第14話 手繋ぎチャレンジ
放課後の資料室。
いつもと同じように静かな空間なのに、どこか空の胸の鼓動だけが大きく響いていた。
机の上にはノートとペン、そして未来が持ってきたペアのマグカップ。
「空、今日はね、ちょっとしたゲームをしてみようと思うの。」
未来が柔らかな声でそう切り出す。
彼女の指先が机の上で軽く動き、ぴたりと空の手の近くで止まった。
「ゲーム?」
「うん。手繋ぎチャレンジゲーム。」
未来は少し照れながら笑う。
「恋人同士って、よく手を繋いで歩くでしょ? だから今日はその練習。先に手を放そうとした方が負け、っていうルール。」
「……手を繋ぐ、ゲーム?」
「そう。どっちが先に耐えきれなくなるか、っていう勝負ね。」
未来はイタズラっぽく笑った。
その笑顔に、空は何も言えなくなってしまった。
手を繋ぐという単語だけで、心臓の音が跳ね上がる。
空は異性と手を繋いだこともほとんどなかった。
「じゃあ、始めようか。」
未来は机の上にそっと手を出した。
白くて細い指。
爪は短く整えられ、光を反射してきれいに見える。
空は、喉が乾くのを感じた。
ただの練習だと自分に言い聞かせながら、そっと手を伸ばす。
――触れた瞬間、空の中の時間が止まった。
柔らかい。
温かい。
今まで触れたどんな感触とも違うように感じた。
「……手、あったかいね。」
未来が笑う。
空は息をのんで、「あ、ああ……」と返すのが精一杯だった。
女の子の手って、こんなに小さいんだ。
自分の手が大きく感じる。
手が少し重なっただけで、胸の奥がくすぐったくなる。
「ねえ、空。」
「ん?」
「思ってたより、真剣な顔してるね。」
「そ、そんなことないけど……。」
「ふふっ。なんか、かわいい。」
未来が笑った瞬間、心臓が跳ねた。
そのせいで、手のひらに汗がにじんでくる。
――やばい。
手汗が出てる気がする。
バレたらどうしよう。
でも、離したら負け。
空は混乱した頭のまま、手を握る力を少し強めた。
「空、力、入ってるよ。」
「ご、ごめん……!」
「いいよ。びっくりしたけど、……なんか、そういうの、悪くないかも。」
未来の顔は少し赤みが増していた。
握っているだけで、こんなに感情が忙しいなんて。
練習のはずなのに、どうしてこんなに本気みたいになるんだろう。
◇
しばらく沈黙が続いた。
外の風の音と、時計の針の音。
その間、二人は何も言わず、ただ手のぬくもりを確かめていた。
空は思った。
――このままだと、俺の方が先に負ける。
手汗も気になるし、心臓もうるさいし。
でも、負けるのは何か悔しい。
ここまで来たら、簡単に離せない。
そのとき、ふと視線が未来の指先に止まった。
彼女の指が、自分の手の中で少しだけ動いた。
まるで逃げるように。
……負けたくない。
空は、ゆっくりと手をずらして――指と指を絡ませた。
いわゆる恋人つなぎだ。
「えっ……!」
未来の声が小さく震えた。
驚いたように目を見開き、頬がみるみるうちに赤く染まる。
でも、手は離さない。
むしろ、少しだけ握り返してくる。
「……ずるいね、空。」
「な、何が?」
「こんなふうに繋ぎ直したら、こっちからは動けなくなるじゃない。」
未来は笑いながらも、どこか照れくさそうに目を伏せた。
その横顔が、いつもより少し幼く見える。
空の心臓がまた跳ねた。
お互いの指先がぴたりと重なり、手のひらが完全に密着する。
その温度が、まるで心の奥まで伝わってくるようだった。
「……ねえ、未来。」
「なに?」
「これ、勝負だったよな?」
「うん。」
「俺、もうギブアップかもしれない。」
そう言うと、未来はくすっと笑った。
「それって……負け宣言?」
「まあそうかも。勝ち負けよりも……なんか、もうこれ以上、心臓がもたない。」
空がそう言うと、未来は少し嬉しそうに微笑んだ。
「なら、私の勝ちだね。」
「そうなる、かな。」
「でもね、空。」
未来はそっと握り直す。
「今の、負けって言葉、ちょっと可愛いと思った。」
その瞬間、チャイムが鳴った。
放課後の終わりを告げる、下校時間の合図。
まるでタイミングを見計らったようだった。
「……そろそろ、終わりにしようか。」
未来が小さく呟く。
「うん。」
空は少し名残惜しさを感じながら、ゆっくりと指をほどいた。
離した瞬間、手のひらが一気に冷たくなる。
けれど、指先にはまだ未来の温度が残っていた。
「……お疲れさま、空。」
「未来こそお疲れ。……練習とはいえ、なんか本気出しすぎた気がする。」
「そうかな?いい練習になったと思うよ。」
未来は少し恥ずかしそうに笑った。
その頬はまだうっすらと赤く、唇がかすかに震えている。
その表情が、空の目に焼きついた。
――きっと今、自分の顔も真っ赤なんだろうな。
そう思うと、恥ずかしさと同時に、どうしようもない幸福感が胸に広がった。
◇
空は手を離した後も指先の感触を思い出していた。
柔らかくて、小さくて、あたたかい手。
その印象は、どんな言葉よりも強く心に残っていた。
また手を繋ぎたいとさえ思ってしまった。
「……次の活動も、楽しみにしててね。」
未来がそっと言う。
その笑顔に、また心臓が跳ねた。
「うん、未来。楽しみにしてる。」
名前を呼ぶと、未来は少しだけ目を伏せ、嬉しそうに頷いた。
――秘密クラブ。
それは、恋を練習するための場所。
今日もまた、空は恋について少し知った気がした。
手のぬくもりが消えないまま、二人の放課後は静かに終わっていった。




