第5話 クラスでの2人 その1
朝の教室は、いつも通り賑やかだった。
机を寄せ合って話すグループ、眠そうにあくびをする男子、黒板に書かれた日直の名前。
どれも日常の風景で、変わらないはずの光景。
けれど相川空にとっては、最近ほんの少しだけ違って見えている。
その理由は、一ノ瀬未来。
秘密クラブでは、名前を呼び合って笑い合う関係。
けれど今は、同じ教室の中で、まるで他人のような距離間だ。
未来は窓際の席で静かに本を読んでいた。
光の中で彼女の黒髪が揺れ、その姿はいつも通りの一ノ瀬未来だった。
凛としていて、少し近寄りがたい。
その姿を見て、空はふと、昨日の雨音を思い出した。
……変な感じだ
相合傘をして、楽しく話をしながら一緒に下校していたのに、今はただのクラスメイトで話すこともなかなかない。
教室と秘密クラブで全く別の世界にいるような不思議な感覚だ。
「おい、相川。昨日の数学の課題、やった?」
隣の席の友人、田村が話しかけてきて、空は慌てて意識を戻した。
「あ、ああ、うん。やったよ。」
「コピーさせてよ、俺を助けると思ってさ。」
「……自分でやりなよ。」
「昨日は時間がなくてできなかったんだよ。今日だけだから、頼むよ!」
「仕方ない。今日だけな。」
「サンキュー。」
そう言いながらも笑い合い、いつもの空気に戻る。
けれど、笑いながらも、視線は時々、未来の方へ向かっていた。
彼女は誰とも話していない。
本を読み込みながら、穏やかに時間を過ごしている。
ふとした瞬間、目が合った
その一瞬――息が止まった。
未来の瞳がこちらを見て、すぐにそらされる。
それだけのことなのに、すごく残念に思ってしまった。
教室では空と呼ばれることはないし、彼女のことを未来とは呼ぶことはない。
そのことが、妙に寂しかった。
◇
昼休み。
空は友人たちと弁当を食べながら、なんとなく教室内を眺めていた。
廊下の向こうに、未来の姿が見えた。
女子数人と楽しそうに笑って話をしている。
普段の未来は、静かで落ち着いたタイプだ。
それでも、笑った顔はどこか柔らかく、教室の空気を穏やかにしているように見えた
……一ノ瀬って、こんな感じなんだ。
秘密クラブで見せる表情とは違う。
控えめで、けれど誰にでも優しく微笑む、クラスの一員としての顔。
空はその違いに、不思議な感情を覚えた。
未来ではなく、一ノ瀬としての彼女。
その距離が、少しだけ切なかった。
◇
午後の授業が始まる直前、空のペンが床に派手に転がった。
拾おうとした瞬間、他の方向から手が伸びた。
「……あ、ごめん。」
顔を上げると、そこに未来がいた。
彼女は空のペンを拾い上げて、静かに差し出す。
「これ、相川くんの、でしょ?」
「……あ、うん。ありがとう、一ノ瀬。」
その一瞬のやり取り。
それだけのことなのに、心臓が不自然に跳ねた。
未来の手がほんの少しだけ触れた感触が、消えない。
名前を呼び合うことが許されない学校の教室。
未来ではなく、一ノ瀬と呼ばないといけないことが残念に思った。
◇
授業中も、何度か意識してしまう。
未来がノートを取る音、ページをめくる仕草。
そのすべてが、昨日の秘密のクラブと重なってしまう。
集中しようと黒板を見ても、頭の片隅には傘の中で見た未来の横顔が浮かぶ。
あの距離、あの空気。
……だめだ、授業中は集中しないと。
このままだと未来のことが気にって他のことに集中できない。
無理やり思考を捨てるように頭を左右に激しく振ってから、授業に意識を切り替えた。
◇
放課後。
チャイムが鳴り、教室にざわめきが戻る。
友人たちは帰る準備をしながら、ゲームやテレビの話で盛り上がっていた。
空は適当に相槌を打ちながらも、心ここになかった。
未来は教科書をまとめ、静かに鞄を手にし、席を立っていた。
その姿が、なぜか他の誰よりも遠く感じた。
ほんの数メートルしか離れていないのに、声をかけることができなかった。
秘密クラブ以外では、単なるクラスメイト――。
そんな不思議な関係を彼は守っていた。
未来がドアの方へ歩いていく。
その後ろ姿を目で追いながら、空は小さく息を吐いた。
そして、ゆっくりと立ち上がる。
……俺も行こう。
◇
夕方の廊下は静かだった。
窓の外では、夕日が赤く校舎を染めている。
足音だけが響く中、空の胸はじんわりと熱を帯びていく。
これから秘密クラブの時間。
未来と再び、名前で呼び合う時間。
それを思うと、心の奥がふわりと高鳴った。
昼間、他人のように過ごしていた反動だろうか。
たったそれだけのことが、今は何よりの楽しみになっていた。
廊下を曲がり、図書室へ向かう途中、誰かの笑い声が遠くに聞こえた。
同じ学校にいるのに、まるで別の世界へ踏み込むような感覚。
秘密という言葉が、魔法のように広がっていく。
◇
図書室の扉の前に立つ。
心臓が少しだけ早く打つ。
ドアの向こうには――きっと、あの笑顔がある。
教室では一ノ瀬。
でも、ここでは未来。
名前ひとつで、こんなにも関係が変わる。
それがたまらなく不思議で、そして心に響いた。
空はそっとノックをした。
秘密クラブの時間が、また始まる。
そしてその瞬間、昼間に感じた寂しさは、消え去っていった。
普段のクラスでの2人を書いてみました。
どうですか?
ぜひ感想ください!
余力があれば今日もう1話更新します




