第10話 テスト勉強
放課後、いつものように資料室の扉を開けたとき、空は少しだけ拍子抜けした。
いつもなら、未来が何かしらの恋の練習を企んでいる。
だけど、今日の机の上にはスマホも、占い本も、特別な道具もなかった。
代わりに置かれていたのは、教科書とノート、そしてシャーペンだけ。
「……今日は勉強会?」
「うん」
未来はにこっと笑って言った。
「テスト近いでしょ? だから今日の活動は、一緒にテスト勉強しようかなって。」
「恋の練習じゃなくて?」
「勉強も、ある意味支え合う練習ってことでどうかな?」
未来は軽い口調で言って、ペンをくるくると回した。
なんだか肩透かしを食らったような気分だ。
でも確かに、期末テストは来週に迫っている。
空はため息をつきながらも、席に着いた。
「……まあ、もうすぐテストがあるから、勉強しないといけないよな。」
「そう、そう。じゃあ、数学からやろっか。」
「未来、数学得意なの?」
「うん。公式覚えればなんとかなるタイプ。」
「俺は、問題読む時点で眠くなるタイプだな。」
「じゃあ私が眠気防止係だね。」
未来が笑う。
空は苦笑しながら教科書を開いた。
たしかに勉強は得意じゃないけど、未来と一緒にやるなら悪くない。
そんな気がした。
◇
資料室の中は、今日も静かだった。
窓の外からは、吹奏楽部の練習の音がかすかに聞こえる。
鉛筆の音と紙をめくる音だけが、二人の間に流れていた。
「この問題、どうやって解くの?」
そう質問すると、未来は首を傾げて、問題文をのぞき込んだ。
「これか。えっと……まずaとbを代入して……。」
「代入して?」
「で、整理して……。」
未来の顔が近い。
同じノートを覗き込むから仕方ないのだけど、
息を吸うたびに、ふわっとシャンプーの香りがした。
手元の文字が、少しかすんで見える。
「……で、あとは計算すれば答えが出るよ。」
「なるほどね。」
空は頷きながらも、少し動揺する。
なんだこれ、ただの勉強なのに……いつもと違う。
友達と一緒に勉強することなんて、何度もあった。
でも、未来といると、それとは違う何かを感じる。
静けさが心地よいのに、妙に落ち着かない。
それが何なのか、言葉にできなかった。
「ねえ空、次は私から質問していい?」
「いいよ。」
「えっとね……この英文の“have been”って、どんな意味だっけ?」
「あー、それはずっと〜しているってやつ。」
「ずっとかー。」
未来はペンをくるくる回しながら、小さくつぶやいた。
「ずっとって、なんかいいね。」
「勉強の話だぞ?」
「わかってるけど。なんか、響きが好きなの。」
「……変なとこで感性豊かだな。」
「えへへ、褒め言葉として受け取っとく。」
そう言って未来は笑う。
その笑顔を見て、空は一瞬、視線を落とした。
胸の奥が、ふわりとくすぐったくなる。
ずっと、その言葉がなぜか心に残った。
◇
1時間ほど勉強を続けて、ふたりは一息つく。
未来がペットボトルのお茶を飲みながら、ぼんやりと窓の外を見た。
夕方の光が、少しずつ赤くなっていく。
「ねえ、空。」
「ん?」
「勉強ってさ、ひとりだと続かないけど、誰かと一緒だと頑張れるね。」
「そうかも。集中力が切れにくい気がする。」
「空は家でもこうやって誰かとやったりするの?」
「いや、だいたい一人かな。友達とやると、結局話しちゃうし。」
「……じゃあ、私とやるときも話してもいいね。」
「え?」
「だって、恋の練習だから。恋人とテスト勉強するための練習みたいなもんだよね。」
「それは……そうなのか?」
未来は軽く笑う。
その表情に、空もつられて笑った。
こうして一緒に笑うこと自体が、いつの間にか特別に感じるようになっていた。
友達とは違う。
けど、恋人でもない。
その中間にある、あいまいな関係。
でも、不思議と嫌ではなかった。
「空って、理科得意だよね?」
「うん、まあ、好きな方。」
「じゃあ教えて。植物の光合成の仕組み。」
「そこか。えっとね……。」
空が説明を始めると、未来はうなずきながらメモを取る。
真剣な顔で、時々眉を寄せる仕草。
その様子が、思ったよりもずっとかわいく見えて、
空はふと、自分が未来のノートよりも顔を見ていることに気づいた。
……なんで見てんだ、俺。
慌ててノートに視線を戻す。
でも一度意識してしまうと、気になって仕方がない。
まるで自分の心だけが、教室の外に飛び出してしまったみたいだった。
「空?」
「え?」
「説明、途中で止まってるよ?」
「あ、ああ、ごめん。えっと……その後、二酸化炭素を吸収して……。」
「うんうん。」
未来が微笑む。
その笑顔に、心が揺れる。
何かが、少しずつ変わっている気がした。
◇
気づけば、あっという間に2時間が経っていた。
資料室の時計が、もう帰りの時間を告げている。
「そろそろ終わりにしよっか。」
「そうだな。」
「今日は勉強会だったけど、たまにはいいよね?」
「まあ、たまにはいいんじゃないか?」
「うん。……こうやって一緒に勉強を頑張るのも悪くないよね。」
未来がそう言って、少しだけ柔らかく笑った。
空はその言葉を聞いて、胸の中がふっと温かくなる。
……悪くない、か。
確かに、ただ勉強していただけなのに、心地よい時間だった。
未来と隣でノートを広げて、言葉を交わして、笑い合って。
それだけで、放課後が少し特別に感じる。
友達と勉強しているときとは、明らかに違う。
何が違うのかはわからない。
でも――違う。
その“違い”を意識した瞬間、胸の奥が少しざわついた。
もやもやして、息苦しくて、だけどどこか心地いい。
その正体を、空はまだ知らなかった。
◇
帰り支度をしながら、未来が小さく言った。
「ねえ、空。また一緒に勉強しよ。」
「え?」
「だって、今日、意外と集中できたし。……空のおかげで。」
「俺の?」
「うん。なんか落ち着くんだよね、空といると。」
その言葉に、心臓が一瞬止まったような気がした。
落ち着く――たったそれだけの言葉なのに、胸の奥がじんわり熱くなる。
「……じゃあ、またやろう。テスト前に。」
「約束。」
未来がにっこり笑う。。
空もつられて笑いながら、小さくうなずいた。
今日の活動はテスト勉強だった。
けれど、その中に小さな恋の練習があったような気がした。
空は気づかないふりをしたまま、机の上のノートを閉じた。
また次の放課後、同じように未来と並んで勉強する光景を――なぜか心のどこかで、楽しみにしている自分がいた。
今日はもう1話投稿予定です
楽しみにお待ちください!




