第13話 手作りクッキー
放課後、いつもの資料室の扉を開けると、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐった。
「……ん?」
空が首をかしげると、先に来ていた未来が机の上に紙袋を置いて、こちらを振り返った。
その顔は、どこか照れくさそうで、けれど嬉しそうでもある。
「空、今日はね――。」
未来は紙袋の中から、小さな透明のタッパーを取り出した。
「これ、私が作ったの。手作りクッキー。」
「……クッキー?なんで?」
「うん。今日の活動は、これにしようと思って。」
そう言って未来は、少しだけ胸を張った。
「いつか恋人ができた時のバレンタインの練習。……っていうのはどうかな?」
恋人。
その単語が耳に残る。
未来は何気なく言ったのかもしれない。
けれど、空の胸の中ではその一言がやけに重く響いた。
「恋人への……練習、ね。」
照れ隠しのように笑って、空は机のそばに座る。
「なるほど、今回は試食役ってことか。」
「そう。だから、正直に感想を聞かせてほしいな。でも、恋人にする時みたいにコメントしてね?」
未来は少しだけ頬を染めながら、イタズラっぽく笑って蓋を開けた。
中には、少し形が不揃いなクッキーが十数枚並んでいた。
丸やハート、星の形も混じっていて、見た目だけで手作りの温かみを感じた。
「すごいな、手作りってのがすごい伝わってくる。」
「ほめてるの? それとも、手作りは嫌だった?」
「もちろん、ほめてる。それに手作りは⋯⋯嬉しい。」
「よかった。」
未来が小さく笑った。
「じゃあ、食べてみて。」
空は星の形のクッキーを1枚取る。
口に運んで、そっと噛んだ。
サクッ。
軽い音がして、バターと砂糖の優しい香りが口いっぱいに広がった。
派手な味ではないけれど、どこか懐かしい優しい味だ。
少し焼きすぎたのか、端がほんのり焦げているのもあけど、それがまた家庭的でいい。
「……うん。うまい。」
「ほんとに?」
「本当。びっくりするほど完璧ってわけじゃないけど……なんか、優しい落ち着く味だな。」
そう言うと、未来はほっと息をついて笑った。
「よかった。実はね、昨日の夜、けっこう緊張しながら焼いたの。焦げたり、形が崩れたりして、途中でやめようかと思ったくらい。」
「へぇ。料理って大変なんだな。」
「でも、楽しいよ。作ってる間、誰かのことを考える時間があるから。」
空は一瞬、息を止めた。
誰かのことを考えるという言葉が、心のどこかをかすめる。
もしかして、俺のことを考えてたのか?
いや、将来できる彼氏のことか?
ただ、それを確かめるようなことは言えなかった。
「そっか……未来って、意外と家庭的なんだな。」
「意外と、ってどういう意味?」
「いや、なんか、もっとクールなイメージだったからさ。」
「クールって……そんなふうに見える?」
「見える。頭いいし、冷静だしね。」
「ふふ、それならギャップ萌えってやつになるのかな?」
未来が少しイタズラっぽく笑う。
空はその笑顔を見て、また胸の奥がくすぐったくなる。
告白練習の時の笑顔を思い出した。
あの時と同じように、未来の表情には照れと嬉しさが混ざっている。
「私も食べよ。実は昨日は不安であんまり試食できなかったんだよね。」
未来はクッキーを1枚取って、1口かじった。
サクッと音を立てて、目を細める。
「うん、自分で言うのもなんだけど、思ったよりちゃんとできてるかも。よかった。」
空はその横顔を見つめながら、小さく笑った。
「なんか、こういうのもいいな。」
「こういうの?」
「なんていうか……お菓子食べながら他愛もない話してるのが、普通に楽しい。」
未来は少し驚いたように瞬きをしたあと、やわらかく微笑んだ。
「……うん、わかる。私もそう思う。」
二人の間に、静かな時間が流れた。
窓の外では、夕陽が少しずつオレンジから赤に変わっていく。
図書室の隅にある資料室は、放課後のざわめきから切り離された、小さな世界みたいだった。
未来が口を開く。
「ねぇ、空。もしさ、誰かにこういうクッキーをもらったら、どう思う?」
「どう、って?」
「その……好きな子に、バレンタインでもらったら。」
急にそんなことを言われて、空は少し考え込む。
「うーん……嬉しい、と思う。味とか関係なく、その作ってくれたことが、もらえたことがシンプルに嬉しい。」
「……そうなんだ。」
未来は俯いて、クッキーをもう1口食べた。
その横顔は、なんだかいつもより静かだった。
「でも、俺はたぶん、誰かからもらうなんてないだろうけどな。」
「どうして?」
「恋愛禁止の学校で、わざわざ渡す人なんていないだろうし。」
「ふふ、そういう時こそ、秘密クラブの出番じゃない?」
「確かに。」
二人で顔を見合わせて笑った。
◇
空はクッキーをもう一枚取った。
今度はハート型のやつだ。
さっきよりも少し焦げてるけど、不思議とその不揃いさが可愛く見える。
「これ、ハートの形だな。」
「あ、それはちょっと失敗作。」
「いや、いいと思うけど。」
「焦げてるのに?」
「うん。なんか……味があるっていうか。」
未来は目をぱちぱちさせてから、ふっと笑った。
「それ、ちょっと言い過ぎじゃない?」
「そうかもな。でも本気でそう思ったからさ。」
クッキーを噛む。
胸の中まで甘く感じた。
未来が小さく息をつく。
「ねぇ、空。次の活動、何がいいと思う?」
「うーん……難しいな。」
「考えといてね。恋の練習、まだまだこれからなんだからね?」
未来の言葉に、空は思わず笑ってしまう。
恋の練習――その言葉が、今では少し違う響きを持って聞こえる。
練習のはずなのに、心が本気で動いてしまうのは、なぜなんだろう。
机の上には、いくつかあったクッキーがもう残り2枚になっていた。
そのひとつを未来が2つつまみ上げ、1つをそっと差し出す。
「これ、最後の一枚。……一緒に食べる?」
空は笑ってうなずいた。
未来の指先が、自分の指に少し触れる。
それだけで、ドキッとする。
二人で小さくクッキーを割り合い、同時に口へ運ぶ。
甘さと、少し焦げた香ばしさが、そっと混ざり合っていた。
――やっぱり、普通の味のはずなのにすごく美味しく感じる。
空はそう思いながら、未来の笑顔を見た。
その笑顔はクッキーよりもずっと甘く感じた。
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