微笑むと、イヤホンのコードを指で持ち上げた。
左右に分かれたイヤピースが、白い線で繋がって揺れる。
「片方ずつ使えばいいの。ね?」
「……片方ずつって。」
「そう。空が右、私が左ね。」
言いながら、未来は左のイヤホンを自分の耳に差し込む。
その仕草が自然すぎて、空は少し戸惑いながらも右のイヤホンを取った。
コードがピンと張られて、ふたりの距離が強制的に近くなる。
……近いな。
目を向ければ、未来の横顔がすぐそばにあった。
指先を少し動かせば触れてしまいそうな距離。
髪がふわりと揺れて、シャンプーの香りがかすかに鼻をくすぐる。
「じゃあ、観ようか。」
「あ、ああ……。」
未来が再生ボタンを押す。
画面には、明るい映像とともに音楽が流れた。
映っているのは、学生たちの青春を描いたミュージックビデオ。
制服姿の男女が笑い合い、放課後の街を歩く。そんな穏やかな映像だった。
「これ、私が好きな曲なんだ。」
「へえ、初めて聴いた。」
「寝る前とか、勉強中に流してる。」
「……未来らしいな。」
「どういう意味?」
「落ち着いてるけど、ちょっと切ない感じ。」
「……そうかも。」
未来は静かに笑った。
その笑顔が、イヤホンのコードを伝ってこちらにまで届くような気がした。
音楽が進むにつれ、空は次第に自分の心臓の音に気づいていった。
たぶん、未来に聞こえるほどではない。
でも、自分の耳にははっきり届いている。
肩がほんの少し触れ合うたびに、心が跳ねたように感じた。
……落ち着け、ただの練習だ。
そう言い聞かせながら、平然を装って画面を見つめる。
「じゃあ、次は空の番」
「俺の?」
「うん。空のおすすめの動画、観せて?」
未来がそう言って、スマホを差し出した。
空は少し考えてから、好きな音楽のMVをひとつ選び、再生ボタンを押した。
イヤホンのコードがまたふたりを繋ぐ。
今度は未来が少し身を寄せ、画面を覗き込む。
距離は、息をすれば頬が触れそうなほどだった。
映像は静かな夜の街を映し出していた。
ピアノの音に合わせて、淡く光る街灯と通り雨のシーン。
どこか懐かしくて、少し寂しい。
「きれいな曲だね。」
「こういう落ち着いた感じが好きなんだ。」
「空っぽい。」
「またそれ。」
「でもほんとにそう思う。静かだけど、ちゃんと温かい感じがする。」
未来の言葉に、空は何も言えなかった。
ただ、ふっと笑って、画面を見つめる。
その横顔を未来が見ていたことに、空は気づかない。
◇
「空は、普段どんな動画観てるの?」
「うーん……旅行のやつとか、風景系のやつとかかな。」
「へえ、落ち着いてるね。」
「未来は?」
「私? ……動物動画とか、料理とか、あと女の子のダンス動画とか。」
「ダンス……?」
「ふふ、言わなきゃよかったかも。」
未来は顔を赤くして笑う。
その反応が新鮮で、空は思わず笑い返した。
「いや、なんか意外でいいと思う。かわいいじゃん。」
「……かわいいって言った。」
「あ、いや、その、動画が、かわいいって意味で……!」
「ふふっ、わかってるよ。」
未来がくすくす笑う。
それだけで、空の心臓はさらに騒がしくなった。
イヤホンのコードが少し揺れて、肩と肩が軽く触れ合う。
わずかに触れた温度が、頭の中まで伝わってくるようだった。
◇
動画を何本か見終わった頃には、あっという間に時間が過ぎていた。
時計を見ると、もう放課後の終わりを告げるチャイムが近い。
「楽しかったね。」
「やる前は抵抗があったけど、案外こういうのも悪くないな。」
「恋人同士ってこういう静かな時間も過ごすのかもね。」
「……そうかもな。」
空は頷きながら言った。
恋人同士という言葉に、なぜか少しだけ胸がざわつく。
いつものように、ただ恋の練習なのに。
「ねえ、空。」
「ん?」
「今日、距離近かったでしょ?」
「……まあ、イヤホンのせいで。」
「そう。でも、近いのも悪くないよね?」
未来は軽く笑った。
それが冗談なのか、本音なのか、空にはわからない。
けれど、今のこの距離を少しも嫌だと思っていない自分に気づく。
未来って、こうやって笑うと、結構……かわいいんだよな。
未来はそれを見て、くすっと笑う。
「返事はないの?」
「ノーコメントで。」
「ふふ。」
小さな声で笑い合う。
その音が、イヤホンを外したあとも、耳の奥に残っていた。
◇
資料室を出ると、廊下はすっかり夕焼けに染まっていた。
窓ガラスに反射する光が、未来の髪に橙色の輪郭を描く。
「じゃあ、また次の活動で。」
「うん。……あ、空。」
「ん?何?」
「今日、ありがとう。」
「? 俺も楽しかったよ。」
たわいのない言葉なのに、胸の奥がほんのり温かい。
未来が微笑んで手を振る。
その姿が夕日の中に溶けていくのを見ながら、空は小さく息を吐いた。
……もっと、未来のこと知りたい。
そんな気持ちが芽生えたことに、空自身が気づかないふりをした。
今日の恋の練習は、ただの練習。
――そう言い聞かせながらも、心の奥では何かが静かに変わり始めていた。
今日も投稿完了しました。
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