第4話 相合傘
その日の放課後、空はいつも通り教室を出る。
校舎の窓には、淡い灰色の雲が広がっている。
雨が降るかもしれない――そう思いながら、いつものように図書室の資料室へと向かった。
扉を開けると、そこにはすでに未来がいた。
机の上にはノートとペン、そして透明のビニール傘が一本。
「空、来たんだね。」
「うん。今日の活動は何?……というかなんで傘がここにあるの?」
「それは、今日は相合傘の練習をしようと思って。」
未来は小さく笑った。
「相合傘……って、あの、恋人がするやつ?」
「うん。」
未来は、いたずらっぽく微笑む。
「校則で恋愛は禁止されてるけど、秘密クラブなら、練習くらいはしてもいいでしょ?一緒に帰ろ。」
その言葉に、空の胸がどきりと鳴った。
練習――なのに、どうしてそんなに心が跳ねるんだろう。
◇
ふたりで図書室を出ると、窓の外ではぽつぽつと雨が落ちていた。
すぐに本降りになりそうな空模様だ。
未来は傘を開いて、自然な仕草で空の方を向く。
「ほら、空。」
「え?」
「秘密クラブの活動、練習だから。早くおいで。」
そう言って、未来が傘を持って手招きする。
空は一瞬ためらったが、未来の表情があまりにも自然で、断ることができなかった。
「……じゃあ、お言葉に甘えて。でも、傘は俺が持つよ。」
傘を受け取った瞬間、未来はどこか嬉しそうだった。
◇
放課後の通学路。
雨の音が近くで響いて、二人の足音が小さく重なった。
誰もいない並木道を、ふたり並んで歩く。
距離は近い。
思っていたよりもずっと。
空は、傘を持つ手が未来の肩に少し触れかかっていることに気づいた。
触れ合いそうな距離感が、なんだか落ち着かない。
でも、不思議と嫌な気はしなかった。
「こうして歩くの、変な感じだね。」
未来がふっと笑う。
「こんなふうに一緒に帰ることなんて初めてだもんね。」
「うん……。誰かに見られたら、ちょっとマズいかもな。」
「そうだね。校則違反、だもんね。」
そう言いながらも、未来の声にはどこか楽しそうな響きがあった。
「でも、秘密クラブの活動中だから、セーフだよね?」
「……秘密のクラブ活動だから、先生達には言えないけどね。」
空は少し笑ってしまった。
未来はいつもどこか可愛らしい。
ふと、風に揺れた彼女の髪が頬に触れそうになり、空は反射的に体を引いた。
雨の匂いと一緒にシャンプーのような甘い香りがかすかに漂ってきた。
「……近いね。」
「相合傘だから、仕方ないよ。」
未来は穏やかに笑ったまま、前を見て歩き続ける。
その横顔を見ているだけで、落ち着かない。
「ねえ、空。」
「うん?」
「こういうの、どう思う?」
「こういうのって?」
「恋人っぽいことの練習。」
未来の声は、雨音に溶けるように柔らかかった。
「うーん……変な感じだよ。最初はただのごっこ遊びみたいだったけど、最近ちょっと本気っぽいというか。」
「本気?」
「いや、その……。違う、そういう意味じゃなくて。ちゃんと練習してる感じがするなって。」
空は慌てて手を振った。
未来は笑っていた。
「ふふっ。空らしい感想だね。」
ふたりの間の少しの沈黙。
その沈黙を埋めるように、傘の上で雨粒がリズムを刻む。
◇
途中の商店街の角を曲がると、未来が少し足を止めた。
「ねえ、空。傘、もう少し寄ってもいい?」
「え?」
「風、こっちから吹いてきて、濡れそうだから。」「あ、うん。」
空は傘を傾ける。
未来の肩が自分の腕に触れた。
その瞬間、鼓動が一気に早くなる。
未来は特に気にしていない様子で、まっすぐ前を見ていた。
ほんの少しだけ、距離が近づいただけで、こんなにも変わるのか。
たった1歩の距離なのにさっきまでとは全然違う。
未来に動揺していることを悟らせないようにしないと。
「そういえば、次の練習って、何しようか?」
未来が聞くと、空は冗談めかして答えた。
「うーん、次は手をつなぐ練習とか?」
「……それ、いいかも。」
「えっ、冗談だったんだけど。」
「でも、恋人っぽいよ。ほら、今日もこうして一緒に歩いてるし。」
未来のその言葉に、空は言葉を詰まらせた。
「俺たちにはまだ早い気がするな。」
彼女はいつも自然に距離を詰めてくる。
まるで、本当に恋人みたいだ。
◇
駅が近づくにつれて、空の頭の中は少し混乱していた。
恋の練習――あくまで練習のはずだ。
でも、未来の笑顔を見るたびに、心が少しずつ動いていく。
彼女の声や仕草、雨の音に混じる香り……その全部が気になってくる。
「空、ここでいいよ。」
駅前の屋根の下に入ると、未来が立ち止まった。
「え?一緒に電車で帰らないの?」
「うん、でも今日はちょっと寄り道して帰るから。駅前で買いたい物があって。」
「あ、そうなんだ。」
「うん。」
未来は微笑む。
微笑んだ未来の耳がいつもより少し赤い気がした。
「空は先に帰ってて。」
その笑顔を見て、空は少しだけ寂しさを感じた。
たったこれだけの時間なのに、別れ際がこんなにも寂しくなるとは思わなかった。
◇
「……じゃあ、また明日。」
未来が軽く手を振る。
「うん、また明日。……未来。」
名前を呼ぶと、未来の表情がわずかに柔らいだ。
「うん、またね。空。」
そう言って彼女は傘を閉じ、駅前の通りへと歩き出した。
空はその背中を見送りながら、ふと傘を見上げた。
雨音が、まだ静かに響いている。
相合傘のぬくもりは、もう消えてしまったはずなのに、肩のあたりにまだ未来の気配が残っている気がした。
あの距離、あの温度、あの香り。
ほんの少しだけ心に残る。
◇
その夜、帰宅した空は机の上にスマホを置いた。
画面を開くと、未来からのメッセージが届いていた。
“今日はありがとう。相合傘、楽しかったね。”
その短い一文を見ただけで、胸がまた熱くなる。
指先が勝手に動いて、返事を打っていた。
“こちらこそ。なんか、変にドキドキしたよ。”
送信ボタンを押したあと、しばらく画面を見つめていた。
雨の音がまだ耳に残っている気がする。
あの時間が、ずっと続けばいいのに――そう思いながら、空は小さく笑った。
恋の練習なのに、なぜこんなにも心が動くのだろう。
それが秘密クラブの魔法なのか、それとも――。
空はまだ、自分の気持ちが何なのかわからなかった。
また、明日も投稿します。
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