第20話 クラスでの2人 その3
朝の教室は、いつもよりざわついていた。
テレビの話題、部活の予定、他愛のない笑い声――
いつもと変わらない風景のはずなのに、空にはどこか違って見えた。
未来がいる。
いつもの席で、クラスメイトと穏やかに話している。
その姿を見るだけで胸が締めつけられた。
――昨日、あんなことがあったばかりだ。
付き合ってみる?
あの言葉が、何度も何度も頭の中で反響する。
そして、自分が口にした「ごめん」という言葉。
あの瞬間の未来の顔を今でもはっきり覚えている。
笑って「またね」と言ってくれたけど、その笑顔の裏に隠れていた悲しさが、どうしても忘れられなかった。
◇
空は席に座り、教科書を開いた。
でも、文字が全然頭に入ってこない。
ページをめくる指先が止まるたび、視線は自然と未来の方に向かってしまう。
未来はいつも通りに見える。
休み時間には、本を読んだり、友達と小さく談笑している。
その普通が、今はとても遠く感じた。
――俺だけが、昨日の続きを引きずってるのか。
そんな考えが頭をよぎる。
胸の奥がじわりと痛む。
「おい、相川。聞いてる?」
隣の席の男子が声をかけてきて、空は慌てて顔を上げた。
「あ、ああ。悪い、ちょっとぼーっとしてた。」
「どうした? お前、最近なんか様子変じゃね?」
「そうか?」
「うん。まさか、恋でもしてるとか?」
「なっ……!……そんなわけないだろ。」
思わず大きな声を出してしまい、数人の視線がこちらを向く。
未来も、一瞬こちらを見た。
その目が合った瞬間、心臓が跳ねた。
けれど、すぐに空は視線を逸らしてしまった。
彼女も同じように、何事もなかったかのように本に目を落とす。
――顔を合わせることすらできない。
そんな自分が情けなかった。
◇
昼休み。
友人たちと弁当を囲みながらも、空の心はどこか上の空だった。
「なぁ相川、放課後、駅前のゲーセン寄ってかね?」
「あー、悪い。放課後はちょっと……。」
「またかよ。最近放課後いつもどこ行ってんの?」
「ん? まぁ、ちょっと野暮用。」
秘密クラブ。
その言葉が喉まで出かかったが、飲み込む。
誰にも言えない約束。
けれど、今はその約束すらも、壊れかけている気がした。
◇
午後の授業も、集中できなかった。
黒板の文字がぼやけて見える。
ノートを取る手が止まるたび、心の中で問いかける。
――このまま、終わってしまうのか?
未来との関係が、あの「ごめん」で止まってしまったように思えた。
でも、それだけは嫌だった。
思い返せば、最初に未来と秘密クラブで出会ったあの日から、少しずつ、確かに心が変わっていった。
初めて名前を呼び合った日。
SNSでメッセージを送り合った日。
相合傘、手つなぎ、プレゼント交換――
全部が楽しくて、全部が新鮮で、全部が特別だった。
未来が笑うたびに、胸の奥が温かくなった。
時々見せるさまざまな表情に、どうしてか目が離せなかった。
放課後に過ごすその時間が、いつしか一日の中でいちばんの楽しみになっていた。
――それなのに、俺は。
未来の気持ちを踏みにじるようなことを言ってしまった。
冗談だからと逃げてしまったけど、本当は怖かっただけだ。
好きだと認めてしまえば、もう後戻りできない気がして。
恋の練習のはずだったのに、本気になってしまった自分が間違っているような気がして。
けれど、もうわかっている。
自分の心は、もう嘘をつけない。
◇
放課後のチャイムが鳴る。
いつもなら自然と資料室へ向かう時間。
でも、今日は違った。
未来は席を立たず、友達と何か話していた。
その声がほんの少し聞こえる。
笑い声。
けれど、その笑顔の奥が、どこか無理をしているように見えた。
――やっぱり、ちゃんと話したい。
そう思った瞬間、空は立ち上がっていた。
机を出て、未来の席へ向かう。
数人のクラスメイトが驚いたように視線を向けた。 けれど、そんなのどうでもよかった。
未来がこちらに気づいて、少し目を丸くする。
「……どうしたの、相川くん?」
その声が少し緊張していた。
空は深呼吸をして、言葉を絞り出す。
「……いつもの場所で待ってる。」
それだけ言うのが精一杯だった。
でも、その一言に、自分の中のすべての想いを込めた。
未来は一瞬きょとんとした顔をしたあと、
ゆっくりと小さく頷いた。
「……うん、わかった。」
その表情は、どこかほっとしたようにも、少し切なげにも見えた。
◇
席に戻ったあと、すぐに荷物を持って教室を出た。
心臓がまだバクバクしていた。
まわりの声が遠く感じる。
頭の中には、未来の「うん、わかった」という声だけが繰り返し響いていた。
――今日、ちゃんと伝えよう。
怖いけれど、逃げたくない。
恋の練習じゃなくて、本物の恋として、彼女に向き合いたい。
どんな返事をされるのかは怖くはあるけど。
窓の外では、放課後の光が少しずつ傾いていく。
あの資料室で、どんな顔をして未来に会えばいいのか。
なんと伝えたらいいのか。
それを考えるだけで、胸の奥が熱くなった。




